かぁちゃん、ただ今 育自中

子供を育てているつもりだが、実は親が育てられているのかもしれない。
「育児は育自」 私は、今も育っています。

     
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災い転じて福とする
[2007年12月28日(金) ]

世の中には、いろいろな人達が居ます。
大きな夢を持っても、どうしていいか分からず私のようにすぐに諦めの早い人もいるでしょう。
反骨精神で、世の中にはい上がった人や気がついたらその道に進んでいた人とか、人生はわからないものです。

成功をおさめた人たちの中でも、大きな壁にぶつかって、もうダメだと諦めたその時のひらめきが成功(自分にとっての)への軌道を見いだした人たちもいます。
失敗して、人も自分も心傷ついて、諦めて、でも諦めきれなくて・・・・とモヤモヤしている人もいると思います。

NHK番組 「プロフェッショナル 仕事の流儀 」を見ていても、何の苦労もせず過ごした人は誰もいないことがわかります。

何の才能のない専業主婦の私にも、今の自分より成長をするチャンスがあると思えるようになりました。どこかに勉強に行かなくても経験が自分を育てていたのです。

何年か前に子供会のチラシ・お知らせを作るために、パソコンのワードを操作できるようになりました。
今年は、自治会の会計とある団体の会計を任され、エクセルを操作できるようになりました。
そして今回、このブログを書くにあたって、文章をまとめられるようになりました。(校正付きですが)

人との関わりもそうでした。
娘が小学校の1年生の時に、学校の様子を知りたいと思い学年委員になりました。
この学校は二クラスしかなく、どちらかが正副委員長となります。
私は、どうせやるならと委員長になりました。(旦那の転勤で残りの年月決まっていたのです。)
おかげで、入学式には答辞を読む羽目になりました。(全学年の学年委員会はとても楽しかったです。)
息子が幼稚園にいたときは、PTAの会長になりました。
前回の経験で、大勢の人の前でお話をするのが平気になっていました。
この時は、人をまとめてる大切さとまとまったときの充実感を与える役割と与えられた喜びを同時に体験しました。

次の年、何故かプチ鬱病になりました。
原因は町内の人との関わりで自己喪失に陥ったのです。
私という人間を百人の人がいたら、百人の人に理解してもらっていると勘違いをしていたのです。かなり悩みました、強くなりました、時間が解決をしてくれました。

同居の父母が相次いで、入院をしました。
父は膵臓癌で、母は心不全からパーキンソン病等・・・沢山の病名を持っています。
ほぼ毎日、お見舞いに行きました。
この時は、医療とか人の命とか人生について深く考える機会をもちました。

交通量の多い交差点で交通事故を起こしました。
相手が自賠責に入っていなかったので、解決まで何年もかかりました。
検察庁に2回出頭しました。正義について深く考えました。

子どもが反抗期に入りました。
子どもが持ってくる山のような問題が私にのしかかってきました。
解決策を探したくて、私はさまよい歩きました。
そして、市の母親学級の企画委員になりました。

自分が、家族が、幸せになるには、
自分→家族(子ども・旦那・両親・きょうだい・親戚)→地域環境(仕事・住居・
子ども達・自分の友人・旦那の仕事・・・)→社会(日本・世界)→自分に戻るのだと知ることが出来ました。

何も知らない箱入り娘(私は段ボール娘と呼んでいました。いつでも出られるんだけどなかなか出て行かないということで)が、内地に嫁に来て、まわりを見ても誰も何も知らないところでも少しづつ成長をすることが出来たのです。

これから先も、人生の関所がたくさん待ちかまえていると思います。
その時、逃げずに自分に正直な気持ちで通過していけると思うようになりました。
難問珍問どんと来いです!!

災いだと思っていたら、災いにしかならないと思います。
災いを福にしようと思ったら、成長するのだと思います。

来年は、どんな年になるか、皆様もよい年になりますようにお祈り申し上げます。


二枚舌
[2007年12月26日(水) ]

