英語よろずや日記(仮)

自称「英語よろずや」(願望含む)の縦横無尽自由自在傍若無人支離滅裂な雑文。

     
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通訳は向いてないけど
[2008年11月19日(水) ]

こんにちは。

最近髪の毛をワンレングスのショートボブにした私。洗いっぱなしで毛先がはねた状態でめがねをかけると、「髭男爵」の「ひぐち君」を女にしたような感じになる、という事実に気づいてしまいました…。「めがねだけアンジェラ・アキ」だったのに…ってめがねだけ似てもしょうがないですね。
ちなみにひぐち君の私服姿をテレビで見たことがありますが、本当はかなりの美男子でした。ただし、私は私服のひぐち君には似ていません。うう。

それはさておき(汗)
先週は珍しく通訳仕事をいただいたので行って来ました。大きな失敗もなく楽しく仕事することができたのでありがたかったのですが、「うーん、やっぱり私は通訳に向いていないかも…」とちょっぴり落ち込んで帰って来ました。通訳は逐次通訳でも(同時通訳は私には無理です。あれは特別な訓練を要します)瞬発力を要するので、私のように「とろい」人だとちょっとまごまごしてしまうんですよね。

また、私の場合、翻訳やZ会さんとの仕事はクライアントさんが私の作ったものを直接利用するので、クライアントさんに喜んでもらえる内容にすることに全力を注げばよいのですが、通訳の場合はクライアントさんの紹介で仕事をすることが大半なので、クライアントさんを喜ばせるのも勿論ですが、私の通訳を直接使う方にも喜んでいただかないといけないし、「こんなしょぼい通訳付けるなんて」なんて思われてクライアントさんの顔に泥を塗ってしまってはいけないので、いつも以上に気を遣わねばならないんですよね。そして両方を喜ばせるほどの「瞬発的英語力」が私にはあるのか?というとそれは我ながら非常に疑問です。私はいわゆる「バリバリの帰国子女」のようにぱぱっと英語が出てくるタイプではないので…。

(注:翻訳も、クライアントさん経由で仕事をいただくことが時折あります。そのときは通訳と同じような気の遣い方をしますが、翻訳の場合は訳したものを推敲する時間が与えられるので、クライアントさんと利用者さんの両方を満足させる自信はこちらの方があります。)

そんな訳で、通訳仕事の間も、終わった後も、常に不安が付きまとうのでした。神経を使うのでどどっと疲れもでます。帰宅してからは早々と布団に入ってしまいました。

ところが、後日その通訳したもののテープ起こしをする機会があったんですね。
自分の声は好きでないので(子供のような甲高い声をしています。)おそるおそる聞いてみたところ、何だ意外とちゃんと訳せてるじゃん、とちょっとほっとしました。勿論あくまでも「当社比」なので上を見ればきりがないですが、少なくとも「目も当てられない状態」ではなかったので良かったです。

それで思ったんですが、通訳のレベルを上げることも勿論ではあるものの、もう少し自信を持って仕事をすることも大事だなと。いくら内容が良くても不安感が顔に出ていたら、相手も不安になるかも知れませんもんね。

と、いつまで経っても発展途上の美井(仮名)でした。
インタビュー
[2008年10月27日(月) ]

こんにちは。

わたくしごとですが、先週妹に女の子が生まれました。妹の第2子は私にとって初めての姪。病院に観に行ったらお目目ぱっちりのべっぴんちゃんでした。と早速伯母ばかぶり発揮、失礼しました〜 甥もますます可愛いし、何だかおサイフの紐がどんどん緩くなりそうで困ります。(笑)

さて、たまには仕事の話をしようと思います。
私の仕事は翻訳が主ですが、たまにインタビューの仕事をいただくことがあります。

アーティストによってはインタビューをするよりも本業の音楽活動にエネルギーを注ぎたいなどの主旨のもと、「ジェネリック・インタビュー」を1本または数本録音して、それを使ってくれ、ということがあります。
ジェネリック(generic)という言葉は医薬品の分野では日本でもよく聞かれるようになりましたが、医薬品の分野では「登録商標されているものと同じ効果がある薬」をさすのに対し、音楽業界のそれは「汎用性のあるもの」という意味を持つようです。つまり、それを資料に記事を複数書いたり、場合によっては録音したものをそのままオンエアしたり(勿論アーティスト側の許可が要りますが)できる素材だということですね。
また、時には海外のテレビやラジオ番組に出演したときのインタビューで何を言っていたのか、日本でそのアーティストを売るために使えるネタはあるかどうかをみるために、私のような人にお声がかかることがあります。

という訳で、先日1枚のCD-Rを送ってもらいました。
訳にいたるまでの作業は、ひょっとして中学生のみなさんがヒアリングの練習をするときに役立つかも知れないので書いてみますね。

