英語よろずや日記(仮)

自称「英語よろずや」(願望含む)の縦横無尽自由自在傍若無人支離滅裂な雑文。

     
仕事と結婚と。
[2008年10月06日(月) ]

こんにちは。ようやく秋がやって来そうですね。
と書いておきながら、今週は遅い夏休みをとることになりました。
夏は仕事とオリンピックテレビ観戦で終わってしまったので、旅行先で心の洗濯をしつつ年末に向けて充電してこようと思います。

平日に夏休みを取ることもあり、ここしばらくは休日返上でばたばたとしておりました。というか、もともと私みたいな仕事の人は、平日にぽっかり時間が空いたり、休日返上で働いたりすることが多いんですよね。急ぎの仕事だと、金曜にいただいて月曜が締め切りだったりするので。
勝手なもので、平日にぽっかり休めるときは「わーいこの仕事でよかった♪」と思いますが、土日(特に天気がよいとき)にパソコンに向かっていると段々機嫌が悪くなります(苦笑)。でもつきつめて考えるとやはり私は仕事が好きで、この「英語よろずや」(自称)が天職だと思っているんですよね。「わーんいい訳が浮かばない〜」「わーんあと○h以内にアイデア考えなきゃ」なんてばたばたしながら生きているのが性に合っている気がします。優雅さからは程遠いですが。以前「私のなりたかったもの履歴」でもちらっと触れましたが、私にとって仕事は自己実現の一環でもあるので、これでいいと思っています。あとはもうすぐ40になる身としては、このせわしない生活にどのように優雅さを取り入れるか、というのが課題になりますね。

そしてこういう生活をするには、結婚している場合、パートナーがどんな人かも結構大切だと思います。
私の場合は今の夫といわば「腐れ縁」で結婚したので(笑)「仕事をやりたいからこの人を選んだ」とかそういう感じではなかったんですが、もし私が好きになった人が女性が働くことをよしとしない人だったり、働くのはいいとしても協力的でないとか、そういう人だったら、今みたいに自由に働くことができたかどうか分かりません。うちの夫(会社員です)は自分自身も忙しいので普段こそなかなか家事に加担してもらえませんが、私が忙しいときは外食してくれたり、ごはんを作ってくれたりするので、そういう意味ではラッキーだったと思います。

それで思い出すのが、大学時代の男友達A君のこと。
彼は結婚することになったとき報告の電話をくれました。「俺、結婚するんだ」
相手のB子さんは私も面識があり、可憐で気立てのいい女性だったので結婚するのは時間の問題だとかねてから思っていました。ですからA君が結婚すること自体は驚きでも何でもなかったんですが、その頃私と今の夫の間には結婚のけの字も出ていなかったので、男の人がどういうときに結婚を決意するのか興味がありました。それで聞いたんですね。
すると、興味深い答えが返って来ました。
A君とB子さんは同じ会社の同期として知り合ったのですが、何年か働いているうちに、その仕事は自分に向いていないと彼女は悟ったらしいのです。ところがその会社の女性社員は「寿退職」(死語かな?結婚を理由に退職することです)が王道みたいな感じだったそうで。
そこで彼女はある日何かの拍子に「私、結婚しないと、会社辞められないな〜」と言ったのだとか。
それで彼は「よし、この子は俺が一生をかけて守ってやろう。仕事で悩んだりしなくて済むようにしてあげよう」と思い、後日プロポーズした、と言っていました。

美しい話です。
ところが、美しい話で済ませればいいものを、ばかな私はこう言ってしまいました。
「私がB子ちゃんだったら結婚する前に転職するけどね〜」

全く、普段はべらべら喋っているくせに、こういうときに限って言葉が足りない私です。私がその時言いたかったこと…私は優柔不断なヘタレのくせに気が強いので「守ってあげたいタイプ」には程遠く、当然男性にもそういう目(ハアコちゃんが悩まなくて済むように守ってあげよう、という目)で見られたことは歴代の数少ないもと彼からすらなく、あ〜 やっぱりB子ちゃんみたいな可憐なタイプだったら一生かけて守ってあげたいとか思わせる何かを持っているんだろうな、こりゃ私は結婚一生無理かもな、と思った、ということだったのです。

A君はいい人なので怒ったりはしませんでしたが、電話の向こうで一瞬絶句していたのを憶えています。ごめんA君。と言っても今じゃ音信不通になってしまったんですが、今頃どうしているんでしょうか。

ちなみに、A君ご夫妻のことを知っている夫に近年この話をする機会がありまして、夫はこう言ったのです。「それはAさんだからそういう気になったんだと思うよ。俺だったら『結婚しないと辞められない』といわれた時点で『じゃあ転職すれば?』というと思う」
どうやら世の中の男の人は、全員が全員「女性を守るのが男の甲斐性」と思っている訳ではないらしい。だから私みたいなのも結婚できたのかも知れません。じゃあ夫は何で結婚したのか?というとそれはいまだに謎ですが…