昼前に会議が一本入っていた日の話です。
我が家では出かける前に、必ず下に住む同居の両親のご機嫌伺いを兼ねて「○○の関係で行ってきま〜す。」と声をかけて出かけます。
母はいつも、私を気持ちよく送り出してくれますが、今日はいつもと違っていました。
「どうした?何かあった?」と私が聞くと、
「目が変で、今さっき眼科の先生に電話を入れたら〜」と私に説明を始めました。
よくよく話を聞くと、頭に付ける液体の薬を眉毛に付けたら目の中に入って目頭と目尻が痛くなったというのです。聞くとそれは先週のことで、かなり悪化して初めて私に話したのです。(毎日会っているのに)一人で判断をして眼科の先生(市外)に電話を入れたら、「明日そちらの病院(市内の総合病院)に行くからその時に診ましょう。」と言われたそうです。
母の症状を診ると一日でも早く先生に診せた方が良いと思い、私は会議に遅刻をすると連絡を入れ、母を病院に連れて行きました。
途中まで眼科に向かっていたのですが、母に「目はどう?痛い?かすむ?目がかゆい?見え方はどう?」と聞くと、「目は大丈夫よ。」という答えが返ってきました。
私は、車を安全な場所に止めて、薬をもらった皮膚科に電話を入れました。
皮膚科の先生に一通り話をすると「こちらで診ましょう。」とおっしゃったので、すぐに方向転回しました。
皮膚科の先生は、付けた薬が原因ではなく、新たな炎症ができたと診断をしてくださりました。
塗り薬をいただき塗布後すぐに回復しました。

私は、大事な会議に遅れて入りました。
居合わせた人たちは、母の事を心配をしてくださり、無事に解決できたことに安心してくれました。
大先輩のEさんが(「育ち合い」で登場の大先輩)「祭っ子さんは、お嫁さんなの?いいお嫁さんじゃない!」とお褒めのお言葉を頂いたので、「いえ〜これが、二枚も三枚も舌を持っているので、なかなかしたたかなんですよ。」と答えると「それが良いんじゃない!!一枚じゃ〜素直すぎて衝突をしてしまうでしょう〜、二枚持って相手を気持ちよくさせるなら二枚でも三枚でも持っていた方が良いのよ。」と舌をビラビラさせて私達を笑わせてくれました。
隣に座っていた先輩母が「なるほどね〜」と神妙に納得していました。

私の舌は、ますます数が増え、したたかさも増していきそうです。
でも、そこには有言実行を添えなくてはいけませんけどね。
我ら地球市民
[2007年12月24日(月) ]

副題〜私達が食べ続けるために、次世代の子どもたちが食べ続けるためには〜 今、食育と環境の問題が大きく取り上げています。
そんな中で、大人のための総合的学習の時間〜全農共育
「私の食が世界・地球をつくる」と題した食育講座を聞いてきました。

「食農共育」とは、食(消費)と農(生産)に関わるすべての人びとが共に学びあい、育みあうことで食の問題を解決していきたい」という思いを込めた造語です。

講師の先生が「皆さんは、食べ物を求める時、どこを見てお求めになりますか?」と私達に聞いてきました。
講座を受けた人たちは、「原材料・カタカナの少ないモノ(添加物)・国産・鮮度(見た目)・値段・期限・・」と次々と出していきました。
若いママ達が対象でしたら、一番に値段・賞味期限と答えるそうです。

さて、わが日本では国内は勿論、世界中の食材を使い料理を調理をして、豊かな食卓で生活をしています。
では、日本食の「天ざるそば」の材料を見てみましょう。

そば粉 自給率27% 残りの73% 85トンが輸入です。
輸入国は 、中国・アメリカ・オーストラリア他。
上位3カ国のフードマイレージ合計は418、902(単位千トン・キロメートル)だそうです。
えび=自給率 10%、241トン輸入、
輸入国はベトナム・インドネシア・インド他
フードマイレージ950、812
シイタケ=自給率91%、23トン輸入、
輸入国中国のみ
フードマイレージ67、0691
かぼちゃ=自給率66%、122トン輸入、
輸入国ニュージーランド・メキシコ・トンガ他
フードマイレージ1、316352
ねぎ=自給率87%、71トン輸入、
輸入国中国、韓国、アメリカ他
フードマイレージ213、374
ショウガ=自給率51%、39トン輸入、
輸入国中国、タイ、インドネシア他
フードマイレージ117、341
小麦粉=自給率14%、5、472トン輸入、
輸入国アメリカ・カナダ・オーストラリア他
フードマイレージ92、963,421
出典:「2004年度財務省貿易統計」(2005年)などから計算

