こんにちは。
私の大好きな大相撲に嫌なニュースが続出している…

報道があるたびに、このブログをご覧下さっている奇特な方々は美井(仮名)のことを思い出しているのではないでしょうか。(→自意識過剰

)
これを書いている今の時点では、件の力士2名の精密検査結果も「クロ」と出てしまい、それでも2人とも疑惑を完全否定している、という状態です。2人ともファンサービスのよいいい力士なのを国技館や巡業先で見ているので、犯罪者へのご近所取材じゃないですが、「あんないい人がそんな、ありえない」と信じたい一方、でもしかるべき機関で見てもらった結果だしなあ…という気持ちもあります。というか今は後者の気持ちの方が強い…

非常に複雑です。勿論「クロ」だった場合同情の余地はないわけですが。
そんな中取り沙汰されているのが、北の湖理事長の進退問題。
一般企業では、何か重大な不祥事があると、大抵はその企業のトップが「責任を取る」形で辞任します。ところがここ2年くらい不祥事続きの相撲協会ではそういうことがなく、理事長は「二度と起こらないようにするのが私の責任です」と言ってきました。
実は私は、そういう「責任の取り方」もありなんじゃないか、と思っているくちです。(北の湖理事長を支持しているという意味ではありません。念のため)
子供の頃から、テレビや新聞で企業のトップの引責辞任の話を見聞きするたびに、どうして「辞任=責任を取る」なのか不思議でした。新しい人がトップになったところでそう簡単に組織って変わるものなのか?変わるんだったら初めから不祥事しなきゃいいのに、と単純に考えてしまうんですよね。
勿論、トップという地位にあることで享受できる既得権(高いお給料とか)がある訳なので、そういうものを放棄するという意味もあるのは認識しています。また、部下の監督不行き届きによって辞任するわけですから、別の人に部下を監督してもらうことによって不祥事の再発を防ぐ、というのもあるでしょう。
でも、トップが末端の部下一人一人のことをそんなに把握しているものなのかも疑問です。小さな組織ならともかく、大きな組織であればあるほどトップから末端の部下への距離は遠くなるような気がします。だとしたらいきなりトップを交代させるより、トップから末端の部下への距離を縮める努力をしてから辞めても遅くはないのではないかと…。そんな風に思って育ってきました。この考え方が正しいのかどうかはいまだに分かりません。
もっとも、今回の場合は理事長の「直属の部下」も絡んでいるので、今度という今度は一般社会と同じ意味での「責任を取る」ことをしてもよいかな、という気はします。でも、一般社会と同じ意味での「責任を取る」のは、本当だったら去年の新弟子死亡事件のときにすべきだったと思いますが。個人的には、あの事件の方がよほど重大だと思うので。
進退といえば、先日は福田首相がいきなり辞任してびっくりしました。
こちらは恐らく、一般的な意味での「責任を取る」形の辞任なのでしょうが、いかんせん不完全燃焼感が残るのは何故でしょう。(私だけかな?)辞任をする直接的な理由が起こった直後ではないからなのでしょうか…彼もまた、「責任を取る」タイミングを間違えてしまったのかも知れません。今までも世論(これもまた複雑な言葉だと思うので、これに関する私の見解は割愛します。って都合よいですが。)で辞任すべきとの声が上がっていた彼ですが、多分先日までは北の湖理事長と同じで「(様々なことを)立て直すのが私の責任」と思ってやっていたのでしょう。でも唐突な形で辞任してしまったから、「途中で投げ出した」感が強くなってしまい、結果として「責任を取った(多分)のに批判される」という形になってしまっている気がします。
世の中って難しいなあ。(そうまとめるか?)