英語よろずや日記(仮)

自称「英語よろずや」(願望含む)の縦横無尽自由自在傍若無人支離滅裂な雑文。

     
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自己治癒
[2008年06月27日(金) ]

こんにちは。
早いもので6月も終わりですね〜。中学生の皆さんは期末テストに向けて追い込みやっている頃かしら。あと少しで夏休み、がんばれー。

私にとっての6月は、いつも以上に嬉しいことと悲しいことがあった1ヶ月でした。具体的には割愛しますが、ただでさえ涙もろい私。嬉し泣きしたのは勿論、悲しいことのときはもう何を見ても涙が出てきて困っておりました。(今月に限った話ではないですが)

そんなところにやってきた、久々の翻訳仕事。
依頼主は会社員時代の先輩でした。この先輩はいつもメールではなく電話で仕事を依頼してくれるのですが、「葉亜子ちゃん(仮名)元気?」という質問に、「元気でっす!」と即答できた自分にびっくり。さっきまでどよーんとしていたと言うのに、その後に続いた他愛ない会話もいつも通りに進めることができました。

自分には案外「プロ根性」(大袈裟)が備わっていたのだな〜 と電話を切ってからちょっと嬉しくなりました。あの電話をきっかけに、気持ちが前向きになり始めた気がします。先輩ありがとう

これって何かに似てるな、と思い出したのが、大学時代の失恋経験です。
当時私は某ファストフードでアルバイトをしていました。ファストフードと言えば営業スマイル。こんな精神状態で仕事できるのか?と思いましたが、背に腹は代えられません。涙を表面張力で抑えて何とか出勤しました。
ところが、この営業スマイルが、結果として立ち直りに役立ったんですよね。
ファストフード店員たるもの、自分の内面がどんな状態であろうと、満面の笑みをたたえて「いらっしゃいませーーー」「ありがとうございましたーーー」と威勢良く挨拶しなければなりません。最初はやっぱり心と顔とセリフが全部バラバラな感じがしました。だけど、数時間働いていると、段々心からの笑顔になってくるんですよね。勿論最初は、アルバイト時間が終わるとまた「はぁ」とため息ついたりしてたんですが、そういうのを繰り返していくにつれ、徐々に普段の自分を取り戻していった気がします。

時が解決してくれたというのも勿論あったと思います。
でも、「笑顔に気持ちが後からついて来る」こともあるんだなと知った、21歳の春でした。

辛いことがあるときに、普段自分が接しているものごとを一切断って、一旦辛さに浸ってから気持ちを切り替えて立ち直っていく、という人もいるでしょう。
私の場合は普段の生活をできるだけ続け、最初はから元気でも普段の自分を「演じて」いくことによって、段々中身を伴わせていくのが有効らしいと知ったのがこのときだった気がします。私は気持ちの切り替えがあまり巧くないので、フェードイン・フェードアウト型とでもいいましょうか。

もしこれを読んでいる方で失恋したり悲しいことがあったりして、もう部活辞めたい〜 学校行きたくない〜 と思っている人がいたら、まずは普段の生活を続ける勇気を出してみることをお勧めします。今までは気づかなかった自分の強さや、周りの人々のありがたみを実感できるかも知れません。それが、ゆくゆく立ち直っていく原動力になると思います。
2つの「よかった」
[2008年06月22日(日) ]

こんにちは。
今日は大雨の中を某シティホテルのエステに行って来ました。5月の私の誕生日&母の日に、妹たちが私と母に「お食事&エステご招待券」をプレゼントしてくれたのです。

普段化粧水くらいしか使わず、日焼け止めも1日1回のみ、エステなんて10年ぶりくらい という女子力皆無の私ですが(あ、「女子力」という言葉は好きじゃありません。それについては後日。)、今日はクレンジングからパックまでフェイシャルできれいにしてもらいました。お洋服が大好きな私ですが、そっち費用(と言っても最近は購買欲が失せているので買ってませんが)削ってエステ行く習慣つけようかな〜。アラフォーとしてはお肌きれいにしておくのって大切ですもんね。(と言いつつ、無理にアンチエイジングするのは好きではありません。最近目尻に笑いじわができつつあるので、これは大切に育てたいと思ってます。)
そう思ってしまうくらいすてきな体験でした。

