かぁちゃん、ただ今 育自中

子供を育てているつもりだが、実は親が育てられているのかもしれない。
「育児は育自」 私は、今も育っています。

     
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目に見えない安心、見える安心(せっけんの時代編)
[2008年09月29日(月) ]

夏の暑い盛りには、家族みんなが汗だらけ泥だらけになり、洗濯物が山のようにありました。
我が家の洗濯機は、10年前から2槽式を使っています。

もう何年も洗濯機の中の掃除を怠っていたので、汚れが目立ち始め掃除をすることにしました。
私は、機械を分解をするのが好きです、構造が気になるからです。
この洗濯機も素人が分解が出来る所までばらしてみました。
そうしたら、ホースの周りに粘土のような物がこびりついているではありませんか。
あ〜、せっけんカスとその他もろもろが付いるのだと、一目でわかりました。
私は、2槽式の洗濯機に変えてから、洗剤を合成洗剤から、せっけんに変えました。
それは、肌が弱いため、冬に着る静電気に耐えられなかったことと、時々感じる痒みや痛みを気にして何かのお薬を塗るより、洗剤を変えるのも一つかと思い、思い切って変えたのです。
(これは大正解でした。せっけん生活に変えてから、静電気も起こらないし、風呂上がりの痒みも主婦湿疹もなくなりました。この話は、また次回に)

大量のといっても、10年分のせっけんカスの理由を挙げると、
我が町は若干硬水なので、せっけんと水道水の成分が結びやすく、せっけんカスが生まれやすいこと。
また、せっけんの量も多めに入れていたのも原因の一つ。
その前に、こまめに掃除をしてこなかったことが最大の原因でした。

まぁ〜、原因の追求とその解決法は別として、目の前にある粘土のようなものを取り除かなくてはいけません。
素手でそれを取り匂いを嗅ぐと(私、匂いフェチでもあります。)なんと、懐かしい匂いがします。
匂いというのは、その時の記憶までも呼び覚ましてくれるから不思議です。

その懐かし匂いとは、私の実家の前にあったドブの匂いでした。
昔、昔、40年前の家の前には、幅30センチほどの木製のドブがありました。
所々に丸木が補強されて、透明の水がサラサラと流れていました。
時々、白い水が流れてくるけれど、また透明の水に混ざって、わからなくなってしまうのを眺めていたのを覚えています。。
補強されている木の回りに、赤いイトミミズが固まりになっていました。
子ども頃は、それが気持ちが悪く、ドブが嫌でした。
子どもたちの遊びは、道路が多く、ボールや三輪車・・・・とドブに落ちないのが目標になっていたほどです。

今、考えると。
ドブがあったその頃は、家庭の下水はすべてドブに流れていました。
野菜を洗い、食器を洗い、洋服を洗い・・・、全て水またはせっけん水だったはずです。
せっけんカスは、魚の餌になるほどの栄養価があるそうで、今では家畜の飼料用にも作られているそうです。
ですから、赤いイトミミズも元気に生きていたわけです。

それが、ドブから消えない泡が目立つようになりました。
今、考えると、それは合成洗剤のはしりなのかもしれません。
そのドブから、赤いイトミミズの姿が見えなくなったのを覚えています。
子どもの頃の私にとっては、気持ち悪い赤いイトミミズの固まりが見えなくなったのですから、嬉しい限りでした。

それからまもなく、水洗トイレの普及により、ドブは下水道と名前が変わり、私達から姿が消えていったのです。
時代と共にドブが消え、赤いイトミミズの行方もわからなくなり、ドブに落ちる心配もなくなりました。
ですが、私はドブの匂いがヘドロの匂いに変わったことを知っています。
そして、フタを閉められたのです。

目に見えないと、私達の生活から排出されたモノは、家から出て行った(流れた)時点からわかりません。
よほど、自分に問題が降りかかってこない限り、関心がなくなります。
私もそうでした。
臭い匂いにフタをしてくれて、ドブに落ちなくなった安心感で充分だったのです。

