英語よろずや日記(仮)

自称「英語よろずや」(願望含む)の縦横無尽自由自在傍若無人支離滅裂な雑文。

     
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仕事納めと心の余裕と。
[2007年12月27日(木) ]

こんにちは。
今年は縁あってこのブログを書くことになった、記念すべき年になりました。英語や異文化体験のことを中心に、というコンセプトの割には大相撲だの甥自慢だの色々話題がとんでいますが、コメントもちょくちょくいただき、ありがたい限りです。また来年も読んでいただけたら嬉しいです。引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。

…と、いきなり〆てしまいましたまだ仕事納めもしていないというのに。
脳内スケジュールでは今日あたり大掃除も仕事もすべて終わって、年明け締め切りの仕事も早々と納品して、明日あたり美容院なんか行っちゃって優雅に過ごすはずだったのに、急ぎの仕事が入ったり、だらだらしていたりで(後者の方が多いかも…恥)、大掃除も仕事納めも帰省ぎりぎりまでかかりそうです。年賀状に至っては帰省先に持って行かざるを得なさそうな予感…。
仕事には締め切りというものがあり、急ぎの仕事以外はそんなにムチャなスケジュールを組まれる訳でもないのに、いつも焦っているというか、英語で言うところのdisorganized(まとまりがない)な状態が続いているような気がします。この性分、本当にどうにかしたいものですわ。

そんな中、先日は友人宅におよばれしてきました。
都内の高層マンションに住む友人宅のベランダからは大都会の夜景。シンプルで上品なインテリア。子供が3人も居るというのに、ものの少ない、すっきりとした佇まい。きれいに片付いたキッチン。そして超美味な手料理の数々と楽しい会話。
何だか別世界にいるような感じでした。
当然、彼女の家は大掃除すっかり終わってましたね。(笑)

友人は私と同い年の専業主婦。3人も子供を産んだというのにまったくおばちゃん化しておらず、私の服をみたててくれるくらいファッションセンスも抜群で、いつもきれいにしています。と言っても別に彼女が普段セレブな生活を送っているわけではなく、大都会の夜景が毎日眺められるところに住んでいる以外は極めて普通の生活です。専業主婦と言っても子供がいると学校行事なんかでかなり忙しいだろうし、ましてや外国人の彼女は言葉のハンデもあるし(お子さんたちは日本の公立校に通っています。)…。なのに、すごく心豊かに暮らしているんですよね。どんなに忙しくても心の中で緩やかな時間が流れているというか。そんな様子が見て取れるマンションでした。本当に豊かな人はごちゃごちゃ物で飾り立てたりしないで、シンプルに暮らしているんだなという感じ。

でも、忙しい中で心の余裕を持つには、普段からそれなりの努力をしているんでしょうねきっと。余裕を持つために努力するというのも変な表現ではありますが、私が年に数回何時間もかけてやる大掃除も、普段のひと手間の積み重ねで済ませているのかも知れません。汚れも溜めなきゃ取るの楽だし。
やっぱり彼女から学ぶことはいっぱいあるなあ…と思いながら帰宅しました。ものに溢れ、ただの作業場+睡眠場所と化しているわが家。うーむ。私のすさんだ心を映す鏡のようだ…来年はもっと心豊かに過ごせるように、家の中からきれいにしよう。と心に誓いました。家の中がきれいになって心の余裕ができたら、仕事ぶりもよくなるかも知れないし。

そして今日、ひと仕事終えた後、早速(ようやく)大掃除に手を付けてみました。
お風呂場を力いっぱい磨いてきれいになったのはよかったのですが、久々の重労働に疲れてしまい、1時間ほど寝込んでしまいました。情けない。いかに汚れがしつこかったか、ということですね。私の「心の余裕」への道は遠い…。でも、千里の道も一歩から、と言いますからね。がんばらねば。

それではみなさん、よいお年を〜。
「負け犬の死」からつらつら考える。
[2007年12月26日(水) ]

こんにちは。珍しく連続投稿いきます。

例によって調べ物をしていたら、またもや面白い記事にぶつかりました。
中学生の皆さんは「フランダースの犬」をご存知でしょうか?(リンクをクリックすると、百科事典サイトのその項目に行けます。)ベルギーを舞台にした、貧しい少年ネロと忠犬パトラッシュの悲運物語なのですが、私が幼稚園のころアニメ化されたので、30代以上の日本人なら大抵の人が知っているのではないでしょうか。私なんて今でも主題歌のイントロを聞くだけで涙ぐんでしまいます。(大袈裟)

