英語よろずや日記(仮)

自称「英語よろずや」(願望含む)の縦横無尽自由自在傍若無人支離滅裂な雑文。

     
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おしゃれとリスペクト
[2008年10月31日(金) ]

こんにちは。

突然ですが、私は洋服が大好きです。普段ほとんど家に居るので服なんてそんなに数要らないだろうと言われると「はいその通りですすみません」と謝ってしまいたくなりますが、流行に関係なく色々持っています。安物ばかりですが、洋服ダンスはいつも「帰省時の新幹線の乗車率」状態になっています。もういい歳なので「いいものを少しだけ大切に」にシフトしたいのですが、昨日も近所のスーパーでチュニックとタートルネックのアンサンブルを処分価格750円!でゲットしてしまいました。(元の値段は確か2900円とかそのくらいだったと思います)また夫に呆れられそうです…。

という話から派生してまたつらつら書きます。
どこぞの高校入試で、受験生の服装が乱れていたから不合格にしたことで校長先生が更迭されてしまったことについて、校長先生に対し同情の声が上がっているそうですが、実は私も校長先生擁護派だったりします。ことの詳細をきちんと把握していないのであまり偉そうなことは言えませんが、「外見で判断するな、中身で判断してくれ」という人に限って中身がない、というのが私の偏見だからです。
外見がぶっとんでても中身で判断してもらえる人は確かに存在しますが、それはごく限られた人にすぎないと思うんですよね。そういう人達はいちいち「中身で判断してくれ云々」なんて言わないだろうし、いい中身のにじみ出る人になるのはそれだけ難しいことだと思うんです。だから40近くなった私も困っているし、それなりに努力しています。効果は全く出ていませんが。

それから、TPOという言葉があります。(Time, Place, Occasionの頭文字をとったものです)
受験とか面接のときの服装というのは、自分の個性を主張するのと同時に、相手に対してどれだけリスペクトを払っているのか、というのも表現しなければならないと思います。

その昔私が勤めていた音楽系の会社は、面接時の服装が「自由」でした。最初の書類選考の会場には「おまえがアーティストかい」とつっこみを入れたくなるような人が何人もいてびびったものです。(そのアーティストもどきの人々が同期になったかどうかは不明です)で、当時はそれがあの会社の「表現の自由の尊重」の表れだと思っていましたが、実際は違ったんだろうなと今となっては思います。本当の意図は勿論分かりませんが、「自由」と言われたときにどれだけ自己主張とリスペクトのバランスを取れるか、というのを見ていたのかも知れないなと。もっとも、私はいつもスーツでしたが、スーツ着たから受かった、という訳ではないと思いますけれど(いまだにどうして受かったのか不明。)それは他社と日にちが重なっていたことが多かったから というのと私服がごく普通で自己主張できるほどのものでもなかったから
という単純な理由だったもので。

ちょっと話がずれる&手前味噌になりますが、私は祖母の居る施設に会いに行くときにできるだけ明るい色の服を着るようにしています。私は暗い色の服が多いのであくまで当社比ですが(汗)、私が明るい服装で行くことによってストレスを溜めやすい祖母が少しでも和らいでくれるといいな、という気持ちがあるからです。もう一人の祖母の居る施設は遠いので長いこと会いに行けていませんが、こちらの祖母はおしゃれで派手好きで有名だったので(何せ私の結婚式で一番華やかだったのが祖母でしたからね〜。私は化粧のダメだしをされ、控え室で直してもらいました。)祖母に会うときはど派手(当社比)な服装で行きます。指輪やネックレスいっぱいつけて。

不合格になってしまった子たちは恐らくどこか別の高校に入って青春を謳歌していると思いますが、一連の報道を見聞きして心当たりがあるなと思ったら、社会に出たら外見で判断されることは残念ながらいっぱいあることを肝に銘じつつ、「それってどういうことなのか」を考えるきっかけになれば、校長先生の更迭も本当の意味で無駄にならないのではないでしょうか。
国際人?
[2008年09月25日(木) ]

こんにちは。また間が空いてしまい失礼しました。
そうこうしているうちにもうすぐ9月も終わりですね。10月は遅い遅い夏休みで国内旅行に行くので、それを励みに働いているようなものです。

ところで、私のように英語を使って仕事をしている人々は、しばしば「国際人」と呼ばれることがあります。
でも、国際人って何なんでしょうね。
英語は世界で最も多民族にわたって話されている言語だから(人口的には中国語にかないませんが、中国語を話す人というのは民族的に限られていると思う)英語が話せればそれだけ世界中の多くの人々とコミュニケーションを取ることができます。じゃあ英語が母国語のアメリカ人やイギリス人やオーストラリア人や(以下略)はみんな国際人なのか?というとそんなことはありません。世界に興味のない日本人がいるのと同じように、世界に興味のない、英語で他国の人とコミュニケートしようとしないアメリカ人やイギリス人やオーストラリア人や(以下略)はたくさんいます。自分の国の言葉が通じる場合が一番多いから楽なはずなのに。