昔は、目に見えていたからこそ、異変に気が付いていました。
今は、見えないことで、関心をなくさせているのではないかと感じるようになりました。
目に見えなくなっている今だから、家庭から出た排水が今後どのような影響を持つことになるのだろうと、知りたくなりました。





お墓参り(草むしり編)
[2008年09月26日(金) ]

お墓と一言申しても、地方によって違いがあると思います。
我が家では今年の2月、同居の母が亡くなったので近くの公園墓地にお墓を建てました。
この公園墓地は、お墓の建て方が何種類かあり、我が家は芝生が張ってあるこじんまりとした場所を選びました。

母の月命日には、必ず父とお参りに行きます。
墓石を水拭きして、お花を飾り、お線香を焚きます。
おっと、その前に必ずすることがあります。
それは草むしりです。

こじんまりとしたお墓石の周りに芝が張ってあるので、そこに雑草が生えているからです。
父は、我が家のお墓の雑草を抜き終えてから、隣やお向かいさん、裏側のお墓の雑草をも抜き始めます。
私は「おじいちゃん、そこまでやらなくてもいいんじゃないの?失礼にならない?」と聞くと淡々と草を抜きながら「雑草は、種が飛ぶからね。根が浅いうちに抜いておかないと・・・・・」と手が真っ黒になるまで抜いていました。

秋分のお中日に家族でお墓参りに行きました。
近場にお墓を持つということは、気楽に行かれる点がいいです。
いつものように、お墓を拭き、お花の水を入れ替え・・・人が多いので分業制のように、素早く進んで行きました。
草むしり?・・・・今回は、残念ながら雑草が生えていなかったのです。
私は、内心、『草むしりをしないですんだわ』と思っていたら、おじいちゃんが通路の垣根にはびこっている草を抜き始めました。
かなり成長が進んで、しっかり種も付き始めています。
それを見て、私も一緒に抜きはじめていたら、娘は「どうして、そこの雑草まで抜くの?管理人さんがしてくれるんじゃない?」と言うと、おじいちゃんが「植物は待ったなしだからね。抜かないとうちの所まで飛んでくるから、厄介にならないうちに抜くんだよ。」と説明をしてくれました。

私は、雑草を抜きながら考えました。
人間(子ども)の環境も一緒なのかな?って・・・・・。
自分の所ばかり良くしても、その周辺をも整えないと維持できないのだと気が付いたのです。
私達の近隣のお墓の持ち主達は、雑草が生えている自分達のお墓を見たことがないでしょう。
それは毎月毎月、おじいちゃんが丁寧に雑草を抜いているからです。
いつもキレイになっているお墓の持ち主は、それが当たり前と思っていることでしょう。

私の住む環境や子どもの環境も同じことがいえると思いました。
当たり前と思っていた環境は、実は誰かがきちんと手を入れているのかもしれないと気が付いたのです。
誰かが、犯罪の種をつみ取っている。
誰かが、犯罪にならないように予防策をとっている。
小さい芽のうちに、見つけて確実に抜くことで、わが家やその周辺に、その芽が入り込めないのかもしれないと思ったのです。
気が付かなければ、わからないことです。
だって、私は抜かれていた雑草の家主と同じ感覚でいたからです。

お墓では、近隣の雑草を抜けばよいけれど、人様の環境には何が「草むしり」と同じ役目をするのかと考えたら、それは「声かけ(挨拶)」なのかなぁ〜。



運動会の定番
[2008年09月24日(水) ]

先週末、息子の中学の体育祭がありました。
毎年、同じ競技しかなく、高校の体育祭のように生徒が命をかけるほどの情熱は、
微塵も伝わってきません。
中学生は、微妙なお年頃で、大勢の前では照れがあり、恥ずかしさの方が勝っているのかもしれません。
わが中学の運動会は、卒業生や生徒の家族が多く集まります。
そんなテレテレの子どもたちの成長をニヤニヤしながら応援しています。

