英語よろずや日記(仮)

自称「英語よろずや」(願望含む)の縦横無尽自由自在傍若無人支離滅裂な雑文。

     
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国旗
[2008年04月30日(水) ]

こんにちは。
長野の聖火リレー、ようやく終わりましたね。関係者のみなさまお疲れ様でした。
個人的には沿道で中国や日本の国旗を振っていた人々に違和感を感じましたが…オリンピックは世界の祭典で今回たまたま中国で行われるだけの話だと思うので、特定の国の国旗よりも、五輪の旗を振った方がよかったんじゃないかな、と思いました。

同じような違和感を感じるのは、大相撲の本場所に各国の国旗(目立つのはモンゴルですが、他にも日本を含む色んな国の国旗を見かけます)を見かけるときです。相撲は日本の国技なので日本の国旗ならいいんじゃない?と見る向きもあると思いますが、国籍も年齢もキャリアも身体のスペックも関係なく、文字通り「同じ土俵の上で」戦う、というのが相撲の素晴らしいところだと思うので、あまり「国」を意識したくないなと思います。私が一番応援しているお相撲さんはモンゴル人ですが、「モンゴル人だから」応援しているわけじゃありませんからねー。

以上の見解はあくまでも個人的なものですのであしからず…

と言いつつ、国旗というものは、やはり「国の旗」ですから、ものすごい力があるなと思います。
日本の場合は「日の丸」が正式に国旗と定められたのも実は結構最近(まだ10年経ってない!)ですし、色々な見解があるので、深くつっこむところは避けたい(というか、色々語るほどの知識が私にはありません。恥ずかしながら。)感じですが、イデオロギー的な部分はさておき、海外に住んでいると、オリンピックで日本人がメダルを取ったときなどに掲揚される国旗を見るだけでうるうるきたりするものです。(私だけかな?)日の丸を見るとあの赤い丸の奥に家族の顔が浮かぶ、そんな感じでした。

しかしアメリカの場合は非常に効果的(?)に星条旗が使われるのです。
「星条旗教育」の事情は分かりませんし、あくまでもテレビや街の様子からの印象ですが、アメリカでは星条旗が掲げられると大人も子供も胸に手を当てて忠誠を誓います。そして祝日でも何でもないときも始終星条旗が街のいたるところに掲げられています。

一番すごいなと思ったのは、9.11のテロ直後のことです。
テロの直後に真っ先に売れていったのが星条旗だったのです。勿論街角の星条旗は半旗になりましたが、小さいものから大きなものまでとにかく飛ぶように売れて行きました。そして街中が星条旗で埋め尽くされたのです。その辺のアパートの窓にも飾ってあったりして。
グラウンド・ゼロ(テロ現場)にも、救援活動のごく初期に大きな星条旗が掲げられました。
日本だったら、被災地にいきなり日の丸掲げるなんて話は聞きませんよね。何でみんなこんなに星条旗ばかり掲げるんだろう?と、個人的には非常に違和感がありました。私はもともとアメリカのそういうところが好きではないので(やたらパトリオティックなところとか。愛国心は大事だと思いますが…)。

でも、ふと思ったのです。
アメリカは多民族国家。ましてやニューヨークは全米一の多民族都市。外国人の比率も高い(アメリカじゃないところで生まれた人が過半数を占める)ため、「アメリカの理想の形でありつつも一番非アメリカ的な街」なのですが、この旗があってこそ、色んな信条を持った色んな民族が頑張ろう と心をひとつにできるのかも知れません。
そう考えると、星条旗が色んなところに掲げてある意味も何となく理解できそうな気がしました。全ての民族の犠牲を悼み、全ての民族が復興に向けて頑張ろう、というスローガンの代わりに、もしくはそういう気持ちを忘れないように掲げていたんでしょうね。実際はテロの犯人グループと同じ民族の人々が蚊帳の外になってしまった感がありましたが、星条旗に込めた気持ちはそういうものだったのではないかと思います。