英語が話せればそれだけ世界中の多くの人々とコミュニケーションを取ることができますし、また、世界の色んなことを垣間見るチャンスが増えます。例えそれがウェブ上の出来事だったとしても。
確かにそれは素晴らしいアドバンテージだと思いますし、そういう環境にいる自分は恵まれていると思います。でも、外国語ができるイコール国際人じゃないと思うんですよね。外国語ができなくても世界の色んなことを知っていたり、世界中の人々とつながりを持っている人というのはいっぱいいます。言葉の面は私みたいな仕事の人(翻訳や通訳)が補えばいいですからね。
そういう人々を見ていると、もれなく「自分から発信」できる人たちです。心の引き出しがいっぱいあることもさることながら、自分の国の色んなことも分かっているし、それについて自分の考えを述べることができる。「国際人」である前に「自分の国の人」なんですよね。

個人的には、自分のことは「国際人」と思いませんし、なるつもりもありません。
というか、そんなの私にとっては100年早いです。
まだ「自分の国の人」の修業が足りないわけですから。

留学した頃、自分の「発信できなさ」に愕然としたことを思い出します。
私はアメリカや、留学生仲間の出身国の色んなことを吸収することばかり考えながら日本を発ちました。帰国子女なので英語はそこそこ喋れましたが、日本のことをあまりにも知らず、自分の考えもろくに持っていなかった自分。give & takeという言葉がありますが、私はtakeばっかりでgiveできなかったのです。当然、会話もそう長続きするわけがなく、takeも思ったようにはできませんでした。

あれから十数年。少しはgiveできるようになったかな?まだまだまだまだですが。
今は仕事柄「世界の色んなことを垣間見る」チャンスが多いので、そのたびに「日本だったらどうかな」「私だったらどうかな」と思いを馳せるようにしています。

近年中に小学校でも英語教育が必修になるとどこかで読みましたが、個人的には反対です。その分、日本のこと(文化や歴史や政治や経済など)を学ぶ機会を増やした方がいいんじゃないかと思います。日本のいいところも悪いところも知って、それについて考える時間をもてたら、自信を持って「自分から発信」できるようになって、「国際人」に近づくのではないでしょうか。

(「国際人」という単語そのものがちょっと抽象的過ぎて胡散臭いと個人的には思うので、近づくことがいいことなのかどうかは置いといて。)
ものいい
[2008年09月09日(火) ]

こんにちは。
火曜の時点で、このブログがいきなりランキングの上位に登場していて嬉しい反面びっくりした美井(仮名)でございます。言葉を扱っている人間とは思えない拙い文章を読んでくださってありがとうございます。でも、くれぐれも、わたくしの意見イコール相撲ファンの総意とお考えにならないようにお願いいたします…。(弱いぞ。)

前回のブログをアップしてからたった1日の間にあまりにも多くのことが一度に起こってしまい驚いています。
非相撲ファンの方々にとっては、恐らく今回の事件まで四股名を知られなかったであろう彼ら(と言ってしまうのも失礼ですが)。一般的には悪い印象しか残さなかったと言っても過言ではありません。この前の「大相撲版平家物語」にも書きましたが、今までの努力がこんな愚かなことで水の泡になってしまうなんて。ばかすぎる。(涙)
せめて、「いいときの彼ら」を知っている相撲ファンに対しては、これ以上いい思い出に泥を塗らないでほしいです…。
今はあまりにも悲しくて、いい思い出(と言っても私は直接話したことはありませんが)がかすんでしまいそうです。

ところで一連の報道にちょっと物言いさせてください。
大麻の入手ルートについて
六本木で黒人からもらった
ロサンゼルスで黒人歌手からもらった
って、やたら人種を強調するのはいただけません。そりゃ確かにくれた人の人種は「黒人」だったのかも知れませんが、もし他の人種だったら「白人からもらった」とか「黄色人種からもらった」とは言わないのではないかと。(「ガイジンからもらった」という言い方はあるかも知れないけど、これも感じいいものじゃありませんよね。)何だか人種偏見が見え隠れするというか…。

日本は「9割以上単一民族」の国だからか(勿論大和民族以外の人々がいるのは承知しています。念のため)そういう表現のデリカシーが今ひとつ欠けているような気がします。神経過敏になってpolitically correct(直訳だと「政治的に正しい」。差別や偏見を助長しない状態のこと)の度が過ぎるのも考え物ですが…例えば「ブス」のことをcosmetically challenged(美的な努力を必要とする)なんて表現するのは逆に慇懃無礼な気がしますからね〜。

でも、人種に関する表現は、気を遣うに越したことはないと思います。
例えば3年前、ハリケーン・カトリーナがアメリカ南部を直撃したときのこと。人が腰まで水に浸かった写真が2枚、報道に使用されました。
片方の写真には黒人男性。
ニューオーリンズのスーパーで略奪(万引き。原文はlootingという言葉が使われていました)してから胸まで水に浸かって歩く男性
というキャプションがついていました。
(余談ですが、私はその写真の男性がペプシコーラの瓶を抱えているのを見て、「極限状態でも、万引きするのはペプシ(水じゃなくて)なんだなあ。やっぱりアメリカ人って炭酸飲料好きな人多いんだな」と妙な感心の仕方をしていました。

もう1枚の写真には白人男性2人組。さっきの写真と同じように、袋を持って胸まで浸かっていました。ところが、この写真にはこういうキャプションがついていたんですね。
パンと炭酸飲料を見つけてから(原文はafter finding...となっていました)胸まで水に浸かって歩く住民2人