さて、運動会といえば、我が家では「おいなりさん(いなり寿司)」を作るのが定番です。
ある会合で「ねぇ〜運動会といえば、何を持ってくる?」とみんなに質問をしまし た。
我が町は、地方出身者が多く、運動会時期もマチマチなので、運動会の定番は人それぞれでした。
○さんは「うちは、おにぎり、鶏の唐揚げに、枝豆、卵焼きは絶対に入れるわ。果物
は、その季節のを入れてたわ。」
▲さんは「うちも鶏の唐揚げは定番ね。あれがないと寂しいじゃない。ちらし寿司も作ったわよ。」持ってくる果物も、梨、りんご、ブドウ、青みかん・・・とそこそこの家にもこだわりがありました。

我が家では「五目ごはんのいなり寿司、鶏の唐揚げ、ゴマ和え(インゲンかほうれん草)、カボチャの煮付けか筑前煮、きんぴら、そして果物は青みかん」です。
子どもたちが小学校までは、それらを小重箱に詰め、お昼時に運動会会場で家族全員で食べていました。
それが、下の子が中学に入り、弁当箱に「我が家の運動会定番料理」を詰めて、友達どうして食べるようになってから、家族バラバラで食べるようになりました。
でも、食べる物はみんな一緒です。
運動会の定番料理の「五目おいなりさん」とその他もろもろです。

今年の運動会当日は、娘がお弁当を持って出かける日でした。
朝からおいなりさんを作っている私を見て「今日は、運動会なの?我が家はいつもこのおいなりさんだね。」と嬉しそうに言ってきました。
昨年まであった年に2回の運動会が、今年から息子の運動会だけになってしまいました。
これで、子どもたちが学校を卒業してしまえば、運動会定番料理がなくなります。
そう思うと、何となく寂しくなってきました。
そして、わが子どもたちがそれぞれ家庭を持ち始めたら「我が家の運動会定番料理」
を引き継いで欲しいと願う気持ちがわいてきました。
この「五目おいなりさん」は旦那の母から受け継いだ味です。
母は、大きめな薄揚げの油揚げを一度煮て、油抜きをします。何度も何度も水を換え、薄揚げから油が抜けるまで水にさらします。その後甘めに油揚げを炊きあげます。
五目の具は、干しシイタケ、人参、タケノコ、かんぴょうを甘しょっぱくに煮て、寿司飯に紅ショウガ(ガリでも良い)、白ごまと一緒に混ぜ込みます。それを油揚げの中に入れてます。

私の実家の運動会定番料理は、太巻きのお寿司でした。それに果物がバナナだったの
を鮮明に覚えています。
この話をすれば、みんなは「バナナ?!」と驚くのですが、私の地元の同じ年齢の人達も「バナナ」が多かったです。
バナナにも「高級くだもの」の時期があったのです。
旦那の運動会定番くだものは「青みかん」でした。
ですから、我が家の運動会に持っていく果物も「青みかん」です。
10月に入り、運動会日和にはいります。
みなさんの運動会定番料理は何でしょうか?

そうそう〜、中学の運動会の定番は、実は親たちのおしゃべりです。
久しぶりの再会に話の花が咲き乱れ、子どもたちの成長を共に喜び、茶化し・・・本当の運動会の定番は、 「母達のおしゃべり」かもしれません。



コツコツ貯める
[2008年09月22日(月) ]

先週、ライフプランナーの話を聞いてきました。
我が家の財源は、全部私が管理をしています。(旦那はきっとへそくりを持っているでしょう)
ライフプランナーの先生の話では、最近では家の大蔵大臣(財務)が妻という家庭が減ってきていると言っていました。
共稼ぎが多くなり、家計費を折半したり、旦那から必要な時に必要なお金を出してもらうという家庭が増えてきているそうです。

