かぁちゃん、ただ今 育自中

子供を育てているつもりだが、実は親が育てられているのかもしれない。
「育児は育自」 私は、今も育っています。

     
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魂に染みこむ(太鼓編)
[2008年10月29日(水) ]

私は、和太鼓クラブに所属しています。
息子が小学校の時に、「ベルマークで集めた和太鼓を学校行事に披露するため,、和太鼓チームに参加しませんか?」と学校から募集があり、それに参加をして以来、和太鼓の魅力にはまってしまったのでした。
その後、そのメンバーが中心となり、自治会の賛同を得て、地域密着型の和太鼓クラブを立ち上げました。
来年は10年目に入ろうとしています。
和太鼓といっても、地元に歴史的なお祭りがあるわけではなく、地方出身者の私達にはオリジナルティーがありません。
地方の寄せ集めのこの地域で、『和太鼓の音が聞こえれば、子ども時分に帰れる。』そんなところを目的にしています。
ですから、演目は地方のお祭りに使われている口伝を中心に、そのお祭りの気持ちを充分に理解をすることを大切にしています。

以前、三宅島の神着木遣り太鼓を知りました。
初めて聞いたときには、涙がこぼれるほどの感動が私の中に溢れて出てきて以来、
いろいろな場所でイベントに参加をしている彼らの後を追っかけ、神着木遣り太鼓の音を求めています(現在進行形)。

私達の太鼓クラブは、素人の集団です。
月に二日しか練習日が持てず、職業も年齢もバラバラ。
それでも、私達を呼んでくださる老人ホームがあります。
もう何年ものお付き合いです。
太鼓の音を聞いて、子どもに返ったお年寄り達の表情は、こちらまで嬉しくなります。

2年前に、私が司会を担当した時でした「季節外れですが、みなさんで炭坑節を唄いませんか?恥ずかしい人は、私達と一緒に手拍子を叩いてみましょう。」と声をかけると、一緒に唄う人や手拍子で盛り上がる人、そして車椅子に座っていた腰の曲がったおばあちゃんがいきなり立ち上がり踊り始めたり・・・・・・。
涙を流して拍手をしてくださる姿を見て、本当に和太鼓の音は人の心に染みいるものだと思いました。

今年の敬老の日、その老人ホームに慰問に行ってきました。
(私は母の喪が明けるまで、華やかな場所は控えるようにしているため欠席)
慰問を終えた太鼓のメンバーから、「祭っ子、あの日のビデオを見せてあげる。絶対感動をするよ。」と連絡がありました。
ビデオを回す前に、メンバーの●▲ちゃんが、その日のことを話してくれました。
「入居者のみなさんを見送るつもりで、三宅島の太鼓を叩いたの。そしたらね、あの会場に三宅島出身のおばあちゃんがいたのよ。・・・・・・・」と彼女はまた思い出して、涙を流しています。
最初は、三宅の太鼓のリズムを打ち続けて、静かに終わるつもりだったらしいのだが、そのおばあちゃんの存在を見つけて、メンバーが最後まで続けたらしいのです。

この三宅島の神着木遣り太鼓には、「木遣り」があります。
本来は御輿を担ぐ時の導入で「いぇ〜・・・・・」と榊持ちが歌い出し、御輿の担ぎ手がその歌に答えるように「こりゃぁ〜いぇ〜・・・いぇ〜・・・」と御輿を持ち上げます。そして太鼓は御輿に頑張れと声をかけるように叩かれているのです。

この見送りのつもりで叩いた太鼓が始まって、木遣り唄が始まろうとしたその時、どこからかおばあちゃんの声が聞こえてきました。それは、まぎれもなく「木遣り唄」の節です。
その内容は、今のおばあちゃんの気持ちの詩で、望郷の想いが歌われていたようでした。(ビデオからでは、詩の内容まで聞き取れないでいました。ただ、私達が歌っている木遣りとは全く違う内容だとわかりました。)
そして、歌い終わった後「ありがとう〜、いつ死んでも良いよ。」と聞こえたのです。

私は、「ありがとう」の一言がハッキリ聞こえた時に、涙が止まりませんでした。

下手くそな私達の和太鼓だけど、あのおばあちゃんの心に伝わったことが何より嬉しかったのです。
きっと、あの太鼓にアレンジを加えたり、パフォーマンスを加えていたら、きっと、あのおばあちゃんから木遣り唄が出てこなかったかもしれません。
その地の魂を頂き、それに鍛錬することができるよう、今後も頑張っていきたいと思いました。
順位の魔法
[2008年10月27日(月) ]