まずざっとCD-Rを聴き、大体何分何秒くらいのところで質問があって答えがあるのかをメモします。
2回目に聴くときは、その質問・答えの内容を大まかにメモします。
あと、特徴的な言葉と思われるもの(人名、アルバム名、曲名、地名etc)も拾っておきます。
そして3回目以降はじっくり聴きます。分かりにくい箇所は何度も巻き戻して聴きなおします。
この3回目以降で聴き漏れがないようにするには、1回目と2回目(特に2回目)をちゃんとやることが不可欠です。というのも、英語圏だからと言ってどのアクセントも大丈夫、という訳ではないので…。
で、今回の場合は個人的に不案内な地域のアクセントだったのです。(ちなみに今までで一番難しかったのは、イギリスのリヴァプール地方のアクセント!あれは参りました…でも、私が得意とする米国東海岸もかなりくせがあります。)なので、何度も何度も巻き戻さなければならない箇所が多々ありました。
今でこそパソコンのプレイヤーで音源の再生や巻き戻しが楽になりましたが、ちょっと前まではカセットテープしかなかったので(今でも、自分が電話インタビューをする場合はカセットプレイヤーしかないのです…mp3プレイヤーがほしい〜。)巻き戻ししている間にテープがびろびろになってしまうかプレイヤーが壊れてしまうのでは?とはらはらしたものでした。
聴き取れない単語があるときは、聞こえる発音を紙に数パターン書き出してみて、ひたすらネットで検索。アーティスト名と一緒に検索すると、過去のインタビュー記事が出てきてヒントが出てくることもあります。本当に便利な時代になったものです。

そうやって何度も何度も語りに耳を傾けていると、アーティストが一つ一つの作品にどれだけ命をこめているかがよく分かって段々情が移ってきます。
仕事を納品する頃にはもう大ファンです。(笑)
新人さんのインタビューを訳すときは、日本で自分が一番この人のことを知っているかも?なんて密かに鼻高々になったりします。もっとも、今は海外の情報を得やすくなったので、日本ではアルバムが出ていなくても既にマニアなファンがいたりするんですよね。なので私の鼻高々も自己満足に過ぎないのですが、この仕事をしていてよかったと思うときの一つです。

そうそう、このインタビュー訳仕事、Z会さん用の英文を作成するときも役立っているんですよ。
会話文を作るときに、どういう質問にどういう切り返しをするのが自然なのか、あるいは面白くなるのか、がだいぶ体得できてきた気がします。
仕事と結婚と。
[2008年10月06日(月) ]

こんにちは。ようやく秋がやって来そうですね。
と書いておきながら、今週は遅い夏休みをとることになりました。
夏は仕事とオリンピックテレビ観戦で終わってしまったので、旅行先で心の洗濯をしつつ年末に向けて充電してこようと思います。

平日に夏休みを取ることもあり、ここしばらくは休日返上でばたばたとしておりました。というか、もともと私みたいな仕事の人は、平日にぽっかり時間が空いたり、休日返上で働いたりすることが多いんですよね。急ぎの仕事だと、金曜にいただいて月曜が締め切りだったりするので。
勝手なもので、平日にぽっかり休めるときは「わーいこの仕事でよかった♪」と思いますが、土日(特に天気がよいとき)にパソコンに向かっていると段々機嫌が悪くなります(苦笑)。でもつきつめて考えるとやはり私は仕事が好きで、この「英語よろずや」(自称)が天職だと思っているんですよね。「わーんいい訳が浮かばない〜」「わーんあと○h以内にアイデア考えなきゃ」なんてばたばたしながら生きているのが性に合っている気がします。優雅さからは程遠いですが。以前「私のなりたかったもの履歴」でもちらっと触れましたが、私にとって仕事は自己実現の一環でもあるので、これでいいと思っています。あとはもうすぐ40になる身としては、このせわしない生活にどのように優雅さを取り入れるか、というのが課題になりますね。

そしてこういう生活をするには、結婚している場合、パートナーがどんな人かも結構大切だと思います。
私の場合は今の夫といわば「腐れ縁」で結婚したので(笑)「仕事をやりたいからこの人を選んだ」とかそういう感じではなかったんですが、もし私が好きになった人が女性が働くことをよしとしない人だったり、働くのはいいとしても協力的でないとか、そういう人だったら、今みたいに自由に働くことができたかどうか分かりません。うちの夫(会社員です)は自分自身も忙しいので普段こそなかなか家事に加担してもらえませんが、私が忙しいときは外食してくれたり、ごはんを作ってくれたりするので、そういう意味ではラッキーだったと思います。

それで思い出すのが、大学時代の男友達A君のこと。
彼は結婚することになったとき報告の電話をくれました。「俺、結婚するんだ」
相手のB子さんは私も面識があり、可憐で気立てのいい女性だったので結婚するのは時間の問題だとかねてから思っていました。ですからA君が結婚すること自体は驚きでも何でもなかったんですが、その頃私と今の夫の間には結婚のけの字も出ていなかったので、男の人がどういうときに結婚を決意するのか興味がありました。それで聞いたんですね。
すると、興味深い答えが返って来ました。
A君とB子さんは同じ会社の同期として知り合ったのですが、何年か働いているうちに、その仕事は自分に向いていないと彼女は悟ったらしいのです。ところがその会社の女性社員は「寿退職」(死語かな?結婚を理由に退職することです)が王道みたいな感じだったそうで。
そこで彼女はある日何かの拍子に「私、結婚しないと、会社辞められないな〜」と言ったのだとか。
それで彼は「よし、この子は俺が一生をかけて守ってやろう。仕事で悩んだりしなくて済むようにしてあげよう」と思い、後日プロポーズした、と言っていました。