これらは、上位3各国でフードマイレージを計算をしていますが、日本は世界中から食べ物を輸入をしているそうです。
例えば、アスパラガスは自給率62%ですが、14ヶ国から輸入をしています。その38%の量は17,469トン。
輸入国第一位は、タイで3、919トンだそうです。スゴイ量です、一体いつ誰が何処で食べているのでしょうね。

輸入物は、そこの土地を使って作ります。
土地だけではありません、水、労働力、石油、窒素と、日本のために多くのモノを使って輸入をしてもらっています。水は、バーチャルウォーター(仮想投入水総輸入量)は、日本国内の年間灌漑用水使用量:590億立法メートルに対して、640億立方メートルが使われているそうです。
それだけではありません。
畜産物・油脂1sを生産をするために必要な穀物の量は、牛肉11s、豚肉7s、鶏肉4s、鶏卵3s、大豆油5s、菜種湯2s。
たった一キロを生産をするのに、大量の水と穀物を使われていたのです。
そして、日本に運ぶために大量のエネルギーを使って運ばれてくるわけです。
いつかのラジオ番組で、メインキャスターが「日本はお金に払って売ってもらっている、そのうち、日本に売るモノがないと言われた時に痛い思いをするのではないか。」と言っていました。
・・・では、どうしたらいいのでしょう。日本の農地は40年間で131万ヘクタールが宅地と工場地になったそうです。
131万へクタールは、長野県の全部の土地と同じだそうです。

私達は食べ続けなくてはいけません。
私達の子どもや孫の代まで、食べる環境を作らなくては、いのちが続きません。
そのために、今の私達に何が出来るのか、何をしなくてはいけないのか、真剣に考えなくてはいけません。
物事の向側には、何かあると考える大人にならなくてはいけないと講座を聞き終えて思いました。

一消費者に出来ることってなんでしょう。私なりに考えてみました。
1、冷蔵庫のチャック=食べないで捨てる人が多い(莫大なエネルギー・水・労働力を使って輸入された商品を食べずに捨てはいませんか?)
2、食べ過ぎ、作りすぎないこと(ストレスをためないようにしましょう=食べ過ぎるから)
3、買い物に行くときは空腹では行かない。
4、一般の消費者は情報が正しく伝わっていない、正しい情報をもらいましょう。
5,地産地消をしましょう。
他にやれることはありそうです。

追記

企業でも食育・環境問題を取り上げていますが、そこの商品を買ってもらうための取り組みが多いそうです。
環境問題も食育問題も、それを選ぶのは消費者です。
社会をつくる主人公は地球市民の私達一人一人なのです。


▲年後の私
[2007年12月21日(金) ]

市の家庭教育学級で「▲年後、なりたい自分はどんな自分?」という題で講座に参加をしました。
子育て・家庭と仕事・・・母親は何通りもの役割をこなさなくてはいけません。
時として、母親は自分の時間を惜しみ、日々の生活に明け暮れなくています。
自分の夢や希望を持ったり描いたりする、自分だけの時間がないことに気がつきました。
▲年後になって、「私は、こんな人生で良かったのかしら?」と疑問と後悔を持つ前に、
今から▲年後の自分を考える時間が持てる機会を得ました。

まずは、「自分」を見つめ、認める練習からです。
夢が実現できたら、その時の自分はどうなるのでしょう。

まずは、今の自分はどんな自分なのでしょうか、自分に質問をしてみます。
私は、誰のどんなところを目標にしていますか?
自分のどこを変えたいですか?
私を信頼をしてくれている人は誰ですか?
私の得意なことはなんですか?
私の自分らしさってなんでしょう?
家族にとってわたしはどんな存在なのでしょうか?
私にちょっと勇気があったらできそうなことってなんですか?
私はどんなときに目がキラキラと輝いていますか?
自分を見つめ、認めることで、より素直な私を取り戻せることが出来ました。

私が嬉しいと思うときはどんなときですか?
私が悲しいと思うときはどんなときでしょう?
私にとって心地いいことって何?・・・・

受講生は、若いママさん、小学生を持つ母、私のように少し大きい子・・・と年齢も性格も幼児期の思い出も、それぞれみんな違います。
違う分だけ、違いがあるのがわかりました。
100人100通りの想いや夢や考え方や価値観やとらえ方があるのです。

