英語よろずや日記(仮)

自称「英語よろずや」(願望含む)の縦横無尽自由自在傍若無人支離滅裂な雑文。

     
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見ず知らずの誰かの力は意外と大きい
[2007年05月30日(水) ]

こんにちは。
急に気温が下がりましたが、みなさん体調は大丈夫でしょうか?
中間テストの季節ですし気を付けてくださいね。

先週だったかな、テレビのニュースを見ていたら、JRの駅で赤ちゃんの乗ったベビーカーがドアに挟まったまま電車が発車してしまい、20mくらいひきずられたという事件が報道されていました。勇気ある男性のおかげで赤ちゃんは助かったものの、男性・お母さん・赤ちゃんが怪我をしたそうです。赤ちゃんがうちの甥と月齢が近いこともあり、うわー 生きた心地しなかっただろうな、とぞっとしてしまいました。その後お三方は怪我の具合大丈夫なのかしら…。快方に向かっていることを願います。

ただ、そのニュース番組のコメンテイターさんはJRが一方的に悪いような言い方をしていたのに対し、私は今ひとつ納得が行かなかったんですよね。そもそもベビーカーというのは畳んでから乗り物に乗るものであって、それを赤ちゃん乗せたまま押して乗ろうとしたことも原因なのでは?と思いました。確かにJRの責任もあるとは思いますが、100%ではないのでは…と。
私は現場にいませんでしたし、あまり断定的なことは言えませんが…。

でも、じゃあ自分が同じ立場だったらどうするか?と、妹(甥の母親)の意見も聞きつつ色々考えてみました。
1) 電車に乗るときはベビーカーを使わずスリングやおぶいひもを使う →月齢によっては無理
2) ベビーカーを畳む→畳んでいる間赤ちゃんと荷物はどうするか。先日妹親子と電車に乗ったときに、赤ちゃん用の荷物が多いのにびっくりしました。というか点数は少ないんですが、替えのおむつやミルクの予備などかさばるものばかり。
3) 車を使う→持っていない人もいる(私は免許すら持っていません)。タクシーの場合はチャイルドシートとかどうするんでしょうね?どなたかご存知の方教えてください。
4) じゃあ外出しない→に越したことはないのかも知れないけど出なければならない用事というものもある。だいいち「子育て中は外に出るな」っていつの時代だ?って感じですしね。勿論夜の外出は論外ですが。うちの近所のパチンコ屋や居酒屋に遅くまで子供を連れ出している親を見るとため息が出てしまいます。…って話ずれましたね

色々考えていると、今回の事件のお母さんを責めるのも酷なような気がしてきました。(かと言って「JRだけが悪いわけではない」というスタンスは変わりませんが)
というのも、結局はお母さん一人で解決できる問題ではないように思えるからです。例えば上記の解決策の中では2)がいちばん理にかなっているように思われますが、片手で赤ちゃんを抱っこしながら荷物を両脚の間に挟んでもう片方の手でベビーカーを畳む…って、不可能ではないにしても難しいような気がします。赤ちゃんが眠っていればまだ楽でしょうけど、起きているときは不確定分子(笑)だし。お母さん以外にもう一人誰かいればよいですが、いつもお父さんや親戚友人知人と連れ立っているわけではありません。

となると、行く先々で、見ず知らずの誰かの手を借りることになります。
「見ず知らずの誰か」は行く先々に山ほどいます。でもその中に快く手を差し伸べてくれる人が何人いるでしょうか?悲しいですが、今の日本には決して多くない、いや多いのでしょうけど、まだ数が十分ではないと思います。もちろん自分への反省も含めて。