働くことを自己実現の一部にしたい方は、理解・協力してくれる人に周りにいてもらうことが大切だと思います。あなたが男性でも女性でも。理解・協力相手がパートナーであろうとお友達であろうと家族であろうと。そして、理解・協力したくなるような自分になる努力も必要ですよね。私はそれが著しく欠けているくせに周りに恵まれてしまったので、それにあぐらをかくことをせず、今から埋め合わせができるように頑張ろうと思います。
ああまた話がどんどんずれてしまった…
国際人?
[2008年09月25日(木) ]

こんにちは。また間が空いてしまい失礼しました。
そうこうしているうちにもうすぐ9月も終わりですね。10月は遅い遅い夏休みで国内旅行に行くので、それを励みに働いているようなものです。

ところで、私のように英語を使って仕事をしている人々は、しばしば「国際人」と呼ばれることがあります。
でも、国際人って何なんでしょうね。
英語は世界で最も多民族にわたって話されている言語だから(人口的には中国語にかないませんが、中国語を話す人というのは民族的に限られていると思う)英語が話せればそれだけ世界中の多くの人々とコミュニケーションを取ることができます。じゃあ英語が母国語のアメリカ人やイギリス人やオーストラリア人や(以下略)はみんな国際人なのか?というとそんなことはありません。世界に興味のない日本人がいるのと同じように、世界に興味のない、英語で他国の人とコミュニケートしようとしないアメリカ人やイギリス人やオーストラリア人や(以下略)はたくさんいます。自分の国の言葉が通じる場合が一番多いから楽なはずなのに。

英語が話せればそれだけ世界中の多くの人々とコミュニケーションを取ることができますし、また、世界の色んなことを垣間見るチャンスが増えます。例えそれがウェブ上の出来事だったとしても。
確かにそれは素晴らしいアドバンテージだと思いますし、そういう環境にいる自分は恵まれていると思います。でも、外国語ができるイコール国際人じゃないと思うんですよね。外国語ができなくても世界の色んなことを知っていたり、世界中の人々とつながりを持っている人というのはいっぱいいます。言葉の面は私みたいな仕事の人(翻訳や通訳)が補えばいいですからね。
そういう人々を見ていると、もれなく「自分から発信」できる人たちです。心の引き出しがいっぱいあることもさることながら、自分の国の色んなことも分かっているし、それについて自分の考えを述べることができる。「国際人」である前に「自分の国の人」なんですよね。

個人的には、自分のことは「国際人」と思いませんし、なるつもりもありません。
というか、そんなの私にとっては100年早いです。
まだ「自分の国の人」の修業が足りないわけですから。

留学した頃、自分の「発信できなさ」に愕然としたことを思い出します。
私はアメリカや、留学生仲間の出身国の色んなことを吸収することばかり考えながら日本を発ちました。帰国子女なので英語はそこそこ喋れましたが、日本のことをあまりにも知らず、自分の考えもろくに持っていなかった自分。give & takeという言葉がありますが、私はtakeばっかりでgiveできなかったのです。当然、会話もそう長続きするわけがなく、takeも思ったようにはできませんでした。

あれから十数年。少しはgiveできるようになったかな?まだまだまだまだですが。
今は仕事柄「世界の色んなことを垣間見る」チャンスが多いので、そのたびに「日本だったらどうかな」「私だったらどうかな」と思いを馳せるようにしています。

近年中に小学校でも英語教育が必修になるとどこかで読みましたが、個人的には反対です。その分、日本のこと(文化や歴史や政治や経済など)を学ぶ機会を増やした方がいいんじゃないかと思います。日本のいいところも悪いところも知って、それについて考える時間をもてたら、自信を持って「自分から発信」できるようになって、「国際人」に近づくのではないでしょうか。

(「国際人」という単語そのものがちょっと抽象的過ぎて胡散臭いと個人的には思うので、近づくことがいいことなのかどうかは置いといて。)
襟をただす日
[2008年09月11日(木) ]

こんにちは。
昨年はこんな記事を書きましたが、あれから早くも1年。そして「あの日」からは7年も経ちました。早いなあ。
まさに7年前のこの日に幼馴染が女の子を産んだのですが、その子も小学校1年生。そう考えるとすごいものがあります。

7年経った今もビンラディンは見つからず、テロの犠牲者数をはるかに超える数の兵士たちがイラクなどで命を落とし、それをさらにはるかに超える数の市井の人々が命を落としている。
それってテロの犠牲者たちや、その遺族たちが望んでいることなわけないのに、なんか変です。

アメリカではWar on terror(テロとの戦争)という言葉があれ以来ずっと使われています。マイケル・ムーアさん(映画「華氏911」の監督です)はterrorを「テロ」ではなく「恐怖」と解釈し、「“概念”が敵ってどんだけ〜」と声を上げていました。(おっと意訳しすぎました。しかもちょっと古い流行語で…)詳しくは「おい、ブッシュ、世界を返せ!」という本を読んでみてください。