余談ですが、子供時代インターナショナルスクールにいたとき「自分の国の国旗を描く」という授業がありまして。イギリス人の子が一生懸命定規を使ってユニオンジャックを描いたり、アメリカ人の子が星を50個描くのに四苦八苦したりしている中、私は速攻で終わりました。(笑)クラスメートにはいませんでしたが、サウジアラビアの国旗とか描くの難しそうですよね。(サウジアラビアの国旗にはイスラム教の大切な言葉が書かれているので、この国旗をデザイン化したり、Tシャツなどにプリントすることは禁じられているそうです。)
そういえばリビアの国旗は緑一色の無地だそうです。リビアはイスラム教国家なので、イスラム教で大切にされている緑を文字通り全面的にフィーチャーしたということですね。何だか潔くて好きです。

国旗を見ていると、その狭い面積に込められた色々な意味に思いを馳せたくなります。
極限の状況
[2008年04月23日(水) ]

こんにちは。
あれよあれよといううちに、もうすぐゴールデンウィークですね。
みなさんはどんなご予定でしょうか?
私はまだ決まっていませんが、恐らく毎年恒例の帰省をすることになると思います。義理の祖母(今年97歳!)に会うのが楽しみです。

さて、昨日光市母子殺人事件の判決が出ましたね。
私は法律関係に疎いので「差し戻し控訴審」というものが存在すると初めて知りました(日本って「三審制」じゃなかったの?と思いました。)が、ともあれ、遺族の方々の無念が少しでも晴れる判決になって本当によかったです。「未成年犯罪の死刑判決」というのは前例があるかどうか分かりませんが、今後未成年犯罪への抑止力になる判決だったのではないでしょうか。

今回非常に心に残ったのは、被害者母子のご主人のことです。
まだ若いのに、どんなに辛くても自暴自棄にも感情的にもなることなく、理性と知性を失わず、愛する家族のために闘い、しかも普通の会社員生活を送りながら、被害者の人権を向上させる活動をする。
なんてすごい人なんだろう。と心から思います。
奥さまとお嬢さんの居た頃と「同じ」幸せはもう戻ってこないけれど、これからの彼に、今までの失望や苦労でぽっかりと開いてしまった穴が少しでも埋め合わせできるような幸せが巡ってくることを願ってやみません。

ところで、この忌まわしい事件が起こったのは1999年。私が会社を辞めてアメリカに行った年です。(そのため、事件後の経緯はほとんど知らず、今回の判決にまつわる一連の報道で初めて知りました。)
私にとっては「波瀾万丈だったけどあっという間」だった9年間も、遺族の方々にとっては長い長い9年間だったに違いありません。そう考えると、日々の生活で多少嫌なことがあったり、時間が経つのが坂を転げ落ちるように早くなって寄る年波を実感したりしているのはさておき、時間が経つのを早く感じられるのは、実はなんだかんだ言って総体的には幸せな証拠なのかも知れない、と改めて思います。ちまちま文句ばっかし言ってる場合じゃありませんね。

大した苦労もしていないのに自暴自棄になったり感情的になったりして周りに迷惑をかける人間(私を含む…反省)があまりにも多い中、凛とした姿勢を崩さなかったあのご主人に、大切なことを思い起こしてもらった気がします。

状況は違いますが、4年ほど前に感じたことを思い出しました。
大学時代の後輩が、32歳の若さで癌に命を奪われてしまったときのことです。色々思い出話を書くと長くなってしまうので割愛しますが、当時アメリカに住んでいた私は、彼のHPや闘病記、そして奥さまのメールから様子を伺いつつ、快復を祈る毎日でした。
しかしみんなの願いもむなしく、彼は天国に。私は言葉にならないやるせない気分で彼のHPや闘病記を何度も何度も読み返しました。
そして思ったこと…彼は表立ってワイワイ騒ぐタイプではなかったけれどすごく強いパワーを秘めていて、これだけ沢山のことを若くして成し遂げていったんだな、私みたいに大騒ぎするだけして何にもしてないのとは大違いだなあ、と反省させられたのでした。その訃報が届く直前、ちょっと体調崩しただけで弱気になっていた自分が本当に恥ずかしくなりました。死の淵にいた彼があれだけ生きる気力を見せて強く闘っていたのに。