日米比較はあまり好きではありませんし、個人的には誰がなんと言おうと日本が最高の国だと思っていますが、こういう面ではアメリカに軍配だなぁ。席を譲ったり荷物を持ってあげたりという行為が、老若男女問わずごく当たり前に行われています。私自身も重いスーツケースを持ってもらったこと数知れず。その持ってくれた男性の横でガールフレンドが「すてき、あなたって頼りになるわ」的ハート型の目をしていて、何だ彼女にいいかっこ見せたかっただけかみたいなのもありますが(笑)、いいんです。私が助かったんですから。勿論そのときは男性にお礼をいいつつ"You have a great boyfriend!"と彼女に言って別れました。

…また話がずれてしまった
今回の事件では勿論第三者に責任が行くわけではありませんが、もしも今度同じようにベビーカーに赤ちゃんを乗せて電車に乗ろうとしている人がいたら、ベビーカーを電車に乗せること、あるいはベビーカーを畳む間の作業の一部だけでも見かけた誰かが手伝うようにすれば、今回のような事件は減るかもしれないな、と思いました。少なくとも自分はこれから手伝おうと思います。親や企業だけでなく、周りの人の配慮も必要ということですね。

なお、自分で言うのもなんですが、これは私のような第三者が言うからよいのであって、世の中の「一部の」親御さんが「まわりがああしてくれないこうしてくれない」と色々声高に権利を主張するのは、個人的には好きではありません。「子連れ」を免罪符というか錦の御旗にしている人に限って、何かしてもらったことに感謝の気持ちが足りないからです。逆に大多数のまともな親御さんが建設的に権利を主張しても聞き入れてもらえない場合も少なからずあるでしょう。だからこそ第三者の意識が必要だと思います。
Thirtysomething
[2007年05月25日(金) ]

こんにちは。

超わたくしごとで恐縮ですが、本日ひとつ歳をとりました。
自分がこの歳になるという実感はないまま今日まで来てしまいましたがこの歳まで大きな病気一つせず、重大な危機や危険にさらされることもなく暮らして来ることができ、私なりに今までの人生に満足していられるのは本当にありがたいことです。

という内容のメールを先ほど両親に打ちました。
と書くと我ながら立派だなあと思いますが(おいおい)、実は人の受け売りだったりします(白状)。また相撲の話になってしまいますが、去年の秋場所のときに時天空関が自分の誕生日に大関を破って、インタビューされていたんですね。そのときアナウンサーさんに「今日はお誕生日ですね」と話を振られて、「はい。今朝モンゴルに電話して、お母さんに『産んでくれてありがとう』と言いました」とさりげなく言っていたのをみて、なんて素敵なんだろうと感激したからです。それで私もそうしようと思った訳です。親がいなければ今の自分はありませんからね。

しかし、私はエゴの塊なのでいくつになっても祝ってもらえるのは嬉しいです。
5月生まれの私にとって、毎年誕生日というのは「クラスメートに誕生日を覚えられないまま過ぎてしまう→あまり祝ってもらえない→だから誰かが覚えていてくれるとめちゃめちゃ嬉しい」日なのです。そのせいか、私は人の誕生日にも非常に思い入れがあります。中学時代の出席番号が誕生日順だったこともあり、いまだに中学のクラスメートの誕生日をほとんどそらで言えるくらいです。(その能力を本業に活かしたいものだ…英単語は何回辞書引いても忘れるのに。)友人の誕生日にもメールかカードを必ず送ります。まあ近況報告みたいなもんですけどね。

ともあれ、今年もポジティヴに生きていけたらと思います。みなさまどうぞよろしく。

ところで今回のブログのタイトルは、日本語で言うところの「三十ウン歳」という意味です。
英語圏では、年齢を女性に訊くのはあまり粋ではない(むしろタブー?)とされているそうです。訊く時はMay I ask how old you are?とかMay I ask your age?と丁寧な言い方をするとよいらしいですよ。まあこのブログは中学生カテゴリですし、読者さんで歳のことを気にする人はほとんどいないと思いますが。