私はアメリカ人じゃないので大統領選挙にあーだこーだ言う資格は無いですが、ベトナム戦争の英雄であるマケインさんが戦争の続行を明言しているのが理解できません。ベトナムに行って戦争の悲惨さを目の当たりにしたのであれば、卑劣に卑劣で返すのがいかに無意味か解っているはずなのに。7年前の今日、テロの犠牲者やその家族たちが経験してしまった悲惨な出来事がまだ鮮明な記憶として残っているのであれば、そんなことは考えられないはずです。いつも犠牲になるのは市井の人々なのに。

その点、自分たちが被害者なのに全人類の問題として考えて「過ちは繰り返しませんから」と記念碑に刻んだ広島の人々はすばらしい!と改めて思います。
そしてこの7年間の間に、より多くのアメリカ人が広島の人々に続く気持ちを持つようになったのもすばらしいことだと思います。テロ当初は「わしら被害者じゃ〜」みたいな考えの人や、以前書いたように「they=悪、we=善」という短絡的な考えの人が多かったのですが、「善」を他国にもたらすために自国の兵士も相手の国民も命を落としてしまう、という矛盾を目の当たりにして、考え直したのかも知れません。

なんだか文章がいつも以上に散漫ですが、私にとっての9/11は、7年前のこの日に生き延びた(と言っても直接被害に遭った訳ではないのですが)という強運に感謝しつつ、また1年頑張ろう、と襟を正す日、そして戦争と平和について考え直す日に毎年なっています。これは8月15日と同じくらい私にとっては真面目な日です。(余談ですが、別の友人は毎年8月を「戦争について考える月間」と決めて、戦争の悲惨さを書いた手記を読んだりするそうです。それを聞いて彼女に惚れ直した次第。)
日本に帰ってからはすっかり平和ボケしてしまいましたが、それでも「あの日から派生してつらつら考えたことは一生忘れない」と思っています。
ものいい
[2008年09月09日(火) ]

こんにちは。
火曜の時点で、このブログがいきなりランキングの上位に登場していて嬉しい反面びっくりした美井(仮名)でございます。言葉を扱っている人間とは思えない拙い文章を読んでくださってありがとうございます。でも、くれぐれも、わたくしの意見イコール相撲ファンの総意とお考えにならないようにお願いいたします…。(弱いぞ。)

前回のブログをアップしてからたった1日の間にあまりにも多くのことが一度に起こってしまい驚いています。
非相撲ファンの方々にとっては、恐らく今回の事件まで四股名を知られなかったであろう彼ら(と言ってしまうのも失礼ですが)。一般的には悪い印象しか残さなかったと言っても過言ではありません。この前の「大相撲版平家物語」にも書きましたが、今までの努力がこんな愚かなことで水の泡になってしまうなんて。ばかすぎる。(涙)
せめて、「いいときの彼ら」を知っている相撲ファンに対しては、これ以上いい思い出に泥を塗らないでほしいです…。
今はあまりにも悲しくて、いい思い出(と言っても私は直接話したことはありませんが)がかすんでしまいそうです。

ところで一連の報道にちょっと物言いさせてください。
大麻の入手ルートについて
六本木で黒人からもらった
ロサンゼルスで黒人歌手からもらった
って、やたら人種を強調するのはいただけません。そりゃ確かにくれた人の人種は「黒人」だったのかも知れませんが、もし他の人種だったら「白人からもらった」とか「黄色人種からもらった」とは言わないのではないかと。(「ガイジンからもらった」という言い方はあるかも知れないけど、これも感じいいものじゃありませんよね。)何だか人種偏見が見え隠れするというか…。

日本は「9割以上単一民族」の国だからか(勿論大和民族以外の人々がいるのは承知しています。念のため)そういう表現のデリカシーが今ひとつ欠けているような気がします。神経過敏になってpolitically correct(直訳だと「政治的に正しい」。差別や偏見を助長しない状態のこと)の度が過ぎるのも考え物ですが…例えば「ブス」のことをcosmetically challenged(美的な努力を必要とする)なんて表現するのは逆に慇懃無礼な気がしますからね〜。

でも、人種に関する表現は、気を遣うに越したことはないと思います。
例えば3年前、ハリケーン・カトリーナがアメリカ南部を直撃したときのこと。人が腰まで水に浸かった写真が2枚、報道に使用されました。
片方の写真には黒人男性。
ニューオーリンズのスーパーで略奪(万引き。原文はlootingという言葉が使われていました)してから胸まで水に浸かって歩く男性
というキャプションがついていました。
(余談ですが、私はその写真の男性がペプシコーラの瓶を抱えているのを見て、「極限状態でも、万引きするのはペプシ(水じゃなくて)なんだなあ。やっぱりアメリカ人って炭酸飲料好きな人多いんだな」と妙な感心の仕方をしていました。

もう1枚の写真には白人男性2人組。さっきの写真と同じように、袋を持って胸まで浸かっていました。ところが、この写真にはこういうキャプションがついていたんですね。
パンと炭酸飲料を見つけてから(原文はafter finding...となっていました)胸まで水に浸かって歩く住民2人