美しい話です。
ところが、美しい話で済ませればいいものを、ばかな私はこう言ってしまいました。
「私がB子ちゃんだったら結婚する前に転職するけどね〜」

全く、普段はべらべら喋っているくせに、こういうときに限って言葉が足りない私です。私がその時言いたかったこと…私は優柔不断なヘタレのくせに気が強いので「守ってあげたいタイプ」には程遠く、当然男性にもそういう目(ハアコちゃんが悩まなくて済むように守ってあげよう、という目)で見られたことは歴代の数少ないもと彼からすらなく、あ〜 やっぱりB子ちゃんみたいな可憐なタイプだったら一生かけて守ってあげたいとか思わせる何かを持っているんだろうな、こりゃ私は結婚一生無理かもな、と思った、ということだったのです。

A君はいい人なので怒ったりはしませんでしたが、電話の向こうで一瞬絶句していたのを憶えています。ごめんA君。と言っても今じゃ音信不通になってしまったんですが、今頃どうしているんでしょうか。

ちなみに、A君ご夫妻のことを知っている夫に近年この話をする機会がありまして、夫はこう言ったのです。「それはAさんだからそういう気になったんだと思うよ。俺だったら『結婚しないと辞められない』といわれた時点で『じゃあ転職すれば?』というと思う」
どうやら世の中の男の人は、全員が全員「女性を守るのが男の甲斐性」と思っている訳ではないらしい。だから私みたいなのも結婚できたのかも知れません。じゃあ夫は何で結婚したのか?というとそれはいまだに謎ですが…

働くことを自己実現の一部にしたい方は、理解・協力してくれる人に周りにいてもらうことが大切だと思います。あなたが男性でも女性でも。理解・協力相手がパートナーであろうとお友達であろうと家族であろうと。そして、理解・協力したくなるような自分になる努力も必要ですよね。私はそれが著しく欠けているくせに周りに恵まれてしまったので、それにあぐらをかくことをせず、今から埋め合わせができるように頑張ろうと思います。
ああまた話がどんどんずれてしまった…
私のなりたかったもの履歴(6・最終回)
[2008年02月28日(木) ]

こんにちは。
今日郵便局に行く途中、近所のおうちの庭に梅の花が咲いているのを見かけました。春一番ばかり吹いて全然暖かくならない〜 と思っていたのですが、じわじわと春が近づいているんですね。私は桜が大好きなので、心待ちにしているところです。

さて今月だらだらと続けて来た「なりたかったもの履歴」ですが、ようやく最終回でございます。
第1希望の会社に運良く入社できた私は、数年間の間に海外関連の部署を転々としました。「日本の音楽を海外に出す」ことはできませんでしたが、青春時代憧れていたアーティストたちと仕事をすることもでき(と言っても直接には殆ど関わりがありませんでしたが、握手だったら色んな人としました)、ミーハー心も満たされて(笑)幸せでした。激務でしたし、「こんなはずじゃなかった」と思うことも多々ありましたけど、きっとどんな会社に入ったとしても経験した程度のことだと思います。

基本的には「あぁもう忙しいなあ」なんて文句いいながら、でもそんな忙しい中に身を投じている自分に酔っていた、という感じです。でも時折、忙しさのあまり心が弱ってくると、「これでよかったのかな」と悪い癖が頭をもたげるのでした。
先月「仕事と家庭の並走などなど」にも書きましたが、自分はもともと内向的だというのに、有名になりたいだのなんだのと身の程知らずというか、分不相応な夢ばかり描いてきて、しかも思い込みが激しいから自分の選択にはほとんど迷いなくやってきて、さらに運がよかったもんだからたまたま好きな仕事に就けたけど、果たして「好き」と「できる」は同義語なのだろうか。そういえば社内のボーナス査定もよくないし(人間関係は良かったけど「できる社員」では全くなかった)…でも、残業のあまりない会社の友人たちがやっていたように、お稽古ごとに精を出す気にもなれませんでした。やりたいお稽古事がなかったんです。(今も。)

何だかんだ言って私は「仕事=お金を稼ぐ手段」と割り切れなかった。
仕事は何でもいいからプライベートを充実させよう!とも思えなかったのです。やっぱり仕事内容にやり甲斐があることが私にとっては重要で、そういう意味では今まで自分が通ってきた道は間違ってない、「好き=仕事ができる」にはなれてないけど「好き→仕事」にはなっているじゃないか、そう自分に言い聞かせてまたやる気を奮い立たせていました。
それは恐らく、自分がお金に苦労したことがないからでしょう。と書くと何だかお嬢様みたいですが、うちはごく普通の家庭で莫大なお金があったわけではありません。でも、食べるものも着るものも学歴も与えてもらえました。今の私くらいの歳で子供を3人も育てていた両親には頭が下がります…。

