かぁちゃん、ただ今 育自中

子供を育てているつもりだが、実は親が育てられているのかもしれない。
「育児は育自」 私は、今も育っています。

     
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我が家のスローフード
[2008年08月29日(金) ]

同居の父の趣味は、野菜作りです。
知人から農地を借り、せっせこ自転車で通いながら農作業に行っています。
この夏の収穫は、枝豆・とうもろこし・オクラ・トマト・ミニトマト・きゅうり・いんげん・ゴーヤ・ナス3種類。
野菜はお天気次第のところがあるので、出来不出来はありましたが、この夏も山のように収穫されています。
おかげさまで、地産地消を推奨している私としては、嬉しい悲鳴です。

毎日毎日、収穫された野菜を使わないと、新鮮な野菜達はみるみるミイラになったり、
カビが生えたり、コバエに集られたり・・・・と悲惨な状態になります。
たくさん収穫されて、我が家だけでは消化されない場合は、時々、近所の料理名人におすそ分けします。
そして、お礼に料理名人のレシピを教えて頂いてきます。

山のように積まれた野菜達は、台所に洒落た籠にアートのように盛り付けられて、
その野菜達を食べています。(幸せなことです)

山のようなインゲンを消化するには、佃煮にするのが亡くなった母の調理法でした。
今年は、胡麻和えです。(我が家では人気ナンバーワンの消比率)
大きめなすり鉢に、山椒のすりこ木でゴリゴリと黒ごまをあてていきます。
気功の先生が言っていたように「美味しくなぁ〜れ、」という波動を送りながら、
ゆっくりゴマの潰される音と香りを楽しみ、すりこ木を回していきます。
ゴマから油がでるぐらい、しっとりとしてきたら、お砂糖とお醤油をたらします。
そこに茹でたインゲンをいれて、からめていきます。
このインゲンの胡麻和えは、子どもたちの大好物です。
時には、子どもたちにも手伝ってもらいます。
私は、スローフードの主旨を詳しくは理解をしていませんが、ゴマをゆっくりと時間をかけて、すり鉢であてていくだけで贅沢な一品が出来上がったように感じます。

山のようなミニトマトは、食べきれないものは全部トマトソースにしています。
皮の硬いミニトマトの湯通しをして、一つ一つ皮をむいていきます。
にんにくとたまねぎをたっぷりのオリーブ油で炒めて、湯通しミニトマトを鍋に入れます。
水分は飛ぶまで、焦がさないようにゆっくり鍋底をかき混ぜていきます。
美味しいトマトソースは、スパゲティはもちろん、魚介類や鶏肉、野菜料理やリゾットなど活躍の場が広がります。

でもね、夏から5回もトマトソースを作っているのです。
ミニトマトが無くなると、おじいちゃんが朝早く収穫に行ってくれます。
そうなると、またまた大きなボールいっぱいのトマトの皮剥きをしなくてはいけません。
正直、ちょっと疲れてました。
そして、5回目のトマトソースを作りながら思ったことは、昔の人は食材を捨てずに、いつまでも長く食べ続けられるように考え出されたものが調味料の始まりなのかなと思ったのでした。

あ〜そして、6回目のトマトソース作りが待っています。
今度は、日持ちがいいようにピリ辛のトマトソースに挑戦してみます。





なでさすり
[2008年08月27日(水) ]

「なでさすり=撫で擦り」は、気功の先生から聞いた話です。
今は、癒し系マッサージに関するものがたくさんあります。
そんな中で、日本古来からあるのが「なでさすり」だそうです。

頭痛がする時は、何気なくこめかみに触ってみたり、
目が疲れた時に目頭の辺りを押してみたり、
肩が張っている時に手の平をあててみたり、
寒くて冷えを感じた時に冷えている所を自然に擦ってみたり、
人は昔から自分の体を撫で擦って、自分を労わっていたそうです。

その日の気功教室は、夏の疲れてが貯まっている私たちのために
先生が「邪気払い」を教えてくださいました。
先生は、色々なものを背負い込んだ私たちを見て、体がどんより重く、やる気のない体に見えたそうです。
体から邪気を出すにも色々な方法があるようで、リンパに乗せて、体に戻してから体の外に出す方法と
直接体の外に出す方法があるようです。
そこで教えて頂いたのが「なでさする」でした。