で、「何で黒人さんだとlootingになって、白人さんだとfindingになるんだ?これは偏見・人種差別じゃないのか?」と、アメリカのブロガーさんが声を上げ、大問題になったのです。
あるブログには、"It's not looting if you're white."(白人だったら略奪にはならない)なんて皮肉って書かれてました。また別のブログには、「どうして万引きかそうじゃないかって分かったんだ?泳いで訊ねに行ったのか?」とも書いてありました。
どうやら、こういう非常事態のときはとにかくいち早く写真を配信することが優先されるので、通信社ではキャプションのチェックなしに、提供者さんのコメントをそのまま載せてしまった というのがそもそもの始まりのようです。前者の写真の提供者さんは「略奪の現場を見た」らしいのでlootingで合っていて、後者の提供者さんは「現場を見ていないのでlootingとは書けない」とコメントしていたそうで。カメラマンも通信社も違うし、よってこれらのキャプションの違いはたまたまであって人種差別や偏見とは違うらしい という結論(?)なのですが、やはり誤解を招くということで、くだんの写真はニュースサイトのデータベースから削除されたらしいです。

そういうことがあったので、日本語の記事でもつい前述の表現には物言いをつけたくなってしまうのでした。(あ、「物言い」は相撲用語です。)

アメリカから帰国して随分経ちますが、この手の言葉遣いにはできるだけ気を遣って来たつもりです。でも私も知らず知らずのうちに差別的な書き方をしてしまうことがあるかも知れない。せっかくアメリカに住んで居たのだもの、少なくともこういうことに対する問題意識はこれからも持ち続けなければ、と改めて思うのでありました。

それにしても相撲からここまで話をこじつけるかね私?(汗)
責任の取り方
[2008年09月06日(土) ]

こんにちは。
私の大好きな大相撲に嫌なニュースが続出している…
報道があるたびに、このブログをご覧下さっている奇特な方々は美井(仮名)のことを思い出しているのではないでしょうか。(→自意識過剰)
これを書いている今の時点では、件の力士2名の精密検査結果も「クロ」と出てしまい、それでも2人とも疑惑を完全否定している、という状態です。2人ともファンサービスのよいいい力士なのを国技館や巡業先で見ているので、犯罪者へのご近所取材じゃないですが、「あんないい人がそんな、ありえない」と信じたい一方、でもしかるべき機関で見てもらった結果だしなあ…という気持ちもあります。というか今は後者の気持ちの方が強い…非常に複雑です。勿論「クロ」だった場合同情の余地はないわけですが。

そんな中取り沙汰されているのが、北の湖理事長の進退問題。
一般企業では、何か重大な不祥事があると、大抵はその企業のトップが「責任を取る」形で辞任します。ところがここ2年くらい不祥事続きの相撲協会ではそういうことがなく、理事長は「二度と起こらないようにするのが私の責任です」と言ってきました。

実は私は、そういう「責任の取り方」もありなんじゃないか、と思っているくちです。(北の湖理事長を支持しているという意味ではありません。念のため)
子供の頃から、テレビや新聞で企業のトップの引責辞任の話を見聞きするたびに、どうして「辞任=責任を取る」なのか不思議でした。新しい人がトップになったところでそう簡単に組織って変わるものなのか?変わるんだったら初めから不祥事しなきゃいいのに、と単純に考えてしまうんですよね。
勿論、トップという地位にあることで享受できる既得権(高いお給料とか)がある訳なので、そういうものを放棄するという意味もあるのは認識しています。また、部下の監督不行き届きによって辞任するわけですから、別の人に部下を監督してもらうことによって不祥事の再発を防ぐ、というのもあるでしょう。
でも、トップが末端の部下一人一人のことをそんなに把握しているものなのかも疑問です。小さな組織ならともかく、大きな組織であればあるほどトップから末端の部下への距離は遠くなるような気がします。だとしたらいきなりトップを交代させるより、トップから末端の部下への距離を縮める努力をしてから辞めても遅くはないのではないかと…。そんな風に思って育ってきました。この考え方が正しいのかどうかはいまだに分かりません。

もっとも、今回の場合は理事長の「直属の部下」も絡んでいるので、今度という今度は一般社会と同じ意味での「責任を取る」ことをしてもよいかな、という気はします。でも、一般社会と同じ意味での「責任を取る」のは、本当だったら去年の新弟子死亡事件のときにすべきだったと思いますが。個人的には、あの事件の方がよほど重大だと思うので。

進退といえば、先日は福田首相がいきなり辞任してびっくりしました。
こちらは恐らく、一般的な意味での「責任を取る」形の辞任なのでしょうが、いかんせん不完全燃焼感が残るのは何故でしょう。(私だけかな?)辞任をする直接的な理由が起こった直後ではないからなのでしょうか…彼もまた、「責任を取る」タイミングを間違えてしまったのかも知れません。今までも世論(これもまた複雑な言葉だと思うので、これに関する私の見解は割愛します。って都合よいですが。)で辞任すべきとの声が上がっていた彼ですが、多分先日までは北の湖理事長と同じで「(様々なことを)立て直すのが私の責任」と思ってやっていたのでしょう。でも唐突な形で辞任してしまったから、「途中で投げ出した」感が強くなってしまい、結果として「責任を取った(多分)のに批判される」という形になってしまっている気がします。