で、「何で黒人さんだとlootingになって、白人さんだとfindingになるんだ?これは偏見・人種差別じゃないのか?」と、アメリカのブロガーさんが声を上げ、大問題になったのです。
あるブログには、"It's not looting if you're white."(白人だったら略奪にはならない)なんて皮肉って書かれてました。また別のブログには、「どうして万引きかそうじゃないかって分かったんだ?泳いで訊ねに行ったのか?」とも書いてありました。
どうやら、こういう非常事態のときはとにかくいち早く写真を配信することが優先されるので、通信社ではキャプションのチェックなしに、提供者さんのコメントをそのまま載せてしまった というのがそもそもの始まりのようです。前者の写真の提供者さんは「略奪の現場を見た」らしいのでlootingで合っていて、後者の提供者さんは「現場を見ていないのでlootingとは書けない」とコメントしていたそうで。カメラマンも通信社も違うし、よってこれらのキャプションの違いはたまたまであって人種差別や偏見とは違うらしい という結論(?)なのですが、やはり誤解を招くということで、くだんの写真はニュースサイトのデータベースから削除されたらしいです。

そういうことがあったので、日本語の記事でもつい前述の表現には物言いをつけたくなってしまうのでした。(あ、「物言い」は相撲用語です。)

アメリカから帰国して随分経ちますが、この手の言葉遣いにはできるだけ気を遣って来たつもりです。でも私も知らず知らずのうちに差別的な書き方をしてしまうことがあるかも知れない。せっかくアメリカに住んで居たのだもの、少なくともこういうことに対する問題意識はこれからも持ち続けなければ、と改めて思うのでありました。

それにしても相撲からここまで話をこじつけるかね私?(汗)
責任の取り方
[2008年09月06日(土) ]

こんにちは。
私の大好きな大相撲に嫌なニュースが続出している…
報道があるたびに、このブログをご覧下さっている奇特な方々は美井(仮名)のことを思い出しているのではないでしょうか。(→自意識過剰)
これを書いている今の時点では、件の力士2名の精密検査結果も「クロ」と出てしまい、それでも2人とも疑惑を完全否定している、という状態です。2人ともファンサービスのよいいい力士なのを国技館や巡業先で見ているので、犯罪者へのご近所取材じゃないですが、「あんないい人がそんな、ありえない」と信じたい一方、でもしかるべき機関で見てもらった結果だしなあ…という気持ちもあります。というか今は後者の気持ちの方が強い…非常に複雑です。勿論「クロ」だった場合同情の余地はないわけですが。

そんな中取り沙汰されているのが、北の湖理事長の進退問題。
一般企業では、何か重大な不祥事があると、大抵はその企業のトップが「責任を取る」形で辞任します。ところがここ2年くらい不祥事続きの相撲協会ではそういうことがなく、理事長は「二度と起こらないようにするのが私の責任です」と言ってきました。

実は私は、そういう「責任の取り方」もありなんじゃないか、と思っているくちです。(北の湖理事長を支持しているという意味ではありません。念のため)
子供の頃から、テレビや新聞で企業のトップの引責辞任の話を見聞きするたびに、どうして「辞任=責任を取る」なのか不思議でした。新しい人がトップになったところでそう簡単に組織って変わるものなのか?変わるんだったら初めから不祥事しなきゃいいのに、と単純に考えてしまうんですよね。
勿論、トップという地位にあることで享受できる既得権(高いお給料とか)がある訳なので、そういうものを放棄するという意味もあるのは認識しています。また、部下の監督不行き届きによって辞任するわけですから、別の人に部下を監督してもらうことによって不祥事の再発を防ぐ、というのもあるでしょう。
でも、トップが末端の部下一人一人のことをそんなに把握しているものなのかも疑問です。小さな組織ならともかく、大きな組織であればあるほどトップから末端の部下への距離は遠くなるような気がします。だとしたらいきなりトップを交代させるより、トップから末端の部下への距離を縮める努力をしてから辞めても遅くはないのではないかと…。そんな風に思って育ってきました。この考え方が正しいのかどうかはいまだに分かりません。

もっとも、今回の場合は理事長の「直属の部下」も絡んでいるので、今度という今度は一般社会と同じ意味での「責任を取る」ことをしてもよいかな、という気はします。でも、一般社会と同じ意味での「責任を取る」のは、本当だったら去年の新弟子死亡事件のときにすべきだったと思いますが。個人的には、あの事件の方がよほど重大だと思うので。

進退といえば、先日は福田首相がいきなり辞任してびっくりしました。
こちらは恐らく、一般的な意味での「責任を取る」形の辞任なのでしょうが、いかんせん不完全燃焼感が残るのは何故でしょう。(私だけかな?)辞任をする直接的な理由が起こった直後ではないからなのでしょうか…彼もまた、「責任を取る」タイミングを間違えてしまったのかも知れません。今までも世論(これもまた複雑な言葉だと思うので、これに関する私の見解は割愛します。って都合よいですが。)で辞任すべきとの声が上がっていた彼ですが、多分先日までは北の湖理事長と同じで「(様々なことを)立て直すのが私の責任」と思ってやっていたのでしょう。でも唐突な形で辞任してしまったから、「途中で投げ出した」感が強くなってしまい、結果として「責任を取った(多分)のに批判される」という形になってしまっている気がします。

