英語よろずや日記(仮)

自称「英語よろずや」(願望含む)の縦横無尽自由自在傍若無人支離滅裂な雑文。

     
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ビジネス英語
[2007年06月29日(金) ]

こんにちは。あっという間に今年も半分終わりですね。
10代のときの1年間は意外と長かった記憶があるのですが、30代になったら坂を転げ落ちるように1年が速いのはなぜだろう

さて、今日のお題は「ビジネス英語」について。
大学を卒業して入った会社では海外関連の部署に配属されたので、海外の会社とファクスやメール(が導入されたのは確か1995年ごろ)、ときには電話で毎日のようにやり取りしていました。と言っても会社というのはものごとを懇切丁寧に一から教えてくれるところではありません。という訳で朝の回覧(海外とのやりとりをプリントアウトして関係各位に配る、という仕事があった)を作るときに先輩たちの文面を読みながら、とにかく書き方を盗むのみ!という感じでした。すると面白い表現が色々あるんですよ。

例えば
Thank you in advance.
なんてのはビジネスレターならではの表現でしょう。これはお願い事をする文の最後につけることが多いのですが、意訳すると「(お願い事について)宜しくお願いします」、直訳すると「先にありがとう」。何もしてもらわないうちから、これから何かしてくれることに対してお礼言っちゃうんですよ。これってある意味すごいプレッシャーかけてるのでは?なんて思いながら、コピー機の前に立っていたのを思い出します。

それから、文章の書き出しに使う
I hope this letter finds you well.
まあ単なるご挨拶なのですが、直訳するとなんと「この手紙が元気なあなたを見つけるといいなと思います」になるんです。手紙が擬人化してる〜。そっと様子を見に行ってもらっているようなイメージで(「巨人の星」の明子お姉さんとか。って古いですね)、個人的に気に入った表現なのでよく使っています。

あとは「話を持ち出す」などの表現をするときに、tableを動詞にして使うのもこのとき覚えました。何だか書類の束をばん!と机の上において「これについて…」なんて話を始めるような感じで、頭の中でビジュアル化したくなりますね。「再検討する」という意味のrevisitも、そうか〜、visitは「訪問する」でreは「もう一度」という意味を持つから、その事項をもう一度訪問するわけね。なんてふむふむ独り言を言いながら(→おいおい)回覧を配っていました。

「お茶くみ&コピー取り」という仕事を低く見る人もいますが、少なくとも私にとってコピー取りはすごく勉強になりました。クレームの書き方、謝罪の書き方、お願いごとの書き方…何でもストレートにものをいうのかと思いきや、やんわりした言い方や敬語もあるんだなあと。
一旦文章を書いてから先輩や上司に見てもらって、ばんばん「赤」を入れてもらったりもしたなぁ。
私がそういうのを任されるようになるのはかなり後のことでしたが、それがフリーになった今になっても役に立っています。翻訳のクライアントさんの担当者に外国人がいるので、自分の伝えたいことを伝えるのに必要ですからね。

あとは、仕事としてひとさまのビジネスレターの英文を作成したりもしています。これは翻訳の範疇に入りますが、私のいた業界の方なので、その動きが垣間見えて面白いですね。ただ文責が自分ではなくその方になってしまうので、書くときは細心の注意が必要ですが。

ところで、ビジネスレターと言ってもそう難解な単語や文法事項がある訳ではなく、実はすごくシンプルです。上記のような表現を除いては。難しい内容でなければ中学卒業程度の英語でじゅうぶんまかなえます。

例えば
Please be advised that we will send the package to you today.
(本日小包をそちらに発送することをお知らせいたします)
という文があったとします。
Please be advisedが一見厄介に見えるかも知れませんが、adviseは「アドバイス(助言)する」の他に「知らせる」の意味があるので、beがついたらその受動態だから「知らされる」。それにpleaseが覆いかぶさっているので、この3語を直訳すると「知らされてください」という意味です。自然な日本語にすると「お知らせいたします」ですね。
thatは接続詞のthatです。よってその後に続くことが「お知らせしたい内容」になります。
we will send the packageは「私たちは小包を送ります」。
to youは「あなたに」。そしていつ送るか、というとtoday。
それを頭の中で日本語らしく順番を入れ替えると、上記の訳になるわけです。
受動態と接続詞のthatと未来形を習ったら書ける文ですね。
ただし、文通相手とのやり取りに使うとなんてよそよそしいんだ、と思われるので注意!(笑)
最高のエンタメ
[2007年06月25日(月) ]

こんにちは。先週はネタ探しをしていたら終わってしまいました
代りに今週2度更新することにします。

先々週末の同窓会は結局私と友人しかうちの代はおらず(子育て真っ最中の人が多い世代だから仕方ないかも)、拍子抜けしてしまいました。でも高校の同級生たちと別途集まった飲み会が楽しかったです。