世の中って難しいなあ。(そうまとめるか?)
大相撲版平家物語
[2008年08月22日(金) ]

こんにちは。
北京オリンピックも早いものでもうすぐ終わり。連日、選手たちの頑張りにこちらも元気を貰っています。
個人的に一番感動したのは、女子柔道の塚田さんの銀メダルです。最後まで熱い闘いだった気がします。終わったときには涙ぼろぼろでした。

さて、そうやってオリンピックが盛り上がっている中、私が普段応援している大相撲では現役力士の解雇という前代未聞の出来事があったことは、新聞やテレビのニュースでご存知の方も多いと思います。
特に熱烈応援していた力士ではありませんでしたが、体格にも恵まれ、将来有望だったので残念です。なんて馬鹿なことをしたのか…。
同情の余地はありませんし、しかるべき罰を受けるべきだと思います。

今回のことに関して、「国技を汚された」とか「相撲ファンを裏切った」とか色々言われています。それに関しては私も同意するところや、これはちょっと違うんじゃないの(何でも「外国人力士」に繋げて考えるとか)と思うところなどありますが、とりあえず割愛。というのも、彼が一番でも一番裏切ってしまった&汚してしまった相手は、他でもない自分自身なのでは、と思うからです。

彼の今までの努力は何だったのでしょう。
何のために、親に甘えたり反抗したりしたい盛りの10代半ばに故国を離れ、ホームシックや文化の違い、食べ物の違い、言葉の違い、そして日本人ですら音を上げる人が大多数の厳しい稽古に耐え抜いたのか。
何のために、家族に寂しい思いをさせ、自分も寂しい思いをしたのか。
何のために、関取まで上り詰めたのか。

それまで頑張ってきたことを、つい調子に乗って手を出したもののためにパーにしてしまった。なんて馬鹿なことをしたのか。馬鹿すぎる。
私がもし彼の親だったら、泣きながら殴ると思います。

話が飛びますが、昔テレビドラマなんかで、道を誤ってしまった子供を親が泣きながら殴るシーンが出てくると、私は「親は世間体がわるくなるのが嫌だから“恥かかせやがって”と保身で殴るんだ」と思っていました。でも、違うんですよねきっと。私は残念ながらまだ親になったことがないのであまり知ったようなことは言えませんが。

それにしても、恵まれた素質で一気に幕内まで駆け上がった彼のこの(相撲界での)末路は、まるで「平家物語」の冒頭のようです。(祗園精舎の鐘の声、〜のあれですね。)
自分の若い頃を省みてみても、彼くらいの歳というのは、とんとん拍子でものごと進むと勘違いしがちだと思います。普段なぜか「自己評価が低い」と言われる私ですら、勘違いエピソードは数知れず。一番の勘違いは、以前も書きましたが、大企業に勤めていたというだけで、今で言う「勝ち組」的意識を潜在的に持ってしまったということでしょう。虎の衣を借る狐とは私のことでした。会社を辞めて「ただの人」の自分を思い知ったときのショックはそりゃあプライドずたずたになったものです。今だから「あの頃は馬鹿だった」と笑って言える訳ですが。(私は昔も今も「ただの人」です。今はそれに誇りを持っています。)

今回の力士(あ、元力士か…)の場合は素質でちゃんと出世したわけですから、虎の衣被ってた私とは違います。でも、今回の出来事は、早く成功してしまったゆえに世間を舐めてしまった、という勘違いから起こったものに思えます。
これからは髷のない、着物を着ない、「お相撲さん」と慕われない、そしてただの人どころじゃない、犯罪をつぐなう者としての生活が待っている。
「盛者」(「平家物語」の「盛者必衰」より)だった頃は、恐らく私なんて想像もつかないほどいい世界を見てきたであろう彼。落差はさぞかし激しいものでしょう。

わずか数年に終わってしまった彼の相撲界生活。そこで得たものがあったとすれば、それは、そうやってプライドがずたずたになった(繰り返しますがそれは自業自得です)ときに、自分で自分のおとしまえをつけて、馬鹿だった自分も、今の惨めな自分も受け容れて、再び真人間に向かって這い上がってくる力、だと思います。稽古で転がされて土まみれになっても立ち上がってきたように。もっとも、彼は犯罪を犯してしまったので、もう「日本で」這い上がることはできない訳ですが。このまま母国に戻っても、「図体でかいだけのチンピラ」に成り下がることだけはしないでほしいです。
オリンピック雑感
[2008年08月12日(火) ]

こんにちは。

まず訂正…中国語の「加油」を「がーよぅ」と読む、と前回書きましたが、テレビを観ている限り、正解は「じぁーよぅ」みたいですね。失礼しました。
中国選手に対する「じぁーよぅ」の大合唱、温かみに溢れていて好きです。

さて、オリンピックが始まってからというもの、連日テレビをNHKに合わせっぱなしで競技をちらちら見ながら家事や仕事をしています。(昔から「ながら族」なんです私。)
今朝は男子体操団体の見事な演技に惚れ惚れしていました。日本勢銀メダルおめでとう!開会前にNHKでやっていた男子体操特集で、内村くんの演技に一目ぼれした私ですが、本番でも物怖じせずにきびきびと小気味よい演技をするのを堪能させてもらいました。ああいう豪快な演技は観ていてすかっとしますね。エースの冨田くんの演技はまた違った魅力で、きめ細かくて優雅な美しさがあると思いました。他のメンバー達もそれぞれ魅力たっぷりで素晴らしかった!

