こんにちは。ご進学・ご進級おめでとうございます。

新しい年度が楽しいことや面白いことでいっぱいになりますように。
この仕事をしていると新入社員が来るとか人事異動とかそういうものがないので、今ひとつ「新年度のはじまり」がぴんと来ませんが、近所の公園がすっかりピンク色に染まったので春を感じます。一番好きな季節です。週末のお花見まで桜がもつとよいのですが。
さてわたくしごとで恐縮ですが、先週は3泊ですがタイ(バンコクとアユタヤ)に旅行してきました。私にとっては2度目のタイ(1回目は幼少時なので殆ど記憶なし)。もともとエスニック系の雑貨や料理が好きなこともあり、短い旅行とはいえ満喫してきました。
バンコクの街は私が想像したよりもずっと都会で、さすが「微笑みの国」と言われるだけあって現地の人々も雰囲気がよく、ごはんも美味しく

楽しかったですが、そこは年中35℃の熱帯。私は最終日に夏ばてでへたってしまい廃人状態。帰国後も2日間伏せってしまうはめになりました。寄る年波をこういう風に実感することになろうとは…。

しかし、同い年の夫はびくともしなかったのが不思議というか悔しいというか。
ともあれ、タイの街を歩いていて特に印象的だったのは、至るところに王室と仏さまに対するリスペクトが感じられたことです。
王様ご一家の写真や肖像画が、街のあちこちにどどーんと飾ってありました。
(ヘタな写真ですみません。これは列車の駅。)お店に入っても、壁の目立つ位置に王様の写真が飾ってありました。すれ違った日本人観光客の男の子が「この国ってさ、どこのお店入っても店長の写真飾ってあるよね〜」なんて言っていましたが

また、昨年王族のどなたかがなくなられたそうで、王宮には花輪を持った弔問客がたくさん列を作っていました。
日本でも昔は天皇・皇后両陛下の写真を飾っていた家が多かったそうですし、昭和天皇が崩御されたときも全国各地に記帳所ができたりしていたので、日本人とタイ人のロイヤルファミリーに対するメンタリティは似ているのかも知れませんね。
そして考えさせられたのが、仏さまに対するリスペクトの仕方でした。
アユタヤに行って遺跡を見学したのですが、ここは18世紀に戦争があったときに敵軍が仏閣や仏像などを吹っ飛ばしてしまったんですね。なので、頭や腕のない仏像がいっぱいあるんです。
遺跡にはこのような看板が所々に立ててありました。
つまり彼らにとって、この仏像というのは「壊れた像」ではなく、まだ命が宿っているという意味なのでしょうね。確かタイでは子供の頭を撫でるのがタブーで、それは頭に精霊が宿ると考えているからだと以前どこかで読んだことがあります。その頭を人間ごときが代用してはならない、と考えているんでしょうね。私はいい年して変なところで茶目っ気を出してしまうタイプなので(高校時代だったか、修学旅行で仏像の前で仏像と同じポーズで写真を撮ったりとか。タイの方に見られたら憤死させてしまったかも知れません…。恥)、この看板があってよかったと思ってしまいました。
そして個人的に一番印象的だったのがこの仏さまの頭。
敵軍の持ち帰り(?)を逃れた仏さまの頭の近くに木が生えて(たぶんガジュマルの一種だと思います)、頭を取り込んだかのようになっているというものです。木は仏さまを護り、仏さまは木を護っているんだなー と、仏教徒でもなんでもない私ですら神秘的な気分になりました。
この遺跡は地元の方が常駐で見張っており、記念写真を撮る観光客に声をかけることがあります。この仏さまの頭と写真を撮るときは、自分の頭の位置を仏さまのそれよりも低くしておかなければなりません。(と看板にも書いてある。)従って必ずしゃがむことになります。で、立って写真を撮られようとしている観光客に対して注意するのです。(英語で)確か撮る人も中腰みたいな感じになることを求められるんじゃなかったかな。
バンコクにある王宮に併設されているお寺を見学するときも、露出度の高い服を着ている人は上に着るものを借りなければなりません。(夫は膝丈のズボンを穿いていたので、長いズボンを借りました。)
なんて言うんでしょうか、生活の中に仏教が溶け込んでいるのは日本もタイも同じなんですが、日本の場合はもう少しカジュアルと言うか(私が知らないだけ&礼儀知らずなだけかも知れませんが)、例えば小さな仏像があったとしてもその目線まで身体をかがめたりする必要もないし、仮に頭のない仏像の上に自分の顔を置いたとしても特に問題にされることはないと思うんですよね。もちろんそれは文化の違いであって優劣を付けることはできないと思いますが、タイではもっと仏教が身近な分日常生活の中での仏さまとの接し方にひと手間かけている(身体をかがめたりとか)のかな、という気がしました。そういうひと手間って、実は結構大事ですよね。ひと手間の積み重ねが心を豊かにしていくと言うか。
私は特定の宗教に傾倒するつもりはないですが、何かと接するときにひと手間かけるというタイの人々の姿勢は自分にも取り入れたいと思いました。
と、また支離滅裂な文章ですが、たまには写真つきでお送りしました〜。