さてさて、そのエステサロンは2人ずつしか施術できないので、私&母(主賓という名目)は妹たちが施術してもらっている間ホテルのロビーでおしゃべりをしていました。ロビーでは引き出物の袋を持った人々がうろうろしていました。その中に20代後半〜30代前半くらいの男性の集団がおり、普通におしゃべりしながらたむろしていたんですが、私が母の話を聞いている傍で「からーん」という乾いた音が…何か落ちたのかな、くらいにしか思っていませんでしたが、
途端にその男性陣が騒然となりました。どうやら、男性の1人が最近結婚したばかりのようで、指輪を仲間に見せようとして指輪を外したところ、手がすべって落ちてしまったようなのです。
最初は「いいじゃん、離婚すれば〜」なんてからかっていたお友達も、彼が「やばい。やばい。マジでやばい」とどんどん顔面蒼白になっていくのを見ると、昔よくあった「落ちたコンタクトレンズを皆で探す」光景のごとく一人一人目を皿にしだしました。

あまりに気の毒だったので私と母も捜索に参加。
「どんな指輪だったんですか?」
「カルティエのやつなんです。色はシルバーで…」
心の中で「うわぉリッチ〜」と思いましたが(笑)椅子をずらしてみたり柱の影に入ってみたりしながら探しましたが見つからず。そのうち他の一般客も捜索に参加しだし、ロビーは潮干狩り状態になりました。

15分くらい経ったころでしょうか、ロビーの脇にあったコンビニの扉の影辺りに指輪が落ちているのが見つかったらしく、「あった!」の声とともに店員さんが指輪を高く掲げました。
思わずロビーは拍手喝采。
蒼白になっていた彼の顔にすこし赤みが差しました。よかったよかった。
「ほら、手伝ってくれた人にお礼言わなきゃ」と先輩らしき人に促され、ようやく放心状態から我に返った彼は、一般客にあいさつ回りを始めました。私たちのところに来てくれたときも、深々とおじぎをしてお礼を言ってくれました。私は「よかったですね〜。おめでとうございます。お幸せに」と返しました。新郎でもないのに「お幸せに」もどーかと我ながら思いましたが(笑)
ちゃあんと彼の元に戻ってきてくれた指輪、奥さまとの縁の強さを示してくれているような気がしたからです。

丁寧にお礼を言ってもらえたおかげで、何だかこっちも幸せな気分になれました。

そして、最近へこむことがあったわたくしですが(超個人的理由により割愛。)まだそうやって他人事に思いを馳せる心の余裕が残っていたことに我ながら驚くと同時にすこしほっとしました。私はまだ大丈夫かも、と思わせてもらえる出来事でした。そういう意味でもよかったわ今日は。
日本のことを英語で読んでみる。
[2008年06月19日(木) ]

こんにちは。
まず、東北の大地震で被災された方にお見舞い申し上げます。私も岩手県に友人がいまして、彼女やご家族は大丈夫だったものの、「しばらく落ち着かない生活が続きそう」と言っていたので他人事に思えません。1日も早く普段の生活を取り戻されますように願っています。

それにしても最近は身の毛のよだつような凶悪事件が多くて嫌になります。
今日は中学生が中学生をナイフで刺すという事件が報道されていました。
そういうのを聞くたびに、未成年だろうと何だろうと犯罪者は実名報道しろ!あと少年法も廃止しちまえ!または適用年齢を小学生以下(まだ善悪の判断がつかない年齢)にしろ!と過激なことを思ってしまうのは私だけでしょうか…。ともあれ、少なくとも「ふーん、またか」と神経が麻痺してしまわないように、そういう過激な反応も自分の中では大切にしたいと思っています。