ワークショップを進めていくうちに、どんどんと自分のやりたいことや漠然と思っていたことが少し輪郭が見えてきました。

人には「あたまのこころ」と「おなかのこころ」があるそうです。
「あたまのこころ」は、顕在意識で「〜したいなぁ〜」と考えると、潜在意識の「おなかのこころ」が「イメージ」をしたり「つぶやいたり」するそうです。
もし、ここで「おなかのこころ」が『無理だよ』とマイナスのイメージを持つと「おなかのこころ」が『やめておこう』という行動になり、もしプラスのイメージを持つことが出来れば、『やりたくなる』アンテナが張るめぐらすそうです。
自動車のカーナビのように、目的地が定まれば、そのやりたい情報が目に入ったり、耳にしたりとその方向に意識が自然に向くというのです。

例えば、自分の子どもが受験生になって、テレビや本の塾や予備校のCMや看板や塾の教室の窓明かりが気になり始めたり、流行の洋服に興味のある人は、向こうから歩いてくる最新流行のモードがすぐに発見できたり・・・と人の五感がすべてに自分の興味に働き、自分のやりたい、得たい情報が入ってくるというのです。

私が▲年後にこうなりたいと願えば、その情報が入り行動できるというのです。
いくつものワークショップを続けて、私の中の何か固いモノが動くのを感じはじめました。
今の私にはできない、私には無理、私はそんな能力がない、とフタをしていたのが動いた感じです。

人は一人では生活が出来ません。
環境・社会・・・家族・友人・・・色々な角度から▲年後の自分がどうなりたいかを考えることが出来ました。
育ち合い
[2007年12月19日(水) ]

都内に用事があり、久しぶりに都心に向かう電車に乗りました。
週末のお昼前にもかかわらず、電車は混んでいました。
満員電車で通勤をしている旦那に「今日は混んでいるね〜、いつもこうなの?」と聞くと
「まだ空いている方だよ。」という返事、『毎朝、ご苦労様です。』と心の中でつぶやきました。
終点に近づくにつれ、人はドンドンと増えていきます。
都会の子どもたちは満員電車も平気な顔で乗り込んできました。
私の後ろに小学生の女の子を持つ夫婦の会話が耳に入ってきました。
どうも、子どもの学習指導に対する先生への不満のようでした。
「ねぇ〜、あの先生わかっていないわよ、子どもに説明をして『わかりました?』と聞かれたら、子どもは『わかりました』と言うに決まっているでしょう。あの先生、子どもが本当に理解したのかどうかわかっていないのよ!!」とややご立腹の様子。
それを聞いていたお父さんが「わからないところがあれば、聞けば良いんだよ。」と言いました。でもお母さんは、また同じ内容のことをお父さんに説明をしています。最後に「わかっていれば、こんな点をとらないでしょう。わかっていないから解けないのよ。・・・・・・」
お母さんは、自分の子どもが理解をしていないのに、先生の説明の仕方が不十分なのに自分の子どもが納得しないうちに理解をしたと判断をしている先生がおかしい、とお父さんに説明をしていたのです。

それに対して、お父さんは子どもが理解できないのならば、子どもがどこが理解できないか自分で聞けばいいのだ、と言っているのです。
電車の中で「我が家の教育論」を背中で聞いていても、私は参加も出来ず、途中で下車してしまったので、結末が聞けなくて残念でした。
あのお子さんはその後どうなるのでしょう。

今年の初夏に、私は生協の組合委員活動の一環として市長とお会いしました。
この春に市長が変わり、私達の活動(せっけん運動)に同意してもらいたくて訪問をしたわけです。
参加者は、我が町の組合員代表と石けん活動に力を入れている組合員で自治会関係でも市役所に顔の利く大先輩のおばさまと私の三人で行きました。
私達は最上階の大きな市長室に通されました。
まずは顔の利くおばさまの元に、秘書課長直々にご挨拶がきました。
その後、市長は私達の話を約束の時間まで聞いてくださり、頷いていました。
陳情を終えた後、私は先輩達に市長の対応に対して感想を述べました。
大先輩達は「今、市長は私達の話を聞いているのよ。まずはそれからよ、だから、ゆっくり見ていきましょう。」と言われました。
新市長は、これから市長として育っていくのだというのです。
組合員活動は、「共育」だそうです。「お互いに育ち合う」ことが何よりも大切だと先輩母達は言います。
若い女性が妊娠をして、母親の顔になるように、
平社員が役付きになったら、その部署の顔になるように、育っていくのだそうです。