そして見事金メダルとなった中国勢。誰にも物言いつけさせない迫真の演技でした。とにかく美しすぎる…。私は体操観る目が素人なので日本との差がどこにあったのかよく分かりませんでしたが。金メダルを取った瞬間、あれほど泣く子も黙る演技を見せていた彼らが涙していて、鬼の目にも涙じゃないですが、そうかポーカーフェイスで平常心を装っていても心の中では重圧と闘っていたんだな、ほっとしたんだなあ…とほろっとくるものがありました。そして表彰式での、観客も一体となっての国歌大合唱。あれも何だか感動しました。

話は全く変わりますが、私自身、前回と今回でオリンピック(もとい、その選手)を見る目が変わった気がします。アメリカで見たのと日本で見ているのの違いもあるんですが、相撲ファンになってから見ると、筋肉や脂肪の付き方とかが相撲とどう違うのかとか、競技ごとの体つきの特徴とか、相撲と柔道との共通点(受身とか)を見ている(見とれているおよび観察している)自分がいるんですよね。恥ずかしながら以前は「この人たちかっこいいけど規格外だから洋服似合わないだろうな。服探し大変だろうな」とか馬鹿なことしか考えていませんでした。でも超規格外のお相撲さんを見ているうちに慣れたというか(お相撲さんはただのデブではありません!これについては語ると長くなるので割愛します。)規格外の美しさというか、鍛え抜かれた肉体(男女とも)の美しさに目覚めたというか。

いや、ひょっとして、どんな身体も美しく見える瞬間があることに気づいたのかも知れません。
お相撲さんはああいう格好なので否応なしに身体を観てしまうわけですが(うちの夫は私がにたにたしながら観ていると思っていますが違います。)、色んな身長や体重や体型や体毛の濃さや肌の色があって当たり前ということが、相撲を見るようになった3年間の間に分かってきた気がします。で、毎日一生懸命稽古して土俵に立っている彼らは、みんな美しいんです。きれいごとじゃなくて本当にそう感じる自分に気づいたときは、我ながら目からウロコが落ちた気がしました。

顔の美醜は人それぞれの好みがあるので置いておくとして、相撲だろうと他のスポーツだろうと(そしてスポーツ以外の分野であろうと)何かに一生懸命打ち込んで、なおかつ極めている人の顔って美しいですよね。先日ヤワラちゃんが三位決定戦で一本勝ちを決めたときの顔、すごく美しかったです。やっぱり彼女はすごい。
あと、女子柔道の中村さん、銅メダルに不満を述べていたときのあの負けん気のつよい目に同性ながら惚れました。彼女はきっと次の五輪にも出てリベンジしてくれると思います。(^-^)
まだまだ五輪も序盤戦、これからますます各国の選手が面白い演技を見せてくれるんでしょうね。
ラジオ
[2008年07月25日(金) ]

こんにちは。またまたご無沙汰してしまいました。
東北地方のみなさま、地震のお見舞い申し上げます。と短期間に2度も書くことになるとは…。

それにしても毎日暑いですね。
うちは壊れかけのエアコンをだましだまし使っていますが、先日うっかりエアコンをつけっぱなしで眠ってしまったら、見事に冷房病にかかってしまいました。軽く自律神経をやられてしまい、急に暑く感じたり寒気がしたりという感じが2-3日続きました。昔は冷房きんきんの環境で長時間仕事しても全く平気だったのに、こういうところにも身体の曲がり角を感じてしまう今日この頃…。以後、夜はどんなに暑くても扇風機(タイマーをかけて)だけで寝るようにしていますが、暑くて目覚めることも多々あり。何かいい涼み方があったら教えてください。

さて、みなさんはラジオを聴かれるでしょうか?
私の場合初めてラジオを聴くようになったのが中1の頃。確か1学期の中間テストの勉強をしていて、夜中みんな寝静まってしまって怖くなったので(笑)音が欲しいと思ってラジオをつけたのがきっかけでした。そのとき流れていたのが「全米トップ40」というヒットチャート番組で(今は終わってしまったみたいです。残念。)、それから洋楽を聴くようになったのです。
ただでさえ脱線しやすい私、そういう番組の存在を知ってしまって以降は、どこからどこまでラジオを聴いているのか、どこからどこまで勉強しているのか分からなくなってしまいました(苦笑)。でも、この記事でも触れているように、知らず知らずのうちにヒアリング能力がついていたのではと自己分析しています。英語の試験でもヒアリングだけはいつも満点でしたからね〜。(自慢)

アメリカに行った時も初めの半年くらい家にテレビがなく、ラジオだけで過ごしました。アメリカの場合はラジオ局ごとに放送する内容がはっきり分かれていて、ニュース局なら一日中ニュース、音楽局なら一日中音楽ばかり(それもジャンルごとにきっちり局が分かれている)かけています。つまりチャンネルの数がAMもFMもものすごく沢山あるわけで、ちょっとダイヤルを回すとすぐ別の局になってしまいます。それを逆手にとって、その日の気分で聴きたいものを聴いていました。あちらのニュース局は同じものを何度も何度も流すので、1回目聴き取れなくても3回目くらいには聴けるようになったりして、おお耳が慣れてきている!と喜んだりもしておりました。