年齢を訊くことがはばかられる社会だからなのか、あちらでは履歴書にも生年月日を書く習慣がありません。というかそもそも顔写真も載せませんし、扶養家族が何人いるかとかも書きません。そういう絶対的な事実に関して先入観を持ってしまうときりがないからかも知れませんね。(勿論、ネガティヴな先入観というものは世界中どこにいっても存在しますが。)

最後に、せっかくなので年齢に関する英語表現をいくつか。

thirtysomething(30代)
twentysomething(20代)
→これは自分の年齢をぼかすときに使います。勿論40代だったらfortysomething。
teenager(10代の人)→これは有名ですね。
「私は10代です」はI am a teenager.の他にI am in my teens.という表現もあります。
I will turn 15 in September.(私は9月に15歳になります)→becomeはあまり使わないような気がします。
I am in my late teens.(私は10代後半です)→10代前半だったらearlyを使います。半ばだったらmiddle。
日本語では「ハイティーン」「ローティーン」と言うことがありますが(って死語?私の世代では使っていたんだけど…)、英語圏ではあまり言わないようです。
She is in her mid-20s.(彼女は20代半ばです)→20代前半だったらearly、後半だったらlateを使いますが、その場合ハイフンは付かないので注意。
Maid in Japan
[2007年05月16日(水) ]

こんにちは。
今週のタイトルを見てMade in Japanじゃないのか?と思われた方も多いと思いますが、今週のブログに限ってはMaid in Japanが正しいのであしからず…

先日、一時帰国中の友人夫妻(日米カップル)と会う機会があったのですが、「帰米後の話のタネに」ということで、なんと「秋葉原のメイドカフェ」に行くことになりまして。アニメに関しては全く無知、しかも30代後半の女2人男1人、うち1人が「ガイジン」という不思議なメンバーで潜入してみました。

メイドカフェの近くにはフィギュア屋さんなどもあって、フィギュアのあまりにも精巧なつくりに思わずため息がでる私たち。

恐る恐るメイドカフェに足を踏み入れると、お約束のコスプレをした可愛い女の子がにっこりして「お帰りなさいませご主人様、お嬢様」と迎えてくれました。(奥様でもおばさまでもなくお嬢様なのね…。)本当にそう言ってくれるんですね。「今なんて言ったの?」と訊かれたので咄嗟に出た訳が"Welcome home, master."…これでよかったんでしょうか。

「メイドさん」たちはみんなアイドル歌手みたいに可愛くて、自主制作のDVDなんかも売っているみたいでした。でもみんな素人なんですよね??地声なのか作り声なのか、全員「アニメ声」なのが何だか不思議な感じでした。私は地声が甲高いのですが、おばちゃんがメイドさんと似たような声というのもなんだなあと思いわざと低い声を作って話してしまいましたよ。

しかしこのメイドカフェ、メイドさんが何でも応じてくれるというわけではありませんでした。
このお店に限った話ではないらしいですが、メイドさんがオーダーを取る前にアニメ声で注意事項を伝えてくれるんですね。「店内はメイドも食べ物も内装もすべて撮影禁止」なのだそうです。また、メイドさんとゲームをやったり、手書きのカードをもらったりするには別料金が要るらしい。さらに、店内に設置してあるパソコン(店内の半分がネットカフェみたいな感じになっていた)を使うには、客グループの全員がパソコン席に移動して、その席の料金を払うのだそうです。

私たちは「こっちは“ご主人様・お嬢様”なのにね〜 向こうに従わなくちゃいけないのか」なんて言いながら笑っておりました。

私がサンドイッチを頼むと、サンドイッチに付いてきたポテトサラダに「猫の顔」がケチャップで描いてありました。
隣のテーブルにいた背広姿の男性の集団がオムレツを頼んだら、メイドさんがケチャップを持って登場。男性たちのリクエストに応じて絵や名前をオムレツの上に描いてあげていました。可愛いだけじゃなくて絵心もなくちゃこの仕事に就くのは難しそうです。ケチャップのお絵かきは食べ物の料金に入っていたのでしょうか…。ちなみにこういうところだから味はいい加減なんじゃないかと思いきや(失礼!)サンドイッチはとっても美味しかったです。いい食材使ってたし。