しかしこの物語に感動するのはどうやら日本人くらいらしいのです。ヨーロッパではあまり評価されていないのだとか。それどころか「単なる『負け犬の死』の物語」という位置づけをされてしまっているというのです。さらにさらにアメリカで映画化されたときには、結末をハッピーエンドに書き換えられてしまっている始末。あまりにも可哀相で見ていられなくなってしまったのでしょうね。アメリカ人てば人がいいなあ。(笑)

この評価の違いに関して、ベルギーのある映画監督が「検証ドキュメンタリー映画」を作ったそうで、それによると「日本人の『滅びの美学』」というものが、「フランダースの犬」の評価の高さには大いに関係しているのだそうです。あとはやっぱり、弱者に対する「判官びいき」の気質でしょうね。この物語を書いたのが日本人でなくてイギリス人だったというのがいささか不思議ではありますが。

こういう価値観の違いというのは、異文化と接するとき、また自分の文化を海外に紹介するときに興味深い点ではあります。例えば私も大好きな「ドラえもん」、海外では主にアジア諸国で人気を博しているらしいですが、欧米では「のび太が他力本願だから教育上よくない」という見方も強いらしく、あまり受け入れられてないんですって。でもそれを言ったら、アメリカのヒーローものなんて悪いやつを正義の味方がやっつけてくれるんだから、他力本願の最たるものだと思いますけどねえ?と、またまたひねくれたことを考えてしまう私なのでありました。

今、アメリカ在住時代に中国語を習っていたときのことを思い出しました。
(片言話せるくらいの期間は習いましたが、やはり30歳超えてからの語学は難しいものがあるようで、今は全く話せません。去年独学しようとしたモンゴル語も「こんにちは」しか覚えられなかった…。英語をマスターしようとしている方は、頭の柔らかいうちに頑張って!)
テキストにあったとある物語は山のお寺に出家していた僧2人が主人公だったのですが、兄弟子は下界に降りて俗世間にいるうちにぐれてしまいます。彼的には「山に籠もれば道を究められるってもんでもないし」ということだったのですが、しまいには犯罪に手を染めるようになってしまいました。その地域の武将の奥さんと不倫までしてしまったので、怒った武将は彼の師匠に「こいつを何とかしないのなら今から山に行ってお寺をぶっつぶす」的脅迫状を送ります。師匠の命で下界に派遣された弟弟子がやっと兄弟子を見つけて山に連れ戻すと、師匠は戻ってきた兄弟子の心臓を手で一突き(?)して殺してしまうのでした。
確か「道(中国語でいうdao)を守るためには仕方がない」的オチだったと思うんですが、私はこれに非常に違和感を覚えたんですよね。
「これが日本のお話だったら師匠が『わしの育て方が悪かったんじゃー』って自殺しちゃって、その姿を見た兄弟子が悔い改めて師匠に対する罪を償うためにも修業に励む、ってオチになるんじゃないでしょうか」と言った(注:中国語でなく英語で。)ら、中国人の先生に変な顔をされてしまいました。クラスメートには「Oh、ハラキリ」と言われてしまう始末。何だか間違った日本の姿を伝えてしまったぽいことをこの場で懺悔いたします。

お隣の中国とですらこんなに価値観が違うのだから、ましてやもっと遠くの国なんてもっと価値観が違いますよねえ。(いや、その件に限っては私個人の価値観が問題なのでは…
でも、その価値観の違いが国民的なものなのか、それともその人個人のものなのか、など考えていると飽きないから、異文化体験や自国文化の紹介は面白いのかもしれませんね。

余談ですが、私は外国人(英語圏)の友人に「喪中ハガキ」の概念が不思議といわれたことがあります。(私は年賀状を外国に送るので、喪中のときもその習慣の説明を書いた喪中ハガキを出したのです。)「喪に服す」という概念は英語圏にもあります(mourningと言います。)が、だから新年のご挨拶ができません、でも皆さんのHappy new yearをお祈りします、というのは「???」なのだそうです。「結局挨拶してるじゃねーか」ということなんでしょうねきっと。
Happy Holidays!
[2007年12月25日(火) ]