私は、お金を貯めるのが苦手な人で、お金は天からの回りものと、あればあるだけ使っていました。
子どもたちが成長していき、教育の出費がどんどん膨らみ始め、
今後どれだけお金が必要なのか、ちょっと不安になってしまったのです。
子どもが、「進学したい」と言えば、それなりの準備資金が必要になります。
塾、予備校、各学校への受験料、地方の受験なら交通費、宿泊代などなど、
目に見えないその他の必要経費が、どんどんと増え、そしてなくなっていくのです。
運良く、進学できても学費は必ずかかります。
私学になると・・・(ふぅ〜ため息)・・・・・・・です。
ライフプランナーの先生は、「学費はコツコツと子どもが小学生のことから貯めるといいでしょう。最低、大学に払う初年度分は欲しいですよね。」と言われました。
「でも、その頃は・・・・・」と先生に、旦那の給料の低さ、幼稚園が終わっても食費に回る現実を話すと、
「それは違うのよ。親が使っているの、自分のために」と答えが返ってきました。
はぁ〜確かにそうです。お金は天からのまわりものとばかり、バブル景気に乗って、食べて遊んで買っていました。

今回は、老後に最低の必要な経費はどれくらいなのか、生命保険の内容など、盛りだくさんの話を聞かせていただけました。
理解不能な保険の契約、そして、その現実の話を聞いて落胆してしまいました。
経済の話を詳しく知りたいと思えば、日経の日曜版を読むと役立つそうですよ。

下の子が来春で義務教育が終わりになります。
私は、今回の話を聞いてコツコツと教育資金を貯める決心しました。
社内預金で。


もう一度、子どもを産みたい。
[2008年09月17日(水) ]

以前「おむつなし育児」の話を書いた時、コメントをいただいた方から一冊の本を紹介をしてくださいました。
その本を読み終えて思ったことが「もう一度子どもを産みたい」でした。

私の2回の出産経験を一言に書けば、「第一子の時は、もう子どもは産みたくないお産でした。第二子の時は、もう一度子どもを産んでみたいと思ったお産でした。」
第一子時は妊娠中毒症で、第ニ子のときは前置胎盤でした。
第一子の時は産まされた出産で、第二子の時は、私が産んだ出産でした。
出産経験話は人それぞれで、子どもの数だけそれぞれの出産物語があります。

このお勧めされた本「オニババ化する女たち」三砂ちづる著 光文社新書を読んで、
私の心の中のあった沸々とした想いと疑問が、いっぺんに解決しました。

私の「育自」の焦点は、心と体を大切にすることです。
その上で対人問題(私が妻の立場としての問題、私が子の立場としての問題、私が親の立場としての問題、私が嫁の立場としての問題、私が地域のおばちゃんの立場としての問題、私が社会の一員としての問題・・・)等を考えています。
この本を読み終えて、そのどれもこれもがつながっているのを感じました。
そして、同じ女性として私の母に、私の出生の様子をじっくり聞きたいと思いました。
そう〜、母がまだ元気なうちに、話を聞き、母をねぎらい、小さくなった母の体を抱きしめたくなったのです。

この本の中に「しつけとコントロール」の話がありました。
私の「育自」の過程でも、子どもを「コントロール」していたことを「しつけ」と思っていた事があったのです。
ある大きな事件をきっかけに「私自身」が「親」になっていないことに気がつき、右往左往しながら親として育っていったのです。
この本には、まさしく私が暗中模索をしていた部分を的確に指摘をしていました。
そして、「親」として育ちはじめている私にとっては、
その言葉の数々が、親としてゆるぎないものにしてくれたのです。
この話は長くなりそうなので、また今度。

あ〜〜、それにしても、もう一度、子どもを産んでみたいわ〜。



安かろう、悪かろう
[2008年09月15日(月) ]

『安かろう、悪かろう』

岩波書店「岩波 ことわざ辞典」時田昌瑞著より

安かろう悪かろう
値段が安いものは品質が悪いと考えるのが人の常だということ。

安物買いの銭失い
安物を買っても結局は損をするというたとえ。


亡くなった母と一緒に買い物に行くと「『安かろう、悪かろう』の買い物は損をするからね。」とよく言われました。
私の実家では、『安くていい物を買う』のが鉄則でした。

地方都市出身の私は、人口密度の高い大都会での買い物に、なかなか慣れませんでした。
それは、安くていい物を探し出せなかったからです。

食品以外でしたら、流行遅れだけど品質の良い商品を探しだせますが、食品は鮮度が命。
また、加工商品は原材料が見えないので、企業(生産者)を信用するしかありません。

今回の事故米事件は、大変ショックを受けました。
以前「安全を口にする政治家」という日記に、「黄変米」のことを書きました。
あの時代の教訓が、まったく生かされていないことに怒りさえ感じます。