私たちは特に追加料金を払ったわけではないのでメイドさんと個人的にお話とかそういうのはしなかったんですが、なかなか面白い経験になりました。何か言葉にならない不思議な空気が流れているんですよねあすこって。でも見るからにオタクなお客さんばかりかと思ったら、背広姿の男性がいたりバンドやってそうな男の子たちがいたりして、案外器の大きい場所なのかも?と思いました。

友人夫妻によると、日本のアニメはアメリカでも大人気で、ニューヨークやロサンゼルスでは毎年大規模なフェスティバルが開かれているそうです。私もアメリカにいたときにニュースで「ニューヨークの街を闊歩するコスプレ集団」を見たことがあります。
ただ、メイドカフェはあるのかな、あったとしても全く同じ雰囲気にはならないんだろうな…とふと気になりました。というのは、あちらは若い子が「早く大人になりたい」という感じで、十代の子でもすごくオトナっぽいというか色っぽいというか、本当に10年ちょっとしか生きてないのか?と思ってしまうくらいの(少なくとも外見上は)子が多いからです。日本のメイドさんみたいな可愛い系は、「幼い」とネガティヴに捉えられるんじゃないかな?と思いまして。勿論あれは仕事でやっているわけで、外見はともかく、中身はしっかりしているのでしょうけどね。(むしろしっかりしていないと、お客さんの対応とか難しいでしょうし。)
あと、ケチャップで絵を描いてあげるとか、(追加料金は要るにしろ)肩もみしてあげるとかおしゃべりに付き合ってあげるとか、そういうきめ細かいサービスは日本ならではですよねきっと。「お客様は神さまです」が通じるのは世界広しと言えども日本くらいじゃないかと…。「メイドカフェ」の形態を輸出したところで、そういうサービスももれなく付いてくるかというと、一概には言えないような気がします。

友人は「メイドカフェは『フーターズ』の可愛いバージョンじゃないかな」と言っていました。『フーターズ』というのはファミレスみたいなところ(行ったことないので想像)なんですが、ウェイトレスが全員叶姉妹ばりのセクシー美女なのだそうです。同じテーマカフェでも国が違うとニーズ(?)が違うんだな…と興味深く思いました。

友人夫妻、今回の来日中に相撲観戦もしています。伝統的な日本文化と新しい日本文化の両方を体験した二人。アメリカに戻ったらお友だちにどんな報告をするのでしょうか。
通訳と翻訳
[2007年05月11日(金) ]

こんにちは。今週は更新がすっかり遅くなってしまいました
ゴールデンウィークは夫の実家に帰り、夫の祖母の96歳のお誕生日会!に混ぜてもらいました。義理の祖母は脚こそ少し弱っていて杖を使っているものの、食欲も気持ちもしっかりしているので、4年後のお誕生日会が今から楽しみです

先日は久しぶりに通訳の仕事をさせていただきました。
私の主な仕事は翻訳ですが、年に何回か通訳の仕事をいただくことがあります。
今年は今回が初めて。香港とシンガポールの雑誌インタビューの通訳でした。
(いきなり余談ですが、台湾の媒体さんには中国語の通訳さんがついていました。同じ「中国語圏」なのになぜ?と思ったのですが、台湾で使っている中国語と香港で使っている中国語は文字こそ同じものの発音とかが全く違い、別の言語と言っても過言ではないそうです。また、シンガポールは多民族国家で共通の言語が英語なので、英語媒体が最も需要があるようです。)
インタビューされたのは若い日本人女性。可愛らしい外見とは裏腹に芯のしっかりした雰囲気の方で、言葉を選びながら話している姿が印象的でした。その選んだ言葉を適切に訳できたかどうか、今更ながら気になります…記者さんには後で「こんな感じのニュアンスだったと思う」とフォローしておきましたが、その場でもっと適切に言えればよかったなあと後悔も多々あり。でも、私としてはかなりうまく行ったほうではないかと思います。と自画自賛しておきます。話題の内容のおかげでもありますが、とても楽しい仕事になりました。