おっと話がずれました。
ともあれ、この頃社内文書や雑誌の記事を資料用に翻訳したりして、あれひょっとして自分はこっちの方が向いているのでは?と思ったことが多々ありました。辞めてしまった今だから言える話ですが、とあるアーティスト(誰か忘れてしまった…)の通訳を社員としてやったときに、取材に来ていた媒体さんに「美井さん(仮名)の訳が気に入ったので」と、その媒体の翻訳仕事をこっそりいただいたことがあります。(私のいた会社は原則として副業禁止、だった気がする…)そんな経験も相まって、いつかは翻訳をしてみたいな〜 と思い始めるようになったのは会社員時代じゃなかったかな。

そして家庭都合で会社を辞め、今に至ります。
(うわ、だらだら書いてきたのにいきなりこれかい。
翻訳の仕事も、Z会さんの仕事も、ひょんなことからご縁ができていただけるようになりました。その殆どが友人知人から繋がっていった縁です。曲がりなりにも真面目に(ミーハーだけど)生きてきて、「好き=仕事」と言う軸だけはぶらさず(職種的には「文化交流」という軸があるかも)にやってきて良かったと思うと同時に、そうやって来られたのは本当に運がよかったんだなあ、と思う日々です。ありがたいことです。この場をお借りして皆様にお礼申し上げます。

で、次なる野望は、今やっている仕事に大相撲関連を加える、ということです。これまた分不相応(相撲界では「顔じゃない」と言うそうです。)な野望なので実現は難しいですが、今はまだ知識をつけている段階なので、長期的目標として頭に入れておこうと思います。それだけでも人生に張り合いがでますもんね。

以上、「なりたかったもの履歴」シリーズへのお付き合いありがとうございました。
私のなりたかったもの履歴(5)
[2008年02月22日(金) ]

こんにちは。
今、昨日買ったばかりのサンボマスターのニューアルバムをかけながらブログを書き始めたところです。う〜ん熱い。ヴォーカルの山口さんの声が心に染みます。
あと気になるのは、史上初の黒人演歌歌手のジェロ君。テレビで何度か見ましたが歌が巧い!ちゃんとコブシ利かせて歌っているし素晴らしい。今度CD買って来ようかなと密かに思っています。

さて、長々と書いている「私のなりたかったもの履歴」ですが、一応今月いっぱいにしようと思っていますのでもうしばらくお付き合いください。今日は留学時代です。

アメリカへの交換留学には、大学4年から1年弱(あちらは夏休みが3ヶ月あるので、正確には9ヶ月)行きました。(つまり私は大学に5年行っています。)親元を離れたのが初めてだったのと、大失恋の後だったこともあり、ヘタレな私はすぐにホームシックになってしまいました。日本から持ってきたテープも聴き飽きたし、ちょっと買ってこよう。そう思った私は、隣町のレコード屋さんに行きました。

ところが、「いわゆる普通の日本のポップス」なんて全く売っていなかったのです。
今でこそちょっと大きなレコード屋さんに行けばワールドミュージックのコーナーが大きく置いてあり、日本の大物アーティストのCDなら(高いけど)手に入りますが、当時は日本どころかアメリカ以外の音楽に殆ど棚が割かれておらず、日本の音楽は「尺八」とかそういうのばかり。勿論邦楽(Jポップじゃなくて)は日本のすばらしい財産ですが、日本では「アメリカ人が普通に聴いているアメリカ音楽」がいっぱい売られているのに、どうして逆はないんだ?アメリカって多民族国家なのに、よその国の音楽には興味ないのか?といぶかしい思いとともにお店を後にしたのでありました。

よく「日本の音楽が海外に出るのは難しい。英語の問題があるから」と言われていましたが(今はアニメの主題歌などから海外にそのまま受け入れられているのでそうでもないと思う)、同じ人間だし、演奏能力だってそう劣るものではないはず。勿論、人気なタイプの音楽は各国で違うとは思いますが…(例えば東南アジアではバラードが人気、など)
そこで私は、自分の部屋に友達が来るときは必ず日本の曲をかけてもてなすことにしました。すると、その曲がロックであれポップスであれ、物珍しさも手伝ってか、それともそもそも外国人の私の部屋に遊びに来てくれるということ自体リベラルな耳を持っている証拠なのか、結構みんな楽しんでくれたんですよね。まあ社交辞令も多々あったとは思いますが、単純な私は「そうか、単に日本の音楽に触れる機会がないだけなんだ」と嬉しくなりました。

これは私にとって重要なターニングポイントになりました。
というのも、私は平たく言えば「文化交流」の仕事をしたいと思っていたわけですが、それまで音楽に関して考えていたのは、自分が世界中の音楽を聴くということくらいで、日本の音楽を外に出すという発想はなかったんですよね。そこで、その「文化交流の仕事」の焦点を音楽に絞ることに決心しました。具体的には音楽系の会社の海外関連の部署に入ること。

