英語よろずや日記(仮)

自称「英語よろずや」(願望含む)の縦横無尽自由自在傍若無人支離滅裂な雑文。

     
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「違い」じゃだめなの?
[2007年11月28日(水) ]

こんにちは。寒いですね〜〜〜
雪は好きなのですが、いかんせん寒がりなので何枚も着込んで過ごしています。
街を歩いていると高校生くらいの女の子たちが素足(せいぜいハイソックス)にミニスカートを穿いて闊歩していて、若いっていいなあ…と思ってしまう冷え性の美井(仮名)です。

話は全く飛びますが、先日回転寿司に行ったら珍しく「くじら」のネタがありました。
私は食べ物で冒険できないタイプなので(しかもいい年して好き嫌いが多いときている。恥ずかしい)頼みませんでしたが、どす黒い色が見るからに美味しそうな感じ。
私が小学生〜中学生の頃は、学校の給食に「くじらの竜田揚げ」や「くじらのノルウェー煮」(確かから揚げをケチャップで煮込んだもの。ノルウェーなのに何故ケチャップ?)が年に1〜2回出てきたものですが、今は捕鯨制限もあるだろうし、貴重なネタなんでしょうね。回転寿司屋さんでも高い色のお皿(笑)に載っていました。

ちょうど友人たちと捕鯨関係のニュースで盛り上がっていたので、おおタイムリーだ!と思いながら、回るお皿を眺めていた私。
何でも、アメリカのとある若手女優さんが日本の有名な捕鯨地を訪れて、抗議活動をしたのだそうです。その理由が「いるかとくじらは地球上で最も優しい動物です。それなのに食用にするなんて(以下号泣)」ということらしい。
(比較級・最上級を学んだ方は、「いるかとくじらは〜」の文を訳してみてください。優しいはsweetがいいかなこの場合。答えは「追記」にて。)

こういうニュースを見聞きすると、はっきり言って「大きなお世話」って思うんですよね私。

勿論、捕鯨問題は単なる文化の違いだけで片付けられるものでないことは分かっています。私は今日のブログを書くにあたって慌ててネットで調べた体たらくなので詳しいことは分からないのですが、現に絶滅の危機に瀕している種類もあるそうですし、環境問題や捕鯨国とそうでない国との利権の絡み合いなど、色んな側面があるらしいんですね。でも捕鯨国(日本以外にもノルウェーなどがあるらしい)が乱獲しているわけじゃなし、1年間に捕獲していい量も決まっているしで、節度は守っているはずです。

そういう捕鯨国側の状態を、この女優さんはどれだけ把握しているのでしょうか。ただ「野蛮だから」「残酷だから」という感情論で反対しているような気がしてなりません。
じゃあ牛とか豚とか家畜の立場はどうなるのか。家畜なんて殺されて食べられるためだけに生まれてきたようなもんですよね。屠殺が残酷なのはどの動物も変わりません。魚(あ、くじらは哺乳類か)と比べて家畜の残酷度が低く思えるのは、屠殺という仕事を肩代わりしてくれている人々が多いからです。(昔は鶏なんかも飼っている家で「しめる」のが普通だったそうですね。)

別に「みんなベジタリアンになれ」とは言いません。(私がなれないから)でも例えばハンバーガーを食べるときに、「家畜だから、殺してもいい動物だから食べても当然」と思わずに、自分のために命をけずってくれた牛に感謝の気持ちをもって、ありがたくいただくことが、その動物に対する一番の誠意なのではないでしょうか。ちょっと話がずれますが。

私の偏見なんですが、こういう「動物愛護に基づく感情的な抗議活動」やってる人って、いわゆる欧米の人が多いような気がします。欧米の食生活はほぼ世界的に認知されているからあまり違和感はないけど、例えば日本でくじらを食べるとか、いなごを食べるとか、南米のどこかの国で山ネズミを食べるとか、フィリピンで「ひなになりかけの卵」を食べるとか、そういう習慣は「異質=野蛮」と思ってしまうんでしょうね。
そういえばソウルオリンピックの時はソウル市内の犬肉料理店が裏通りに引っ越しさせられたそうです。欧米諸国からの非難をかわすためだったそうですが、ひねくれものの私は「『本物のホットドッグです!』って犬肉ソーセージ作って屋台で売ればいいのに」と思っていました(汗)まあそれは冗談としても、欧米諸国に気兼ねなんてしなくていいのにね〜。
その点中国は堂々としているというか、「4本足のものは机と椅子以外、2本足のものは人間以外」全部食べるそうです。