最近はインターネットで世界各国のラジオ番組が聴けるようになったので、興味のあるジャンルを扱っているラジオ局の番組を聴いてみるのもお勧めします。勿論中学生の英語力で最初から全部聴き取るのは無理です。でも、昨日は1こしか単語分からなかったけど今日は3つわかった!という嬉しい発見があるかも知れません。
私は自分がまるで分からない言語のラジオ局にわざとアクセスして、BGM代わりに使うこともあります。邪道な活用法ではありますが。(笑)

ちなみに最近はNHKラジオ第一の「夏休み 子ども科学電話相談」を毎朝聴いています。高校時代理科の試験で留年しかけたことがあるくらいそっち方面は疎い私ですが、子供たちの素朴な疑問に「はっ」と気づかされること多々あり。そしてどんな質問にもたったの3-4分で子供を納得させてしまう回答者の先生方の技量にも毎朝脱帽しています。あの先生方くらいまとまりのある美しい文章をしゃべったり書いたりしてみたいものです。
唯一の存在
[2008年06月12日(木) ]

こんにちは。
先週末は世にも恐ろしい事件がありましたね。
電車の接続の関係で秋葉原にはしょっちゅう行っている私ですが、いつも通っているあの通りであんなことがあったとは…今度通りかかるときには献花台にお茶か何かお供えしてこようと思います。この場をお借りして、犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。

加害者についての一連の報道には考えさせられることがいくつもあります。
進学校に行って落ちぶれてしまって挫折感を感じたとか、いつまで経っても彼女ができなくて悩んでいたとか、昔の自分に通じるところもあり(私もまぐれで進学校に受かってしまったので高校時代の成績は中の下で、大学の2次試験の面接で「きみ、内申わるいね」的なことを言われました。受かったからよかったものの…。あと彼氏いない歴イコール年齢だった時期も長かったな〜。)、そんな中で自分で自分を追い詰めていったというのは解らないでもないですが、だからと言ってあんな事件を起こしたことの情状酌量にはなりません。世の中の大半の人は色んな境遇の中で不満を抱えつつもちゃんと生きている訳ですし、甘え以外の何者でもありません。というか、どこまで責任転嫁&他力本願なんだ、と憤りすら感じます。ぜひとも極刑をもって償ってほしいです。(偉そうですが)

そこから派生してつらつら考えるのが「世界に一つだけの花」という歌について。
SMAPはまあ好きなほうだし、メロディもいいし歌いやすいし、歌詞もいいこと言ってるなとは思うんですが、どうもその歌詞が都合よく解釈されて一人歩きしかねない危険をはらんでいる気がするんです。(よって、曲そのものに罪は全くありません。私が曲解しているだけです。)あの歌を聴くといつも複雑な気分になってしまいます。

著作権料取られたくないので(笑)歌詞を一字一句書くのは割愛しますが、具体的には最後の1行です。要は「自分は唯一の存在だから、一番になる必要はない」という感じの内容ですね。

私たちは「世界に一つだけの花」でそれぞれ違うのだから、その中で優劣(主観的・客観的両方の意味で)をつけてしまうのは自然な流れだと思います。というか、社会に出たら競争ばっかりですよ。特に日本は資本主義社会ですからね〜。最近、小学校の運動会とかで「みんな一緒にゴール」とかそういうのがあるらしいですが、そんな環境で育った子は将来現実を見たときどう対処するんだろう、と思います。

でも、必ずしも「優」なものが「劣」より得かというとそんなことはなくて、丈夫で長持ちする花が好きな人もいればはかない花が好きな人もいるし、きれいな花が好きな人もいればおどろおどろしい花が好きな人もいる、それだけのことです。だからこそ世の中うまく回っているし、人生面白いのだと思います。

ただ、だからと言って「唯一の存在なんだから何も努力しなくてもいい」訳ではないと思うんです。
何も努力しなくても「唯一の存在」になれる人というのは、ゼロではないにしろ、そう多くないと思います。実は「唯一の存在」ってすごく難しいものなんですよね。勿論わたしという人間は唯一の存在なんですけど、私の全てが「唯一」かというとそんなことはない。むしろ凡百の人間だと胸を張っていえます(笑)。私が会社を辞めたときもすぐに代わりが見つかりましたし、今はフリーランスなのでいつ他人にとって代わられるかひやひやしながら、それでも次に繋がるように、英語のニュースを1日1回は見て言葉の言い回しを盗んだり、もちろん丁寧に仕事したり、何かクライアントさんに面白そうなネタを見つけたらメールしてみたり、年賀状を出して存在をアピールしたりするわけです。それでも「翻訳だったら美井さん」だなんてまず思ってもらえませんよ。そんなものです。

SMAPみたいな人気者だったら「唯一の存在」と言えるものを持っているかも知れませんが、彼らだって生まれながらにそうだったとは言えないと思います。(ルックスだけはそうだったかもしれないけど。)子供の頃から厳しいレッスンや芸能界の荒波にもまれてきて、今の彼らがあるのだと思います。最初はそんなに売れてなかったですもんね。