いつかの新聞に「学力評価のない国」の話が載っていました。
評価がないために、生徒達はわからないところは教え合い、勉強は自分のためにあると書かれていました。
それを読んで、わが子どもたちもそんな国で育っていたら、どんなにか良いか・・・と思っていたのでした。

ある日の夜、大学一年生の娘とこんな会話をしました。
「今日、ものすごく違和感のある会話を友達としたの。」
聞くと、学校の成績の話でした。

娘は今回運良く好成績を頂きました。
それは、本人にとっては自分が頑張った評価の結果で、今後も自分の夢に向けて頑張っていきたいと思えるステップになっていました。
大学の友人達と、成績の話で盛り上がっているところで、同じ学部の子が入ってきて「え〜、○○ちゃんは●番で、▽▲ちゃんは▲番なの?じゃぁ〜、私あと二つ上がったら、●番になるなら頑張ろう〜。」という話を、娘はとても違和感があったというのです。

娘は、小学校から高校まで、順位がついた成績を頂いていませんでした。
中学の試験の結果も、平均点と中央値(100人いたら、50番目の子の位置)がついたヒストグラムがあるだけです。
ですから、子どもたちの間ではウスウス感じるものがあっても、確定にはなっていませんでした。
高校も県立高校でしたが、学年の先生の方針で順位にとらわれない学力を掲げていましたので、順位はもちろん付いていませんでした。
ですから、成績表をもらって友達同士で見せ合い、お互いに褒めあっり慰め合ったりしあって、勉強は順番を意識することなく、己のための勉強の成果と受け取っていたというのです。
それが、大学に入り、▲○□中/▲番と記入されているのをみて、最初はとても新鮮だったのだが、
友人たちとの会話を聞きながら、とても違和感を感じたそうです。

模擬試験などは全国の顔の知らない人達を対象にしているので、数字を書かれていても漠然としていて、「あ〜そうなのね。」としか思えなかった数字が、対象者が全員知り合いという環境の中で順位を付けられるということは「やっぱり、そうなのね。」という確定になってしまうというのです。
そして、何より自分を磨くために学力を身につけるのではなく、順位のために学力を上げたいというのはおかしくない?
と娘は気が付いたのでした。

学力問題がいろいろと取り出されていますが、連続ワースト県に入っているわが県で順位にこだわらない教育を受けた者としては、目先の結果を目的にするのではなく、10年後・20年後・30年後の学力成果を追跡調査をしていただき、教育と学力を上げるには何が一番大切なのかを知りたいと思いました。


早期教育の前に
[2008年10月24日(金) ]

ある日の夕方、信号待ちで考えたことです。
私の横を一台の自転車が通っていきました。
ママチャリの後ろには3〜4歳の男の子がマウンテンヘルメットを被って乗っていました。
(今、自転車に乗る子どもにはヘルメットが義務化されているのでしょうか?とても多いですね。)
若いママが自転車を漕ぎながら、後ろの男の子と話をしていました。
なかなか微笑ましい光景です。

彼女らの会話が耳に入ってきました。
「センキュー・・・」
「そうよ。Thank youっていうのよ。」
「Thank you!!」
「▽$&:@:□?+&”・・・・」・・・自転車は遙か向こうへ

そうそう、私も上の娘に英語を習わせていたわ〜。
娘が幼稚園年長から近くの公民館でこども英語サークルに入会させていたのです。
サークルだから低料金、でも先生は外人さんの本格派。
子どもが英語に興味を持ってくれればと思い、週に一回通っていたのです。
これだけ、英語に力を入れたのだから、娘の英語力はスゴイです!!と自慢をしたいのだが、
結果は「親の自己満足」で終わっているのが現状。

何年か前に「早期教育」の危険を指摘した本が出版されていましたが、
そんな本を読んで、自分が落ち込みたくないので読みませんでした。
今は、開き直って『生の英語の発音を聞かせるためにお金を払ったのだ。』と思うようにしています。