そして、帰国の翌週から怒涛の就職活動が始まります。
私がいない間にバブルは崩壊しており(苦笑)たった1年でこうも変わるものか、と愕然とさせられたりしました。でも自己主張を身につけたアメリカかぶれになったのが功を奏して(?)めでたく第1志望の会社の内定を勝ち取りました。嬉しかった〜!
(ちなみに内定をいただいたのはここともう1社だけでした。運が強い。)
どうやら私は「火事場の馬鹿力」がやたら強いようです(笑)
このときは、ちょうど会社が私の考えていた「日本の音楽を海外に出す」という路線を重視し始めた頃だったというのと、私が受験したのが「英語関連の部署」の枠で、一般受験より倍率が低かったというのがラッキーだったのではと自己分析しています。

ちなみに前回書いた教職の資格ですが、留学している間に単位規定が変わってしまい、駆け込み教職課程の私は規定を満たすには単位が足りなさすぎることが判明。よって実習行ったくせに教員免許は取れなかったのでありました。とほほ。

次回が多分最終回になると思います。
私のなりたかったもの履歴(4)
[2008年02月19日(火) ]

こんにちは。
今日は仕事のBGMに、青春時代のお供だった曲の数々をかけていました。色んな想い出がフラッシュバックして気が散る気が散る。動画サイトに当時のプロモーションビデオが多数アップしてあるので便利な時代になったものだなあとつくづく思います。

さて、勝手に連載中の「私のなりたかったもの履歴」、今回は大学生編です。
私の大学時代は、あの悪名高きバブル時代とほぼ重なっています。(と書いてしまうと実年齢がばればれですね。)と言っても私自身は特に恩恵を受けず、ワンレンボディコンだった訳でもなく、学校の周りを散歩するのが趣味という地味〜〜〜〜な大学生でした。授業もちゃんと出ていましたし。その割には成績があまりよくなく、「私がノート貸した相手がA取ったのに自分は落とす」みたいな不条理も経験しましたが。(思い出し泣き)

ともあれ、未曾有の好景気に沸いていた当時は、大学時代をトレンディにエンジョイ(→死語)していた先輩たちも次々と超一流企業に就職していったので、私もまあどっかに就職できるんじゃない?と甘い考えを持っていました。ただ、それが自分のやりたい職業になるかどうかは非常に怪しいものがありました。

と言うのも、それまで自分が温めていた夢をいざ検討してみると、何だかなあと思うものが多くなって来たからです。

まず通訳。英語学科に入学したので、迷わずそっち系の科目を取りました。ところがシャドーイング(訳する以前の段階の練習で、耳に入ってくる英語をそのまま復唱すること。ヒアリングの訓練にもなります。)の時点で全くついていけなくなりました。その後同時通訳の練習も少ししましたがこれまた挫折。今にしてみれば努力が足りなかったとも思いますが、通訳は自分の能力の範疇をはるかに超えているように思われました。

歌手というかミュージシャンになる夢は、サークルのバンド活動で満たされたので自然に昇華されました。

それからテレビ局のレポーターやアナウンサーになりたいという夢。こちらは図らずもしぼむことになりました。と言うのも、友人と一緒に某テレビ局主催のイベントでアルバイトをしたのですが、その時初めて目の当たりにした「ギョーカイ」のノリが自分に合わないと感じたのです。別にいやな目に遭ったわけでも何でもありませんが、言葉に表せない違和感(不快感ではない)を感じました。で、私の行くところではないなと思ったわけです。(受けて受かるかどうかはおいといて。)

代りに、ボランティアで中学生に英語を教えたのがきっかけで、英語の先生になりたい夢が復活しました。既に大学3年になろうとしていた私。教職課程を取るには3年生がタイムリミット。慌てて教職の申し込みをし、交換留学に行く2ヶ月前に教育実習で出身中学に行きました。私の出身中学はいわゆる「管理教育」で有名な県にあるのですが、そのときは私の頃よりは緩くなっていたもののまだまだ校則が厳しく、こんな環境では私の方がぐれてしまう、と思ってしまいました。生徒たちは可愛かったし、授業のネタを考えるのも面白かったのですが…。

という訳で、さあ困ったぞ仕切りなおしか?という感じでした。
ただ、漠然と文化交流の仕事がしたいな、とは思い始めるようになりました。今まで私がなりたいと思った職業は、海外の文化を日本に紹介するという同類項で大雑把に括れるものが多かったからです。大使館だったらそういうのができるかな?と思いもしましたが、どうやったら入れるのかまでは考えていなかった気がします。全く昔から詰めの甘い人間です。(反省)

そんな気持ちを抱えながら、交換留学生としてアメリカに1年弱行きました。そこで新たな方向性が見つかるようになります。

(以下、留学時代に続く)
私のなりたかったもの履歴(3)
[2008年02月14日(木) ]