話は元に戻ります。
先の話の子どもが理解をしていないのは、先生が悪いというと親は楽です。
でも実は、先生も日々の中で先生として育っていると私は思っています。
私の知っている先生達は、色々な生徒のために試行錯誤はしています。(時には親と戦ったりして・・・私、経験者です。)
良い症例の経験や試行錯誤の失敗、勉強したり、回復したりと多くの色々な経験を積んで、一流になっていくのだと思います。
親としては、先生がいかに子どもをキチンと押さえてくれるかを問題にしなくてはいけません。
先生のプライドを傷つけず、最大限の能力を引き出せれば、その先生もきっと一流の先生に育つと思うのです。
人は、同じように育っていくのだと思います。
先生は先生に、課長は課長に、市長は市長に、親は親に・・・段階を踏んで少しづつ成長をしていきましょうよ。
珈琲劇場
[2007年12月17日(月) ]

遠い親戚が青山のサロンで作品展をするというので、旦那とあの辺界隈を散策しがてら出かけて来ました。
同潤会アパート跡のショッピングセンター・・・・昔のアパートを知っていたので変貌ぶりには驚きました。
そして、何よりここはどこ?日本ですか?という街並み。
おしゃれな人が多く、一人お茶を飲んでいる人の手には、横並びの文字の書物。
金髪が似合う外国人とアルファベットのブランドショップの数々。
子どもたちに似合うモノを探しても、庶民には手が出ないお値段に、ただただ驚くばかりでした。

でも、今回の目的は作品展ですので、まずは腹ごしらいのランチに切り替えました。
すぐに良いお店を発見しました。
表通りから一本入った道路のちょっと奥まったイタリアンのお店です。
実は、食欲をそそる匂いに誘われてました。
通り沿いに置かれた看板のランチメニューのお値段もお手頃でしたので、すぐに決定しました。
旦那は喫煙をするので、たばこが吸える場所をお願いをしましたら、
ちょっとイケメンにお兄さんが2階に通してくれました。
古い民家風に改造した部屋に靴を脱いで部屋に上がります。
座るテーブルが8席、日の当たる壁に少し高めの位置に窓があり、
あそこの下でお昼寝をしたいほど、気持ちの良い空間です。
すでに、お客さんが二人、この近くのお勤めをしている制服姿の可愛い女の子がランチをしていました。
静かに音楽を聞きながら、都会の雑音も忘れ両足を伸ばして、ゆっくりくつろいでランチができました。

遠い親戚の人は、織りと染色を勉強されて三人で作品展を開いていました。
一人は、日展に個人の部で入選をされた実力者です。
作品を作る工程や作品への想いを直接お聞きした後に作品を見返すとまたひと味違って見えました。
作品の数だけ、想いもあるのだと知りました。
良い作品の数々を見せていただきました。

実は、このサロンの下に美味しい珈琲を出してくれる喫茶店があると聞き、集まった親戚でお茶をすることにしました。
通りに面している入り口から、すでに珈琲の良い香りがしてきます。
入り口の木のドアを開けると、右には大きな窓から中庭が見えました。
窓側のテーブルに親戚の人達が座り、私達はマスターの立ち位置あたりのカウンターに座ることにしました。
旦那は、マスターの動きに釘付けで見ていました。
マスターは、珈琲の入れ方をはじめ、喫茶店の演出まで深く考えて行動をしていることを教えてくれました。
エッセイ風に書けば、こんな感じでしょうか。

私は、都会の人混みに疲れて大通りから外れて歩くことにしました。
車が一台やっと通れる大学の脇にある狭い通りを見つけ、ちょっと都会通の顔で横道に逸れました。
そこにはおしゃれなお店や小さなサロンがあることに気がつきました。
少し奥までいくと珈琲の良い香りがしてきました。
足が棒になった私は、その香りに誘われて、大きな木のドアを押し開けると少し暗い室内の右横から
大きな窓からの落ち着いた庭の景色が目に入ってきました。
紅葉している桜の大きな木と青々とした木が一枚の絵になって見えました。

