英語よろずや日記(仮)

自称「英語よろずや」(願望含む)の縦横無尽自由自在傍若無人支離滅裂な雑文。

     
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「実家に帰らせていただきます」
[2007年04月30日(月) ]

↑いえ、夫婦喧嘩したわけではありません こんにちは。
よく昔のドラマとかで夫婦のいさかいがあると、奥さん(何故かご主人ではない)が←こんな顔しながら「き〜!実家に帰らせていただきます」なんて赤のスーツケース(なぜ赤なんだ…)まとめて玄関のたたきで靴履こうとしているシーンがあったりしますよね。
何日分の荷物なんだ?よくそんなに早く持って行く服とか決断できるな〜…なんて子供心に思っていたりしたものですが

私は子供の頃から「帰省」という行為に憧れていました。
実家も大学も就職先も関東地方で、数少ない親戚もみな関東に住んでいるので、結婚するまでそういうことをしたことがなかったんです。(ちなみに今も自分の実家は目と鼻の先です。)ゴールデンウィークや年末年始などの帰省ラッシュをテレビのニュースで見ながら、「新幹線は乗車率200%」「関越自動車道は40km渋滞」などの言葉に大変だなあと思いつつも、そうやって行けるところがある人を羨ましく思ったりもしました。そして、遠くからよその地にやってきてそこで自分の生活を確立させているそれらの「帰省組」の方々がとっても立派に見えたものです。(今も。)

大学に入り、全国からやってきた人々と友だちになり、初めてひとさまの「実家」に行ったのは大学2年のときでした。今も大親友の一人をやってくれている彼女は九州の出身。春休みに新幹線に乗って行ったのですが、東京から博多まで当時片道6時間くらいだったかな?(「のぞみ」はそのころ存在していません。)そこから在来線を乗り継いでさらに何時間か行ったところに彼女の実家はありました。私の家のある街と同じところもあれば違うところもある街。少し違う言葉。彼女の育ってきた環境や彼女の関わってきた人々に接しながら、そうか彼女はこうやって育ったのか〜と思いを馳せつつ、うちからこんなに遠く離れたところで育った彼女と自分が仲良しになったなんて何だか縁って不思議だなあ、嬉しいなあ、とつくづく思いました。

そしてうちの夫は東海地方の出身です。結婚したことによって初めて「帰省先」ができました。初めて「乗車率200%」の新幹線に乗ったときのあのワクワク感(うわぁ帰省してるよ私!と思った)は今でも憶えています。初めて「青春18きっぷ」で在来線を乗り継いで帰ったときは、「線路は続くよどこまでも」を実感しました。

憧れの帰省、今回は今日から行ってまいります。荷物詰めなきゃ(赤いスーツケースは持ってないけど)。

余談ですが、アメリカにも帰省ラッシュってあるんですよ。道路が広いのと鉄道網が日本ほど細かくないので、車・電車の帰省ラッシュの話はあまり聞いたことがありませんが、なにせ国土がものすごく広いので、空港の国内線が激混みになり、地べたに座り込んで「チェックイン○時間待ち」なんて言っている人々の様子がニュースで報道されます。面白いのが、帰省ラッシュのピークが年2回あって、それが11月と12月(サンクスギヴィングとホリデイシーズン)と非常に近いのに(実質3週間くらいしか間が空いていない)律儀に2回帰る人が多いことです。
縁と恩は大切に
[2007年04月27日(金) ]

こんにちは。
何だか温かいんだか寒いんだかよく分からない天気が続いていますが、みなさん体調は大丈夫ですか?これからゴールデンウィーク、遊ぶ方も遊ばない方も体力だけはしっかり蓄積してくださいね。

ところで今回のタイトルは私のモットーの一つです。
私は子供の頃から親の転勤などで色々なところを転々としてきました。どうやらそういう運命に生まれたみたいで社会人になってからも色んな部署を渡り歩いたり引っ越したりして、その度に出会いがあり別れがあり…。
筆まめなのが幸いして、結構続いている友人も多いのですが、メールの時代になっても繋がらない人は繋がらないものですね。仕事や家庭を持つと自分の意思以外の力でものごとが動くことも沢山あるので、以前は縁が途切れると「最後の手紙のあの言葉が悪かったのかしら」などと自分を責めてくよくよしていましたが、最近は図太くなったのか、残った縁だけを大切にしよう、と気持ちを切り替えるようになりました。