世の中って難しいなあ。(そうまとめるか?)
ニュアンスの違い
[2008年08月27日(水) ]

こんにちは。
北京オリンピックもあっという間に終わってしまいましたね。閉会式はちょっとだけ見ました。あの人間タワー、すごかった〜。ロンドン側のアトラクションが全くタイプの違う演出なのも面白かったですね。ロックを聴いていた身としては、ジミー・ペイジ様(ええ、「様」をつけて呼ばせていただきます)がギターで出演していたのが鳥肌ものでした。(ジミー様の偉大さに関しては、ロック好きの親御さんに聞いてみて下さい。)

さて、身内の話で恐縮ですが、うちの夫は最近英検の参考書(2級・準1級・1級)をひも解いておさらいをしています。確か準1級を持っているのかな?今後1級を受ける予定はないそうですが、職場の外国人と話すときに表現を度忘れすることがあるので勉強しなおしているのだそうです。
私自身は1級を持っていますが、1級の参考書を見せてもらったところ、正直言って「今受けたら落ちるかも」と思いました。何せ私が1級を取ったのは19年も前のことですからねえ。…と、英語をなりわいにしているくせにいけしゃあしゃあと白状してしまうのも我ながら情けないのですが…

しかし、毎日英語に接しているからこそぱっと説明できないこともあります。
一番困るものの一つが「ニュアンスの違いの説明」です。
日本語でも、例えば「見る」と「観る」と「診る」と「看る」の違い(これは答えが割と分かりやすい例ですが)を説明してくださいと言われてもすんなり説明できなかったりしますよね。それと同じで、毎日使っている単語はニュアンスの違いを「感覚で体得」しているので、何気なく使い分けています。よって、言葉で噛み砕いてくれと言われても困ってしまうのです。

先日も夫にこう訊かれました。(注:夫は帰国子女ではなく、東京の大学に入るまでは中部地方で育っています。)
borrowとrentはどう違うの?
私「んー、(しばし考え込む)borrowだとCan I borrow your pen?(ペン借りてもいい?)みたいにお金が絡まないちょっとした物に使うような気がするなあ。rentだとrent an apartment(アパートを借りる)みたいにお金が絡むんじゃないかなあ」
夫「なるほど。でも実際はborrowってあんまり使ってない気がする。Can I use your pen?(ペン借りてもいい?)みたいな」

…確かに、現場の英語ではuse(使う)を「借りる」の意味で使うことが非常に多いです。ただし、useにはお金がからまないので、rentの代わりに使うことはありません。

この際なのではっきりさせようと思い、ネットで調べてみました。
それを簡単にまとめると…

borrow」はお金を払わないで借りる。借りた場所から移動させて使う。
use」もお金を払わないで借りる。その場で使う。比較的すぐ返す。
rent」はお金を払って借りる(移動の有無は関係ないみたいです。例えば日本語の「レンタカー」は英語のrent-a-carをカタカナ化したものです)
イギリス英語では「rent」ではなく「hire」を使う場合が多く、rentは主に不動産絡みで使われる

とのことです。

やっとすっきりしました…が、他にもこういう「解っていそうで実は説明できない」言葉は沢山あるような気がします。今後もこまめに調べようと思います。人生日々是勉強。

余談ですが、上記の「アパートを借りる」の「アパート」について。
英語では、日本語で言う「高層マンション」みたいなすてきなところでもapartmentという言葉を使います。なぜならmansionは「豪邸」を意味し、どんなに高級でも集合住宅ではないからです…。かくいう私は築30年の庶民向けマンション(日本語の)に住んでいます。一度でいいから英語のmansionに住んでみたい…と思うこともありますが、「でも掃除が大変そうだからいいや」とあっさり引き下がるわたくしでありました。(そもそもmansionに住むような人は自分で掃除しなくてもそれ専用の人を雇っているのでは…)
大相撲版平家物語
[2008年08月22日(金) ]

こんにちは。
北京オリンピックも早いものでもうすぐ終わり。連日、選手たちの頑張りにこちらも元気を貰っています。
個人的に一番感動したのは、女子柔道の塚田さんの銀メダルです。最後まで熱い闘いだった気がします。終わったときには涙ぼろぼろでした。

さて、そうやってオリンピックが盛り上がっている中、私が普段応援している大相撲では現役力士の解雇という前代未聞の出来事があったことは、新聞やテレビのニュースでご存知の方も多いと思います。
特に熱烈応援していた力士ではありませんでしたが、体格にも恵まれ、将来有望だったので残念です。なんて馬鹿なことをしたのか…。
同情の余地はありませんし、しかるべき罰を受けるべきだと思います。