さて本題。
今はこのブログのように日記(私のはちょっと趣が違いますが)をウェブ上に載せている人も多いと思いますが、手書きの日記をつけている人はどのくらいいるのかな?
実は私がその一人で、実に小学校の頃からつけています。
今はスケジュール帳の脇に毎日3行くらい書いている(これはここ数年間1日も欠かさずつけている)のと、書きたいことがたくさんある時だけ書くノートの2冊方式を取っています。
初期のものは多分昔処分したのだと思いますが、去年実家を改装した時に「むかし箱」を引き取ってきたら、中学の「班ノート」(個人でつけていたものではなく、班の交換日記みたいなもので先生の赤ペンコメントが入っている)や友人との交換日記(7冊くらいあったはずなのに1冊しかなかった)、高校2年のとき以降の日記が全部入っていました。

で、脱線癖のある私はどうしたかというと、「むかし箱」の片付けもそこそこに、過去の日記を一気に読みふけってしまったのでありました。

結論。
この世で最高のエンタメは自分の日記である
と思わずフォントを大きくしてしまいましたが本人(自分だってば)は大真面目に書いているのに何だかおかしくておかしくて。平たく言うと高校までは反抗期まるだしで、世の中斜めに見てるんですよね。それが大学に入ったとたんに「うぶな女の子」(当時はそういう意識はなかったけど)に退行してしまうのです。大人になった今の自分から見たら、何をそんなことで…ということで悶々としているし。我ながら自分が可愛くてしょうがありません。(→皮肉)同時に、40近くなった今の自分がいかにスレてしまったかということも思い知るのですが、まあもちろん根本的なところは揺るいでいないとしても、約20年の間にそれなりの人生経験はあるわけで、それがよくも悪くも糧になっているということにも気づくので、それはそれでよいのではないかと。(→何を自己完結しているんだ)

例によって、特に恋愛関係の記述はおなかの皮がよじれるくらい笑ってしまいました。恋愛経験が乏しいからこそのこの拙い内容。どーしてまーこんなに一挙手一投足を克明に記録してしかも翻弄されてるんだ、その能力と労力をどっか他に活かせばよかったのに…とつっこみを入れても後の祭り。その「一挙手一投足」に対する私の反応がまた稚拙にもほどがあり、おまえ空気読め、とか、どう見てもやんわり拒否反応示されてるのにめちゃめちゃ都合よく解釈してるじゃねーか、とか、突っ込みを入れておりました。
私はよく友人に「よくそんな細かいこと憶えてるね」と言われるのですが、それは日記のせいなのかも知れません。その証拠に、日記につけていない英単語は100回辞書ひいても憶えられませんからね。(と胸張って言うことか?)
でも不思議なのは、のちの夫は二十歳のときからの友人なのですが、付き合う以前にそういう妄想暴走について一切記述がなかった、ということでした。付き合ってからも私にしては体温の低い記述になっていました。遠距離恋愛だったから書くネタがなかったのかも知れませんが、案外そういうのの方が長続きするのかも知れませんね。今じゃお互い「くされ縁」と言っていますが(笑)

それから「むかし箱」に入っていた写真を整理していて気づいたこと…
それは、日記の中の私は些細なことで悶々としていたのに(その悪い癖は今もあまり直っていません。)、写真の中では結構いい顔してる、ということでした。美人とかそういうのじゃありませんよ。すごく楽しそうな顔をしているんです。日記と読み比べるとそのギャップが不思議でした。こんなに楽しそうな顔をしているのに、どうして自分の持っている幸せに気づかなかったんだろう?と悔やんでしまいました。もし気づいていたらもっとポジティヴに生きることができたかも知れないのになって。気づかなかったからこそ浅はかな子供だったのでしょう。私は友人には恵まれていて、そのおかげでいい青春を送らせてもらった、それは当時から感謝していたけれど、私が自分で思っていたよりも幸せの量(?)が多かったんだな、と気づきました。

40近くなった状態で日記をひもとく機会があったのは、今の自分の周りにある、時として見落としがちな幸せに気づかせるための運命の計らいだったのかも?