ところが、一度切れた縁が巡り巡ってまた繋がることってあるんですね。
最近立て続けにそういうことがありました。
●先日珍しく父から電話がかかってきまして、「N君って知ってる?」とものすごく懐かしい名前を出すのです。
でも私の「もと彼」とかじゃないし何故父がその名を??と思っていたら、父の打ち合わせ先のオフィスにN君が来ていて(父のクライアントが彼のお得意さんでもあったらしい)、何となく自己紹介になり、N君が「最近独立しまして、その前はX社に勤めていました」と言ったら「うちの娘も昔いましたよ」と父が言い、私の旧姓(つまり父の姓)が珍しい名前だったことから、世の中狭いね事件が発生したのでありました。
旧姓あまり好きじゃなかったんですがこんなメリットがあったとは。
(裏を返せば「悪いことはできない」ということですが…)
父はいまだに娘たち(三姉妹です)の写真(しかも本人的にはダメ出し必至のやつばかり・笑)を持ち歩き、ことあるごとに娘の話をするという親ばかなので時々うっとうしいんですが(笑)今回ばかりは大感謝!です。(現金なやつだ…)
N君からは翌日早速電話がかかってきて、10年ぶりに話すことができました。会社員時代、ひよっこ社員なのに新規プロジェクトに一緒に放り込まれて苦労を共にした(大袈裟)もと同期の彼は今は一社のあるじ。結婚もして「いいおっさんになった」そうです。私もフリーランスなのでそのうち情報交換しよう、願わくばいつか一緒に仕事も、という話になりました。

●同じく会社員時代の同期で、結婚して海外在住のHちゃん。只今一時帰国中。私がアメリカにいたとき一度訪ねてくれたので、7年ぶりの再会をすることができました。そのとき彼女がもう一人の同期Kちゃんにも声をかけてくれたので、彼女にも7年ぶりに会えました(HちゃんとKちゃんは一緒にアメリカに来てくれたのです)。Kちゃんとは何故か自然消滅してしまっていたのですが、Hちゃんのおかげでまた縁が繋がったという訳です。前回3人で会ったときと全く変わらず、ぎゃはぎゃは笑いながら過ごすことができました。Kちゃんは新しい連絡先をくれたので、これでまた会うことができます。

●そして4月に2回行われた統一地方選にて。
実は私の中学時代の同級生がとある選挙に立候補していました。近所の広場で演説をしていたので立ち止まって観ていたら、演説が終わって観衆に握手を求めに来たときに私に気づき…「うおおお ひっさしぶりーーー」と言うや否や、
「なんか、ふっくらしたんじゃない?いい意味で」
……10年ぶりに会って(前回は電車の中でばったり、だった)最初の言葉がそれかい……
「もうあんたには(票)入れないからね」と冗談めかして言い返しておきました。(顔は笑顔で心は涙…。いい意味でふっくらって何だよ…
あ、本当は入れましたけどね。演説の内容がよかったので。

そんなこんなで、人間ずっとやってると色んな縁があるなあ、と実感する今日このごろ。
思えば私の仕事も、学生時代や会社員時代の縁からいただいているものが大半です。その恩はいい仕事をして返していくしかありませんよね。ということで頑張っております。

英語にはWhat goes around comes around.という言葉があります。
日本語では「因果応報」と訳すことが多いのかな?
英語も、その日本語訳もネガティヴな意味(「自業自得」的な)で使われることが多いような気がしますが、本当はいいことにも悪いことにも使われるんですよね。最近はそのいい意味を実感することが多くて嬉しいです。今度こそは縁がずっと繋がっていますように。
世界の中の日本
[2007年04月20日(金) ]