肝臓と「目」は深い関係があるようで、目が疲れているのは肝臓に元気がないそうです。
目をつぶり、軽く手のひらで瞼を押さえます。
呼吸をゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、すこし長めの時間押さえただけで、「目」はすっきりとしてきました。
手足や頭を自分で撫で擦りしながら、体の邪気を出して切ったら、体が軽くなり、顔にポッと赤みがさしてきました。
人の体は本当に不思議です。
そんな自分の体に興味がわいて来ました。




見方が変わる(これが常識なのか編)
[2008年08月25日(月) ]

以前の日記で、若いママさんから
>「私、普通が知りたいんです。普通の生活ってどんな生活なんですか?祭っ子さん教えてください。」と聞かれたことがありました。
という日記を書きました。
あの日から、私はず〜っと気になっていたんです。
それは私たちは、どんな所から影響されて生活をしているのかということです。

この地球の人類の人たち全てが同じように生活はしていません。
気候風土・地形・歴史・宗教・・・・・・・と様々な環境の違いで、人々の生活様式はかなり変わります。
日本国内でも、同じような事が言えると思うのですが、時代が現代に近づくにつれ日本国内が均等化されているように感じるのは私だけでしょうか。

そんな悶々と答えが見つからない時間を過ごしていた時に、以前、ネットいじめ問題に関する子育て講座の講師を務めて頂いた渡辺真由美氏の著書「オトナのメディア・リテラシー」を読みました。

渡辺真由美氏は、元民放報道記者の方です。この本は、みずからの現場体験と本場のメディア・リテラシーで、広告、テレビ、新聞、映画、インターネットの裏に隠された作り手の意図を読み解く力をつけてくれる本です。
リベルタ出版 渡辺由美子著「オトナのメディア・リテラシー」まえがきから

・・・・・・ここから引用・・・・・

テレビ局時代は報道記者・ディレクターとして警察キャップなどを務める傍ら、セクシャル・ハラスメント、ジェンダー表現などの女性問題や、性同一性障害、自閉症、若者の性行動の取材に打ち込んでいた。これらのテーマでドキュメンタリーやニュース特集を数多く製作。社会の差別や偏見をなくしたいとの思いからだった。
だが一方で、いじめのヒントを与えるようなバラエティ番組や性を興味本位に扱う広告は増長するばかり。一作り手として歯がゆかった。メディアも企業なので、視聴率を上げたり読者の数を増やしたりするためなら低俗な情報も流す。これはもう、メディアの受け手自身が、情報に流されない目を養う必要があるのではないか。そんな危機感を駆られていたときに出会ったのが、メディア・リテラシーという学問だった。


・・・・・引用以上・・・・・・

この本を読んで、私の数々の疑問が全てがつがなったような気がしました。
社会とは、」
我ら地球市民 (政治経済編)」
ウインナ―サスペンス劇場
安全を口にする政治家

こららは全て「消費者のために」「消費者が求めている物」と誘いをかけているのが、読み取れてしまったのです。
誰が?何故?どうして?とこの本を読み終えたから、メディアの見方が変わりました。
今までは「へぇ〜すごい〜!!」という感想から「何が目的?」って物事を冷静に見られるようになりました。
それと同時に、恥ずかしさと・・・・・・。
これらは、今後子どもたちにどのように影響があらわれるかわかりませんが、野放ししてはいけないことは事がわかりました。
同じメディアを通して、親子で感想が言い合えるのが一番いいのかもしれない。

地球環境と大勢の人類の心身の健全を失っても経済を発展させるのがいいのか、これからは国を動かしている人たちや世の中を動かしている人たちの「大人力」を冷静に見ていきたいと思いました。
おむつなし育児
[2008年08月22日(金) ]

毎日新聞の家庭欄に「おむつなし育児」のことが書かれてありました。
私は長子を授かって、初めての育児に右往左往していました。
分厚い育児書を読み、新聞の小さな記事にも目を通し、子育てを模索していたのです。
それが、今や妊婦から父親まで、育児専門書の月刊誌が売られる時代になったのですから、驚きです。
こうなれば、マニュアル時代を過ごした親たちは、「こうでなければいけない」風潮に流されて当たり前です。