そんな中行われた、幼女連続誘拐殺人事件の犯人の死刑執行。
あの事件が起こったとき、私は大学生でした。
犯人逮捕のニュースを知ったのは、夏休みに大学の仲間たちと北海道を旅していたときでした。あの頃はネットも携帯電話もありませんでしたからね、函館の食堂か何かでラジオを聞いて「おお、“やっと”逮捕されたか」とみんなで胸をなでおろしたのを憶えています。しかしそこからさらに20年。あまりにも長すぎる。犠牲になった女の子たちは、生きていればお嫁さんになっていた子もいたかも知れません。彼女たちの親御さんは、この20年の間にお友達が小学校、中学校、高校、その先とあがり、成人式を迎え、就職し、結婚式を挙げ、親になり…というのを傍からどんな思いでみていらしたのだろう…と思ってしまいました。

さて、日本で何か起こったときに、海外のメディアではどう報道されているのか。
仕事柄興味があるので、そういうときはYahoo! USAのニュース欄を読むようにしています。

http://news.yahoo.com/

先ほどの死刑執行のニュースはここにありました。
http://news.yahoo.com/s/afp/20080617/wl_asia_afp/japanexecution;_ylt=AmXqZZJVQfZv85GH5QM1HVpvaA8F
「極刑」はcapital punishment、「死刑」はdeath penaltyといいます。「死のペナルティ」と考えれば分かりやすいですね。実際の「死刑執行」はexecution(名詞。動詞はexecution)といいます。文章の下のほうにあるpeople on death rowは「死刑執行を待っている人々」のことです。rowの直訳は「列」。列に並んでいる図を想像するとちょっと怖い…

日本のニュースを海外のメディアで読むと、その事件の背景や関連事項をかいつまんで説明してくれる記述が大抵あるので、自分でよく分かっていなかったことが改めて分かる、というメリットもあります。例えばこの記事では、秋葉原事件の1週間後にこの死刑執行があったこと、2006年まで1年ちょっとの間死刑執行がなかったこと、その後23人が死刑になってうち13人が鳩山さんになってからであること、などについて触れています。

今回は話題がおどろおどろしくてすみません。
通常、私の場合は社会を揺るがしたできごと(殺人事件でなくても)大相撲関係の記事(今月上旬にはロサンゼルス巡業があったのでいっぱい取り上げられていました。)をあたることが多いですが、野球好きな方ならメジャーリーグの記事を探すのもよいですし、何と言っても生きた英語に触れるチャンスの一つです。
中学生のみなさんだとさすがに100%理解するのは難しいと思いますが、日本語である程度情報を仕入れておいてから読むと、案外頭に入りやすかったりすると思います。
「ああ、○○は英語でこういうのか」が1つでも2つでもあれば、次のニュースを読みやすくなると思います。地道な努力が必要ですが頑張って。

なお、「珍ニュース」的なものはこちらにあります。
http://news.yahoo.com/i/757;_ylt=AoTUgh4Em0brmV8jPb8HX4qs0NUE
今日の記事の中には、「(アメリカ)ニュージャージー州のマクドナルドのドライブスルーに熊が迷い込む」というのがありました。ポテトは買ったんでしょうかね?こちらは楽しく英語が学べるニュースが多いのでお勧めです。

そのうち、ニュースで楽しく英語を学ぶコーナーとして連載してみようかと思います。
唯一の存在
[2008年06月12日(木) ]

こんにちは。
先週末は世にも恐ろしい事件がありましたね。
電車の接続の関係で秋葉原にはしょっちゅう行っている私ですが、いつも通っているあの通りであんなことがあったとは…今度通りかかるときには献花台にお茶か何かお供えしてこようと思います。この場をお借りして、犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。