こんにちは。
関東地方は久しぶりに晴れたので、ベランダに洗濯物を干したところです。

さて、また大袈裟なタイトルをつけてしまいましたが…
5年半過ごしたアメリカから帰国してはや2年。アメリカ生活は山あり谷ありで楽しかったですが、今のところ私には日本の方が性に合っているようです。

日本に帰って何が嬉しいって、今日のように「青空の下で洗濯物を干す自由がある」ということですね。というのも、私が住んでいた街では、洗濯物を外に干すのが条例で禁じられていたからです。そもそもベランダすらありませんでした(非常階段の踊り場みたいなところがあるだけ)。アメリカと言っても広いので、よその街や州ではばりばり干しているのかも知れませんが…少なくとも私が住んだことのある2つの街(違う州)ではだめでした。

私が2年前まで住んでいた築90年のボロアパートでは排水設備が完備されていなかったので洗濯機を置くことができず、近所のコインランドリーに行っていました。それでも「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、やっぱり晴れた日じゃないとコインランドリーに行く気になれないんですよね。
いつだったか10日くらい雨が降りっぱなしでやっと晴れた日にずた袋いっぱいの洗濯物をカートに乗せて運んでいたところ、通りすがりのお兄ちゃんに「すごい洗濯物だねえ。一体どうしたの?」と話しかけられたので(知らない同志でもすぐ会話が始まるのはアメリカのいいところの一つです。横断歩道をすれ違い様に「すてきなバッグね」と言われたりとかしました。)「やっと晴れたからね」と答えたら、何で晴れるまで待ってたんだ、的なことを言われて笑われたことがありました。そのときはっとした訳です。ああこの街では「洗濯は晴れた日にするもの」という概念がないんだなって。
まあ、コインランドリーからアパートまでの道をどうするかさえ解決すれば、雨の日に洗濯やっても不自然ではないですよね。洗濯物は乾燥機でからからに乾かしているわけですから。それに新しいアパートは排水設備や洗濯室が完備しているから、そもそもそんな心配も要らないし。

でも、日本でお布団や洗濯物を日光に当てる習慣があるのは、確か殺菌という目的もあったはず。それに干した後のお布団のふかふかな温かさって、何物にも替えがたいですよね。
と言う訳で、洗濯物を干すたびに「あ〜日本に帰ってきて良かった」と心から思う私なのでした。

他にも「ああ日本人」を実感するときというのはいくつかありまして、例えば年末になると在留邦人の間では「もう大掃除は終わったか」という話になったり、春になって桜が咲くと花見の話が出たりしていました。もっとも、私の住んでいた街では「屋外での飲酒」が禁じられていたので(ビアガーデンやレストランは別)、桜の下でどんちゃん騒ぎすることはなかったんですが。

一番の「日本人」な習慣は、何と言っても「在留邦人は必ず家の中で靴を脱いでいる」ということでしょう。この習慣は国際結婚の方々にも脈々と受け継がれていて、どんなに生活が洋風でも家の中の言語が英語でも(これは家庭によって違いがあります。日本語中心の家庭もあり)、靴だけは日本の習慣が勝つ(?)みたいですね。でも勿論押し付けではなく、「こっちの方が衛生的だし足も蒸れない」と評判のようです。

おっと2回目の洗濯が終わるようです。干してきます。
誰も気づかないうちに
[2007年04月14日(土) ]

こっそり直そうかとも思いましたが、後学のためにも懺悔いたします。(大袈裟)

ちょっと前に書いた記事でdesertという単語について触れていますが、さっきふと思い出したところ、大変な間違いを犯していることに気づきました。
正しくは

dessert(食後のデザート)→sが2つ、アクセントは後ろ(de-SSERT)
desert(砂漠)→sが1つ、アクセントは前(DE-sert)


です。つまりこの2つは紛らわしくはありますが全く別の単語で、desertに意味が2つある訳ではありません。大変失礼いたしました。

中学生のみなさんは今のうちにこの2つの違いを覚えておけば、大人になって私のように全世界に向かって懺悔しなくて済むので、この機会にあたまに入れておいてください…って入ってない(入ってたけど抜けた)のは私だけですよねやっぱり。