私が右往左往している時に、いつも思っていたことが、便利な道具がない時代は、どのように育児をしていたかということです。
大昔の人たちのやり方やジャングルの奥に住んでいる人たちの育児に興味を持っていました。
でも、そんなことを提案してくれる育児書は、私の手元にはありませんでした。
ですから、型には待った育児ではなく自分ができる育児をして来たつもりでした。

今回、この「おむつなし育児」を読んで、もっと早くに知りたかったと、残念でなりませでした。
その当時は、紙おむつが一般になりつつある時代でした。
長子には、布オムツでしたが、次子は紙オムツに完全に移行をしてしまいました。
それは、時代に流れというのもありましたが、一番には「楽」だったからです。
運良く、二人ともオムツからパンツになるのが早かったので、そんなに苦労はしませんでしたが、
「おむつなし育児」を知っていれば、きっと、この方法を取り入れたでしょう。

それは、なんと言っても「親子のコミニュケーション」がとれる大きな効果があるからです。
子ども気配を感じる、察するというのは、今日明日では身につきません。
勘違いや失敗、誤解など数々の経験を踏んで、少しづつ少しづつ確信できる何かを「親子」で育ち合えるのが「育児」なのだと思います。
授乳も何時間おきではなく、子どもがお腹をすかしたら授乳をする。
泣いたら、それを母が代弁をして言語化することで、子どもが言葉を覚える。
そんな、簡単なことだったはずなのに、当時はなんだか大げさな子育てをしてきたと、今ごろ反省をしている私です。
あ〜〜「おむつなし育児」やれるものなら、もう一度やってみたいものだ。
金メダルと銅メダル
[2008年08月20日(水) ]

この夏、高校野球と北京オリンピックでテレビから離れられない我が家です。
これらのスポーツを通して、母親として考えさせられる事がたくさんありました。

他県出身者が多い高校野球のチームに地元の人達は、心底応援が出来るのだろうかとか、
野球部員の前に高校生だという指導はされていたのだろうかとか、
自国ではオリンピックに出られないので他国へ帰化してまでもオリンピック代表になりたいのだろうかとか・・・・。
非難めいた事の方が多いので、ここでは前向きな考えに変えたいと思います。

さて、今回の代表選手たちはもちろんの事、その選手をサポートする人達にも日の目が当たった大会だったのではないでしょうか。本当に素晴らしいです。
4年に一度のこの大きな舞台に合わせて、選手たちの筋力、体力、知力、モチベーションを合わせていくのは、本当に素晴らしいコーチングだったと思います。
私は、その方達の成長の素晴らしさにも大いに拍手を送りたいと思いました。
きっと、この世に宇宙大運動会というのものがあれば、地球人の追求性は素晴らしい結果を生むと思います。

さて、その「金・銀・銅メダル」の表彰される場面で選手達の表情に、不思議に思ったことがありました。
競技や試合形式の違いがありますが、「金メダル」と「銅メダル」の選手は、満面の笑みで授与されているのに、
どうして「銀メダル」の選手は、辛い、悔しい表情なのでしょう。
そのことを一緒にテレビを見ている家族に話をしたら、
旦那が「金と銅は、勝ち上がっての授与だからね。銀だけが負けてもらったものだからじゃないか。」と答えが返ってきました。

確かに、3位は「3位決定戦」と「敗者復活戦」で勝ち上がった選手が「銅メダル」を受け取ることができます。
ですから、「勝ちあがった」という意味で「満面の笑み」が出てくるのでしょう。

銅メダルを受けた選手たちの心理を考えて見ると、一度負けて諦めた所から、もう一度自分に目的ができ、
その目標に勝ちあがった満足感があったのでしょう。
そのためには、気持ちの切り替えと次に目標の置ける精神力が必要な訳です。
これは、スポーツ選手だけが必要なのではなく、私はもちろんのこと、我が子どもたちにも備えたい能力です。

世界で、いえ日本全国で対等に試合ができる能力を持つ選手の育成とそれを支えているサポートスタッフの皆さんの今後の活躍を大いに期待をしたいと思います。
そして、その爪の垢を少し、私にも頂きたい。