加害者についての一連の報道には考えさせられることがいくつもあります。
進学校に行って落ちぶれてしまって挫折感を感じたとか、いつまで経っても彼女ができなくて悩んでいたとか、昔の自分に通じるところもあり(私もまぐれで進学校に受かってしまったので高校時代の成績は中の下で、大学の2次試験の面接で「きみ、内申わるいね」的なことを言われました。受かったからよかったものの…。あと彼氏いない歴イコール年齢だった時期も長かったな〜。)、そんな中で自分で自分を追い詰めていったというのは解らないでもないですが、だからと言ってあんな事件を起こしたことの情状酌量にはなりません。世の中の大半の人は色んな境遇の中で不満を抱えつつもちゃんと生きている訳ですし、甘え以外の何者でもありません。というか、どこまで責任転嫁&他力本願なんだ、と憤りすら感じます。ぜひとも極刑をもって償ってほしいです。(偉そうですが)

そこから派生してつらつら考えるのが「世界に一つだけの花」という歌について。
SMAPはまあ好きなほうだし、メロディもいいし歌いやすいし、歌詞もいいこと言ってるなとは思うんですが、どうもその歌詞が都合よく解釈されて一人歩きしかねない危険をはらんでいる気がするんです。(よって、曲そのものに罪は全くありません。私が曲解しているだけです。)あの歌を聴くといつも複雑な気分になってしまいます。

著作権料取られたくないので(笑)歌詞を一字一句書くのは割愛しますが、具体的には最後の1行です。要は「自分は唯一の存在だから、一番になる必要はない」という感じの内容ですね。

私たちは「世界に一つだけの花」でそれぞれ違うのだから、その中で優劣(主観的・客観的両方の意味で)をつけてしまうのは自然な流れだと思います。というか、社会に出たら競争ばっかりですよ。特に日本は資本主義社会ですからね〜。最近、小学校の運動会とかで「みんな一緒にゴール」とかそういうのがあるらしいですが、そんな環境で育った子は将来現実を見たときどう対処するんだろう、と思います。

でも、必ずしも「優」なものが「劣」より得かというとそんなことはなくて、丈夫で長持ちする花が好きな人もいればはかない花が好きな人もいるし、きれいな花が好きな人もいればおどろおどろしい花が好きな人もいる、それだけのことです。だからこそ世の中うまく回っているし、人生面白いのだと思います。

ただ、だからと言って「唯一の存在なんだから何も努力しなくてもいい」訳ではないと思うんです。
何も努力しなくても「唯一の存在」になれる人というのは、ゼロではないにしろ、そう多くないと思います。実は「唯一の存在」ってすごく難しいものなんですよね。勿論わたしという人間は唯一の存在なんですけど、私の全てが「唯一」かというとそんなことはない。むしろ凡百の人間だと胸を張っていえます(笑)。私が会社を辞めたときもすぐに代わりが見つかりましたし、今はフリーランスなのでいつ他人にとって代わられるかひやひやしながら、それでも次に繋がるように、英語のニュースを1日1回は見て言葉の言い回しを盗んだり、もちろん丁寧に仕事したり、何かクライアントさんに面白そうなネタを見つけたらメールしてみたり、年賀状を出して存在をアピールしたりするわけです。それでも「翻訳だったら美井さん」だなんてまず思ってもらえませんよ。そんなものです。

SMAPみたいな人気者だったら「唯一の存在」と言えるものを持っているかも知れませんが、彼らだって生まれながらにそうだったとは言えないと思います。(ルックスだけはそうだったかもしれないけど。)子供の頃から厳しいレッスンや芸能界の荒波にもまれてきて、今の彼らがあるのだと思います。最初はそんなに売れてなかったですもんね。

なんかどんどん話がずれてしまうのでここらで軌道修正しますが、
今回の事件の加害者の場合、自分がキモヲタだとか負け組だとか必要以上に自虐的なことを書いていながらも、「自分から何も努力しなくても女の子が寄ってくる、仕事が首尾よく進む」みたいなことを妄想していたような気がします。そりゃ世の中色んな人がいますから、彼のようなタイプが好きという女性もどこかにはいると思います。でもその女の子だって、「ありのままの自分」を完全肯定してくれなきゃ、彼は嫌なわけですよねきっと。少しでも苦言を呈したらたぶん半狂乱になるんじゃないかなあ。

