英語よろずや日記(仮)

自称「英語よろずや」(願望含む)の縦横無尽自由自在傍若無人支離滅裂な雑文。

     
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国際人?
[2008年09月25日(木) ]

こんにちは。また間が空いてしまい失礼しました。
そうこうしているうちにもうすぐ9月も終わりですね。10月は遅い遅い夏休みで国内旅行に行くので、それを励みに働いているようなものです。

ところで、私のように英語を使って仕事をしている人々は、しばしば「国際人」と呼ばれることがあります。
でも、国際人って何なんでしょうね。
英語は世界で最も多民族にわたって話されている言語だから(人口的には中国語にかないませんが、中国語を話す人というのは民族的に限られていると思う)英語が話せればそれだけ世界中の多くの人々とコミュニケーションを取ることができます。じゃあ英語が母国語のアメリカ人やイギリス人やオーストラリア人や(以下略)はみんな国際人なのか?というとそんなことはありません。世界に興味のない日本人がいるのと同じように、世界に興味のない、英語で他国の人とコミュニケートしようとしないアメリカ人やイギリス人やオーストラリア人や(以下略)はたくさんいます。自分の国の言葉が通じる場合が一番多いから楽なはずなのに。

英語が話せればそれだけ世界中の多くの人々とコミュニケーションを取ることができますし、また、世界の色んなことを垣間見るチャンスが増えます。例えそれがウェブ上の出来事だったとしても。
確かにそれは素晴らしいアドバンテージだと思いますし、そういう環境にいる自分は恵まれていると思います。でも、外国語ができるイコール国際人じゃないと思うんですよね。外国語ができなくても世界の色んなことを知っていたり、世界中の人々とつながりを持っている人というのはいっぱいいます。言葉の面は私みたいな仕事の人(翻訳や通訳)が補えばいいですからね。
そういう人々を見ていると、もれなく「自分から発信」できる人たちです。心の引き出しがいっぱいあることもさることながら、自分の国の色んなことも分かっているし、それについて自分の考えを述べることができる。「国際人」である前に「自分の国の人」なんですよね。

個人的には、自分のことは「国際人」と思いませんし、なるつもりもありません。
というか、そんなの私にとっては100年早いです。
まだ「自分の国の人」の修業が足りないわけですから。

留学した頃、自分の「発信できなさ」に愕然としたことを思い出します。
私はアメリカや、留学生仲間の出身国の色んなことを吸収することばかり考えながら日本を発ちました。帰国子女なので英語はそこそこ喋れましたが、日本のことをあまりにも知らず、自分の考えもろくに持っていなかった自分。give & takeという言葉がありますが、私はtakeばっかりでgiveできなかったのです。当然、会話もそう長続きするわけがなく、takeも思ったようにはできませんでした。

あれから十数年。少しはgiveできるようになったかな?まだまだまだまだですが。
今は仕事柄「世界の色んなことを垣間見る」チャンスが多いので、そのたびに「日本だったらどうかな」「私だったらどうかな」と思いを馳せるようにしています。

近年中に小学校でも英語教育が必修になるとどこかで読みましたが、個人的には反対です。その分、日本のこと(文化や歴史や政治や経済など)を学ぶ機会を増やした方がいいんじゃないかと思います。日本のいいところも悪いところも知って、それについて考える時間をもてたら、自信を持って「自分から発信」できるようになって、「国際人」に近づくのではないでしょうか。

(「国際人」という単語そのものがちょっと抽象的過ぎて胡散臭いと個人的には思うので、近づくことがいいことなのかどうかは置いといて。)
襟をただす日
[2008年09月11日(木) ]

こんにちは。
昨年はこんな記事を書きましたが、あれから早くも1年。そして「あの日」からは7年も経ちました。早いなあ。
まさに7年前のこの日に幼馴染が女の子を産んだのですが、その子も小学校1年生。そう考えるとすごいものがあります。

7年経った今もビンラディンは見つからず、テロの犠牲者数をはるかに超える数の兵士たちがイラクなどで命を落とし、それをさらにはるかに超える数の市井の人々が命を落としている。
それってテロの犠牲者たちや、その遺族たちが望んでいることなわけないのに、なんか変です。

アメリカではWar on terror(テロとの戦争)という言葉があれ以来ずっと使われています。マイケル・ムーアさん(映画「華氏911」の監督です)はterrorを「テロ」ではなく「恐怖」と解釈し、「“概念”が敵ってどんだけ〜」と声を上げていました。(おっと意訳しすぎました。しかもちょっと古い流行語で…)詳しくは「おい、ブッシュ、世界を返せ!」という本を読んでみてください。

私はアメリカ人じゃないので大統領選挙にあーだこーだ言う資格は無いですが、ベトナム戦争の英雄であるマケインさんが戦争の続行を明言しているのが理解できません。ベトナムに行って戦争の悲惨さを目の当たりにしたのであれば、卑劣に卑劣で返すのがいかに無意味か解っているはずなのに。7年前の今日、テロの犠牲者やその家族たちが経験してしまった悲惨な出来事がまだ鮮明な記憶として残っているのであれば、そんなことは考えられないはずです。いつも犠牲になるのは市井の人々なのに。