こんにちは。バレンタインデーはいかがでしたか?
私は夫と自分にケーキを買いましたが、夫が残業になってしまいました
夕ご飯を1人で食べてから「金八先生」を20年ぶりくらいに観て帰りを待ちました。
(今日の金八先生、相撲ネタだったんですよね。それで観たんです。笑)

さてさて、「なりたかったもの履歴」高校生編です。
高校は、英語教育が盛んな私立の女子校(普通科)に行きました。まぐれで受かった高校だったので成績はあまりよくありませんでしたが、なかなか楽しい日々でした。一生の友達もできたし。ただし学校が片田舎にあったのと、部活をやっていた訳ではなかったため、家と学校の往復をしている間に、中学時代に芽生え始めた無謀な夢(有名になる、という夢)が妄想とともにエスカレートしていくのでありました…。

この頃一番なりたかったのは、中学時代に引き続き、歌手とレポーターと通訳だったと思います。

当時は夕方のバラエティ番組でアイドルのオーディションをやっていて(あ、さすがにアイドルになりたいとは思いませんでしたけどね。当時はロックな人だったんです私。)渡辺美里さんなど年代の近いヴォーカリストさんがいっぱい出てきて脚光を浴びていた頃だったというのも大きかったと思います。音楽すきだし、人に音楽を好きになってもらうきっかけになりたい、ととてつもなく壮大な夢を描くようになりました。しかし現実の私はデモテープの作り方すら知らない…。渡辺美里さんみたいにアイドルのオーディションからロック歌手になるという例もありますが、かと言って前述のバラエティ番組のオーディションを受ける勇気もなく、悶々と暮らしておりました。

レポーターは、確か高校の終わり頃に「CNNヘッドライン」という番組が始まって、「バイリンギャル」(バイリンガルのギャル、という意味です。時代を感じる言葉だ…)がニュースを読んだりレポートをしたりしているのを見て憧れるようになりました。

そして通訳に憧れさせてくれたのは、なんと言っても歌番組の外国人アーティストコーナー(?)でした。憧れのアーティストの横に通訳さんがぴったりついて訳しているのを見聞きしながら、「うわー だいぶはしょってるな〜。これだったら私にもできるじゃん」と思い(「通訳と翻訳」の記事にも書きましたが、聞くとやるとじゃ大違いです。)、アーティストさんに頼りにされている姿を羨ましくねたましく思い、ミーハー心炸裂で憧れました。

全く「美井葉亜子」ここにあり、という感じですよね。何だか書いていて恥ずかしくなってきました…
しかも高校時代はこれと言った努力は何もせず、ただただ妄想だけが膨らんでいった時代だったんですよね。
とはいえ、小学校時代から漠然と思っていた「英語を使った仕事をしたい」という希望は揺るがなかったので(歌手とか色々書きましたけど、そっち系では多分やっていけないというか、そういう分野に進むチャンスもないだろうとは流石にうすうす分かっていました。)、英語の成績だけは良かったですね。今もあるのかな、読売新聞の英語クロスワードは毎週解いてハガキを送っていました。これがものすごく難しい!多分今やっても解けないのではないでしょうか。1年間送り続けて、やっと1万円分の図書券を当てたときは嬉しかったな〜。

ともあれ、そんな妄想だらけの高校生活を過ごし、さあ大学受験です。
数々の模試で散々な判定ばかりもらっていた私には、「第1志望が3つ」ありました。両親の出身校であるA大学の2学部と、英語教育が盛んで国際的イメージのあるB大学です。A大学は両親の出身校ということもさることながら、マスコミ就職に強そうなのが魅力でした。B大学は英文科ではなく英語科があるのが魅力でした。私は文学ではなく語学に興味があったので。他に受けた大学も含め、どれもD-E判定しか貰ったことがなかったのでまたもや無謀な志望のしかたでしたが、得意技(?)の「土壇場でまぐれ」を発揮。A大学は2学部とも落ちましたが、B大学にまさかの合格!めでたく大学生になりました。

が、大学時代はそれまでの「なりたかったもの」から少し揺らぐのでした…。
(以下、次回に続く)
私のなりたかったもの履歴(2)
[2008年02月08日(金) ]

こんにちは。
部屋で使っている石油ファンヒーターが、昨日急に故障してしまいました。メーカーのHPなどで調べたところ修理を呼ばなければだめということになり、連絡を待っていたのですが、今朝「今からでも行けますよ」との電話あり。勿論来てもらって、ものの10分ちょっとで直していただけました。日本のメーカーはアフターサービスも素晴らしい!これでこの冬凍えずに済みそうです。(いくらなんでも大袈裟な。)

さて、「私のなりたかったもの履歴」、今回は中学生時代です。
前回、小学生時代に、「中学校の英語の先生」を志すようになったと書きましたが、中学生では「英語・音楽・マスコミ」に興味の幅が広がりました。それが私が「美井葉亜子」と名乗るようになった原点でもあります。(笑)