そんなこんなを経験してきた私が、先ほどの親子の「せんきゅ〜」を聞きながら、気が付いたことがあったのです。
それは、英語で「Thank you 」と覚えさせる前に、日常の会話で「ありがとう」を言える気持ちを育てる方が先ではないかと気が付いたのです。
英語圏に住んでいるお友達を持てば、「ありがとう」で「Thank you」の言葉が出てくるでしょう。
フランス語圏に住んでいる恋人をいれば「愛している」と言いたければ「je t'aime」と言葉にいいたくなるでしょう。

その言葉を言いたくなる気持ちを育てるのが先だったのはないだろうか、
私は自分の子どもたちに「伝えたい気持ちを育てる」ことをしてきただろうか、と気が付いたのでした。
なんだか、最近は反省をすることが多いなあ〜。

まぁ!いいか。




笑いの効能
[2008年10月22日(水) ]

以前、病院の待合室で吉野槇一著「笑いと免疫力」という本を読みました。
医師である著者が、疼痛を伴う患者に笑いを与え、免疫力があがり痛みが緩和されると書かれた本です。
「笑い」は、人々に幸福感を与えてくれる感情なのだと私も思います。

先週末、近所の方から「祭っ子ちゃん、日曜日空いている?私の知り合いがラフターヨガを教えているんだけど、近くの公園でやるっていうから、サクラで来てくれないかしら?」と誘われました。


ラフターヨガとは、インドの医師、マダン・カタリア氏とヨガの先生をしている妻マドューリ氏によって考案されたヨガの呼吸法と笑いを組み合わせた健康法です。ユーモアなしでも笑い続けることができるように考えられたものです。

公園の人が集まっている場所に、輪になって見知らぬ人達と一緒に笑えと言われても笑えるはずがありません。
はじめは照れがあって、顔が引きつりながらの笑いでしたが、体にはどんな笑いでも通じるようで、同じの効力があると言われました。
講師の方がヨガの呼吸を教えてくださりながら、いろいろな笑いの要素を入れてくれます。
そして、終わりの合図が、「ホッホッハハハ・ホッホッハハハ」と言いながら手拍子を打ちます。
そして「ヤッターヤッターイェ〜」と両手を挙げます。

そんなこと言われても・・・・
こんな場所で、私は照れてなかなか笑いも出てきませんでした。
でもね。
笑いって伝染するんです。
お誘いをしていただいたご夫妻の笑顔を見ていると「くっくく・・」と笑いが込み上げ。
一緒に同行してくれた旦那が笑い出すと、こちらまで「はぁははは・・・」笑いが出てくるのです。
笑いクリームという、いろいろな人に見えないクリームを塗りつけると、付けられた人が笑うというのをやりました。
旦那には体中ベタベタと塗りたくってやりました。
もう〜塗る方も塗られる方も大笑い。
私は子ども心に戻っていきました。

最後に、「自然に笑いが込み上がるのを待ちましょう。」と言われ笑いを待っていました。
目を閉じて、笑いを待っていても込みあがってきません。
それが、目を開けて旦那が笑っている顔が目に入った途端、一気に笑いが込み上がってきました。
そうしたら、止まらなくなって、隣にいた近所のご主人の顔を見ても笑え、お向かいに立っていたその夫人の顔を見たら笑え、参加者の皆さんの顔を見たら、笑いが止まらなくなってしまったのです。

家に帰って、どうしてあの時、心の底から安心して笑えたのかしらと考えてしまいました。
一番は、一緒に参加した旦那が笑っていたからだと思いました。
家族が笑っている姿は、見ている私も心から楽しんで笑えます。
旦那もきっとそうなのかもしれません。
笑いは伝染をします。
家庭の中に心から笑える人が一人いるだけで、家族から笑い声が生まれてくるのだと思いました。

笑い、大事にしましょう。
わぁ〜ははははは・・・・・・・。
ベビーシッター(三つ子の魂 百までも)
[2008年10月17日(金) ]

ある講演会のベビーシッターを買って出てしまいました。
私達が企画をした子育て講演会の参加者に保育希望者が多く(それでも保母さんは多かったのですけどね)
保育室で大泣きの大合唱が聞こえてきたからです。
これは大変だと思い、お節介だと思いながらも保育室に入っていきました。