私は、奥のカウンターに座り、カフェオレを注文をしました。
マスターは、注文を聞いて私の前にソーサーとスプーンを置きました。
ソーサーの柄は、品の良い落ち着いた絵柄でした。
マスターは、一連の流れのように茶色い缶から珈琲豆をカップに入れ、天秤ばかりで重さを計りました。
そして、大きなミル機で豆を挽きます。
ミルの大きな音とともに私のコーヒー豆の香りが一気に店一杯に漂ってきました。
マスターは、ネルの袋に挽いた豆を一気に入れ、お湯を細く細く入れながら、豆を充分に蒸らしはじめました。
充分に蒸らされた珈琲はネルの袋からはみ出るのはないかと心配をするほど山のように膨らみ始めました。
そこから、ゆっくり美味しい珈琲に落としていきます。
最後のひとしずくまで愛おしそうに落としてくれた珈琲をカップに注ぎいれると
「はい、お待たせをしました。」とソーサーの上に置いてくださいました。
珈琲の良い香りに誘われて入ったこのお店の珈琲を、ゆっくりと口元へ持って行きました。
その珈琲の味は、甘みと深みがあり、私は充分に酔いしれたのでした。

マスターは言いました。
「お客さんは、珈琲が飲みたいという切符を店の入り口から手に持ているのです。私はそれに演出をしているだけなんだよ。」と・・・・・・
ランチに行ったお店も良い匂いと入り口の雰囲気と第6感で見つけました。
長蛇の並んでいるお店も長蛇の列が演出に入っているのかもしれません。

我が家にも毎日帰ってくる人が居ます。
くつろげる演出を考えてみるのも面白いかもしれません。

追記 1

私の部屋は片付かない家です。
子どもが小さいときは、本当に散らかっていました。
10年前の話ですが、その我が家に遊びに来た息子の友達母に「祭っ子さんの家は、なんか落ち着くわ〜」と言われました。きっと、散らかしても良いと安心していったのかしら?それも演出と言うことで・・・・

追記2

旦那が、自分のお小遣いで、ネルとポットを買ってきました。
同じ話を聞いていても、旦那は珈琲の入れ方に感激をしたようです。
おかげで、どちらが上手に珈琲を落とせるかやり合っています。
今の所、私に方が上手に落とせるようです。お〜〜ほほほほ・・・・(高笑い)
伝統の味
[2007年12月14日(金) ]

もう、暮れのことを考えなくてはいけない時期になりました。
同居の母は、歳のわりには新しもの好きです。
何年も前から、各デパートで紹介をしている「おせち」に興味津々です。

我が家の「おせち」は、正統派おせちを用意します。
三日三晩食べられるように、手作りをしています。

私の実家は、父はお酒を飲めない人でしたので、年始にお客さんが来ても、長居せず挨拶をして、お年玉を置いていってくれたという記憶が残っています。
私が社会人になると、元旦にスキーに出かけたりしていたので、正月料理は一日で充分でした。(正月より、31日の暮れに盛大に過ごしていました。)
嫁に来た当初は、三日三晩何処にも行かずに、家で過ごすというが苦痛でたまりませんでした。
でも、19年もこのペースで過ごすと、諦めと密かな楽しみを見つけることが出来るようになりました。

おせちは、テーブルがいっぱいになるほど、用意がされます。
私の担当は、伊達巻き、黒豆、クルミ入り田作り、栗きんとん、きんぴらゴボウ、煮豚、数の子、ウニクラゲ、ローストビーフ、お雑煮の用意。
母の担当は、煮しめ(しいたけ・タケノコ・こんにゃく・人参・里芋を別々に煮る)、煮豆2種、柿なます等
父の担当は、輪切りの干し大根に柚子を巻いて甘酢につけたもの・松前漬け等
これに、お刺身、ハム、かまぼこ、昆布巻き・・・など出来合いの物や海産物が入ります。
総勢7名の三が日分となると、相当の量になります。
歳を取って、デパートのおせちに興味のある母も家族分三日分の量を考えて、諦めたようです。
今からお疲れ気味の両親に、「作らないと正月来ないよ!!」とハッパを掛けている悪い嫁です。(笑い)

先月、ある生協のクリスマスとお正月用品の試食会に行きました。
参加人数が少なかったので食べ放題状態でした。
私と同じ歳のお母さんが「うちの子、正月の料理が好きじゃないよ〜。だから、ついつい買わなくなるのよね〜」と話していました。

学校給食では、こんな話を聞いてきました。
「子どもたちは、食べさせてもらっていない。」
だから、学校給食では、五目豆とかひじきとか切り干し大根を料理してくださいます。