理由は中学校でブラスバンド部に入ったことと、FMラジオの深夜放送を聴くようになったことが大きかったと思います。FMラジオは洋楽がよくかかるので、洋楽を聴くようになりました。当時は夜中に「全米トップ40」という番組があって(今もあるのかな?)、眠気と闘いながら聴いていたものです。あとテレビでも「ベストヒットUSA」というのがあって、そのチャートをノートに記録していました。一体何のために?と今となっては思いますが。
そして洋楽を聴くだけでは飽き足らなくなり、学校の帰りにレコード店に通っては、シングル(当時はCDなんかないので、当然「ドーナツ盤」です)の歌詞カード部分を1〜2行ずつ暗記して帰る、ということをやっていました。(当時はシングル盤を吟味するふりをして歌詞カードを読むことができた。)そうして歌詞を覚えると、今度はラジオを録音したテープに合わせて歌います。いくら私が帰国子女と言っても何歌ってるんだか自分でも分かりませんでしたが、なんかかっこいいぞ、と自己満足に浸っておりました。で、歌詞の意味が知りたくなり、その憶えた歌詞を自分なりに訳すことを始めたのもこの頃です。引っ越してレコード店が遠くなってからは、ラジオで録音したものをテープで何度も再生して歌詞を聴き取り、それを訳していました。今で言う「ディクテーション」というやつですね。これは完全に趣味でやっていましたが、今にしてみればヒアリングや英文解釈の勉強にもなっていたんですね。ともあれ、歌詞対訳をする人になりたいな、と思い始めるきっかけになりました。この夢、今叶ってます。ありがたいことですそれから、通訳にもなりたいなと思うようになりました。英語の仕事というと、学校の先生以外にはそれしか思いつかなかったんでしょうね。(歌詞対訳をする人というのはどういう職業か分からなかった。)

「音楽」というのは、ブラスバンド部に入って演奏の楽しさを知ったので、ミュージシャンになりたいと思うようになったからです。(楽譜ほとんど読めないのに…)

そしてマスコミ。マスコミというか、テレビ局のアナウンサーかレポーターになりたいと思うようになりました。というのも、この頃テレビ局のアナウンサーさん達が「ニュースを読む」以外にも活動の幅を広げていったからです。クイズ番組の司会になって(「アメリカ横断ウルトラクイズ」とか「なるほどザワールド」とか)世界中を飛び回る彼らを見て、こういう仕事してみたいな〜有名になりたいな〜 と無謀な夢が膨らみ始めるのでありました…。(だから「美井葉亜子」なんです。)

どうやら私のなりたい職業の数々は、小学校から夢見ているものも含めて、大学に行った方がよいらしい。しかも英語を磨かねばならないらしい。と思い、高校は普通科にも関わらず英語教育が盛んなところに行きました。行きました、と書くと語弊がありますな。実際は本人も予想しなかったびっくり合格ですから。共学ではなく女子校だということだけ気にかかりましたが(笑)、ここで英語力を磨いて夢を叶えてやるぞ〜 と思いながら入学しました。

次回は高校生時代にうつります。
私のなりたかったもの履歴(1)
[2008年02月07日(木) ]

こんにちは。
今日から、以前予告したとおり、私自身の覚え書きも兼ねて、自分のなりたかったものを振り返ってみたいと思います。
前にも書きましたが、私は割とやりたいことが子供の頃から固まっていて、自分の進路に関してあまり「迷い」を感じたことがありません。裏を返せば「興味の幅が狭い」ということでもありますし、そのくせ一旦ものごとが進んでから「これでよかったのかな」とくよくよ悩むという癖はいまだに直っていませんが…。でも、刺繍のバックステッチのごとく、引き返してはまた前進し…という感じで、最終的にはじわじわ進んでいるので、今のところはこれでよし、という感じですね。

さて、そんな私は小さい頃から「大きくなったらお嫁さんになるぅ」なんて可愛いことは一切言わない子でした(笑)。(そのくせ大人になった途端に結婚願望が強くなりました実際に結婚したのはそんなに早くなく、29になるちょっと前です。)それは両親の影響が大きかったと思います。物心ついた頃から、「これからの時代は女の人も選択肢が広がって行くのだから、何かやりたいことを見つけなさい」と言われて育ちましたからね。
また、私は小学校時代の大半を欧州某国で過ごしたのですが、かの国では女の人が働くのは当たり前(勿論それを支える制度も日本よりしっかりしています。)。通っていたインターナショナルスクールの校長先生も女性でしたし、国会議員も半分近くは女性、みたいな国でしたから、自然と「大人になったら働く」という感覚があたまに刷り込まれていたんだろうな、と今となっては思います。
(注:今でこそ日本も女性の校長先生や女性の国会議員が至るところにいますが、私の小学校時代というのはおおおおおおむかしですのであしからず。)