我々、消費者は世に出たものは、安全だと信じていたのに完全に裏切られたからです。(国にも企業にもです)
以前は「中味はどうでもいいから、安く買い物をすることが賢い主婦」と行動をしてきた私でしたが、
生協活動をはじめてから「自覚的消費者」に変貌し、スーパー・デパートの商品の数々を眺めては、
不思議に思うことが多くなりました。

今回の事件で、「安かろう、悪かろう」の事実に「やっぱりね。」と確信したのでした。
そして、ある生産者の「安売りの商品は、容器は正規料金と同じ物を使うけれど、中味は違うんですよ。」という言葉には、参加者は驚きと納得の声があがっていました。
それは規格値のギリギリの違反にならない程度に品質を下げて売っているらしいのです。
表示のからくりは、いっぱいあります。
だから、何が本物なのかを知ることができない消費者は、「信用」をするしかないわけです。

「もったいない精神」は、とても大事です。
でも・・・・・・「健全」と考えるとどうなのでしょうね。

私たちの食べている物は、私たちの代だけではありません。
私たちの子ども・孫・・・・・と続くものなのです。

先輩母にきつい言葉をいただきました
それは「あなたの子育ての結果は、孫が教えてくれるのよ。」です。

国内自給率が40%を切っている事実が、段々と明らかになってきました。
「安かろう、良かろう」の時代になるように、これからも私の生協活動は続きそうです。



おじいちゃん語録
[2008年09月12日(金) ]

我が家は玄関とお風呂場は共有していましたが、2世帯住宅です。
今年の2月に同居の母が亡くなり、義父(以下、父と呼ぶ)と一緒に過ごすことが多くなりました。
とりわけ、娘が父の話し相手をかって出てくれるので、家事をしている私としては大変助かっています。

父は、大正最後の年に生まれ、戦争体験も少しだけあります。
実家が農家なので、野菜作りはお手の物。
性格は、自分が納得するまでキチンとしなくて気が済まない大変マメなお人柄です。
私の実父と比べると、真反対の性格・人生の送り方をしているので、最初に父とお会いした時は
男性の中にはこんな殿方がいるのか?!と感心をしたほどでした。

そんな父でしたが、母が亡くなった時は身も心もバラバラになり、気がおかしくなったのではと心配になるほどでした。
そんな父を支えたのは、今思えばやっぱり家族なんです。

今まで、父と向き合える(観察)時間が、ほとんどありませんでした。
父と一緒の時間が増えてから、父の意外な人柄を初めて知ったのです。
そんな、父の面白さをまとめてみようと、娘が「おじいちゃん語録帳」を作りました。

父の日常の仕草、語りぐさ、そして、父の性格からでる前向きな発言は、どこか面白く、そして楽しませてくれながらも、どこか私達を諭してくれる。
そんな一言を文章とイラストにまとめてたのです。

子どもたちが幼い時は「怖いおじいちゃん」だったのが、今は「可愛い〜おじいちゃん」に変わってきました。
そして、何より、おじいちゃんを大事にしたいという想いが、子どもたちから伝わってきます。
きっと、天国のおばあちゃんは安心してことでしょう。

これからも、おじいちゃんの良いところ探しは続きます。


遊びが勉強に
[2008年09月10日(水) ]

先月の話しなのですが、自治会の草むしりに参加をしました。
我が家の近くに、小さなロータリーがあり、近隣の人たちが好みの樹木や花を育てていたのですが、
その方たちが高齢となり、草むしりもままならなくなったのです。
そこで、自治会の人たちが声をかけてくださり、草むしりをすることになったのです。

最近越してきた若いママさん達が子どもを連れて、来てくれました。
若い声が聞こえるとその場は華やかにななります。
若い人たちには、近所の人たちと話をするだけでも意義があるのあるのです。
1歳過ぎの男の子が、見よう見まねで土をいじっています。
小さい子は、「居るだけもボランティア」です。
周りに居る大人たちが、小さい子を見ているだけで「ホッと」出来るからです。