見方が変わる(戦争編)
[2008年08月11日(月) ]

終戦記念日が近づいてきました。
子どもの頃に描いていた戦争のイメージは、日本国VS他国との戦いと思っていました。
それが、自分が歳を取るにつれ、社会に対する見方や事実を知るたびに、その見方は変わってきました。
それは、急変したものではなく、少しづつ少しづつ、こんがらかっていた大きな毛糸玉を解くように、すべての事実が一本の線でつながっていた事に気が付いたといっていいでしょう。

以前は、原爆や大空襲を体験された方達のお話や映画を見聞きして、その悲惨さを考えさせられました。
それは、被害を受けた者たちの嘆き、悲しみ、絶望です。
そして、「生きる」ことの大切さを教えてくださいました。

昨年から、むのたけじ氏のコラムを読むようになり、組織で動く戦争から個が受けた戦争のあり方を考えるようになりました。
激戦地で最前線にいた兵士の気持ちとその苦悩、そして、その家族。
兵士を最前線へ送る部隊の気持ちとその苦悩、そして、その家族たち。

一発の爆弾の被害者と同じように加害者にも、その人生があり、ドラマがあるわけです。
ですから、爆弾の数の分だけそれぞれのドラマがあったことがわかりました。

初夏から、毎日新聞には「モンテンルパのうた 兵士が遺す言葉」が連載されていました。
歳の頃は80代の人たちが、戦争に行き、生きて帰れた上の苦悩が書かれていました。
そして、アメリカで原爆開発計画に参加した女性科学者の人生も、63年間も苦しんでいた事実に私は驚いてしまいました。
毎日新聞
朝日新聞

このような事実を知って上で、「戦争」とはなんだろう?と考えた時、
これは、もはや「戦争とは、自分が生きるか死ぬかの選択しかない」ことがハッキリしてきました。
国は、「いのち」の大切さを教えないと言います。
それはなぜか?
それは、有識者から聞いた話では「戦争が起こった時に、国のために「いのちを落とせ」と言えなくなるからよ。」と教えてくださいました。
だから、「いのち」の大切さは、家庭がキチンと教えるべきなのだと理解しました。
「あなたは、大事な子どもです。」「あなたは、かけがえのない命を持っているんですよ。」と・・・・。
戦地最前線では、知らない者同士の自分を守るための戦いです。
そんな戦争は大反対です。

今年も終戦の日が近づいてきました。
世界中の戦争犠牲者のみなさんに合掌したいと思います。

黙祷

歴史ある風景
[2008年08月08日(金) ]

旦那が平日に休暇が取れたので、久しぶりにお気に入りの日帰り温泉に行ってきました。
この日は、同居の父と娘も同行したので賑やかな小旅行気分となりました。
途中、日本酒の酒蔵があるので、「おじいちゃん、途中に酒蔵があるんだけど、寄ってみる?」と誘うと「いいねぇ〜」と返事がきました。

曲がりくねった急坂を降り、小さな川を渡ると歴史深い酒蔵が見えてきました。
実はここは、2度目の来訪です。

日本酒が大好きなおじいちゃんは、店主夫人のお誘いで色々なお酒を試飲させて頂きました。
「うまいねぇ〜」と唸ったお酒は、吟醸酒でした。
おじいちゃんは私にも勧めてくれたので、下戸な私も飲ませて頂きました。
「ん〜〜、お酒の味はよくわからないけれど、美味しいのはわかるわ。」という、私のへんてこりんな答えに、運転手の旦那はとても羨ましそうに見ていました。(試飲より運転を取った旦那です。・・・・私の運転が不安なのかしら?実は途中の山登りラリーを楽しみにしていたのです。)