今回のことに関して、「国技を汚された」とか「相撲ファンを裏切った」とか色々言われています。それに関しては私も同意するところや、これはちょっと違うんじゃないの(何でも「外国人力士」に繋げて考えるとか)と思うところなどありますが、とりあえず割愛。というのも、彼が一番でも一番裏切ってしまった&汚してしまった相手は、他でもない自分自身なのでは、と思うからです。

彼の今までの努力は何だったのでしょう。
何のために、親に甘えたり反抗したりしたい盛りの10代半ばに故国を離れ、ホームシックや文化の違い、食べ物の違い、言葉の違い、そして日本人ですら音を上げる人が大多数の厳しい稽古に耐え抜いたのか。
何のために、家族に寂しい思いをさせ、自分も寂しい思いをしたのか。
何のために、関取まで上り詰めたのか。

それまで頑張ってきたことを、つい調子に乗って手を出したもののためにパーにしてしまった。なんて馬鹿なことをしたのか。馬鹿すぎる。
私がもし彼の親だったら、泣きながら殴ると思います。

話が飛びますが、昔テレビドラマなんかで、道を誤ってしまった子供を親が泣きながら殴るシーンが出てくると、私は「親は世間体がわるくなるのが嫌だから“恥かかせやがって”と保身で殴るんだ」と思っていました。でも、違うんですよねきっと。私は残念ながらまだ親になったことがないのであまり知ったようなことは言えませんが。

それにしても、恵まれた素質で一気に幕内まで駆け上がった彼のこの(相撲界での)末路は、まるで「平家物語」の冒頭のようです。(祗園精舎の鐘の声、〜のあれですね。)
自分の若い頃を省みてみても、彼くらいの歳というのは、とんとん拍子でものごと進むと勘違いしがちだと思います。普段なぜか「自己評価が低い」と言われる私ですら、勘違いエピソードは数知れず。一番の勘違いは、以前も書きましたが、大企業に勤めていたというだけで、今で言う「勝ち組」的意識を潜在的に持ってしまったということでしょう。虎の衣を借る狐とは私のことでした。会社を辞めて「ただの人」の自分を思い知ったときのショックはそりゃあプライドずたずたになったものです。今だから「あの頃は馬鹿だった」と笑って言える訳ですが。(私は昔も今も「ただの人」です。今はそれに誇りを持っています。)

今回の力士(あ、元力士か…)の場合は素質でちゃんと出世したわけですから、虎の衣被ってた私とは違います。でも、今回の出来事は、早く成功してしまったゆえに世間を舐めてしまった、という勘違いから起こったものに思えます。
これからは髷のない、着物を着ない、「お相撲さん」と慕われない、そしてただの人どころじゃない、犯罪をつぐなう者としての生活が待っている。
「盛者」(「平家物語」の「盛者必衰」より)だった頃は、恐らく私なんて想像もつかないほどいい世界を見てきたであろう彼。落差はさぞかし激しいものでしょう。

わずか数年に終わってしまった彼の相撲界生活。そこで得たものがあったとすれば、それは、そうやってプライドがずたずたになった(繰り返しますがそれは自業自得です)ときに、自分で自分のおとしまえをつけて、馬鹿だった自分も、今の惨めな自分も受け容れて、再び真人間に向かって這い上がってくる力、だと思います。稽古で転がされて土まみれになっても立ち上がってきたように。もっとも、彼は犯罪を犯してしまったので、もう「日本で」這い上がることはできない訳ですが。このまま母国に戻っても、「図体でかいだけのチンピラ」に成り下がることだけはしないでほしいです。
オリンピック雑感
[2008年08月12日(火) ]

こんにちは。

まず訂正…中国語の「加油」を「がーよぅ」と読む、と前回書きましたが、テレビを観ている限り、正解は「じぁーよぅ」みたいですね。失礼しました。
中国選手に対する「じぁーよぅ」の大合唱、温かみに溢れていて好きです。

さて、オリンピックが始まってからというもの、連日テレビをNHKに合わせっぱなしで競技をちらちら見ながら家事や仕事をしています。(昔から「ながら族」なんです私。)
今朝は男子体操団体の見事な演技に惚れ惚れしていました。日本勢銀メダルおめでとう!開会前にNHKでやっていた男子体操特集で、内村くんの演技に一目ぼれした私ですが、本番でも物怖じせずにきびきびと小気味よい演技をするのを堪能させてもらいました。ああいう豪快な演技は観ていてすかっとしますね。エースの冨田くんの演技はまた違った魅力で、きめ細かくて優雅な美しさがあると思いました。他のメンバー達もそれぞれ魅力たっぷりで素晴らしかった!