草むらは、住み家を荒らされて右往左往している蟻たちや、ダンゴ虫、名前のわからない虫たちに幼虫がゾロゾロ出てきました。
幼稚園児が「これなに?」と指差した虫は、赤ちゃんかまきりです。
かまきりは産まれてすぐでもかまきりの姿のなっているので、カッコいい虫です。
小学生の男の子は、虫網と虫かごを持って草むしりより虫取りの方に興味津々。

そんな小さい子を見ていると我が息子の幼児期を思い出します。
小さい時は、何でもかんでも興味を持ち、触り、採取をしていました。
大人の手を必要がなくなった小学校の中学年にはトカゲ取りに夢中になっていました。
高学年になるとカブトムシにクワガタに興味が移り、いつしか虫取りは卒業していったのです。
タンゴ虫は、幼稚園前後によく採取していた虫です。
男の子も女の子もみんな丸くなるだんご虫を手のひらに集めていました。
「お母さん、見て見て!!可愛いでしょう。」と手のひらのタンゴ虫を転がしながら、よく見せに来てくれました。
そう考えたら、自然のもの達は、すべて子どもの遊び道具で、成長する通過点なんですよね。

しっかり歩けるようになった男の子のママさんが「見て見て、だんご虫だよ。」と自分の子どもに、ダンゴ虫を見るように言いました。
そして、次に言った一言が「ほら、勉強をしたでしょう。」でした。
私は草むしりをしながら、若いママさんに「だんご虫を勉強をしたの?」と聞きました。
だって、タンゴ虫の生態とか何を餌にしているとか、まだ興味がないのではと思ったからです。
若いママさんは「勉強って、虫の本のダンゴ虫を見せたの。」と答えてくれました。

早期教育の影響なのか、全てがお勉強になってると思うと、
虫取りさえもが窮屈で、つまらなくならないかしらと心配をしている私です。
見方が変わる。(中つり広告編)
[2008年09月08日(月) ]

先週、娘と都心の向かう電車に乗りました。
電車って面白いですよね。
車掌さんのアナウンスも電鉄によって、違います。
他にも乗客や中つり広告も違います。
鉄道マニアは、そんな違いを探し出し、楽しめるのでしょう。

話しは横道にそれますが、
今、社員の研修期間中なのでしょう、車掌さんが教官の監視の元にマニュアル通りに動いています。
車掌さんの本来の業務に感動してしまいました。
「何時何分何秒、○○駅到着!!停止位置よ〜し」と何箇所も指を指し、モニター画面で乗客の乗り込み具合を確認。
車掌さんも電車に乗り込み、再度確認。
駅を過ぎるまで緊急ブレーキにいつでも押せるように指をVの字に置き、いつ何時でも対応できるようにしていました。
駅を過ぎると、また確認。
彼らの声と指差確認で、いつも私たちを安全に運んでくれていたのです。
日本の鉄道は、安全で正確だといわれますが、こんな地道な活動が成果につながっているのでしょう。
頭が下がる思いです。
ですから、乗る側のマナーも考えなくてはいけませんよね。

本題に戻ります。
私達が乗った鉄道は、○▲駅を過ぎると人種が違うといわれるほど、ちょっとリッチな線でした。
学生も多く、おしゃれに敏感な若い人たちと好奇心旺盛な年配者の方たちがたくさん乗っていました。
電車の中つり広告は、ひまな時間を潰すには、もってこい。
観光をはじめ、開催案内、新商品、雑誌などの見出しが楽しめます。

前回も書きましたが「オトナのためのメディア・リテラシー」を読んでから、私の中つり広告の見方も変わってきました。
ヤングサラリーマン向けの漫画本の中つり広告に、アニメチックな子悪魔のイラストがありました。
想像では、きっと子悪魔には尻尾があるのでしょう。
露質の多い洋服を着て、人間には無理なポーズでお尻から尻尾が出ているのだが、・・・・・・・・どうも、頂けない。
見方を変えれば、かなり卑猥に見えるからです。