なんかどんどん話がずれてしまうのでここらで軌道修正しますが、
今回の事件の加害者の場合、自分がキモヲタだとか負け組だとか必要以上に自虐的なことを書いていながらも、「自分から何も努力しなくても女の子が寄ってくる、仕事が首尾よく進む」みたいなことを妄想していたような気がします。そりゃ世の中色んな人がいますから、彼のようなタイプが好きという女性もどこかにはいると思います。でもその女の子だって、「ありのままの自分」を完全肯定してくれなきゃ、彼は嫌なわけですよねきっと。少しでも苦言を呈したらたぶん半狂乱になるんじゃないかなあ。

で、多分「何もしなくても女が寄ってくるやつもいるのに、何かしないとダメな自分」にプライドを傷つけられていたのかも知れませんが、それは「パソコン酷使しても視力2.0の人もいるのに私の視力は落ちるばかり」と言っているのとそう大差ない気がします。そのためにメガネというものがあるのではないでしょうか?何か努力することってそんなに恥ずかしいことなのかなあ。

「唯一の存在」である自分の中身を最大限に活かす(あの歌詞にもありましたよね、「自分の花を咲かせることに努力しよう」みたいなフレーズが。あの歌の好きな部分の一つです。)努力に欠けていたのが、彼の一番の欠点だったのではと思います。ルックスも境遇も、本人が思っているほど過酷ではないような気が…。

でも、こういう「自分の落ち度をしっかり理解・認識しつつも、その補填をするにはプライド(悪い意味での)が高すぎる」人って結構多いような気がします。勿論、彼らが第2の秋葉原事件予備軍だとは全く思いませんが。
国旗
[2008年04月30日(水) ]

こんにちは。
長野の聖火リレー、ようやく終わりましたね。関係者のみなさまお疲れ様でした。
個人的には沿道で中国や日本の国旗を振っていた人々に違和感を感じましたが…オリンピックは世界の祭典で今回たまたま中国で行われるだけの話だと思うので、特定の国の国旗よりも、五輪の旗を振った方がよかったんじゃないかな、と思いました。

同じような違和感を感じるのは、大相撲の本場所に各国の国旗(目立つのはモンゴルですが、他にも日本を含む色んな国の国旗を見かけます)を見かけるときです。相撲は日本の国技なので日本の国旗ならいいんじゃない?と見る向きもあると思いますが、国籍も年齢もキャリアも身体のスペックも関係なく、文字通り「同じ土俵の上で」戦う、というのが相撲の素晴らしいところだと思うので、あまり「国」を意識したくないなと思います。私が一番応援しているお相撲さんはモンゴル人ですが、「モンゴル人だから」応援しているわけじゃありませんからねー。

以上の見解はあくまでも個人的なものですのであしからず…

と言いつつ、国旗というものは、やはり「国の旗」ですから、ものすごい力があるなと思います。
日本の場合は「日の丸」が正式に国旗と定められたのも実は結構最近(まだ10年経ってない!)ですし、色々な見解があるので、深くつっこむところは避けたい(というか、色々語るほどの知識が私にはありません。恥ずかしながら。)感じですが、イデオロギー的な部分はさておき、海外に住んでいると、オリンピックで日本人がメダルを取ったときなどに掲揚される国旗を見るだけでうるうるきたりするものです。(私だけかな?)日の丸を見るとあの赤い丸の奥に家族の顔が浮かぶ、そんな感じでした。

しかしアメリカの場合は非常に効果的(?)に星条旗が使われるのです。
「星条旗教育」の事情は分かりませんし、あくまでもテレビや街の様子からの印象ですが、アメリカでは星条旗が掲げられると大人も子供も胸に手を当てて忠誠を誓います。そして祝日でも何でもないときも始終星条旗が街のいたるところに掲げられています。

一番すごいなと思ったのは、9.11のテロ直後のことです。
テロの直後に真っ先に売れていったのが星条旗だったのです。勿論街角の星条旗は半旗になりましたが、小さいものから大きなものまでとにかく飛ぶように売れて行きました。そして街中が星条旗で埋め尽くされたのです。その辺のアパートの窓にも飾ってあったりして。
グラウンド・ゼロ(テロ現場)にも、救援活動のごく初期に大きな星条旗が掲げられました。
日本だったら、被災地にいきなり日の丸掲げるなんて話は聞きませんよね。何でみんなこんなに星条旗ばかり掲げるんだろう?と、個人的には非常に違和感がありました。私はもともとアメリカのそういうところが好きではないので(やたらパトリオティックなところとか。愛国心は大事だと思いますが…)。

でも、ふと思ったのです。
アメリカは多民族国家。ましてやニューヨークは全米一の多民族都市。外国人の比率も高い(アメリカじゃないところで生まれた人が過半数を占める)ため、「アメリカの理想の形でありつつも一番非アメリカ的な街」なのですが、この旗があってこそ、色んな信条を持った色んな民族が頑張ろう と心をひとつにできるのかも知れません。
そう考えると、星条旗が色んなところに掲げてある意味も何となく理解できそうな気がしました。全ての民族の犠牲を悼み、全ての民族が復興に向けて頑張ろう、というスローガンの代わりに、もしくはそういう気持ちを忘れないように掲げていたんでしょうね。実際はテロの犯人グループと同じ民族の人々が蚊帳の外になってしまった感がありましたが、星条旗に込めた気持ちはそういうものだったのではないかと思います。