で、多分「何もしなくても女が寄ってくるやつもいるのに、何かしないとダメな自分」にプライドを傷つけられていたのかも知れませんが、それは「パソコン酷使しても視力2.0の人もいるのに私の視力は落ちるばかり」と言っているのとそう大差ない気がします。そのためにメガネというものがあるのではないでしょうか?何か努力することってそんなに恥ずかしいことなのかなあ。

「唯一の存在」である自分の中身を最大限に活かす(あの歌詞にもありましたよね、「自分の花を咲かせることに努力しよう」みたいなフレーズが。あの歌の好きな部分の一つです。)努力に欠けていたのが、彼の一番の欠点だったのではと思います。ルックスも境遇も、本人が思っているほど過酷ではないような気が…。

でも、こういう「自分の落ち度をしっかり理解・認識しつつも、その補填をするにはプライド(悪い意味での)が高すぎる」人って結構多いような気がします。勿論、彼らが第2の秋葉原事件予備軍だとは全く思いませんが。
新しい視点
[2008年06月04日(水) ]

こんにちは、お久し振りです。
まずはお詫びを…先月は1回しか投稿できず、大変申し訳ありませんでした。
体調を崩していたというのが主な理由ではありますが、その間も国技館には2度も足を運んでいるので言い訳になりません。今月は先月の分も更新回数を増やすことにいたします。

さてさて、更新をサボっている間に、わたくし1つ歳を取りました。いわゆる「アラフォー」です。
ケーキにロウソク立てて祝うような歳ではありませんが、やはりいくつになっても誰かに祝ってもらえるのは嬉しいものですね。今年もメールやカードをたくさんいただき、そのたびに感激しておりました。

そして今日。
友人から、「遅れてごめんね」のメッセージとともに誕生日プレゼントが届きました。
中に入っていたのは小さな万華鏡。私の中指くらいの長さで、先にビー玉のようなものがついています。
普通の万華鏡だと中にビーズのようなものが沢山入っていて、そのビーズが中で動いている様子が鏡に映し出される形ですが、これは違いました。なんと、万華鏡の先についているビー玉に映る景色を模様にしてしまうのです。
面白いので、携帯のカメラのレンズに万華鏡をくっつけて写真を撮ってみました。
 
左の写真は部屋の壁に貼ってある大相撲カレンダーと(→また相撲かい。)、本棚の一部。右の写真がそれを万華鏡で見た図です。すごいでしょ?
もともと子供の頃から万華鏡は大好きなんですが、大人になってからはお土産屋さんで見かけるくらいで、手にしたことはありませんでした。今回こうしてちょっと変わった万華鏡をいただけて、懐かしい気持ちを思い起こしたような気分です。さっきから色んなものを万華鏡で見て遊んでいます。夫の顔を万華鏡で見たときが一番面白かったです。

そしてこの万華鏡、とっても大切なことを教えてくれているような気がします。
この万華鏡にかかると、いつも使っているコップ1個から愛用の(老朽化した)パソコンまで、普段見慣れたものがものすごく面白く見えるんですよね。つまり、どんなに平凡な生活やつまらないと思えたものでも、少し視点を変えてみれば、面白味が出てくるかも知れない。ひょっとしたら辛かったり嫌だったりするものごとにすら、いい点が見えてくるかも知れないなと。
とかく物事を一元的に考えがちな私に必要だったのは、心の万華鏡だったのかも知れない、とふと思いました。

来年には40歳になる私。
そのときにいい万華鏡が心の中にできているように、この小さな万華鏡にお世話になろうと思います。

ちなみに万華鏡のことは英語でkaleidoscope(カレイドスコープ)と言います。と、とってつけたような英語ネタですみません