その点、自分たちが被害者なのに全人類の問題として考えて「過ちは繰り返しませんから」と記念碑に刻んだ広島の人々はすばらしい!と改めて思います。
そしてこの7年間の間に、より多くのアメリカ人が広島の人々に続く気持ちを持つようになったのもすばらしいことだと思います。テロ当初は「わしら被害者じゃ〜」みたいな考えの人や、以前書いたように「they=悪、we=善」という短絡的な考えの人が多かったのですが、「善」を他国にもたらすために自国の兵士も相手の国民も命を落としてしまう、という矛盾を目の当たりにして、考え直したのかも知れません。

なんだか文章がいつも以上に散漫ですが、私にとっての9/11は、7年前のこの日に生き延びた(と言っても直接被害に遭った訳ではないのですが)という強運に感謝しつつ、また1年頑張ろう、と襟を正す日、そして戦争と平和について考え直す日に毎年なっています。これは8月15日と同じくらい私にとっては真面目な日です。(余談ですが、別の友人は毎年8月を「戦争について考える月間」と決めて、戦争の悲惨さを書いた手記を読んだりするそうです。それを聞いて彼女に惚れ直した次第。)
日本に帰ってからはすっかり平和ボケしてしまいましたが、それでも「あの日から派生してつらつら考えたことは一生忘れない」と思っています。
ものいい
[2008年09月09日(火) ]

こんにちは。
火曜の時点で、このブログがいきなりランキングの上位に登場していて嬉しい反面びっくりした美井(仮名)でございます。言葉を扱っている人間とは思えない拙い文章を読んでくださってありがとうございます。でも、くれぐれも、わたくしの意見イコール相撲ファンの総意とお考えにならないようにお願いいたします…。(弱いぞ。)

前回のブログをアップしてからたった1日の間にあまりにも多くのことが一度に起こってしまい驚いています。
非相撲ファンの方々にとっては、恐らく今回の事件まで四股名を知られなかったであろう彼ら(と言ってしまうのも失礼ですが)。一般的には悪い印象しか残さなかったと言っても過言ではありません。この前の「大相撲版平家物語」にも書きましたが、今までの努力がこんな愚かなことで水の泡になってしまうなんて。ばかすぎる。(涙)
せめて、「いいときの彼ら」を知っている相撲ファンに対しては、これ以上いい思い出に泥を塗らないでほしいです…。
今はあまりにも悲しくて、いい思い出(と言っても私は直接話したことはありませんが)がかすんでしまいそうです。

ところで一連の報道にちょっと物言いさせてください。
大麻の入手ルートについて
六本木で黒人からもらった
ロサンゼルスで黒人歌手からもらった
って、やたら人種を強調するのはいただけません。そりゃ確かにくれた人の人種は「黒人」だったのかも知れませんが、もし他の人種だったら「白人からもらった」とか「黄色人種からもらった」とは言わないのではないかと。(「ガイジンからもらった」という言い方はあるかも知れないけど、これも感じいいものじゃありませんよね。)何だか人種偏見が見え隠れするというか…。

日本は「9割以上単一民族」の国だからか(勿論大和民族以外の人々がいるのは承知しています。念のため)そういう表現のデリカシーが今ひとつ欠けているような気がします。神経過敏になってpolitically correct(直訳だと「政治的に正しい」。差別や偏見を助長しない状態のこと)の度が過ぎるのも考え物ですが…例えば「ブス」のことをcosmetically challenged(美的な努力を必要とする)なんて表現するのは逆に慇懃無礼な気がしますからね〜。

でも、人種に関する表現は、気を遣うに越したことはないと思います。
例えば3年前、ハリケーン・カトリーナがアメリカ南部を直撃したときのこと。人が腰まで水に浸かった写真が2枚、報道に使用されました。
片方の写真には黒人男性。
ニューオーリンズのスーパーで略奪(万引き。原文はlootingという言葉が使われていました)してから胸まで水に浸かって歩く男性
というキャプションがついていました。
(余談ですが、私はその写真の男性がペプシコーラの瓶を抱えているのを見て、「極限状態でも、万引きするのはペプシ(水じゃなくて)なんだなあ。やっぱりアメリカ人って炭酸飲料好きな人多いんだな」と妙な感心の仕方をしていました。

もう1枚の写真には白人男性2人組。さっきの写真と同じように、袋を持って胸まで浸かっていました。ところが、この写真にはこういうキャプションがついていたんですね。
パンと炭酸飲料を見つけてから(原文はafter finding...となっていました)胸まで水に浸かって歩く住民2人