その対象が病であれ何であれ、極限の状況にいる人は、辛がったりしないのかも知れません。むしろその状況をどう生き、どう切り抜けていくかを先に考えるのでしょうね。そのときその人の本当の強さというか、本領が発揮されるのかも知れない。だとしたら、私の後輩は病には負けたかも知れないけど闘いには勝った、と今も思っていますし、母子殺人事件のご主人も、その強さが大きな力になって、今回の判決に繋がったのだと思います。

ちょっとしたことですぐ辛がる私は、まだまだ大丈夫(極限の状況にいない、という意味)というか甘いというか…。だから私ももっと我慢しろっていう訳ではもちろんありません。(我慢は身にも心にも良くないですからね)でも、辛がる前に他にできることがあるはず。それをこれからはひとつ深呼吸をおいて、模索していかなければならないな と、気持ちを新たにしつつある今日この頃です。
ドメイン
[2008年04月16日(水) ]

こんにちは。やっと春!という感じの天気になってきた関東地方です。
今日は今年初めて半袖を着て出かけました。と言っても厚手の半袖ワンピースですが、意外と寒くなかったので驚きました。帰り道は少し寒かったですが…

今日のお題は「ドメイン」です。
私は仕事がらネットで調べ物をすることが非常に多く、パソコンの前にいる時間の大半は調べ物をしているような気がします。(そのうち脱線して関係ない記事を見ている時間が何割あるかは本人すら把握できていません…
1つのものごとを調べるときは、まず日本語で検索して、それから英語で検索するようにしています。そうすると、多少分からない単語があっても大体の内容が把握できるので、単語調べの手間が省けて便利なんですよね。
検索には英語で書いてある記事なら何でも引っかかってくるので、.comのウェブサイト記事だけとは限りません。.ukだったらイギリス、.auだったらオーストラリア。英語圏でない国のサイトでも英語記事を作っていることが結構あるので、ネットだけだったらこれまで何十ヶ国も訪れています。

自分が読めもしない「非ローマ字圏の国のサイト」を見るのも好きです。(だからすぐ脱線しちゃうのよね…)以前取り上げたアムハラ語しかり。これを読める人がいるんだ!と思うだけでわくわくしてしまうのです。
ちなみにモンゴル語(ロシア語のキリル文字を使う)のニュースサイトでは日本の大相撲のモンゴル人力士がよく取り上げられており、番付表なんかを載せているサイトもあります。実はわたくし、キリル文字はモンゴル語の番付表から覚えました。前頭○枚目がこう書いてあるということは、この文字はこう読むんだろうな…みたいな感じです。パズルみたいで面白い。(注:もちろんモンゴル語が分かるわけではありません。)
モンゴルのドメインは.mn。個人的には.mgの方がしっくりくるような気がしますが(勝手な話だ。)、.mgはマダガスカルのドメインなのだそうです。

そうそう、アルジャジーラ(アラビア語圏のCNNといわれているテレビ局)のホームページを初めて訪れたときは、パソコンが壊れたかと思いましたよ。というのも、アラビア語は右から左に向かって読むからか、アラビア語のサイトに行くと何故かスクロールバーが右ではなく左になるんですよね。でも英語など左から右に読むサイトに戻るとスクロールバーの位置が戻ってほっとした覚えがあります。
(今久しぶりにアルジャジーラのページに行ってみましたが、スクロールバーは日本語のサイトと同じ右側でした。換えたのかな?)