入り口には「ママ〜ママ〜」と大泣きしている子どもがいました。
一人が泣けばつられて泣く子もいます。

私は今の年齢になって、やっと子どもの泣き方の種類の分別が出来るようになりました。
4歳位の男の子が、鼻水を流しながらママの元に行きたいと泣いています。
わかります、よくわかります。
なんで、僕がここに居る意味がわからない、置いて行かれた恐怖と知らない子ども達の大合唱を聞いていると
母の元に確認しに行きたいと思う気持ちは充分に理解できます。

私はその男の子に「ママが居なくて寂しいね。ママね〜今、●●ちゃんのためにお勉強に行っているんだよ。ここで一緒におばさんと遊んで待っていようね。」と言いながら絵本を一冊読んで聞かせました。
絵本の力は大きいです。
あっと言う間に子どもたちは本の世界に入っていきます。
その場にいた子どもたちも大泣きから小泣きに変わり、次第に泣きやんでしまいました。
ここに居る意味が理解でき泣きやんだ男の子は、次第にいろいろなオモチャに手を出し始めました。

線の細い女の子が、誰かにすり寄りたくて、私の元に来ました。
しばらく抱っこをして気持ちが落ち着いたところに、一緒に遊びたいと泣きながらその子を捕まえに来た子が来ました。
線の細い子は、この子から逃れたくて、私が居る部屋の隅に来たのでしょう。
「お友達と遊びたいけれど、怖い。」といったところでしょうか。
泣きながら捕まえに来た子は、自分の思う通りにならない事に腹が立ったのか、スゴイ形相をして泣きながら、私の顔めがけて引っ掻きに来ました。私はその子の手を阻止すると、今度は私の手を引き寄せ、いきなり指を噛みました。
『はぁ〜、ここまでくる不安はどこから来るのでしょう。』・・などど悠長に考えていたら、保母の先生が「あらあら・・」と言いながら私からその子を離してくれました。

少し落ち着いた所で、新聞を破ったり丸めたりと近くにいた子どもたちと一緒に遊びました。
中に、最初から居た一歳の男の子(この子は4歳の男の子の弟君、ママ手作りのネームバッチで判明)と女の子が私の側から離れません。(この時点で、講演会に戻らないで、ベビーシッターをすることに覚悟しました)
女の子は、私が悪い人ではないと知って、おしゃべりが盛んになりました。
「このフリフリ可愛いでしょう〜。おねぇちゃんの学校でね〜。」とジェスチャーまでつけて話し始めてくれます。
一歳の男の子は、ずっと部屋の隅に居ましたが、段々と私の膝や胸にすり寄ってきました。
こうなると、子どもは本当に可愛い。私が守ってあげる!!という気持ちになります。

子どもたちを一人一人を観察をすると、面白いです。
母の立場と違って、子どもを冷静に見ることが出来ます。
この保育室に居る子どもたちは、下は0歳から幼稚園前の子どもたちです。
生まれてわずか5年も経たないうちに、人格らしきものが垣間見えます。
この保育室に居ることに理解が出来ている子。
お友達がいっぱいいるし、おもちゃがあるからとりあえず遊んでいる子。
ただただ、暴れまくる子・・・・・・・。
「三つ子の魂百までも」じゃありませんが、何か見えてくるものがありました。

言葉を理解していない小さい子どもが、積み上げた積み木をお友達に崩されてしまい大泣きをしました。
昔の私は、同じような局面でわが子に対して「また、作ればいいでしょう」とか「泣かない!!」、「お友達も一緒に作りたかったんだよ。一緒に遊びましょう。」なんて言っていました。
でも、わが子は泣きやんでくれませんでした。そんな子どもに腹が立っていたことさえありました。

でも、今の私は違います。
「お友達に崩されて、悔しかったね〜、せっかくここまで高くできたのに、残念だったね〜。」と頭をなでなでしてあげました。
その子はすぐに泣きやみ、また続きを始めたのです。
小さい子どもでも、きちんと自分の気持ちを受け止めてもらえた安心感があったのかもしれません。

今さらなんですけれど、反省をしてしまいました。

追記

私の膝に違う子どもが乗ってきました。
ず〜っと一緒にいた男の子●●ちゃんが私から離れたので、寝起きに悪かった男の子を抱き上げてしまったのです。
そうしたら、●●ちゃんに嫉妬して泣かれてしまいました。
あ〜私って罪深い女なんだわ。


おしゃり
[2008年10月15日(水) ]