修業しなおします…。
その日の天使
[2007年04月10日(火) ]

こんにちは。いつの間にか桜が残り少なくなりましたね。

さて、みなさんはどんなときにストレスを感じることがありますか?
私の場合それはタイムマネージメントと非常に関係しています。
よく女性誌などに「仕事のできる女は時間の使い方が違う」なんて特集がありますが、それを食い入るように立ち読みしている中年女がいたらそれは私です…集中力や注意力に欠けるのが諸悪の根源だということは分かっているんですが、なかなか直りません。一生の課題にならないうちに何とかしようとは思っています。
会社員の方もそうですが、フリーランスも一度に複数の案件を進めるのが常です。(複数クライアントさんがいるということで、ありがたいことです。)通常は何とかやっているのですが、時としてスランプに陥ることがあります。私の場合何故か仕事量とは関係がなく、多いときも少ないときも同じような感じなのですが、訳がなかなか進まなかったり、進んでもその質になかなか満足がいかなかったり…そこに追い討ちをかけるように体調を崩したり、雨が降ってきて気温が下がったり。そうすると時間の使い方がいつもに増してヘタになってしまい、気分的にも滅入ってしまいます。私何やってんだろ…と自己嫌悪に陥り、ますます物事が停滞するんですね。

そんな時、私は「その日の天使」をできるだけ探すようにしています。
これは、3年前に亡くなった作家の中島らもさんが書かれた「恋は底ぢから」の一節なのですが、「一人の人間の一日には、必ず一人『その日の天使』がついている」のだそうです。
ジム・モリソンという人(ロックに詳しい方ならご存知かな?1970年代に流行ったザ・ドアーズというバンドにいた人です)の書いた詩を独自に解釈し、そういう結論に達したとか。
天使と言っても大袈裟なものじゃなくて、例えば調べ物でネットサーフィンしていたときに爆笑記事に出会ったとか、可愛い動物の写真を見つけたとか、甥の写真が送ってきたとか、買い物に行ったらお目当てのものが安くなっていたとか、新鮮な野菜が手に入ったとか、夫とケンカしないで一日が終わった(笑)とか、そういうものなんですが、小さな幸せで一旦心を満たせば、次のステップに進む気力が沸いてくるんです。私の場合。

しかし、先週の私は「その日の天使」を探す余裕もなかったような気がします。天気も悪かったし仕事もうまく進まなかったし体調崩したし。(季節の変わり目、みなさんも気を付けてくださいね)
そんな中、週末に大相撲5月場所のチケットが発売されたので、何とかチケットを入手。いつもどんなチケットが買えるか分からないので、買ってから一緒に行く相手を募る私ですが、今回は中学時代の同級生Cちゃんに2度目のお誘いをかけてみました。そうしたら快諾してくれたのです。一気に目の前がぱーっと開けた感じがして、よしその日まで頑張るぞ〜という気分になれました。
Cちゃんは私にとって「その日の天使」だったわけですね。
それ以降は先週よりは能率よくものごとが進んでいます。Cちゃんありがとう〜

英語のことわざにA friend in need is a friend indeedというのがあります。
これ、「困ったときの友こそ本当の友」という訳が正しいんですが、私は「持つべきものは友」とも解釈しています。みなさんも友だちは大切にしてくださいね。私とCちゃんは今年で友だち25周年です。

ちなみに今日の「その日の天使」は、近所に住んでいる母が届けてくれたチーズケーキです(母はケーキ教室に通っているのです)。今日一日頑張ったらごほうびに食べようと思います。

…と色々書いてきましたが、基本的に私は楽観的な人間です。色々ストレスがあったりパニクったり落ち込んだりしても「10年経てば笑い話」!そう思えば楽になれますよ〜。何か困難やストレスに遭遇したときは、それが終わったときの自分をシミュレーションしてみてくださいね。
ごはんに塩
[2007年04月02日(月) ]

こんにちは。進学&進級おめでとうございます。まだ春休みだから実感のない方が多いかな?