で、私が最初になりたいと思ったのは「絵描きさん」か「漫画家」でした。
絵心もないくせに漫画を描くのが大好きで(その割には単行本とか一切持っていなかったんですが)、ストーリーものの漫画を描いては周りに無理やり読ませておりました。今も多分実家の奥深くにノート1冊くらい眠っていると思います。ただ、この願望は自分に絵心がないということを何らかの形で悟ったあとはフェードアウトしました。

そして5年生の終わりに帰国し、父の会社の社宅で暮らすようになります。
社宅では子供たちの最年長として君臨?し、いつも何人も引き連れて近所を探検して回っておりました。家でも3姉妹の長女ですし、自分は年下の子の面倒を見るのが性に合っているなあと実感したのがこの頃です。保母さん(というか、幼稚園または保育園の先生)になりたいなあと。
同じ理由で学校の先生にも憧れました。ただ、私は体育や算数・理科ができないので、全教科教える小学校の先生は無理だと考え、中学校(なぜ高校でなかったのかは不明)の英語の先生になりたいと思うようになりました。

以上、幼少時〜小学校時代でした。次回は中学生時代。
とってかわる
[2007年10月31日(水) ]

こんにちは。
先日このブログで取り上げた亀田家騒動、結局長男の興毅くんが謝罪会見をしたことでひと段落着きましたね。私はボクシングファンでも興毅ファンでもないんですが、たったハタチの青年が一家を背負って矢面に立つなんて偉いなあ、よくやった!と思いました。(それにしても息子に尻拭いさせる親って。)
興毅くんの会見は「誰に対して」「何を」謝罪しているのか、明確にしていたのがよかったと思います。これからは家族の絆がいい風に活用できますように。
(なんか偉そうですね私。)

さて本題。
カテゴリを「おしごと」にしてみましたが、「えいご」に対して「にほんご」を作っていないのでこうしています。
私は小学校時代の大半を欧州某国で過ごしました。家での会話は勿論日本語でしたし、本を読むのが好きなので(ジャンル的には非常に偏っていますけどね。音楽の趣味は、先週のブログで書いたようにあれだけ雑多なのに…)、「帰国子女の割には日本語が得意」と言うのを売りにしてきました。
(もっとも、私は高校・大学入試は一般受験で入っています。「帰国子女」の基準[当時は確か帰国後2年以内といかそういうのがあった]に当てはまらないというのもありましたし、当てはまっていたとしても英語力が足りなさすぎる!要は非常に中途半端なのです。)

ところが、この仕事を始めて初期の頃、あるクライアントさんにこう言われたことがありました。

美井さん(仮名)の日本語は英語をそのまま訳したような感じになることがあるんだよね。『てにをは』が普通の日本人と違ったり、不思議な言葉遣いをしていたりすることがある

これにはかなりショックを受けました。
が、「普通の日本人」(その方はあくまでも「非帰国子女の日本人」という意味で使っているのであって、私が非凡というわけでは勿論ありません。)のそういう指摘は貴重です。何も言わずに次から私を指名しなければいい話なのに、そうやって指摘しつつ、また使ってくださるわけですからね。

「てにをは」の問題は論外ですが、言葉遣いに関しては、原文の英語に忠実でいようという気持ちが強すぎたのかも知れません。
例えば英語では接続詞や関係代名詞を使うことによって登場するものの説明をしながら延々と1つの文を続けることができますが、それを「原文が1文だから」と言って「○○するところの…」を連発したような日本語にすると、翻訳者の脳内では完結していても、読み手からしたら「なんじゃこりゃ」という感じになりますからね。
今は「てにをは」に気を遣いつつ、訳の推敲をするときはできるだけ原文を見ず(勿論誤訳が心配な箇所は原文と何度も照らし合わせますが)、出来上がった日本語に焦点を当ててチェックするようにしています。

結局その方は、翻訳の要らない部署に異動になるまで私に発注しつつ、日本語のアドバイスをしてくださいました。ちなみにこの方、英語は多少話せるものの帰国子女でも何でもありません。ご本人いうところの「普通の日本人」でした。
今でも「てにをは」をはじめとする日本語の表現力に100%自信がある訳ではありませんが、私が曲がりなりにも翻訳者歴を更新できているのは、この方から「翻訳者としての視点」を教えてもらったことが大きいと感謝しています。要は「英語で何が書いてあったかを想像できるものではなく、それだけで日本語の文章として成り立つもの」を作れ、ということなのだと思います。

余談ですが、今日のお題「とってかわる」は、私が日本語のチェックをしていく中で、自分の勘違いを発見した言葉の代表例です。
AがBに取って代わる
私はこれを「AだったのをBにする」と同義語だと考えていました。
英語だとA becomes Bといったところでしょうか。(正確には違うけど)
ところが、これの正しい英訳はA replaces Bなのです。勿論。
これが「AをBに『取って代える』」だったら「AだったのをBにする」でいいんですけどね…。
真実を知ったときには卒倒しそうになりました。
今小学校からの英語教育がどうのと言われていますが、私みたいな例をこれ以上出さないためにも、小学校のうちは日本語をしっかり教育することに専念するのがいいと思うなあ。(ぼやき)
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