先週末、同居の父のお姉様のお宅に遊びに行ってきました。
叔母は、もう90歳を越えた方です。めっきり足腰が弱くなり、なかなか外出もままならなくなってきました。
母が亡くなった時には、いの一番に駆けつけたかったと思います。
電話の向こうから、叔母の寂しい声を何度も聞いてきました。

夏の終わりに、父と一緒に遊びに行く約束をして、叔母の声にも少しは元気を取り戻したようです。
久しぶりの再会に、たくさんの話がわき上がってきました。
何かを見れば母の思い出になり、果物を見れば故郷の思い出話に花が咲きました。
長野県の農家出身の二人は、山や川や木や畑・・・・と話がドンドン子ども時分に戻っていきました。

父達が子どもの頃、家ではお蚕さんを飼っていたそうです。
その辺の農家では、それが当たり前で、唯一の現金収入だったそうです。
ですから、上手にお蚕さんを育てた人が現金収入が多い家だということです。

叔母はこう言いました。
「お蚕さんが『おしゃり』になっていると、子どもながらお金が入らないとわかっていたよ。うちのお母さんは、お蚕さんを上手に飼っていたから、私達姉弟はそんなひもじい生活をしなくてすんだんだよ。私は子どもの時にそう感じたよ。・・・・・・・うちの母さんはお蚕さんを上手に育てていた家に育ってきたから、キレイな生糸のマユになっていたようだよ。隣近所が『おしゃり』でいっぱいの時も、母さんは「おしゃり」にしなかったよ。あの人はスゴイ人だったわ〜。」

おしゃり=繭を作らずに死んで黒くなったカイコ

父の母は、108歳で他界をした方です。
100歳を越えても毎朝新聞を読み、いろいろと興味を持っていた方でした。
父の性格から考えても、祖母の人柄が伺われます。
堅実で妥協知らず、マメで几帳面・・・・・、我が家で生きものを飼ったときに言われた言葉がありました。
「生きものを飼うときは、自分のご飯より先にあげなさい。自分がお腹が一杯になったら、忘れるからね。」でした。
「面倒くさい」とか「後でいい」とか、そんな気持ちを持っている自分をかえりみて、祖母のような才能が育っていない自分を見つけてしまいました。
消費するだけの自分を知って、せめてわが子だけでも「おしゃり」にならないようにしなくてはと思いました。

外来種(秋の虫偏)
[2008年10月13日(月) ]

私は北海道出身です。
本州(内地)と北海道の違いをおもしろがって探しています。
いろいろな違いはありますが、動植物の生態が一番わかりやすいです。

内地にきて、初めて秋の虫の声を聞いたときは、何と風流なのかしらと思いました。
ススキの穂とお月様をバックになんともはかなく、夏の疲れ切った体に癒しのささやき声に聞こえ、静かに眠りを誘ってくれます。

ところが、何年か前から秋の虫の声が「うるさい!!!」「元気良すぎ!!」「静かにしろ!!」と一転して、雑音になってしまいました。
どうも、原因は外来種の虫が、私が住むこのエリアまで進出してきたとのこと。


昔、北海道にはゴキブリはいませんでした。
それは、あの寒さに耐えられなかったからです。
それが、ビルが多く建ち並び、空調が24時間保たれ始めた頃から、ゴキブリ(チャバネゴキブリ)などの害虫が繁殖したと知りました。
でも、今までゴキブリがいなかった所にどうやって、移住してきたのでしょう。
ゴキブリ大好きな人が、北海道に持ってきたなんて考えられません。

30年前に、ある害虫業者さんから聞いた話です。
「今(30年前)は、運送手段が飛行機、船、電車、トラック・・・・と広まってきたから、その荷物と一緒に運ばれくるんだよ。段ボールに卵が付いていて、ビルの中では温かいから、こちらで孵化して繁殖しているんだよ。これからドンドン増えると思うよ。」と教えてくださいました。

30年前は、まだ宅配業者が少ない頃でした。
北海道を渡るには、船と飛行機(まだ空港が少ない)が主流でした。

それが、今は国内外で運送業者の数が多くなり、世の中が便利になりました。
だけど、いろいろなものまでもがくっついて来ていることは、まったく考えたことがありませんでした。