週末は都内の桜の名所を数箇所徒歩ではしごし、少しはカロリー消費できたかな〜なんて思っている美井(仮名)でございます。私の出身大学は桜の名所のそばにありまして、そのそばを通ったら今年も新入生歓迎花見の学生たちでにぎわっていました。でも今の若い子って飲み方がニート(NEETではなくneatの方)ですね。私の頃みたいに「馬鹿騒ぎして一気飲み連続でやった挙句急性アルコール中毒になって救急車で運ばれる」ような子はいなさそうでよかったです。

花見の帰りがけに、学生時代何度か立ち寄ったことのある洋食屋さんでハンバーグ定食を食べました。(消費したカロリーがこれでちゃら)学生街の定食の量は中年女の胃にはきつく、半分夫に食べてもらいました。お皿に平たく盛られたごはんに口をつけた夫が一言、「あ、また塩ふってる」

そう、私はごはんに塩をふって食べるのです。洋食のときだけですが。
例によって前ふりが長いですが、今日のブログは30年以上前の昔話です。

あれは私が幼稚園の頃、当時九州の某県にあった母の実家に里帰りしたときのことでした。
母+私+妹というメンバーで、東京から寝台列車に乗って行きました。2段ベッドが2つ両側に並んでいるコンパートメントで、残った寝台には大学生のお兄さんがいました。
お兄さんは子供好きだったのか、私と妹を相手して可愛がってくれました。車両の探検なども連れて行ってもらった憶えがあります。
その中で私の興味を引いたのが食堂車でした。動いている電車の中でごはんが食べられるなんて。そう言ったら、お兄さんは「じゃあ僕が食べに行くときに連れて行ってあげる」と言ってくれました。
そして数時間後食堂車へ。何故かお兄さんと私の二人きりでした。(思えばこれが「人生初デート」だったのか?)

お兄さんが頼んだのは「ライス」それだけでした。私はお腹が空いていなかったので何も頼まずおひやだけ。
えええおかずも何も頼まないの?と訊くと、「こうすると美味しいんだよ」と言いながら、届いたお皿に平たく盛られたごはんに塩をふり始めました。しかもおはしじゃなくてフォークとナイフを器用に使って食べるんです。そんな食べ方があるんだ〜 と子供心に思いました。一口もらってみたところ、しっとり汗をかいたごはんに塩がマッチして、そしてフォークとあいまった口当たりが不思議な感じがして、何だかオトナの味がしました。「ね、おいしいでしょ」とお兄さんが言っていたのを憶えています。

それ以来私は洋食(ハンバーグとかシチューとか)の時だけごはんに塩をふって食べるようになりました。

自分が大人になった今考えてみると、食堂車に行ってオーダーしたのがライス一皿、それに塩をふって食べていたということは、多分かなりの苦学生だったと思うんですよね。バイトして貯めたお金で寝台車に乗るのが精一杯だったのではないかと。でもそんな貧乏生活(って勝手に決め付けてますが)の中でもごはんを洋食風に食べてみたりして、ちょっとした工夫で人生を楽しむ方法を知っている人だったんだろうな、と思います。実際、子供心にもやさぐれたような雰囲気は全く感じられませんでした。私自身が「人生の大変さ」に思いを馳せるような歳ではなかったから気づかなかっただけかも知れませんが。

逆境の中で(また決め付けてますが)楽しみを見つけられる人というのは、追い風に乗るのも上手な人だと私は思います。せっかくの人生、面白がって生きるが一番ですよね。と何だかへんなまとめ方ですが…お兄さんはきっとその後豊かな人生を送っているような気がします。

お兄さんのことは顔も名前も憶えていませんが、確か髪の毛は少し長めで、当時流行っていたベルボトムのジーンズ(裾が妙に広がっているあれです)をはいていて上はポロシャツで、そのポロシャツには赤い横線が1本入っていた、ということだけ憶えています。(当時の「今風の大学生」だったんですね。)多分今50代くらいと思いますが、今もごはんに塩ふりながら昔を思い出されたりしているのでしょうか。