で、「何で黒人さんだとlootingになって、白人さんだとfindingになるんだ?これは偏見・人種差別じゃないのか?」と、アメリカのブロガーさんが声を上げ、大問題になったのです。
あるブログには、"It's not looting if you're white."(白人だったら略奪にはならない)なんて皮肉って書かれてました。また別のブログには、「どうして万引きかそうじゃないかって分かったんだ?泳いで訊ねに行ったのか?」とも書いてありました。
どうやら、こういう非常事態のときはとにかくいち早く写真を配信することが優先されるので、通信社ではキャプションのチェックなしに、提供者さんのコメントをそのまま載せてしまった というのがそもそもの始まりのようです。前者の写真の提供者さんは「略奪の現場を見た」らしいのでlootingで合っていて、後者の提供者さんは「現場を見ていないのでlootingとは書けない」とコメントしていたそうで。カメラマンも通信社も違うし、よってこれらのキャプションの違いはたまたまであって人種差別や偏見とは違うらしい という結論(?)なのですが、やはり誤解を招くということで、くだんの写真はニュースサイトのデータベースから削除されたらしいです。

そういうことがあったので、日本語の記事でもつい前述の表現には物言いをつけたくなってしまうのでした。(あ、「物言い」は相撲用語です。)

アメリカから帰国して随分経ちますが、この手の言葉遣いにはできるだけ気を遣って来たつもりです。でも私も知らず知らずのうちに差別的な書き方をしてしまうことがあるかも知れない。せっかくアメリカに住んで居たのだもの、少なくともこういうことに対する問題意識はこれからも持ち続けなければ、と改めて思うのでありました。

それにしても相撲からここまで話をこじつけるかね私?(汗)
責任の取り方
[2008年09月06日(土) ]

こんにちは。
私の大好きな大相撲に嫌なニュースが続出している…
報道があるたびに、このブログをご覧下さっている奇特な方々は美井(仮名)のことを思い出しているのではないでしょうか。(→自意識過剰)
これを書いている今の時点では、件の力士2名の精密検査結果も「クロ」と出てしまい、それでも2人とも疑惑を完全否定している、という状態です。2人ともファンサービスのよいいい力士なのを国技館や巡業先で見ているので、犯罪者へのご近所取材じゃないですが、「あんないい人がそんな、ありえない」と信じたい一方、でもしかるべき機関で見てもらった結果だしなあ…という気持ちもあります。というか今は後者の気持ちの方が強い…非常に複雑です。勿論「クロ」だった場合同情の余地はないわけですが。

そんな中取り沙汰されているのが、北の湖理事長の進退問題。
一般企業では、何か重大な不祥事があると、大抵はその企業のトップが「責任を取る」形で辞任します。ところがここ2年くらい不祥事続きの相撲協会ではそういうことがなく、理事長は「二度と起こらないようにするのが私の責任です」と言ってきました。

実は私は、そういう「責任の取り方」もありなんじゃないか、と思っているくちです。(北の湖理事長を支持しているという意味ではありません。念のため)
子供の頃から、テレビや新聞で企業のトップの引責辞任の話を見聞きするたびに、どうして「辞任=責任を取る」なのか不思議でした。新しい人がトップになったところでそう簡単に組織って変わるものなのか?変わるんだったら初めから不祥事しなきゃいいのに、と単純に考えてしまうんですよね。
勿論、トップという地位にあることで享受できる既得権(高いお給料とか)がある訳なので、そういうものを放棄するという意味もあるのは認識しています。また、部下の監督不行き届きによって辞任するわけですから、別の人に部下を監督してもらうことによって不祥事の再発を防ぐ、というのもあるでしょう。
でも、トップが末端の部下一人一人のことをそんなに把握しているものなのかも疑問です。小さな組織ならともかく、大きな組織であればあるほどトップから末端の部下への距離は遠くなるような気がします。だとしたらいきなりトップを交代させるより、トップから末端の部下への距離を縮める努力をしてから辞めても遅くはないのではないかと…。そんな風に思って育ってきました。この考え方が正しいのかどうかはいまだに分かりません。

もっとも、今回の場合は理事長の「直属の部下」も絡んでいるので、今度という今度は一般社会と同じ意味での「責任を取る」ことをしてもよいかな、という気はします。でも、一般社会と同じ意味での「責任を取る」のは、本当だったら去年の新弟子死亡事件のときにすべきだったと思いますが。個人的には、あの事件の方がよほど重大だと思うので。

進退といえば、先日は福田首相がいきなり辞任してびっくりしました。
こちらは恐らく、一般的な意味での「責任を取る」形の辞任なのでしょうが、いかんせん不完全燃焼感が残るのは何故でしょう。(私だけかな?)辞任をする直接的な理由が起こった直後ではないからなのでしょうか…彼もまた、「責任を取る」タイミングを間違えてしまったのかも知れません。今までも世論(これもまた複雑な言葉だと思うので、これに関する私の見解は割愛します。って都合よいですが。)で辞任すべきとの声が上がっていた彼ですが、多分先日までは北の湖理事長と同じで「(様々なことを)立て直すのが私の責任」と思ってやっていたのでしょう。でも唐突な形で辞任してしまったから、「途中で投げ出した」感が強くなってしまい、結果として「責任を取った(多分)のに批判される」という形になってしまっている気がします。

世の中って難しいなあ。(そうまとめるか?)