こんにちは。
すみません、本当はもっと早いタイミングで続編を書こうと思っていたのですが、すっかり出遅れてしまいました

この事件は文字通りchanged my life foreverの出来事で、6年経った今でも考えているととりとめもなくいろんな思いが溢れてきます。それを順序だてて書こうと思っていたのですが、私の筆力ではどうも難しい…。よって順番は前後しますが、もうしばらくお付き合い下さい。
あの事件から2ヶ月ほど経ったある日。
街は以前の活気を取り戻しつつはあったものの、一抹の重さが空気に感じられる日々でした。
街で一番大きな駅の構内を通ったら、名店街の通路の真ん中に、テロの行方不明者を捜索するための張り紙が沢山貼ってあるついたてが立っていました。(一緒に、犠牲者を慰めるメッセージや子供達の絵も貼ってありました。)
真っ先に目についたのは、私と同年代らしき日本人男性の写真。
名前を見ると、夫の友人のお友達でした。事件直後我々も情報を探しに行ったのですが、お名前しか知らなかったので(ご本人の証拠になるものを持っていなかった)何の役にも立てなかったんですよね。「この人だったのか…」と何とも言えない気持ちでチラシをよく見てみると、日本語の手書きのメッセージが。
「○○がんばれ、お父さんは待ってるぞ」
「○○今まで本当にありがとう、お母さんは幸せでした」
「いつも一緒で楽しかったよ、ありがとう」
最後のは多分、奥様だったのではと思います。
何だか胸がいっぱいになって、その場を後にしました。夜帰宅してから、在米邦人仲間の知人と電話した時にその話をしたら、半分も話し終わらないうちに「あ、それって、『お父さんは待ってる』」って書いてあったものよね?」と言われました。別の駅で同じ張り紙を見たのだそうです。彼女は息子を持つお母さんなのでその言葉が尚更胸にずしんと響き、張り紙を見た途端涙がぼろぼろ出た、と言っていました。
ご両親と奥様は、どんな思いであの言葉をしたためられたのでしょうか。ご両親はどんな思いで日本から駆けつけて、息子さんの情報を探し回られたのでしょうか。そういう話をしていたら、駅では何とかこらえた涙がぼろぼろ出てしまい、受話器の向こうで知人も泣いていました。
やっぱりテロなんて卑劣なことはしちゃいけないんだ、やっぱり戦争なんてしちゃいけないんだ、と思いました。矛盾するかも知れませんが、無実の人が犠牲になる、という意味では繋がっていると思います。
その張り紙の方ですが、その後ご家族は遺体が見つからないまま死亡届を出されたと聞きました。
改めまして、ご冥福をお祈りいたします。