そして見事金メダルとなった中国勢。誰にも物言いつけさせない迫真の演技でした。とにかく美しすぎる…。私は体操観る目が素人なので日本との差がどこにあったのかよく分かりませんでしたが。金メダルを取った瞬間、あれほど泣く子も黙る演技を見せていた彼らが涙していて、鬼の目にも涙じゃないですが、そうかポーカーフェイスで平常心を装っていても心の中では重圧と闘っていたんだな、ほっとしたんだなあ…とほろっとくるものがありました。そして表彰式での、観客も一体となっての国歌大合唱。あれも何だか感動しました。

話は全く変わりますが、私自身、前回と今回でオリンピック(もとい、その選手)を見る目が変わった気がします。アメリカで見たのと日本で見ているのの違いもあるんですが、相撲ファンになってから見ると、筋肉や脂肪の付き方とかが相撲とどう違うのかとか、競技ごとの体つきの特徴とか、相撲と柔道との共通点(受身とか)を見ている(見とれているおよび観察している)自分がいるんですよね。恥ずかしながら以前は「この人たちかっこいいけど規格外だから洋服似合わないだろうな。服探し大変だろうな」とか馬鹿なことしか考えていませんでした。でも超規格外のお相撲さんを見ているうちに慣れたというか(お相撲さんはただのデブではありません!これについては語ると長くなるので割愛します。)規格外の美しさというか、鍛え抜かれた肉体(男女とも)の美しさに目覚めたというか。

いや、ひょっとして、どんな身体も美しく見える瞬間があることに気づいたのかも知れません。
お相撲さんはああいう格好なので否応なしに身体を観てしまうわけですが(うちの夫は私がにたにたしながら観ていると思っていますが違います。)、色んな身長や体重や体型や体毛の濃さや肌の色があって当たり前ということが、相撲を見るようになった3年間の間に分かってきた気がします。で、毎日一生懸命稽古して土俵に立っている彼らは、みんな美しいんです。きれいごとじゃなくて本当にそう感じる自分に気づいたときは、我ながら目からウロコが落ちた気がしました。

顔の美醜は人それぞれの好みがあるので置いておくとして、相撲だろうと他のスポーツだろうと(そしてスポーツ以外の分野であろうと)何かに一生懸命打ち込んで、なおかつ極めている人の顔って美しいですよね。先日ヤワラちゃんが三位決定戦で一本勝ちを決めたときの顔、すごく美しかったです。やっぱり彼女はすごい。
あと、女子柔道の中村さん、銅メダルに不満を述べていたときのあの負けん気のつよい目に同性ながら惚れました。彼女はきっと次の五輪にも出てリベンジしてくれると思います。(^-^)
まだまだ五輪も序盤戦、これからますます各国の選手が面白い演技を見せてくれるんでしょうね。
DO YOUR THING!
[2008年08月06日(水) ]

こんにちは。

明日から北京オリンピックが始まりますね!私は筋金入りの運動オンチ(なにせ中学生の時はペーパーテストでクラスで10番以内に入ったときも、評価が5段階の「2」でしたからね…)のくせにオリンピック観戦が大好きなので、楽しみにしています。器械体操や高飛び込み(男女とも)を見るのが特に好きです。

前回のアテネオリンピックと、その前のシドニーオリンピックの時はアメリカに住んでいました。アメリカのオリンピック中継でびっくりしたのは、アテネやシドニーのようにアメリカと時差のある国でやるときは生放送をしないということです。アメリカ人の見やすい時間帯に録画を放送するんですね。日本だったらオリンピックだろうとワールドカップだろうと生中継で、翌朝会社や学校で目を真っ赤にしながら感想を語り合う…というのがまた楽しみだったりしますが、かの国はそういうことはしないみたいです。(自国で行われたソルトレイクシティ冬季五輪ですら、録画が少しあったような記憶があります。)
そして当然アメリカ人ばかり写す(日本だったらスター選手はどの国でもまんべんなく写す印象がありますが)&アメリカ人が活躍する競技のみ放映されるので、北島くんは見たけど、ヤワラちゃんは見られなかったんですよね。今回は時差も1時間(確か)しかないですし、日本人選手の活躍がたくさん見られるのを楽しみにしています。

ところでテレビ観戦であろうと生観戦であろうと、「がんばれー」の応援は不可欠。
大相撲を国技館で観戦するときに絶叫応援をしている私(恥)は四股名を連呼することが多いんですが、たまに「○○、がんばれよー」と小声でつぶやくことがあります。

この「がんばれ」、実はぴったりくる訳語がないような気がします。「がんばる」(動詞)の訳語は色々とあるんですけどね…。
アメリカのテレビなんかで応援風景を見ていると、
Go, ○○! Go, ○○! (→リズムをつけて言う)
という感じの応援が一番多かったかな。あとはDo your thing!というのが多かった印象があります。

このDo your thing!、個人的にはいかにもアメリカらしい表現だな〜 と思うんですよね。
直訳すると「あなたのことをやりなさい」ですが、つまり「自分らしさを出せれば絶対に成功する」というポジティヴ(というか強気)な姿勢を感じるのであります。日本語の「頑張れ」や中国語の「加油」(確か「がーよぅ」と読むはず。詳しい方教えてください)は普段の自分に下駄を履かせ(というのは語弊がありますが)実力以上のものを発揮するための努力、というニュアンスがあるような気がしますが、アメリカ(イギリスでこの表現を使うかどうかは分かりません)の場合は(それだけで十分素晴らしい)自分らしさを100%発揮するための努力をしなさい、と言っているように感じます。
日本語には「火事場の馬鹿力」という言葉もありますし、自分の実力というものに関して比較的謙虚な考え方をするのかも知れませんね。