余談ですが、子供時代インターナショナルスクールにいたとき「自分の国の国旗を描く」という授業がありまして。イギリス人の子が一生懸命定規を使ってユニオンジャックを描いたり、アメリカ人の子が星を50個描くのに四苦八苦したりしている中、私は速攻で終わりました。(笑)クラスメートにはいませんでしたが、サウジアラビアの国旗とか描くの難しそうですよね。(サウジアラビアの国旗にはイスラム教の大切な言葉が書かれているので、この国旗をデザイン化したり、Tシャツなどにプリントすることは禁じられているそうです。)
そういえばリビアの国旗は緑一色の無地だそうです。リビアはイスラム教国家なので、イスラム教で大切にされている緑を文字通り全面的にフィーチャーしたということですね。何だか潔くて好きです。

国旗を見ていると、その狭い面積に込められた色々な意味に思いを馳せたくなります。
極限の状況
[2008年04月23日(水) ]

こんにちは。
あれよあれよといううちに、もうすぐゴールデンウィークですね。
みなさんはどんなご予定でしょうか?
私はまだ決まっていませんが、恐らく毎年恒例の帰省をすることになると思います。義理の祖母(今年97歳!)に会うのが楽しみです。

さて、昨日光市母子殺人事件の判決が出ましたね。
私は法律関係に疎いので「差し戻し控訴審」というものが存在すると初めて知りました(日本って「三審制」じゃなかったの?と思いました。)が、ともあれ、遺族の方々の無念が少しでも晴れる判決になって本当によかったです。「未成年犯罪の死刑判決」というのは前例があるかどうか分かりませんが、今後未成年犯罪への抑止力になる判決だったのではないでしょうか。

今回非常に心に残ったのは、被害者母子のご主人のことです。
まだ若いのに、どんなに辛くても自暴自棄にも感情的にもなることなく、理性と知性を失わず、愛する家族のために闘い、しかも普通の会社員生活を送りながら、被害者の人権を向上させる活動をする。
なんてすごい人なんだろう。と心から思います。
奥さまとお嬢さんの居た頃と「同じ」幸せはもう戻ってこないけれど、これからの彼に、今までの失望や苦労でぽっかりと開いてしまった穴が少しでも埋め合わせできるような幸せが巡ってくることを願ってやみません。

ところで、この忌まわしい事件が起こったのは1999年。私が会社を辞めてアメリカに行った年です。(そのため、事件後の経緯はほとんど知らず、今回の判決にまつわる一連の報道で初めて知りました。)
私にとっては「波瀾万丈だったけどあっという間」だった9年間も、遺族の方々にとっては長い長い9年間だったに違いありません。そう考えると、日々の生活で多少嫌なことがあったり、時間が経つのが坂を転げ落ちるように早くなって寄る年波を実感したりしているのはさておき、時間が経つのを早く感じられるのは、実はなんだかんだ言って総体的には幸せな証拠なのかも知れない、と改めて思います。ちまちま文句ばっかし言ってる場合じゃありませんね。

大した苦労もしていないのに自暴自棄になったり感情的になったりして周りに迷惑をかける人間(私を含む…反省)があまりにも多い中、凛とした姿勢を崩さなかったあのご主人に、大切なことを思い起こしてもらった気がします。

状況は違いますが、4年ほど前に感じたことを思い出しました。
大学時代の後輩が、32歳の若さで癌に命を奪われてしまったときのことです。色々思い出話を書くと長くなってしまうので割愛しますが、当時アメリカに住んでいた私は、彼のHPや闘病記、そして奥さまのメールから様子を伺いつつ、快復を祈る毎日でした。
しかしみんなの願いもむなしく、彼は天国に。私は言葉にならないやるせない気分で彼のHPや闘病記を何度も何度も読み返しました。
そして思ったこと…彼は表立ってワイワイ騒ぐタイプではなかったけれどすごく強いパワーを秘めていて、これだけ沢山のことを若くして成し遂げていったんだな、私みたいに大騒ぎするだけして何にもしてないのとは大違いだなあ、と反省させられたのでした。その訃報が届く直前、ちょっと体調崩しただけで弱気になっていた自分が本当に恥ずかしくなりました。死の淵にいた彼があれだけ生きる気力を見せて強く闘っていたのに。

その対象が病であれ何であれ、極限の状況にいる人は、辛がったりしないのかも知れません。むしろその状況をどう生き、どう切り抜けていくかを先に考えるのでしょうね。そのときその人の本当の強さというか、本領が発揮されるのかも知れない。だとしたら、私の後輩は病には負けたかも知れないけど闘いには勝った、と今も思っていますし、母子殺人事件のご主人も、その強さが大きな力になって、今回の判決に繋がったのだと思います。

ちょっとしたことですぐ辛がる私は、まだまだ大丈夫(極限の状況にいない、という意味)というか甘いというか…。だから私ももっと我慢しろっていう訳ではもちろんありません。(我慢は身にも心にも良くないですからね)でも、辛がる前に他にできることがあるはず。それをこれからはひとつ深呼吸をおいて、模索していかなければならないな と、気持ちを新たにしつつある今日この頃です。
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