また話がずれてしまいました。
今日調べ物をしていて、.zwというドメインのサイトに辿り着いた私。調べたところジンバブエ(Zimbabwe)でした。これはまあ分かりやすい例ですが、「?」と思うようなドメインに出会うことがあります。例えばこんな感じ。

.ch
チェコスロバキア?と思いきや、かの国は.cz。英語でCzech Republicというからだそうです。
.chはなんとスイス(Switzerland)。現地ではスイスのことをHelvetiaというそうですが、スイスは連邦国なのでConfederation of Helvetia(スイス連合)で.chとなったらしいです。

.se
スウェーデン(Sweden)のことです。.swはどこも使っていないのにどうして?と思っていましたが、スウェーデン語ではSverigeというらしいので、恐らくその頭とおしりの文字を使ったのだと思います。

.kh
私は.cbじゃないんだ〜と思いました。カンボジアは英語だとCambodiaですからね。(.cbというドメインは存在しません。)でも.khなのは、かつて存在したクメール帝国(Khmer)からきているようです。カンボジアの主要民族もクメール人ですからね、国名より民族の誇りを表に出したドメインという感じでしょうか。

.za
私が一番分からなかったのがこれ。南アフリカ(South Africa)は英語圏なので、.saとなるのがいちばん自然な気がしたりもするのですが、.saはサウジアラビア(Saudi Arabia)なんですね〜。もちろん略してSAなので、これまたしっくりきます。で、南アフリカが.zaなのは、どうやらオランダ語(Zuid Afrika)からきているらしいのです。かの地に最初に入植したのがオランダ人で、現地で使われているアフリカーンス語もオランダ語がベースになっているので、ということでした。

と、たった2文字(アメリカも、州・市町村の公共機関は.usを使っています)の中に歴史があったり民族の誇りがあったりするドメイン。意外な国の意外なドメインに出会う度にその「なぜ」を調べ、その国でそのサイトを見ている誰かに思いを馳せる私なのでした。

これじゃいつまで経っても仕事が終わらないわけだ…
私にできること
[2008年04月09日(水) ]

こんにちは。
関東地方は先日からの雨風ですっかり葉桜になってしまいましたね。気温も下がってしまいましたが、この気圧が過ぎたらもっと暖かくなるのかな〜。先週末のお花見のときは晴天でよかったです。

ところで、私の母方の祖母が先週からハライタで入院しています。
85歳という高齢なので、入院したと母から聞いたときは心臓が止まりそうになりましたが、今のところ容態は快復に向かっているようです。病院スタッフの方々には本当に頭が下がります。

病院はうちの近所でもあるので、あまり仕事のなかった先週は毎日お見舞いに行きました。(今週はまだ行けていません…今日はいけるはず。)
入院初日にお見舞いに行ったとき、私が面会時間が終わって帰ろうとしたら、すごく心細そうな顔をしていたので、何だか切なくなってしまいました。結局お手洗いなどに付き添ったので大幅オーバーしてしまったのですが…。
でも、お手洗いに付き添ったと言っても、私は車椅子を押すとか、点滴が引っかかったキャスター付きの棒(?)を持つとかそのくらいしかできなくて。肝心の「用を足す」ことのお手伝いはぜんぜんだめで(私が抱きかかえると余計身体に負担がかかって痛いらしい。)、自分の無力さを実感してしまいました。
在宅介護をしているうちの母や、介護ヘルパーをしている義母、そして介護福祉士をしている友人夫妻だったら、こういうときはどうやってるんだろう…。と思いながら、改めて心の中で彼らに頭を下げました。そして看護士さんたちにも。

ちょっと話がずれますが、祖母は20代前半で未亡人になってしまったので(私の祖父にあたる人は30くらいで結核で亡くなっている)、職業婦人のはしりみたいな感じで、女手1つで一人娘の母を育て、仕事も定年をまっとうしました。しゃきっとしている姿が幼心にも誇らしかった(日本語変ですが)ものです。
そんな祖母が85歳になった今、すごく小さくなってしまったことも何だか時代の流れを感じ、一抹の寂しさを感じつつ、言葉にならないどよーんとした気持ちを抱えながら、帰途に就いたのでありました。