外来種の秋の虫の音を聞く度に、私達は何を手に入れ、何を失ってきたかを考えなくてはいけないと思いました。
夏に、見かけない色の虫をたくさん発見しました。
「あんたさぁ〜何処の国の虫なの?」ときいても返事はしてくれません。
あ〜ぁ。あの可憐なはかない日本古来の秋の虫の声が聞かれない日が来るのかな?
環境省の全滅危惧種に載らないことを祈っています。


それにしても、毎晩思うことは「うるさい!!」です。




同じ豆なのに
[2008年10月10日(金) ]

広辞典より
嗜好品=栄養のためでなくかおりや味を賞味する食品


嗜好品と言えば、お茶をはじめ、紅茶、コーヒー、お酒・・・・と数々あります。

私はコーヒーが大好きです。
初めて、コーヒーを飲んだのは、高校生の頃。
コーヒーサイフォンで入れてくださった、モカコーヒーでした。
第一印象は、「まずい!!なんで酸っぱいの?」でした。
それが歳を重ねるうちに、ストレートコーヒーならモカ、普段は牛乳がたっぷり入ったカフェオレが大好きになりました。

まぁ〜、『祭っ子はフードマイレージだの、ウォーターマイレージだの、コーヒーは南国の食品だから体が冷えるだの言っておいて、言っていることとやっていることが違うんでないの!!』とお叱りを受けそうですが、そこは目をつぶっていただきたい。

世の中で、一つぐらい贅沢を許されるなら、私にとってはコーヒーなんです。
だからせめて、コーヒーはフェアトレードの物や生産者の暮らしを考えている団体の物を買っています。

さて、そのコーヒーを扱っている生産者さんの話を聞いてきました。
有機栽培をしているコーヒー畑と草が一本も生えていない隣のコーヒー畑との違い、
市場に出回っている粒が揃っているコーヒーの裏側の事情。
そして缶コーヒーの中身・・・・コーヒーだけでも、いろいろな世界がわかって、怖いやら何やらでした。

同時に、美味しいコーヒーのおとしかたも教わりました。
すでに、我が家には口の細いポットとネルの布を持っていたので、生産者さんのやり方もしっかり聞いていました。
我が家にはコーヒーメーカーがあります。
朝の忙しいときには、それを使っていました。
ところが、このコーヒーメーカーは、時間をかけてコーヒーをおとし、下から暖めているから、味としてはNGだそうです。
生産者の方は、手慣れた手つきで、私達の質問に答えながら、さ〜と落として、試飲をさせていただきました。
「んんん・・・・同じ豆なのに、味が違う。」きっと、我が家でやれば同じだろうと思い、
自宅に帰って、生産者さんのやり方でコーヒーを落としてみました。
確かに、違います。
コーヒーメーカーと、自分で落としたのでは、味が違うのです。
同じ豆なのに・・・・・。

嗜好品は、お湯を沸かすところから楽しむものなのかもしれませんね。
香りと味と・・・何よりも、ゆっくりと流れる時間を楽しむものなのかもしれません。


まぶしい白さの秘密
[2008年10月08日(水) ]

天気の良い日に干した洗濯物には、お日様の匂いがします。
泥だらけの靴下やユニフォームが、真っ白になっていればもう大満足。
泡が土色になるほど、ゴシゴシと手洗いした甲斐があります。

日本人は、洗濯物は真っ白になっていれば、清潔にみえるという「真っ白信仰」があると聞きました。確かに、白いモノは白く。
汗染みも食べ汚しもキレイにしたいとゴシゴシと洗っています。

真っ白い洋服には、すでに蛍光増白剤が織り込んであるそうです。
ですから、オーガニックの白とは違う、白になっているそうです。
そこに、毎度使う合成洗剤の中に蛍光増白剤がバッチリと入っているわけだから。
お日様の下で乾かしていると、まぶしい白に見えるわけです。
そんなことを言っても、白いならそれでいいではありませんか?!なんて質問をぶつけられそうです。
実はこの蛍光増白剤は、いつまでも残ることが問題なのだそうです。

本物の白というのは、本当はガーゼの色だそうです。
医療で使うガーゼなどには、蛍光増白剤を使ってはいけないとされています。
それは、日本薬局方と食品衛生法で定められているからです。