でもDo your thing!に近い日本語の表現も実は存在するような気がします。
大相撲の殊勲インタビューで、力士が「これからも自分の相撲を取っていきたいと思います」的なコメントをしますが、Do your thing!のyour thingはこの「自分の相撲」にニュアンスが近いように思えますね。やはり勝負師はそれくらい強気でいかないと。

というわけで、今回のオリンピックは勝負師のアスリートたちに対してDo your thing!の声援を送ってみるのはいかがでしょうか。

なお、「がんばれ」と訳すことのできる類似表現に、ちょうど1年ほど前に取り上げた"Hang in there!"があります。
こちらはどちらかというと、不利な状況になったときも諦めずに頑張れ、というニュアンスです。
まじやべぇ
[2008年07月28日(月) ]

こんにちは。
いよいよ夏本番、ということで先週末は各地で花火大会があったみたいですね。
私も土曜日に隅田川花火大会を観に行って来ました。ものすごい人ごみの中、頭の真上で花火がぱっと開き、火薬のはじっこがひらひら舞い落ちてくるのを見るのは格別!日本の夏だなあと思います。聞くところによると、アメリカの独立記念日(7月4日)にニューヨークで大々的に行われる花火大会にも、日本の花火が使われているらしいですよ。(ネットで調べましたが参考記事が見つからず…私が住んでいた頃にテレビのニュースで言っていたのでうろ覚えです。すみません)

その花火を見ながら年甲斐もなくきゃーきゃー歓声を上げていた私ですが、私の近くにいた若い男の子は、興奮しながらこのような歓声を上げていました。

やべーよやべーよーーーー

うおーやべぇ!まじやべぇ!

最近の若い人々が(と書くといかにも自分が年取ったような感じですが)「やばい」をいい意味で使うというのは聞いたことがありましたが、そうかこうやって使うのか〜。と妙に納得しながらも、いささか違和感を感じながら、その声を背中で聴いていました。

この言葉、私が小中学生くらいの頃から使われ始めたものと記憶しています。
語源由来事典」によると、もともとは、それこそ「やばい世界」の人々が使う言葉だったようですね。だからか、当時はあまり上品な言葉ではないという位置づけだったような気がします。そういうこともあって、この男の子が美しい花火を愛でるときに「やべぇ」という形容詞を使うのは何だか変だな、語彙が貧相だなあと思ってしまっていたのです。

でもふと振り返ってみると、私が若かりし頃も、同じような言葉遣いで年上の人々の眉をひそめさせていたんですよね。
それは「」という言葉です。

「○○ちゃん東大に合格したって
うっそ。すげー

みたいな感じの使い方です。
つまり若者としては「うそみたいに(信じられないくらい)すごい」という表現なのですが、私がそんな言葉遣いをしたときに、祖母に怒られたのを思い出しました。
「○○ちゃん東大に合格したって」と言っている人が嘘つき、あるいは
「○○ちゃんが東大に合格する」ことが嘘のように聞こえるのでどっちにも失礼、というように思われてしまったようです。
その後「嘘」の「すごいこと、すばらしいことを強調するときの間投詞(?)」と言う位置づけが世間的にも定着してからは言われなくなりましたが、ネガティヴな単語をいいことの強調に使うというのは、やはり本来は好ましいことではないんでしょうね。

ちなみに私の世代(特に女性)は、上の世代から
「何もかも『うそ、やだぁ、かわいい、しんじられなーい』で表現してしまう」と揶揄されていました。

かくして歴史は繰り返す、のでありました。
花火を見て「まじやべぇ」と言っていたあの男の子も、20年くらい経ったら次の世代の「否定語による強調」に眉をひそめるのかも知れませんね。

なお、英語でも「否定語による強調」は存在します。
スラングなので学校で習うことはないと思いますが、badという単語をgoodの代わりに使うことがあります。その場合、普通のbadの比較級・最上級と違って、いい意味でのbad(ややこしや…)はbad→badder→baddest、となります。あとはwicked(読みは「ウィケッド」。本来は「邪悪な」「いたずらな」などの意味)も「すばらしい」の意味で使われることがあるかな。
Unbelievable.(信じられない)は、もう少し一般的にもいい意味で使われていると思います。

余談ですが、「やばい」があまりいい意味で使われていなかった頃、とある雑誌の「OL失敗談」で読んだ話です。
敬語が苦手な帰国子女(ベタな設定だ…)が、勤め先の航空会社で電話を受けました。
電話の主は飛行機に乗り遅れそうなお客さんだったそうです。どう考えても今からじゃ間に合わないぞ、いくら何でもそりゃやばい、と思ったその帰国子女は、相手の話を聴いてこのように答えたそうです。

「お客様、それはやぼうございます
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