帰宅してから、たまたま介護福祉士の友人からメールを貰っていたので、その返事に「祖母が入院して云々」とかいつまんで自分の気持ちを書きました。

翌日お見舞いに行ってから帰宅すると、その友人からメールの返事が。
私が自分のことを歯がゆく思っていないか、と気遣う内容でした。
そして自分の経験も書いてありました。
彼女は確か介護職に就いて5年くらい経っているのですが、なんとその職を目指したきっかけが、今の私と同じ経験だったというのです。
おばあさまのお見舞いに行っても「何をしたらいいか分からなかった」ことが歯がゆくて、そして看護婦さんのてきぱきした動きに感動して、30にして新しい職を手につけることを決心したのだそうです。
彼女の前職は、医療とも介護とも関係ない分野。私自身は割と狭い範囲にしか興味がなかったり職にしていなかったりしたので、何故その仕事からいきなり介護職?ととても興味があり、いつかは訊いてみたいと思っていたのですが、そういうことがきっかけだったとは…。

そして今は「気難しいおじいさんも彼女の手にかかるとすっかり穏やかになる」と評判の(同僚だったご主人談)介護福祉士に成長した彼女。私のために「お年寄りの効果的な抱きかかえ方」をアドバイスしてくれました。
しかし、「どんなに技術的に介護できても、家族の面会があると、私たちには見せない笑顔が出る。介護はプロに任せればよい。家族が面会に来ることで、自分は見放されていないという気持ちになれるのだから、美井さん(仮名)は何かしようと気負うことはないと思う」(以上要約)と、メールは締めくくられていました。

まるで私の心を監視カメラでモニターしているの?みたいな(変な喩えだ)絶妙のタイミングがありがたく、パソコンの前で号泣してしまいましたよ。(思えば子供の頃から涙もろかったのよね私。)

どうも私は「心のケアも実用的なケアもできる自分」を妄想していて、その脳内の自分と現実とのギャップに愕然としていたくちがあるんですが、普段実用的な経験(?)を何もしていないんだもの、できるわけがないんですよね。考えてみれば。できると思ってしまうのは思い上がりだし、何よりもプロの方々に失礼だな、と思いました。それでも自分のやったことが100%無駄ではない、それに気づかせてもらっただけでもどれだけ嬉しかったことか。友達って本当にありがたいものですね。

以来、私は「世間話をすること」に専念してお見舞いに行くようになりました。お花見の写真を持って行ったり、テレビのニュースを報告したり。もちろん家族のことも。まあ私はおしゃべりな上に声が無駄にでかいのではた迷惑という話もありますが、少しは気が紛れてくれるとよいなと思っています。
仏のあたまも3cm下がって。
[2008年04月02日(水) ]

こんにちは。ご進学・ご進級おめでとうございます。
新しい年度が楽しいことや面白いことでいっぱいになりますように。
この仕事をしていると新入社員が来るとか人事異動とかそういうものがないので、今ひとつ「新年度のはじまり」がぴんと来ませんが、近所の公園がすっかりピンク色に染まったので春を感じます。一番好きな季節です。週末のお花見まで桜がもつとよいのですが。

さてわたくしごとで恐縮ですが、先週は3泊ですがタイ(バンコクとアユタヤ)に旅行してきました。私にとっては2度目のタイ(1回目は幼少時なので殆ど記憶なし)。もともとエスニック系の雑貨や料理が好きなこともあり、短い旅行とはいえ満喫してきました。
バンコクの街は私が想像したよりもずっと都会で、さすが「微笑みの国」と言われるだけあって現地の人々も雰囲気がよく、ごはんも美味しく楽しかったですが、そこは年中35℃の熱帯。私は最終日に夏ばてでへたってしまい廃人状態。帰国後も2日間伏せってしまうはめになりました。寄る年波をこういう風に実感することになろうとは…。しかし、同い年の夫はびくともしなかったのが不思議というか悔しいというか。

