かぁちゃん、ただ今 育自中

子供を育てているつもりだが、実は親が育てられているのかもしれない。
「育児は育自」 私は、今も育っています。

     
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生きたお金・死んだお金
[2007年09月28日(金) ]

私の両親は、自営業をしています。
父は、若いときに裸一貫から会社を立ち上げ、大変苦労をしていました。
騙されやすい父は他人の保証人になり、家財道具に赤い紙が一度だけ貼られたことがありました。
その上、父の趣味が競馬でしたので、母の苦労は大変なものだったと思います。
私の母は、そんな苦労を私たち子どもたちに、一切言いませんでした。
小さい時から、母から父の悪口を聞いたことがありませんでした。
母は、私たちが大きくなれば、父の長所や短所を判断できると思っていたからです。
ですから、私は、大人になって父の生き方に注意をすることはあっても、
父を恨んだり、憎んだりはしていません。

そんな縁の下の力持ちの母が、よく言っていた言葉に「生きたお金の使い方をしなさい。」がありました。
同じ100円を使うなら、有意義に使いなさい、
捨てるようなお金の使い方はするのではない、ということです。

お金を握りしめ、何に使うか・・・
そのお金をどういう想いで使うのか・・・
母は、何でもかんでも「節約をしなさい。」とは言いませんでした。
豪華なものでも、コインゲームで遊ぶにも、
そこに意味があるのなら母は反対をしませんでした。
お金を捨てるような使い方をしなければ、いいだけです。

私は、
「今、使おうとしているお金は、何と交換をしているのかな?」と自問をします。

生活必需品のため?
時間をつぶすため?
憂さを晴らすため?
ご褒美のため?
自己満足のため?
夢のため?
投資のため?

私は、子どもたちにも同じような質問をします。
高額・少額でも捨てるような使い方でなければ、OKを出します。

追記

よかれと思ったバーゲンの品。
結局は、ゴミ箱行きになりました。
「はぁ〜、わたしゃぁ〜まだまだ、生きたお金の使い方が身についておりません。」


戦争映画で何が学べるの?
[2007年09月19日(水) ]

パルティオのお友達の日記の一部です。

>日頃のわが息子は、おっとりのんびりでニコニコしています。
暴力的だったり、チャンバラしたり、○○マンごっこでお友達を泣かせたりするような子ではありません。
優しいよね、穏やかだよね、と言われます。
将棋などをしていても、勝った負けたで泣き喚いたりはしません。

でも、彼の心の中には、たくさんの武将や軍人が住み着いていて、
戦記ロマンのようなものも、夢中で読みます。
「武士の生きザマ」みたいなものが好きみたいです。


小学生の息子さんのことを思う日記です。
パルティオの中では、多くの共感や意見が寄せられていました。

この日記を読んで、思い出したことがあります。
わが息子も友人とケンカはしますが、手に負えないほどの暴力行為にはなりません。

私は、犠牲の出る戦いは好きではありません。もちろん、パルティオのお友達も同じです。
世の中には、戦いモノの映画や物語、ゲームが溢れています。
家族の一人でも戦争という手段を知って欲しくないと、いつも願っていますが、
なかなか難しいようです。

実は、旦那が戦争映画が大好きです。
特に、コンバット系がお気に入りです。

居間で、お酒を飲みながら一人でテレビ映画を見ていた所に、
風呂上がりの息子が、酒のつまみを目当てに旦那の側に座り込んでしまいました。
テレビの裏側に居た私は、息子に戦争映画を見せて欲しくないと願っていましたが、
つまみを食べているうちに、息子が画面に釘づけになっていくのがわかりました。
そのうち「ねぇ〜ねぇ〜、どうして、こうなちゃったの?」と旦那に質問を始めました。
「これはなぁ〜、命令をされたこいつが自分の判断で・・・・」と映画の内容にそって、
『団体行動は大切なルールを守らないと組織が壊れてしまう。』という内容を話していました。
早い話が「ほう・れん・そう」(報告・連絡・相談)と戦略(どう人を動かすか)です。

そこでは、人が犠牲になる話はしていませんでした。
組織として、どう動かなくちゃ行けないのか、
次に進むには、どのような行動をとらなくちゃいけないのか、という話です。

「戦争映画」というだけで、毛嫌いしていた私ですが、
そのような見方もあったのかと知りました。

パルティオのお友達のお子さんは、きっと素敵なリーダーになると思いました。

追記

そういえば、昔のアメリカ映画のラブ・コメディーを見て、友情と恋愛の違いを学びましたっけ。


5分の一の世界
[2007年09月17日(月) ]

旦那の趣味で、サイクリングに時々同行している私は、途中で色々と寄り道をするのが好きです。
走りながら、何か面白い物を見つけると、知らずにはいられないのです。
私の母の教えで「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」がありました。
消極的で物怖じばかりしていた私は、この言葉を聞いてから、知らない人にでもドンドン聞けるようになったのです。

さて、サイクリング中の話です。
ある公園の中でリモコンを操作している女の人が居ました。
コントロールされている物は、オートバイでした。
四輪とは違い不安定な二輪車は、そう簡単に立ってはくれません。
彼女は、派手な音を立てながら何度も何度もオートバイを倒していました。