私が子供の頃「夜のヒットスタジオ」という音楽番組がありまして、よく外国人アーティストが出ていました。私はなまじ英語が話せたので、通訳の方がはしょった訳をしたときなど「違うじゃん、訳抜けてるじゃん。どうしてあんなに長い言葉がそんな短い日本語になる?」などとやっかみ半分(外国人アーティストは通訳さんの肩を抱いたりしてとってもフレンドリーにしていた人が多かったので羨ましかった・笑)の突っ込みを入れていましたが(我ながら性格悪い…)、いざ自分がその立場になってみたらその方の足元にも及ばないことが分かります。また、時間制限のある中では、通訳さんははしょるというより大事な点だけを拾って訳すことも求められますから、あれは「わからなくてはしょった」のではなかったのだと今なら分かります。私の中で「夜ヒット」の通訳さんの偉大さは増すばかりです。

翻訳と通訳。どちらも2つの言語の間を行き来する作業ですが、個人的には翻訳の方が自分には向いていると思っています。と、通訳の仕事をいただいておいて何ですが…
なぜなら、これはあくまでも主観的な意見ですが、通訳は瞬発力、翻訳は持久力を求められるような気がするからです。

思えば私は子供の頃から瞬発力のないやつでした。短距離走とか苦手だったし、長縄入れないし(苦笑)単に運動神経がないからという話もありますが(体育は大の苦手でした。)、日常生活でもぱっと瞬時にものの判断をすることがあまり得意ではないのです。直感はそんなに鈍くないと思うんですけどね…。また、私は海外経験こそあるものの、いわゆる「帰国子女」のみなさんとは違って英語を話すときに英語で考えておらず頭の中で日本語から訳しながら話すので、自分の意見ではないことを耳に入れ、頭の中で理解する→言葉を選びながら訳す→訳を話す、という作業に時間がかかります。これは多分通訳としてはマイナスなんじゃないかと思うんですよね。
なお、通訳には同時通訳と逐次通訳(ある程度相手に言わせてからまとめて訳すこと)がありまして、私が曲がりなりにもやれるのは逐次の方です。同時通訳の方は専門の学校に行ってその手の訓練を受けた方が多いので、訓練を受ければ何とかなるものなのかも知れませんが、少なくともそれで矯正されるほど私の瞬発力はフレキシブルではなさそうです。

「訳」に至るまでの作業は、私の場合翻訳も通訳もあまり変わりません。どちらも膨大な調べ物をしなければなりませんし。でも翻訳だと訳しやすいところから訳すとか、納品するまえに表現の直しを入れるとか、作業の融通が利くのに対し、通訳はその場その場が勝負ですから、気の小さい(態度はでかいですけどね)私にはあまり向いてないような気がするのでありました。また、そういう便宜を抜きにして考えても、自分には翻訳の方が合っているし好きな気がするんですよね。

でも、通訳にしかない醍醐味、というのもあります。それは自分が人の役に立てるという実感がものすごく感じられること。2つの文化をつないでいるのが自分なんだ、という嬉しさを感じることができることです。誰もが私の目を見て話してくれるのが、ああ頼りにしてくれてるのね、よし頑張ろう!という気にさせてくれるのです。そして例えば片方の人がジョークだったりウィットに富んだ表現だったり、少し訳にセンスを要することを言ったときにそれをうまく訳せて、相手の人が笑ってくれたときの達成感は何物にも替えがたいものがあります。
と言う訳で、通訳は苦手ではありますが、もう少し慣れてきたら「通訳ガイド」の資格を取って1つ形にすれば少しは自信になるかな、なんて考え始めている今日この頃です。