ともあれ、タイの街を歩いていて特に印象的だったのは、至るところに王室と仏さまに対するリスペクトが感じられたことです。
王様ご一家の写真や肖像画が、街のあちこちにどどーんと飾ってありました。

(ヘタな写真ですみません。これは列車の駅。)お店に入っても、壁の目立つ位置に王様の写真が飾ってありました。すれ違った日本人観光客の男の子が「この国ってさ、どこのお店入っても店長の写真飾ってあるよね〜」なんて言っていましたがまた、昨年王族のどなたかがなくなられたそうで、王宮には花輪を持った弔問客がたくさん列を作っていました。
日本でも昔は天皇・皇后両陛下の写真を飾っていた家が多かったそうですし、昭和天皇が崩御されたときも全国各地に記帳所ができたりしていたので、日本人とタイ人のロイヤルファミリーに対するメンタリティは似ているのかも知れませんね。

そして考えさせられたのが、仏さまに対するリスペクトの仕方でした。
アユタヤに行って遺跡を見学したのですが、ここは18世紀に戦争があったときに敵軍が仏閣や仏像などを吹っ飛ばしてしまったんですね。なので、頭や腕のない仏像がいっぱいあるんです。
遺跡にはこのような看板が所々に立ててありました。

つまり彼らにとって、この仏像というのは「壊れた像」ではなく、まだ命が宿っているという意味なのでしょうね。確かタイでは子供の頭を撫でるのがタブーで、それは頭に精霊が宿ると考えているからだと以前どこかで読んだことがあります。その頭を人間ごときが代用してはならない、と考えているんでしょうね。私はいい年して変なところで茶目っ気を出してしまうタイプなので(高校時代だったか、修学旅行で仏像の前で仏像と同じポーズで写真を撮ったりとか。タイの方に見られたら憤死させてしまったかも知れません…。恥)、この看板があってよかったと思ってしまいました。

そして個人的に一番印象的だったのがこの仏さまの頭。

敵軍の持ち帰り(?)を逃れた仏さまの頭の近くに木が生えて(たぶんガジュマルの一種だと思います)、頭を取り込んだかのようになっているというものです。木は仏さまを護り、仏さまは木を護っているんだなー と、仏教徒でもなんでもない私ですら神秘的な気分になりました。
この遺跡は地元の方が常駐で見張っており、記念写真を撮る観光客に声をかけることがあります。この仏さまの頭と写真を撮るときは、自分の頭の位置を仏さまのそれよりも低くしておかなければなりません。(と看板にも書いてある。)従って必ずしゃがむことになります。で、立って写真を撮られようとしている観光客に対して注意するのです。(英語で)確か撮る人も中腰みたいな感じになることを求められるんじゃなかったかな。

バンコクにある王宮に併設されているお寺を見学するときも、露出度の高い服を着ている人は上に着るものを借りなければなりません。(夫は膝丈のズボンを穿いていたので、長いズボンを借りました。)

なんて言うんでしょうか、生活の中に仏教が溶け込んでいるのは日本もタイも同じなんですが、日本の場合はもう少しカジュアルと言うか(私が知らないだけ&礼儀知らずなだけかも知れませんが)、例えば小さな仏像があったとしてもその目線まで身体をかがめたりする必要もないし、仮に頭のない仏像の上に自分の顔を置いたとしても特に問題にされることはないと思うんですよね。もちろんそれは文化の違いであって優劣を付けることはできないと思いますが、タイではもっと仏教が身近な分日常生活の中での仏さまとの接し方にひと手間かけている(身体をかがめたりとか)のかな、という気がしました。そういうひと手間って、実は結構大事ですよね。ひと手間の積み重ねが心を豊かにしていくと言うか。

私は特定の宗教に傾倒するつもりはないですが、何かと接するときにひと手間かけるというタイの人々の姿勢は自分にも取り入れたいと思いました。

と、また支離滅裂な文章ですが、たまには写真つきでお送りしました〜。