子どもたちは、何を求めているのでしょう。
いつも美味しい物をリクエストに出してきます。
子どもたちは理解をしているでしょうか?
美味しい食べ物と体を作る食べ物と養生のための食べ物と季節の節目の食べ物の意味を。

子ども時分に「まずい」と思っていても、大人になれば「懐かしい〜、もう一度食べてみたい」と思うのです。

季節の味、伝統の味、大事にしなくちゃ。

追記
夕食にカレーライスを用意されると、不機嫌になる子どもが多いそうです。
何故か、それは母が夜出かけるだからそうです。

宇宙の果て
[2007年12月12日(水) ]

旦那の帰宅が遅い夜、一寝していたところに娘がやってきました。
受験勉強をしていて頭の中が単語だらけになっていたので、一休みをしたかったのでしょう。
「ちょいと、お母さん
子どもの声は、どんなに時にでも反応が出来るから不思議です。
「うむ?!どうした?」と目を覚ますと、娘が「ブラックホールがさぁ〜・・・宇宙の端っこってどうなっている?」と宇宙の話を唐突にし始めました。

実は私、この手の話が大好きな人で、小学校3年生か4年の頃に「太陽系の向こうの向こうの向こうはどうなっているのか?人間はどうやってこの世に誕生をしたのか?」と母親に質問をしたことがあります。
ラジオの全国こども電話相談室でもあれば、良かったのですが、そんな時代ではありませんでした。
母は「学校の先生に聞いてきなさい」と言ったので、私は職員室に行って先生に聞きました。
私は3月生まれの体の小さい弱い子でした。(今は身長167センチ体重やや多めに成長をしています)
お勉強も理解が遅くて、スポーツも万能ではありません。
ですから、落ちこぼれで成績も下から数えた方が早いほうでした。
そんな生徒が一人で職員室に入るのにとても勇気がいりました。
小さい私なりの理論がありましたが、先生は理解をしてくれませんでした。
先生の回答は「知らない、図書館にでも行けばわかるかもしれないよ。」というものでした。
その当時の図書館は、今のようにジャンルが多いわけでもなく、子どもが読むような本は全くといってありませんでした。
私は、万能であるはずの先生が「知らない」という言葉に愕然となり、それから勉強をする気持ちがわいてきませんでした。たぶんその頃の通信簿には、理科が1だったような記憶があります。
私の旦那は、中学に同じように学校の先生に質問をして答えられなかった経験があったそうです。その頃の旦那は「こんな何もわからない先生に聞いた自分が悪かった、自分で調べるよう」と学習意欲に燃えたそうです。

私が成人をして、NHKで「地球大紀行」という番組がありました。
私は、子ども時からの謎に、釘いるように見ていました。
私の小さいときには、まだ研究もされていなくて、先生は答えられのでしょう。
私はそれ以来、私の不思議をいっぱい調べることが出来ました。
子どもが出来て、知ることの手軽さと知らないことは必ず解決できるようにと、我が家にはたくさんの書物があります。そして何より、間違えてもいいから、議論を楽しむことが何よりの有意義なものだと思っています。

追記、
議論をした次の日、「ポワンカレ予想」が解明されたとラジオで流れていました。
数学者の方が興奮した声で説明をしていただけましたが、聞いても良く理解が出来ませんでした。
でも、いいんです。
宇宙の果ての話をするだけで、地球上にある最小の物質や0.000000001秒の時が、大きくて重くて長い永遠の時の話になるのですから・・・
ずずずず・・・・・(茶を飲む)さぁ〜飯でも作るか。

お知らせ

12月14日午後10時頃に「ふたご座流星群」が見られます。
今年は、流れ星の数多いと予想され、一時間に100個とも言われています。最近では例を見ない大出現だそうです。ポイントは東の空の赤い星(火星)を注目してください。

さて、その流れ星って・・・科学の目では「燃えるゴミ」だとか・・・
私の目には「願い事が叶う神様の贈り物」にみえるのですが・・・
人は変われる
[2007年12月10日(月) ]

大げさなタイトルですが、細胞レベルの話です。
以前、中松義郎博士がIGノーベル賞を受賞した時にテレビ番組出演された最後の「食後三日後」の一言が気になっていました。