私は昔犬を飼っていたので「本物のホットドッグ」はちょっと食べる気にはなれませんが、犬肉を食べる文化は「それもありだろう」と思います。小さい頃欧州某国で市場を訪れたとき、食用のウサギ肉が軒先に吊るしてあって、幼稚園でウサギを飼育した経験のあった私は「うげええ こっちの人はウサギ食べるんだ〜」と思わず口に出してしまったことがありますが、そのとき母に「そういう文化もあるんだから尊重しなくちゃだめ」とたしなめられたからです。
当時は「ええええ」とごねていましたが(昔から一言多かった私。)、それ以来、食べ物で冒険しないにしても、色んな文化に接する中で割と「いいとこどり」ができてきているのは、たとえその文化が自分の価値観に反する部分を含んでいたとしても、「それはそれ」というスタンスが子供のときから確立できているからだと思います。

この女優さんアメリカ人みたいですが、せっかく多民族国家なんだから、もっと色んな民族の話を聴いてみるといいのになあ。そうしたら捕鯨問題の捉え方も変わってくるのではと思います。

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沖縄のデパートで考える。
[2007年11月22日(木) ]

こんにちは。急に寒くなりましたね。皆さん風邪ひかれませんように。

わたくしごとですが、先週後半は遅い遅い夏休み(早い早い冬休み、と言った方が正しいかも?)で沖縄旅行に行っておりました。今年の夏は夫が盲腸をやられたり、夫婦揃って仕事がばたばたしたりと大変だったので、年末を目前にしてやっと休みが取れたのです。

沖縄本島だったのでさすがに泳ぎはしませんでしたが、連日色んなビーチや岬に行って青い海(本州のそれとは色が全然違う!)をぼーっと眺めていると、普段悶々としていることが波と共にすーっと消えて行くような感じで、心の洗濯になりました。もっとも私が車の免許を持っていないので夫はずっとハンドル握りっぱなしであまり休まらなかったかも知れませんが沖縄が初めての夫もとても気に入ったようで、早くも次回の訪問を考えているようです。

さて那覇市内でお土産物色中にデパートに入った我々ですが、洋服売り場を見て驚きました。
というのも、売っているものが東京と同じだったからです。と書くとちょっと語弊がありますが、どう考えても沖縄では必要なさそうな厚手のセーターやマフラー、フェイクファーの小物などが棚のすみっこどころか真ん中に堂々と、いや所狭しとディスプレイされていて、お店全体が真冬の装いだったのです。最初は「本州に遊びに行く人が買うのかな?」と思ったのですが、それにしては売り場が大きすぎる。東京と全く同じ売られ方をしていたのでびっくりしました。こんなの誰が買うんだろう?いや、買ったとしても誰が着るんだろう?と思いました。

勿論普段関東某県に住んでいる私にとっては暖かい気候でも、普段から沖縄に住んでいる人々にとっては寒いのかも知れません。でも、街を歩いている人々は東京と同じ服装ではなく、ちゃんと気候に合わせた服装なんですよね。私は服のディテールよりも色が気になるタイプなんですが、薄手の服でも色を秋冬の色にしたりして、すてきなファッションをしている人が多いような気がしました。

でもお店に売っているのは東京と同じ真冬服。これはある意味仕方がないのかも知れません。ファッション雑誌も洋服のブランドも全国展開だから、日本全国同じものを売っているわけで、いくら沖縄が暖かいからって沖縄だけ半袖や薄手の服を年中特集していくわけにいかないでしょうからね。(逆に、沖縄限定で、冬でもすてきな夏服や薄手の服を売るようにしたら、全国から沖縄を訪れる人が買うようになって、それが次の年の夏ようやく本州に上陸して流行るかも!なんて個人的には思うんですが…)沖縄でブティックの店員さんしている方は「需要がないものを売る」という任務があって大変だろうなあ…。

それから考えたんですが、沖縄の人はきっと流行やマスコミの情報に流されない方が本州より多いのではないかと。関東にいると雑誌の季節感がそのまま実際の季節感とシンクロしますし、雑誌に掲載されているものがほしい!すぐ着たい!となる場合が多いような気がするんですよね。(私だけか?)でも沖縄みたいにあまりにも気候が違うと、お店に売っているものや雑誌に載っているものは実用性がありませんから、自分の審美眼だけを信じて色々工夫しなければなりませんものね。

そういう話を夫にしたら「お店で売っているものだけ見てそんな壮大なこと考えなくても」といわれましたが(笑)、普段の自分がいかに情報に流されているかを戒めさせられたデパート訪問でした。

もっと戒められたのは旧海軍司令部陣地跡とひめゆりの塔を訪れたときです。これについては戦争の話とか考えることが多すぎるので割愛しますが、犠牲者の方々が見た海の色は私が見たのと同じ色だっただろうけど見え方が違ったに違いない…と思いながら手を合わせてきました。
満員電車
[2007年11月14日(水) ]

こんにちは。
いつの間に11月半ばになってしまいました更新が滞ってしまって申し訳ありません。どうもこの歳になると、自分が思っているのより実際の時間の流れが速くて困ります。