こんにちは。
今日のお題は、この季節にアメリカ人が使う挨拶言葉です。
Merry Christmas!を使わないのは、アメリカは多民族国家で色んな宗教の人が暮らしているからです。例えばユダヤ教の人だったら同じくらいの時期にハヌカというお祝いがあるのでHappy Hanukkah!といいますし、アフリカ系アメリカ人だったらクワンザという比較的歴史の新しいお祭りで祝う人も多いです(これは宗教儀式ではないみたいですが)。あと、確かイスラム教のイードも、近い時期だったような気が。

そんな中でグリーティングカードを送るわけですが、例えばキリスト教徒でない人がクリスマスカードを送るというのは、勿論そうする人も多いのですが、厳密にはちょっと違うらしいのです。そこでアメリカではHappy Holidaysという表現を使うようになりました。何の思想も絡んでいないので、それがpolitically correct(政治的に正しい)だから、ということのようです。

私はアメリカに行くまで普通にクリスマスを祝っていましたが、留学して初めてHappy Holidaysという表現を知り、そうか確かに色んな価値観の人がいるもんな〜 と思ってからは、クリスマスカードを書かなくなりました。そんな私が何を送るかというと、日本の年賀状です。お年玉付き年賀状に20円切手を貼って(海外へのハガキは全世界どこでも70円。)送っています。これならみなさん平等ですし、「お年玉付き年賀状」も含め日本の習慣を知ってもらうことも大切なことだと思いますからね。(ただし、「くじ」は海外に送ってはいけないものの一つなので、相手の方がくじに当選したとしても交換はできないらしいです。)

日本を訪れる外国人の多くは、キリスト教信者があまり多くない国でどうしてこんなに盛大にクリスマスが祝われているんだ?と思うそうです。確かに、一生を一つの宗教で過ごす人が多い外国の人にとっては、お正月や合格祈願のときは神社やお寺に行って、クリスマスも祝うというのは変なのかも知れませんね。

私はひねくれ者なので「日本では『商業的な理由』でクリスマスを祝うんだよ」なんて冗談めかして説明することもありますが、でもそれ(神社もお寺もクリスマスもあること)が日本のよさだと思います。日本の神道自体が「八百万の神様」を崇め、森羅万象に神様が宿っていると考えるものですし(と私は解釈していますが、専門的なことは分かりません。汗)、あらゆる文化・あらゆる宗教のいいところを幸せになるためのスパイスとして取り入れるというのは日本人ならではの長所だと思うからです。なので外国人に対しては、We respect all religions.(私たち[日本人]はすべての宗教を尊重するのです)と説明しています。

ただ、クリスマスに彼氏彼女がいないと…みたいな風潮に反旗を翻したくなるのは、ひとえに私が「もてない青春」を送ったゆえのひがみであることを付け加えておきます。街中を彩るクリスマスの飾りつけに逆に白けてしまったりして。
しかしこんな私でも、毎年家族にだけはクリスマスプレゼントを贈ります。甥なんて12月生まれだから誕生日プレゼントを奮発したばかりだというのに、またまた財布の紐が緩んでしまいました(客観的に見ると大した額ではありませんが)。お正月にはお年玉もあるし、伯母ばか貧乏まっしぐらです。甥にしてみれば「1年のお楽しみが年末年始で完結してしまう」のであまり得した気分にはならないのかも知れませんが…(まだ1歳なのでそんな心配は無用なんですけどね。)12月生まれの皆さんはどう思っているのか聞いてみたいところではあります。

ともあれみなさん、Happy Holidays!
プロフェッショナルについて考える。
[2007年12月20日(木) ]

こんにちは。
あまりに更新が遅れてしまったので、担当のSさんに心配メールをいただいてしまいました。Sさんみなさん申し訳ありません。インフルエンザの予防接種もし、風邪もひかず、元気にしております。大掃除は遅々として進んでおりませんが…

しかし「今年の懸念は今年のうちに」ということで、先日電気屋さんに行ってきました。
というのも、うちのテレビとビデオデッキが壊れてしまったからです。テレビは祖母が15年くらい前から使っていたのを譲り受けたのですが、2年くらい前から「接続しているビデオの電源が点いていないとテレビが見られない」状態になっていたのです。しかも「テレビ」ではなく「ビデオ」の設定で。それで何とかやり過ごしていたのですが、今度はビデオデッキが壊れてしまったので(大相撲の録画しすぎかも…)、ものぐさの私も重い腰を上げたのでした。