帰りの電車に高校生が大勢乗り込んできました。
団体でガヤガヤと談笑をしているグループや参考書を持っている学生、携帯メールに忙しい学生・・・、
その風景はどの電車でも変らぬものでした。
そのなかで一人の男子高校生が気になってしかたがありませんでした。
男子高校生は、ちょいと爽やかタイプの3年生、いかにも受験生で勉強の疲労感が見えました。
彼は、学生カバンから何かを探しながら、中つり広告を見ていました。
その中つり広告には、アイドルの水着姿の上半身のカットが何枚かありました。

私は、その男子学生が我が息子と重なって見えたのです。
息子もお年頃、ちょっと色気のあるものに興味がないといえば、嘘になります。
まだ早い・・・でも徐々に興味を持ってもらわなくては、とは思っています。
大人が教えなくても、性の情報は色々な所から溢れていることに気が付いたのです。
男子学生は、品定めをするようにグラビアアイドルの週刊誌の予告を見ていました。
(本人は、誰がいるかな?という程度だったかもしれません。)
先ほどの中つり広告やグラビアアイドルが写っている広告の製作者の意図は、何か?と考えた時、
それはもはや公に出している性への誘惑の入り口ではないか、と気が付き恥ずかしくなりました。

今年の春に「子どもの性教育」の大切さを教えてくださった講師の方が「ポルノは、男性に取ってはデザートでいいのです。性教育がキチンとされていれば、かならず戻ってくるのです。」と言われた事がありました。
願わくは、社会全体が正しい性の知識を与える環境が一番良いのですが、
現実は、世間の隙間を縫うように性を売り買いしているように感じます。
思春期の子どもを持つ親としては、深く考えてしまいました。
これが捏造なのか
[2008年09月05日(金) ]

北京パラリンピックが開催されました。
選手の皆さんの活躍を応援しています。

今回の北京オリンピックは、時差が一時間だったせいか、タイムリィーに選手たちの活躍を見せて頂きました。
そして、オリンピックの興奮が冷めないうちに、テレビ・雑誌などでは活躍された選手とその苦労話とか、選手を支えた家族たちのことを取り上げていました。
ある日、何気なく見ていた番組にちょっとだけ知っている女性アスリートさんが出ていました。
そのお話は妻を支える旦那さんのお話です。
見終えてから「ふ〜ん、●○さんは、こうなんだ。」という感想を持ちました。

ドキュメントにまとめられている番組を見て、疑問を持ちましたが、本人了解の元で番組になっているのだろうから、
それは事実なんだろうと思って見ていたのです。

次の日、その女性アスリート夫婦の事を良く知っている方に「ねぇ〜昨日、テレビを見ていたんだけど、あれ、本当かね。」と質問をしてみました。
前回、「オトナのメディア・リテラシー」のことを日記に書きました。
メディアが本当に事実を流しているのか知りたかったからです。

私の質問を受けた方が「彼女が番組に出るというので、ビデオに撮って置いたのよ。それを遅くに娘と見終えたら、ちょうど本人から電話があって娘が『あら〜ぐうだら奥様』と言って茶化していたら。そしたらね・・・・・」
話を要約をすると、あれはかなり捏造されていて、送っていないメールをあたかも本人が出したかのようにされ、
一度撮り終えたシーンを、もう一度撮り直し、番組制作者が意図するシナリオに校正されていたと言うのだ。
だから、『あの番組に流れた日常を私は送っていない。』というのが事実なのだそうです。

番組がそうなら、ニュースはどうなんだろう。
以前、少年犯罪のニュースを見ていて、少年の友人知人のインタビューを聞きながら、疑問に思ったことがあったのです。それは、匿名性を利用をして、その時世のキーワードの言葉を拾っているのではないだろうかと思ってしまったのです。
そう考えた時、テレビ番組のドキュメントは楽しい話し以外は、ちょっと疑問を持ちながら見た方がいいということですな。
なんとさびしい。
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