そして昨日、3年間くらいつけていた「言いたいことある時のノート」を付け終わりました。
昨夜読み返してみたら何だか悩みの内容がループしていて(苦笑)あーあ全然成長してねーぞ、と思ったりもするのですが、もろもろの状況はじりじりと好転しつつあることが分かっただけでも収穫になりました。次の日記を書き終わる頃には40代になっている可能性大ですが、その時自分はどうなっているのかな。
同窓会
[2007年06月15日(金) ]

こんにちは。
関東地方は梅雨入り宣言した途端に晴れてしまいましたね天気がいいのは嬉しいですが、水不足は大丈夫なんでしょうか…

今日のタイトルは中学生だとまだなじみが薄いかな?
明日高校主催の同窓会があるので行ってまいります。毎年この時期にやるのですが、私は目立たない生徒だったこともあり、同窓会に行ったのは25歳のときのみ。えと一回り以上前だなあ今年はクラスメートだった友人がアメリカから一時帰国で参加するというので一緒に行くことにしました。
私の母校は女子校なので、この歳で行くと「妙に所帯じみているグループ」と「おしゃれでアンチエイジングなグループ」のギャップが激しいんだろうな(そして私は間違いなく前者)…お母さんやってる人たちは案外後者が多いんですよ。恐らく子供の学校のPTAだ塾の送り迎えだと人に会う機会が多いからと思われます。独身の人たちも会社員が多いのでみんなきれいにしているし。そうすると在宅引きこもり仕事(自虐表現・でも自分の仕事には誇り持ってます)で子供のいない私みたいなのが所帯じみたグループの代表格になるわけです。
苦し紛れに先日靴を新調してみました。あとは厚化粧でごまかそうと思います

同窓会というと明日みたいな学校主催のやつと有志でやるやつとがありますが、中学のクラスは皆仲がよかったので、30歳前後までほぼ毎年クラス会をやっていました。高校時代なんて1学期に1回はやっていたかな。
中学は地元の公立中学だったのですが、高校は少し離れた女子校に行ったため、毎回いそいそと出かけていきました。何せ私の実家は女3人きょうだい&父は出張が多かったので、普段の生活で接する異性といえば当時飼っていた犬だけでしたからね〜。と書くと何だかすごく男性に飢えていたような感じですが、はいそうでした。(身も蓋もない…)かと言ってこの性格なので女をアピールする度量もなく、ただ食べて飲んでくっちゃべって終わりでしたが、それもまた楽しかったなあ。というか男性に飢えていた割には同窓会で彼氏見つけるとか、誰か紹介してもらうとか、そういう発想がなかったんですよね。ただただ中学時代のわいわいがやがやが再現できるのが楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。
うちの中学は男子が坊主頭と校則で決められていたので、高校に入って最初の1年間は髪の毛が伸びていくさまを見るのも楽しみの1つでした。髪の毛って伸びさしの時はみんなハリネズミみたいに立つんですよね。
女子は高校より大学入ってからの方が「化け率」が高かった気がします。おりしも時はバブル。「ワンレン&ボディコン」(→中学生のみなさんは分からなかったら親御さんに聞いてください)のお色気満載のおねえちゃんがいきなり隣に座って、誰かと思ったら○○ちゃん!みたいに度肝を抜かれたのも今はいい思い出です。
20代後半以降はシェフ志望の某くんが自宅で手料理を披露してくれる同窓会にシフトしていきました。(勿論材料費は折半で。)

そして30を超えて段々みんな転勤だ結婚だと地元を離れていって、私は35を超えて地元に戻ってきたけれど、地元組同士ですら滅多に姿を見かけなくなりました。地元にいても子育てだ親の介護だetcと色々忙しいですからね。これで50とかになって子供が手を離れる時期になったら、また集まれるようになるのかなぁ。

同窓会を開催できる、または出られるというのは、実はすごくありがたいこと、幸せなことなんじゃないかと思ったりします。嫌な記憶があったら出たくないでしょうし(小学校の同窓会には1度だけ出ましたがそこで嫌な思いをしたので2度と出ないつもり。)、今の自分に満足できていなかったら出たくないでしょうし。また、健康であるからこそ同窓会に出られるのだと思います。
髪が薄くなったり太ったり痩せたりしわが増えたり、外見は確実に劣化していきます。何十年か前は同じ教室で同じ勉強をしていたとは思えないくらいみんな千差万別の経験をして、それらによって成長して、だけどいざ話してみれば昔懐かしい人柄が残っている、そういう発見も同窓会の嬉しさの一つです。当時は話しかけられなかったり気が合わなかったりした人とも案外仲良くなれたりしますからね。

明日も嬉しい再会があるといいなあ〜。では、お肌の手入れでもしてきます。
きょうだい
[2007年06月08日(金) ]

こんにちは。

少子化社会と言われるようになって久しいですが、中学生のみなさんくらいの世代だと、きょうだいのいる人といない人の割合はどんな感じなんでしょうか?私の世代(昭和40年代生まれ)だと、2人か3人きょうだいが主流だったような気がします。私自身は3姉妹の長女で、歳の近い妹と歳の離れた妹がいます。