この母屋は、実は江戸末期に建てられた日本家屋で、「八つ墓村」のロケ地にもなったそうです。
旦那が「建物の中を見てもいいですか?」と店主夫人にお願いをすると「足が汚れますけれど、どうぞ、どうぞ。」と勧めてくださいました。
広い土間から畳の部屋に上がると、外から見たのとは、全く違う景色が見えました。
二階から上はお蚕さんを飼っていた場所だそうで、大きな太い大黒柱と梁が、この家を支ええているのがよくわかりました。
「この建物は、江戸末期のものなのに、電線も張られて、新旧の歴史があるんですね。」と私が言うと「この電気関係も、すでに歴史ものになっているようですよ。今はこの部品もすでに見かけないようです。」と夫人が答えてくれました。
大きなお屋敷の奥の奥が気になって仕方がない私は、「この奥も行ってみてもいいですか?」と聞きました。
「え〜〜いいですよ。ただ、畳がフカフカしちゃって・・・・人が入らないので、畳の中に空気が行かないから、畳がフカフカしちゃうんですよ。」と教えてくれました。
家は、人が住まないと痛みやすいというのは、そんな事からもいえるのかもしれません。
私たちの興味に、店主夫人は資料館の説明のように、家の隅々を色々と教えてくれました。
うぐいす板・ピカピカな色付き漆喰・鏡を埋め込めた洒落た漆喰の壁・茶室の天井・お礼の襖の日本画・焼杉の欄間・奥の茶室・四つのおトイレ・お坊さん専用の出入り場所・・。
その一つ一つが本物であり、その材料も伝える技術者もない(いない)モノばかりでした。

モノだけではありません。この建物がいつまでも残っていた背景は、人の心意気とか思いやりとかがあったからこそ残っていたのだと、店主夫人の話を聞いて伝わってきました。
それは、贅を尽くして集められたという感じではなく、誠意が集まった家屋と私は感じました。

この中の一つ一つのモノは、今の私たちから見たら当たり前のものですが、その当時はハイカラで驚く技術だったに違いありません。歪んだ大正ガラスの入った板張りをみて、その歴史を深く感じました。

玄関の土間も幾人の人たちが踏み固めたものなんでしょう。
そこに立っているだけで、歴史の時空間に入っていけるような気がしてきました。

聞かなければ、わからないバス停の名前の由来などなど。
ただの道路の脇に、こんな人の歴史と建物の歴史があったなんて、知りませんでした。
今晩は、そんな話を肴に、美味しい日本酒を楽しみたいと思いました。
道具を育てる。
[2008年08月06日(水) ]

4年前に、実家の北海道でダッチオーブンを激安で購入しました。
ダッチオーブンは、重くて手入れも面倒で、なおかつ料理のレパートリーも少なかったので、使う回数もだんだん減ってきました。
ダッチオーブンは、男の料理ということにして、私はあまり手を出さないようにしていました。

旦那はテレビっ子で、見る番組がなくなるとNHK教育テレビを回します。
その日は偶然に「趣味悠々、ひと味違う!ダッチオーブン入門」をやっていました。
旦那は、夕食を食べながらその番組を熱心に見ていました。
放送時間に帰宅できない日には、ビデオの予約を頼まれるほどの熱心さです。
それではと、私はテキストを一冊買う事にしました。
料理好きな旦那は、早速テキストを何度も読み返し、その中のレシピをいくつか作ってくれました。
この本の中に、スキレットという名の鉄製のフライパンが載っていました。
旦那が「おい、こんなの家になかったか?」
私「あ〜〜あった、あった、嫁入り道具の一つに持ってきてたわ〜、最初使っていたけど、重くてそれから、ず〜っとお蔵入りしていたね。出す?」と聞いたら
「この本に、(また別な本も購入)『目玉焼きも全然違う』って書いてあるから、焼いてみようよ。」という事になり、
私の『いつの日か箱』から、南部鉄製の岩鋳のフライパンを出してきました。

重厚な真っ黒な鉄のフライパンは、コンロの上に置いても存在感があります。
充分に熱したフライパンに油を引き、新鮮な卵を割り入れます。
外側の白身が固まり始めたら、水を入れ10秒ほどフタをします。
1・2・・4・5・・7・8・・10!!
フタをそっと開けると、黄身がうっすら白くなり、中は半熟状態です。
これが旨い、確かに旨いです。
何がどう違うの?と表現は出来ないけれど、テフロンで作った目玉焼きとは、ひと味もふた味も違います。

