英語よろずや日記(仮)

自称「英語よろずや」(願望含む)の縦横無尽自由自在傍若無人支離滅裂な雑文。

     
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"My life has changed forever."(その1)
[2007年09月10日(月) ]

こんにちは。
今日のお題"My life has changed forever"は、私がアメリカに住んでいたときに覚えた表現で一番印象深かったものです。
文法的には現在完了になるのかな?
「私の人生は永遠に変わってしまった」
つまり、何かを悟ったり、ショッキングな出来事があったりしたことによって、自分の気の持ちようがそれ以前と全く変わってしまったことを意味します。(ポジティヴな意味にもネガティヴな意味にも使われます。)

この言葉がアメリカで一番よく飛び交っていたとき。
それは勿論、6年前の「あの日」でした。
この表現を知るきっかけになったのも…。

その日は秋晴れの美しい朝を迎え、私は妹と久々に国際電話で話しておりました。
ずっとよもやま話をしていたのですが、突如妹が「ねえねえ、ワールドトレードセンターに飛行機がぶつかったとかってニュースで言ってるけど本当?」
慌ててテレビのニュースチャンネルを付けると、ワールドトレードセンターのビルのてっぺんから煙がくすぶっていました。その場所はよくテレビ局のヘリコプターが飛び交っているところだったので、ああ風に煽られてビルにぶつかったんだな、と判断した私は、まあそんなに燃えてないみたいだし大丈夫でしょ、と思い、ろくにニュースを聞かずテレビを消してしまったのです。妹も「大丈夫だといいけどねえ」と言いつつ、普段の会話に戻り、しばらく話を続けると電話を切りました。
切った途端にまた電話が鳴りました。受話器を取ると私の名を叫ぶ妹。え、30秒前まで話してたじゃん…と思いきや、電話の主はもう一人の妹でした。(私たちは全員声が似ています。)いつもは冷静な妹が何をそんなに…と思い、「どうしたの?何かあったの?」と訊いたところ、「ああよかった電話が繋がって。ワールドトレードセンターが片っぽなくなって、日本でもそればっかり報道してるんだよ」

「??????」

慌ててもう一度テレビをつけると、今度はすっくと聳え立つ「もう片方」のビルが映っていました。しかも煙がもくもくしています。
しかしあの110階建て(うろ覚え)のビルが「なくなった」ことが信じられなかった私は、てっきりテレビカメラのアングルの関係で「2つ建っているのが1つに見えているだけ」と思ったのです。だけど、カメラがゆっくり旋回すると、そこには1つしか建っていませんでした。

なんということだ。

「○○くん(うちの夫)は大丈夫なの?今どこにいるの?」
「え、今寝てるけど…」

当時夫は留学生で、ワールドトレードセンターの近くでインターンをしておりました。夏休みが終わってからはビザの関係で週5日行くことができなくなり、前日に「じゃあ明日は休んでいいから」と言われ、初めて休んだ日が、9月11日だったのです。

なんということだ。

とりあえず夫婦揃って無事だということを伝えると電話を切り、前日夜ペンシルバニア州から遊びに来ていた友人をたたき起こしました。
(余談ですが、彼女の住んでいたペンシルバニアでもこのテロで飛行機が墜落。それを知った彼女のご両親が実家のアジア某国から電話すると、ルームメイトが「今ニューヨークに行ってます」…パニック状態になられたそうです。)
本当はこの日から観光に連れ出すことになっていましたが、勿論却下。
3人で食い入るようにテレビの画面を見つめていました。

気が付いたら、もう1つのビルもなくなっていました。

画面に映っているのは、同じ街の風景とは思えませんでした。飛行機がビルに衝突して炎上した風景が繰り返し流されていました。そしてその下で逃げ惑う人々は砂塵を頭から被っています。こんな風景は映画の中だけだと思っていたのに。よその国の出来事だと高を括っていたのに。私は同じ街とはいえ現場からはかなり離れたところに住んでおり、アパート界隈はまったくいつもどおりの朝だったので、どうしても信じられませんでした。

友人の提案で、とりあえず食料の買出しに行こうということになり、夫を留守番させて家を出ました。
外は嘘みたいにいい天気。うちの界隈はいつも通りの雰囲気で、いつも通りの井戸端会議が繰り広げられていました。おいおいのんきな人たちだなあ…と思いながら歩いていると、電気屋の前で人だかりが。ビル炎上の画面に見入っているのでした。
そしてどんどん歩いていくと、今日というこの日が
いつもの火曜日の様に見えて、実は一生忘れられない日」であることがだんだんと身に迫ってきました。北行きのバスは全部満杯で、NEXT BUS PLEASE(次のバスをご利用ください)の表示が。行き場を失った人々がバス停に鈴なりになっています。地下鉄は勿論止まっています。どうやら臨時休校になったらしい学校からは山ほど学生が出てきました。
友人が気を利かせて、ファーストフードでごはんを買ってくれました。それを家に持ち帰りみんなで食事。でも、彼女には申し訳ないけれど、味なんて感じられなかった。普段だったら大好きなメニューだったのに。

その間もテレビは繰り返しビル崩壊の瞬間を映していました。そして電話もひっきりなしにやってきました。何故かこちらから掛けることはできなかったのですが(回線が一時的に故障していたらしい)みんなの気遣いがありがたいと思うと同時に、ことの重大さがひしひしと身に染みてくるのでした。

相変わらず繰り返し同じ映像を映しているテレビを見ながら、一生懸命自分の気持ちをまとめようとしました。
これが同じ島で、しかも普段行くような場所で起こっているなんて。
自分の住む街で起こっているなんて。
なんだか信じられなかったけど、これはどうやら事実らしい…。
こんなこと、今まで中東とか、自分とは全く縁のない場所でしか起こったことがなかったのに。
…中東ではこれが毎日なんだ。
毎日身の危険にさらされて、今日一日生きることだけが救いなんだ。
その気持ちがやっとこの日分かった気がします。
私が悩んだりしていることなんて、命のことを考えれば屁みたいなもんだ。
「今日この日を生きている」ということを絶対に当たり前だと思っちゃいけないんだ、そう強く思いました。

ああでもやっぱり信じられない。でもあれは私がよく歩く場所。夫がインターンに行っている場所の近く。決して遠くの場所の出来事ではなくて…。
テレビの歴史番組などを見ていると白黒で戦争の様子が映っていて、戦争やテロと言うものは曇り空の下で起こるもの のような錯覚がしてしまいがちですが、こんな炎天下の快晴の空の下でも起こるものなんだ…。
そして今はたまたま犠牲者に友達がいないようだけど、私や夫や友達が犠牲者になっていたかも知れない。

つくづく自分たちの「運の強さ」を感じながら、夜は更けていきました。

(以下、次回に続く)