蛍光増白剤の使用禁止 食品衛生法で紙ナプキン、食品の包装紙、懐紙、キッチンペーパーなど
日本薬局方でガーゼ、包帯、脱脂綿など


洗濯物は白いモノは白くを求めるために、蛍光増白剤入りの合成洗剤を使い、体に浸透させている事実を知りました。ハンカチ・ガーゼを赤ちゃんの口元を拭いたら、そのままその唇に蛍光増白剤は残るそうです。お豆腐や肉まんを包む布を合成洗剤で洗っていると、出来上がったお豆腐や肉まんは光り輝いているそうです。(実験:ブラックライトは、目に見えない光(紫外線)をだしています。蛍光物質は紫外線を吸収するとそれを人間の目に見える光に変える性質があるので、いろいろなものが光って見えるそうです。

この事実を知った上で、消費者として、どうするかは人それぞれです。合成洗剤を推進している団体にも言い分があるでしょう。せっけんを勧める団体も訴えたいことはたくさんあります。でも、一つだけ大変な事実を知りました。(これは、立ち話のこぼれ話ですけどね)

それは、合成洗剤を作っているある偉いさんの家庭では、せっけんを使っているそうです。
自社の製品に何か問題があるのでしょうかね?





願わくは
[2008年10月06日(月) ]

今朝、朝ご飯を食べ終えた息子が「アップルパイ、食いたいなぁ〜。」と言ってきました。
そろそろ紅玉リンゴが出回る頃です。
「そうね〜、リンゴが出てきたら、作ってあげようか・・・・・、あんたの彼女になる人は、お料理ができる人ならいいね。」と言うと「・・・・(嬉しそう顔)ハン・・・。」と答えが返ってきました。
「あんたに食べてもらいたいから、作ろう、作りたい。と思う人がいいなぁ〜」という、姑めめいた私の言葉に逃げて行ってしまいました。

わが息子、バレンタインデェーには小学1年生から毎年チョコを頂いています。
小学中学年までは、息子の好きな子が手に取るようにわかりました。
お返しの手作りクッキーの枚数が多かったり、袋が可愛いモノに入れていたからです。
小学校の高学年になると、友達同士で異性の話題で盛り上がります。
野球練習の帰りの車の中では、女の子の名前はイニシャルにしていましたが、そんなのみんなお見通し。
中学生になると、バレンタインデェーには友人が迎えに来てくれて、親の目から離れた場所でチョコを頂きました。
そして学年が増すようになると、ますます親の視野からドンドン離れた場所に移っていきます。

中学2年生の頃「女の子と付き合うのって、早いよね。」と言って来たことがありました。
息子の同級生で幼稚園の時からお付き合いをしている家族がいます。
その子の息子さんが、中学1年生の時から男女交際をしていて、母としては心配やらなんやらの話を聞いていました。彼女のスピーカーのおかげで、そのお子さんは中学生らしい清い交際をしているようで、街中で知っている親には挨拶をしてくれます。(というか、大人の方がキチンと声を掛けて欲しいと母は願っているのです)
彼女の性教育は我が家でも浸透をしています。
「いい〜、彼女と二人きりになると、手もつなぎたくなるし、チュとしたくなるのよ。・・・・・」と若い男女交際のイロハを具体的にわかりやすい内容で諭しています。
それを、私は子どもたちに「・・・・と○△のおばちゃんが言っていたよ。」と伝えています。
それでなのか、息子は「中学生は、まだ早いよね。」という言葉になったのかもしれません。

それでも、人を好きなる気持ちは抑えられないのが本音でしょう。
私は「一緒に話をしたり、映画を見に行ったり、何かをするのは楽しいじゃない。部活を終えてから、テストが終わってから・・・・と時間を見つけて、会うのもいいんじゃないの?」と答えると
「いいや、面倒くさい。部活を終えたら疲れるから寝ちゃいたいし、映画も二人で見たってつまんないだろうし、まだ中学生には早いんだよ。」となんとも色気の無い答えが返ってきました。
先の同級生の子の母は「地方の試合があっても、疲れているのに待ち合わせの場所に嬉しそうに出かけるんだよ。」・・・・恋というものは、そういうモノです。
面倒なんて言葉が似合わない。

『●●君が、アップルパイを食べたいから、頑張って作ってみる!!』
『▲□さんは見ているから、オレ頑張る!!』といつもの自分よりステップアップ出来る恋を息子にもしてほしいなぁ〜。
そして、そんな女の子が息子の彼女になって欲しいなぁ〜と願うばかりです。
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