IGノーベル賞 栄養学賞受賞

中松義郎博士がこの研究の為、42歳から77歳の現在迄の35年間自分が食べた食事の写真を撮り続け、その枚数1万枚以上。 このデータから頭の良くなる食事、長寿の食事はなんであるかの要素を何故写真を撮ったかというと頭や体に変化が出るのは食後三日後であり、通常三日前の食事を覚えていないから写真を撮る必要があるからである。 これを栄養学的に分析し、この研究を完成したのである。研究し、最終的に55の要素を発見した。


食べた翌日に、食べたカスは体から出ていってしまいますが、栄養としての体の隅々に行き渡るのが、実は三日後だというのです。
若い人は、全てのおいて、抵抗力や柔軟性があって気にならないでしょうが、年齢を重ねていく度に、自分の体の変化(老化)を大いに感じ始めます。
傷・・・こんな傷なら三日で治ると思っていたら、27歳位から完治が遅いのに気がついたり、40歳になるともっと遅いのに気がついたりした経験はないでしょうか?
50歳を目前として感じることは、食べ過ぎると胃もたれをしたり、栄養過多になると体が重く感じるとか・・・体の変化をひしひしと感じています。
そこで、三日後に変化があるか試してみました。
急激な変化はありませんが、意識をして体に良い食事を食べているのと、美味しいご馳走を食べまくっている時と比べると明らかに違いがわかります。

「生物が生物である理由(わけ)」の著書の 福岡伸一(分子生物学者)さんがテレビ番組で
大変興味を引くことを言っていました。

福岡氏によれば、私たち人間の体は分子レベルで観察すると、早い部分で数時間、遅い部分でも一年の間にすべて新しい分子に入れ替わってしまうという。私達の体は常に改修され続けているようなもので、食べることで得る様々な分子は体のあらゆる場所におくりこまれ、それまで体を構成していた分子と常に入れ替わりながら、また新たに体を築き上げて体を維持しているらしい。

今の私から脱皮したいと考えたら、まず食べ物を変えた方が良いのかもしれませんね。
健康を維持して食べる物と、ご馳走で食べる物は違うことを肝に銘じて。

追記

私の実父は、心筋梗塞後に新しい血管が出来ました。
主治医も驚いていますが、真実です。
浦和レッズ 背番号12の選手達
[2007年12月07日(金) ]

娘が小学校の時からサッカーを続けているので、(楽しむためのサッカーです。)
サッカーのルールや戦略、選手の動き、選手の心理などを楽しめることができるようになりました。
トヨタカップ・オリンピック・ワールドカップ・・・・これから、ますます目が離せません。

さて、11月14日に埼玉スタジアムで行われたアジア・チャンピオンズリーグ戦いは感動をしました。
何に感動をしたかというと二つあります。
イランのセパハンチームのパスとレッズサポーターの素晴らしさです。

セパハンチームのパスは実に見事でした。
攻める方向にパスを出し、受け手も次の攻撃につなげるようにパスをもらう。
見ていてほれぼれしてしまいました。だけど、その流れが点に結びつかなくて残念でした。
近眼の娘に言うと、「そう?」と画面に映る選手の細かい動きまで読めない様子、
解説者が私と同じことを言っているのを聞いて「おかぁさんと同じことを言っているよ」という程度。
私は内心・・・「人のふり見て我が身に取り入れる。」こともして欲しいと願うばかりでした。

今回の試合で、驚いたのが、レッズサポーターの素晴らしさでした。
埼玉スタジアム観客数:59,034人の95%はレッズサポーターだったのではないでしょうか?
試合が始まる前からの応援。
スタジアム全体が、同じように唄い、拳を挙げ、タオルを掲げる。
スタジアム全体が、同じように唄い、手を結び、ジャンプをする。
いったい、誰が指揮をしているのだろう、
あの何万人もの心を一つにしているのは誰だろう?

レッズがJ2落ちとなっても「俺たちは見放さないから」と背番号12を渡されたサポーター達が、街一色チームカラーに染め、秩序正しく動きチームを応援している姿に、私は涙してしまいました。
私が大会MVPを送るとしたら、背番号12の選手達に贈りたいと思いました。

12月7日〜16日に行われるTOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップジャパン2007が始まります。
各大陸から集まった強豪揃いのチーム・選手達の活躍も楽しみですが、
12月10日、愛知・豊田スタジアム)でセパハン−ワイタケレ・ユナイテッド(オセアニア・ニュージーランド)の勝者と対戦する浦和レッズ・サポーターの活躍も期待したいと思います。

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