出張修理をお願いしようと思い店員さんに相談を持ちかけたところ、「どんな症状ですか?」と訊かれたので、かいつまんで説明しました。
すると店員さんは「立て板に水」という言葉がぴったりの喋り方で、あまりメカが得意でない私にも分かるように、うちのテレビとビデオデッキのどこが悪いのかを教えてくれました。まるで目の前にその2つがあるかのごとく。
それによると
●テレビは脳死状態。
●ビデオデッキをつながないとテレビが見られないのは、テレビのチューナーが死んでいて、ビデオデッキに内蔵されているチューナーを使って番組を見ている状態だから。
●テレビのチューナーを交換するにはいくらいくらかかる。
●ビデオデッキにテープを入れても再生してくれない→すぐに電源が落ちてテレビも見られなくなるのは、ビデオデッキのテープを回転させる機能が故障したから。電源が落ちるのは、テープが回転不良を起こすと安全装置が働いて走行が止まるしくみになっているから。
●テープを回転させる機能を交換するにはいくらいくらかかる。

etc...
(以上、うろ覚えなので間違っているかも知れません。)

思った以上に修理代がかさむのと、2011年に地上波アナログ放送が終わってしまうので新しいテレビを買った方がよいのではないかという考えもあったので、結局修理は依頼せずに帰って来ましたが、何を訊いてもすらすら分かりやすく答えてくれる店員さんのプロフェッショナルぶりに、ただただ感心するばかりでした。

この電気屋さんに限らず、日本の店員さんの守備範囲の広さには本当に頭が下がります。
アメリカの店員さんにもよくお世話になりましたが、あの国は役割分担がはっきりしているからか、店員さんは「商品を売る」ことだけを求められており、商品の中身や故障の内容などの質問には答えてもらえないことが多いのです。まあこれは日米における「プロフェッショナル」の考え方の違いなんでしょうけどね。一般に接客業においては、日本の店員さんは「何を訊かれても答えられる」ことを求められ、アメリカの場合は「与えられた役割だけをしっかりやる」ことを求められている気がします。

で、私はアメリカにいた頃そのアメリカ式接客がどうも好きになれず、正直言って半ばばかにしていた感もあるのですが、じゃあ自分はどうなのかというと、与えられた役割すらしっかりできていないような気がします。
私は自称「英語よろずや」ですが、果たして「英語なら何訊かれてもOK」かというと全くそんなことはありません。(って胸を張って言うことか?)まあひとくちに英語と言っても色々あるし、私の守備分野は医学でも経済でもない、新聞で言えば「三面記事」的な範囲なので…とごまかしてきましたが、その「三面記事」分野ですら非常に中途半端な英語力だしなぁ。一番よく訳すのは音楽関係ですが、音楽の専門用語なんて日本語でも分からないし…

と電気屋さんからの帰り道色々考えていたら、非常に自分が情けなくなってきました。
来年はせめて自分の守備分野だけでももう少し詳しくなろう、と心に決めた出来事でした。

ちなみにその後、壊れたビデオデッキと同じ品番の新品が修理代と同じくらいの値段で買えることが判明したので、ビデオデッキだけを買い換えました。テレビは脳死状態のまま2011年まで酷使することになりそうです
lefty
[2007年12月11日(火) ]

こんにちは。
更新が滞っているうちに師走も10日過ぎてしまいましたネタは色々温めているのですが、何せこの筆力ですので、脳内であーでもないこーでもないと纏めているうちに日々が過ぎてしまうのでありました。(みなさんは私のような「言い訳大王」にならないように。)

さて、お題のleftyというのは英語で「左利き」のことです。
私の小学生時代に♪わーたしピンクのサウスポー…♪という歌が流行りましたが、実際に英語圏でsouthpaw(と綴るらしい)と言っている人は聞いたことがありません。今調べたらsouthpawはスポーツ用語らしいので、スポーツオンチの私が耳にしたことがないのも無理はないのかも知れません。類は友を呼ぶとはよく言ったもので、私の周りも文化系の人が多いので。

実は私がleftyで、生活の殆どを左手で行っています。字もお箸も鋏もボール投げも左。私の世代だと右利きに「矯正」されることが普通でしたが、わが家は野放しだったので(私の祖母が左利きで矯正のトラウマを経験しているので、周りも「個性の一つ」と捉えてくれた。)そのまま現在に至ります。ただ、自分で独学したものは何故か右利きで(教則本が右利き用しかないからかも?)、パソコンのマウスは右。マウスで絵を描くときも右。編み物の鈎針も右。洋食を食べるときも、フォークを左、ナイフを右で持つので右利きの人と一緒です。(ただしスパゲッティを食べるときはフォークがそのまま左になるので左利きに戻ります。)昔ギターを買ったときも自然に右利きでした。(ただし「指が短くてコードが押さえられない」という致命的な理由により、Cコードだけで挫折しました。)