ダッチオーブンが作り出される料理の美味しさは、はまり始めるとこの上ない美味しさです。
ベーコン・鶏のこんがり焼き・パエリア・魚料理・肉料理・豆料理・スペイン風オムレツ等など・・・・レパートリーが広がる度に、コンロの上にいる回数が多くなりました。
ダッチオーブンは、手入れが必要です。
それは使い終わった後、鍋に油を引かなければいけないからです。
これはシーズニングというもので、鍋を使い込んでいるうちに、だんだん簡素化していけるようです。
それを「趣味悠々、ひと味違う!ダッチオーブン入門」の講師である大宮勝雄氏は「道具を育てる」と言っていました。
ダッチオーブンをドンドン使って、鍋を育てて、普段使っている食材が大変身するほどの料理に生まれ変わっていけるのです。
そうなるには、道具を育てていかなければいけません。
「道具を育てる」=「我が家に馴染ませる」と言い直してもいいかもしれません。
我が家に馴染むには、鍋をお蔵入りにしてはダメなんですよね。
いつも手の届くところに、目の届くところに置いておく、そして、触れて使う、そして何より、使い終わった後、感謝をして手入れをする・・・その繰り返しで道具は育つようです。

ついでに、紬の着物も着てこそ、こなれてきて「着物」が育つんですって。
・・・・・あ!!これって、何かと一緒だなぁ〜と思ったら、子育てと通じるところがあるような
あ〜快感
[2008年08月04日(月) ]

「あ〜快感」
このテーマをみて、祭っ子は何を書きたいのか?と驚かれた人がいる?驚かせてごめんんさい。
「快感」って、色々な場面でも使われますね。
   
広辞典より
快感=心地よい感じ、いい気持ち。

大人になって、いろいろな「快感」を探すのが面白くなりました。
パートナーと一緒に心地よい場所を探すも良し、自分で探すのも良し、
「あ〜いい気持ち」と思うことを多く探せた人は、きっと人生を豊かなに過ごしているのではないでしょうか。
さて本題に入ります。

先日、気功教室に行ってきました、その時の会話です。
私「真夏なのに、体が冷えてると感じてから、寝る前にお腹を温めているんです。お腹を温めても熱いって全然感じなくて、気持ちよくなって知らずに寝てしまうんですよ、・・・・お腹を温めるようになってから、これが不思議と毎朝のお通じが「快感」なんです。」とみんなの前で話をしたら誰かが「私、いつも便秘気味で「快感」を感じたいわ〜」と
『快感なお通じ』話で大盛り上がりしました。

旬報社 「さよなら!不快症状 おしりのトラブル」野澤真木子著

よいうんちって、どんなうんち ・・・・・ここから引用・・・・・・

便のことはデリケート 話題に出ないぶん、情報がない

便のことは、とてもデリケートな問題です。家族や親しい友人と話す時も便についての話題が出ることはあまりないでしょう。特に女性同士では、便の状態を比べたりすることはほとんどないといえます。
・・・・・・・・(中略)・・・・・・・問題なのは、人と話さないぶんだけ、便通についての情報が不足していることなのです。
わたしは診察時にはいつも、「便はどうですか?」と患者さんに聞いています。するとみなさん、「普通です」といいます。しかし、「普通というと、どんな便ですか?」とさらに聞いてみると、あまりよい状態とはいえない便の場合が多いのです。便器にプカプカ浮いてしまう未消化便だったり、肛門にたっぷり付着してしまうぐらいゆるかったり、うさぎのうんちのようにコロコロだったり、大きな太いうんち、逆にとても細いうんちだったり・・・・・。

理想な色、かたさ、形と大きさ、回数は?

では、よいうんちとはどんな状態なのでしょう?
色 
もっとも理想的なのは黄褐色か茶褐色です。黄色ということは、消化、吸収を補助する善玉菌が多い証拠なのです。
かたさ 
ねり歯みがき粉ぐらいがちょうどいいでしょう。水分を70〜80%ほど含んでいる状態です。
形と大きさ
バナナを少し小さくしたぐらいがよい状態です、量はだいたい100〜250g。
におい
肉食が多いほど、腐敗臭が強くなります。
回数
たとえ毎日なくても、2〜3日に一回快適に排便できるなら大丈夫です。(残便感なく快便であればOK)