うちの3姉妹の話については後述するとして…
みなさんは「家族に関する表現」を英語で学んだときに、不思議だと感じたことはありますか?
そう、英語だと「兄」「姉」「弟」「妹」を一言で表す単語がないんですよね。
例えば姉だとelder (またはolder) sisterになりますし、弟だとyounger brotherになります。でも実際の英語の会話にはelderだのyoungerだのの言葉はめったに出てきません。なので、そのbrotherなりsisterなりの歳を知りたいときには、誘導尋問するなり会話の内容から判断するなりするしかないのです。
そういえば、いつだったか欧米人の双子に「どっちがお姉さんなの?」と質問したところ、同じ日に生まれたのにお姉さんも何もない、みたいな答えが返ってきて面食らったことがありました。どうやら欧米文化では、きょうだいのなかで誰が年上とか誰が年下とか、そういうのはあまり関係がないみたいです。(厳密にはあるのかも知れないけど。)

そんな訳で、翻訳者のはしくれとしては、このbrother/sisterは厄介な言葉です。
私は実在の人物について書かれた文を訳すことが多いのですが、例えば「だれそれは音楽一家に育ち、his brother Aはバイオリン、his sister Bはピアノをやっていた」なんて文章があるとします。そうするとネットで検索しまくって、Aが兄なのか弟なのか、Bが姉なのか妹なのかを割り出すのです。大抵の場合はどこかに出ているので該当する訳語を割り当てるのですが、うやむやにごまかした例も数知れず…(懺悔)他の翻訳者さんはどうしているのか興味深いところではあります。私の場合は実在する人だから割り当てやすいですが、架空の話だとどうするんだろう…。

日本やアジアの文化では将来家業を継ぐとか親の面倒を見るとかそういうときにきょうだいの順番が関わってくるので(第1子の責任が大きい国が多いですが、モンゴルでは末っ子がその役割を担うらしいですよ。)、生まれた順番を単語で明確にする必要があったのでしょうけど、欧米は家族より個人のほうに重きがおかれるらしいので、brother/sister程度の区別でまかなえるのかも知れませんね。子供を叱るのも、"You're a big boy now!"(もう大きいんだから)と言っているのを耳にしたことはありますが、"You're a big brother!"(お兄ちゃんなんだから)と言っているのは聞いたことがありませんし、自分のきょうだいのことをSister!なんて呼んでいるのも聞いたことがないですし。そのかわり、赤の他人に向かってHey, brother!と親しみを込めて言っているのは何度も耳にしましたが。日本語でも面倒見のいい人のことを「あねご肌」と言ったりしますし、親しい他人をきょうだい扱いするのは世界共通なのかも?

ところで、きょうだいの呼び方は違っても、世界のどこに行っても大抵のきょうだいに見られるのが、お互いに対する複雑な感情だと思います。
私なんてもう40近いというのに重度の妹コンプレックスですよ妹たちのことは、母の次に「一生超えられない存在」だと思っています。特に「男の子分野」(何だよそれ)はことごとく妹たちに先を越され、ただでさえ帰国子女いじめとかを経験して自分に自信のなかった身としては自己嫌悪に陥ること数知れず、という感じでした。
私の場合は妹たちに対する嫉妬というのはあまりなくて、基本的に妹たちのことは全肯定なんですね。だから妹たちが男の子に人気があるのも、こうこうこういう魅力があるからだなと納得がいくのですが、さてその魅力は自分にもあるのか?と自問したときに「……」という気持ちになるんです。

でも、多感な思春期の頃にそれを母にこぼしたところ、意外なコメントが返ってきました。
なんと、私だけでなく、次女や三女も同じようなことをお互いに対して思っているというのです。「全くやんなっちゃうわよ、こっちは平等に産んだつもりなのに、みんな『○子と△子(注:うちは全員呼び捨て)はこういういいところがあるのに』って愚痴ってくるんだから」と母は苦笑していました。
次女と三女が言っていたらしい「私のいいところ」というのは、私自身が思ったこともない点でした。母が気を利かせてくれたこともあり、それ以来以前より少しだけ自分が好きになれた気がします。

大人になってから3人で飲んだとき、お互いその辺を洗いざらい語り合ったことがあります。普段は陽気な飲みなんですが、そのときは3人ともうるうるしていました。同席していたうちの夫は困っていましたがでも、いい涙だったと思います。きょうだいがいることによって存在した葛藤を乗り越えて今があるわけですからね。
という訳で、私自身は女3人きょうだいに生まれてよかったなと思っています。ありがとうお父さんお母さん。きょうだいのいる方は、brother/sisterを大切にしてくださいね。そして一人っ子の方も、一人っ子ならではの葛藤や特権を思う存分満喫してください