左利きだと不便でしょ?とよく聞かれますが、もともと世の中にある右利き用のものを使っているので、特に不便はありません。ただ、小中学校のときは、給食当番のときに「おたま」の向きが右利き用だったので困りましたね。あとはお茶注ぐときのお急須とか(これは今も)。それから筆記用具は使っているうちに左利き用の書き癖になってしまうので、私のペンを借りる人は「インクの出が悪い」とこぼします。

そんな私にも、左利きのほろ苦い思い出があります。それはお習字!
左利きの皆さんなら経験があると思いますが、習字を左でやると「はらい」とかがうまくできないんですよね。なので仕方なく右手でやっていましたが、ただでさえ悪筆なのに(他人は私の字を真似できても、私は他人の字を真似できないと言われます。そのくらい癖の強い字なんです。)習字の時間は本当に苦痛でした。
それなのに小学校のとき、「6年生全員の作品が体育館に貼られる」という恐ろしいイベントがあったのです。
出席番号順に並べられた習字の作品。お題は確か「理想実現」だったと思います。私の両隣は2人とも賞をもらうような達筆で、間に挟まれたへろへろの字はますますみすぼらしく見えました。こんな字で「理想実現」だなんて、その理想自体がものすごくしょぼい内容なんじゃないかと我ながら思ってしまうくらい。
さらには各クラスの習字の前に目安箱みたいなものが置いてあり、「おねえさんやおにいさんにお手紙を出しましょう」と貼り紙がしてありました。「○○さんへ 力強い字で感動しました」みたいなことを書いたんでしょうねきっと。

数日後、うちのクラスの目安箱が教室に帰って来ました。
勿論、両隣の○○さんと××さんには感想文が殺到。その他の生徒たちもそれなりにもらっています。いいなあみんな。どうせ私のところには来ないだろうな〜…と思いながらみんなの様子を眺めていると、「はい」と1通だけ、折られた紙切れを渡されました。
うわー何故この私に?
「へたくそ」とか書いてあるんだろうな。
まあ仕方ないか。両隣が○○さんと××さんじゃなあ…と思いながら開けると、差出人は近所のヒロコちゃん(1年生)でした。

「はあこちゃん(仮名)へ
いつもヒロコとあそんでくれてありがとう。
またあそんでね。 
1ねん2くみ ○○ヒロコ」


…私の習字の内容には一切触れていないヒロコちゃんの手紙に腰砕けになりました。
恐らくヒロコちゃんは「おねえさんやおにいさんにお手紙を出しましょう」を文字通り解釈して、そうだはあこちゃん(仮名)に書こう!と思ってくれたのでしょう。いや、「なにこのへたくそな字」とは思っただろうけど、はあこちゃん(仮名)が可哀相だからそこには触れずにいてくれたのかも知れません。いずれにせよ、手紙が来なくて寂しい思いをしていた私がとほほと思いながらもとっても嬉しかったのは言うまでもありません。
ほろ苦い思い出と書きましたが、私が左利きだからヒロコちゃんの優しさに触れることができた、と解釈するようにしています。ありがとうヒロコちゃん。2年後私が引っ越してしまったので縁が途切れてしまったけど、元気だといいなぁ。

と、先日「左利き」について調べる機会があったときに思い出した話を書いてみました。

なお英語圏では基本的に左利きは放任されているので、左利き比率が非常に高いです。人口の半分が左利きなんじゃないかと思ってしまうくらい。その割には左利き用グッズをほとんど見かけないので、きっとみんな私みたいに右利き用のを使っているんでしょうね。
インドや中東では宗教的な理由もあり、左手を使うのがタブーとされているそうです。そういうところで左利きに生まれてしまった人は大変だろうな〜。食事だけは右で行い、あとは左でもOKだそうですが…
ただ、不思議なのは、日本語の縦書きやアラビア語の右から左への横書きだと、右利きの人はインクが乾かないうちに手についちゃったりして大変だろうに、どうしてそういう言語の文化圏に限って左手使うのがはばかられるんでしょうね?ということです。書きながら自分の字が見えないし(私が英語を横書きするときもそう)。どなたか文字に詳しい方教えてください。