・・・・・・・引用以上・・・・・

私が子供の時、毎朝でる排便に面倒を感じ『二日に一回で充分なのに・・・』と思ったら、本当に一日おきの排便になった事がありました。それが母親に「うんちは毎日出るのが健康な証拠なのよ」と言われ、それから心の中で『うんちは毎日出すのが良いんだって』とつぶやいたら、今度は毎日排便するようになりました。
ですから、うんちはとてもデリケートなものとわかり、私は子どもが小さい時から「うんちは、毎日でるのが健康な証拠なのよ。バラの匂いのうんちはないのよ。どんな綺麗な俳優さんや学者もうんちを出さない人はいない。」などど、「うんちを出すことは恥ずかしい事ではない。」ということを言い続けてきました。

いつも「快感うんち」の私ですが、ときどき、出したいのに出にくいという状態のときがあります。
そんな時は、洋式トイレに座りながら、お尻で歩くように左右の骨盤を前に動かすのです。(左右交互に膝を前に出す感じ)
そうすると、いきまなくてもすんなりと排出してくれます。きっと腸運動がされているのかもしれません。
お心のある方は、どうぞお試しください。

うんちが気になるようになってから、食べものにも気をつけるようになりました。
そうやって、少しつづ少しづつ「快感」を増やしている私です。


「普通」が知りたい
[2008年08月01日(金) ]

若いママさんと世間話をしていた時の話です。
「私、普通が知りたいんです。普通の生活ってどんな生活なんですか?祭っ子さん教えてください。」と聞かれたことがありました。
そう聞かれて、なんと答えていいか・・・・聞いた若いママさんは真顔でしたので、話をごまかすわけにもいかない様子。

でも、考えたら、私も若い頃に「普通の生活」ってどんな生活なんだろう、と思ったことがありました。
子どもが産まれて、子どもに世間並みのことをしてあげたいとか、自分も世間並みの生活を送りたいとか・・・・・。
テレビの情報からの世間一般の「普通(世間並み)」ではなく、現実の「普通(世間並み)の生活」について、知りたかった時期がありました。

今は「自分の背丈に合った生活」を楽しむことができるようになって、「普通」という言葉を忘れてしまったようです。
それは、今の生活に充分に満足をしているからなんでしょう。

私は、若いママさんに何年か前の電車での出来事を話しました。
それは、都心の向かう電車の中で、赤ちゃん連れのママさんとひょんな事から会話した出来事です。
(私の特技は、知らない人といつでも誰とでも話せること)
「この時期の子どもは洋服はいくらあっても足りないよね。」という話から、「私の周りの人たちも友人からのお下がりをあっちこっちからいっぱい頂いたり、差し上げたりしていたわ〜リサイクルショップにも良い物が出回っているから重宝していたわよ。」と話しをしたら「そうですよね。それでも充分ですよね。」とそのママさんに言われた事がありました。
その赤ちゃんのママさんが住んでいる場所は、乗られた駅名から察っして、私が住んでいる場所から比べると、
かなりのセレブなエリアです。
「まだ赤ちゃんなのに習い事の話やブランドものの洋服の名前を出されても・・・。」とママの苦悩が見えたのでした。

私は「普通の生活」で悩んでいる若いママさんに、「電車で知り合ったママさんの住む地域のように、ブランドの洋服に身を包まれているのが当たり前で、習い事は何種類かさせて、小中学校はお受験を視野に入れるのが当たり前の生活なら、そこではそれが普通の生活なんじゃない?農家では野菜は畑からもぎたてで、収穫が続く限り同じ物を食べ続けるのが当たり前なら、それが普通。裸で生活している国では、裸が普通だろうし、毛皮のコートを着ていないといられない所は、それが普通なんだと思うよ。自分が住んでいる環境の常識が「普通」という事になるんだと私は思うけど。」と答えると、若いママさんは「わかったわ〜、だから同じような考えの人たちと話しをすると安心できるのよね。・・・・」などど言いながら、彼女なりの答えが見つかったようです。

テレビや雑誌に流されないで、自分らしく、周りと調和できていることが「普通」なのだと私は思います。
でも、本当に「普通の生活」ってなんなんでしょうね。
それは「心豊かな生活」であって欲しいですよね。