さて、今日のお題は「満員電車」。
外国人の友人が来日すると、例外なく「日本のラッシュアワーを体験してみたい」と言います。それもそのはず、外国(少なくとも私の暮らしたところ)のニュースで日本社会を取り上げるとき、必ずといっていいくらい使われるのが満員電車の映像。駅員さんやバイト(があるそうです。)の人が、既にぎゅうぎゅう詰めの電車にさらに人を乗せようと押してあげている光景などが使われます。

会社員時代に友人が来日したときは、自分の出勤時間に一緒に電車に乗せ、ラッシュアワーを体験させていました。なにせ当時私が使っていた路線は、首都圏でも有数の激混み路線。途中通るとある駅から乗ってくる人々は、電車を3本はやり過ごさないと乗れないと言われていました。(その後別の路線ができたけど、今もそうなのかな?)既に乗車率が100%を優に超えているのにまだ乗ってくるの?といぶかしげな顔の友人に、"You'll see."(まあ見ててよ)と言うと、電車のドアが開き、容赦なく人が乗ってきます。で、ちゃあんと収まるんだなこれが。彼女がむぎゅ〜と潰されながら"Oh my god..."とつぶやいていたのを思い出します。とはいえその友人は、人口密度の高い香港やシンガポールで暮らした経験があるので、少しは予測がついていた、とは言っていましたが…

これがヨーロッパ人になると全く予測がつかないようで、ルーマニア人(当時パリ在住)の友人は、来日したとき「日本のラッシュアワーを経験してみたいの。When can you sit in the rush hour?」と訊いてきました。勿論彼女は「何時ごろ乗ればラッシュアワーにぶつかるの?」という意味で訊いてきたのでしょうけど、この文章を直訳すると「何時ごろ乗ればラッシュアワーで座れるの?」と言うことになるので、"You can't."(無理)と答えた私は意地悪です。でも彼女にとっては「全部の座席が埋まった状態」がラッシュアワーで、あんな状況は全く予測がつかなかったと言っていました。パリにも地下鉄がありますが、そんなに混まないのかな?

そんなこんなで、日本を象徴するできごとの一つになっている満員電車。
私は高校〜会社員時代の15年近く乗っていましたが、実は嫌だと思ったことがありませんでした。むしろ嬉しかったのです。(下世話な話になりますが、私は痴漢に遭ったことがないので、他の女性より通勤が快適だった、というのはあるかも知れません。)特に会社員のときは嬉しかった。ラッシュアワーに電車に乗っているということは会社勤めしているわけで、この電車に乗っているスーツ姿の老若男女が日本の経済を動かしている!その一部に私もなっているんだ!と誇らしく思っていました。(私の職場は毎日がカジュアルデーだったので、学生みたいな格好で出勤していましたが…)

家で仕事をするようになった今にしてみれば、あのときの自分はものすごい勘違いだったということが分かります。世の中には電車以外の手段で通勤している人や、会社員じゃない人がごまんといるし、地元で働いているから電車に乗らなくていい人もいるし、今の私みたいに家で働いている人もいる。そして「職業」ではなくても主婦とか主夫とか、社会の立派な役割を担っている人もいる。それが分からず、ただ東京の大きな会社に勤めているというだけで誇らしい気分になっていた自分は若かった、青かったなあ…。
でも、そんなくっだらないプライドでも、むぎゅむぎゅな満員電車をポジティヴに乗りこなす(?)原動力になっていたのだから、あれはあれでよかったのかも。と、自分に甘い私は思うようにしているのでした。

ただ、サラリーマンイコール「夢のない職業」みたいに考えるのは違う、とも思います。
私が若かりし頃(遠い目)、ある歌の歌詞にこんなフレーズがありました。

あいつはいつも「サラリーマンにはなりたくない」と言っていた
死んだ目をして満員電車に乗るのはいやだと


上記は要約で、実際の歌詞ではありませんので念のため。

昔の私みたいに「日本経済を担っている人々が乗っている電車」という定義づけをしてしまうのもどうかと思いますが、満員電車イコール「夢のない人々が乗っている電車」というのも違うと思うんですよね。
この歌がラジオでかかっていた頃私は高校生。父がサラリーマンをしていたから余計いやな気がしました。父は自分の仕事にやりがいを感じていたので、サラリーマンの自分に誇りを持っていました。だから夢のない職業と決め付けられることに、娘としては嫌悪感を感じてしまったのです。その何年も後に「13歳のハローワーク」がはやりましたが(読んでないけど)、これもどうやら非会社員しか取り上げていない模様。会社員というのも幅広いですし、夢の職業の一つとして会社員があってもいいんじゃない?と私は思います。

何だかいつも以上にまとまりのない文章になってしまいました。
そして今日も満員電車に乗る夫を送り出した私。
夫に訊いてみたところ、「満員電車?嫌だよ」と即答されてしまいましたが、日本社会が云々という変な気負いも勘違いもなく、自分の仕事には誇りを持っているようです。