ベンチには、彼女のパートナーが、もう一台のオートバイのメンテナンスをしていました。
私は、その場所を通り過ぎたのですが、もう一度引き返しました。
そして、パートナーの方に「見ても良いですか?」と話しかけました。
彼は、少年のような目で「あ、いいですよ。」と快く了解をしてくださいました。
私は、わき出る愚問を次々出しました、にもかかわらず、彼はわかりやすく教えてくださいました。

途中行方不明になった私を捜し出してた旦那も話に加わってきました。
旦那が加わると、話題はメカの話に集中します。
彼は語る度に、目がキラキラと輝きを増してきました。

このオートバイは、実際のオートバイの5分の一の大きさだそうです。
大会もあるようで、全国に愛好者が百何名かいるそうです。

「これって、基本はこれだけど、だんだん部品や塗装にこだわってくるんでしょう?お金がかかるね〜」なんて、
下世話な質問をして彼女の方を向くと、うんうんと無言で首を振っていました。
趣味にはいくらでもお金を惜しまないタイプらしく、わが旦那も一緒にニヤニヤとしていました。

もちろん、彼の運転も(コントロールさばき)見せていただきました。
すごい!!かっこいい!コーナーさばきなんか、地面に顔をつけて見ていたいほど。
これは、のめり込むのもわかります。

晴れた日の休日、色々な趣味に腕を上げている人たちが、あちらこちらで見かけました。
旦那も自分のペースでサイクリングをしたのだろうなぁ〜。
私は、ある提案が浮かびました。
「この坂、登りたくなから、私はあっちの道から帰りたいので、駐車場で待ち合わせようよ。」
旦那は、ちょっと心配をしてくれましたが、お互いに携帯電話も持っているし、人に聞けば地図もいらないと判断をして、別れて帰ることにしました。
ギャンブルを待っている子どもたち
[2007年09月14日(金) ]

旦那の趣味にサイクリングが加わり、時々旦那と同行しています。

週末の都内には、旦那が好きそうなコースがいっぱいあります。
サイクリング+美味しい物+探検好きの私には、自転車は移動手段としか考えていません。
ですから、旦那の自転車を漕ぐ楽しみを半減させているのですが、時々誘われます。

夏休み最後の週末、「あの鰻屋の店に行ってみない?」と旦那から誘われました。
あの鰻屋とは、「大きな碑・小さな碑」の追記に登場した常連さんから聞いた
「旧東海道街の美味しいお店」で紹介されたお店の一つです。

あの日、店の前を通った時に、漂ってきた旨そうな匂いが忘れられなくて、すぐにOKを出しました。
鰻屋は間口が小さくて、知らないと通り過ぎて行きそうな店構えです。
中にはいると、4人掛けのテーブル席が二つ、上がりの席が三席、5人席のカウンターがありました。
お店の中は、すでに4席が埋まり、地元の人たちが楽しそうに鰻や天ぷらを食べていました。
私たちは、入り口に一番近いテーブルに腰をかけ、下町の常連さん達のお墨付きの「松の鰻重」を奮発しました。
旦那は、タレが気に入ったようです。鰻?もちろん美味でした。

さて、今日のサイクリングコースは、大人の街コースでした。
競馬場(この日は開催されていませんでした)・競艇場・そして大きなパチンコ屋の数々。
親子連れが会場に入っていく姿を見かけました。
そんな光景を見ると、私は得も言えぬ寂しさを感じます。

私の父は、競馬が大好きです。
北海道は、ばんば競馬というのがあります。
道産子馬に大きな重い荷物を引かせる競技です。(これが、見ていると力強くてスゴイですよ)
ですから、北海道では地方競馬・中央競馬とばんば競馬と一年中競馬を楽しんでいます。

若い頃の父は、無趣味だったそうです。
そんな無趣味な父に競馬を教えたのは、母の父でした。
その時に、大損をしていれば、私の人生は変わっていたのかもしれません。
父は、初めての競馬で家を一軒建てられるほどの大穴を当ててしまったのです。
自営業をしていた父は、それ以来競馬に夢中になったそうです。
年老いた父は、未だに競馬を楽しんでします。
(若い頃の母は、その競馬で何度も泣いているのです。)
そんな母の苦労を知らないで育った私です。

昔の話です。
父は「岩見沢に遊びに行こう!!」と家族でドライブに行きました。
父の目的は、競馬場です。
私と弟は何レースか参加をしました(馬券は父が買う)。
馬券を手に持つと応援にも力が入ります。
ゲートが開いて、ゴールまでの緊張感は、子どもながら覚えています。
子どもの感は、もちろん外れます。
外れるととてもガッカリします。
昔は、外れ馬券をその場で散らすのが恒例でした。
ですから、ゴールが決まった瞬間に外れた馬券が宙に舞うのです。
その光景を上から見ると、花吹雪のようで、とてもキレイに見えました。
馬券を握り、ゲートが開いた瞬間から息をのむ緊張感、その緊張感が打ち砕かれた瞬間、馬券が宙を舞う。
馬券を握り、ゲートが開いた瞬間から息をのむ緊張感、その緊張感が打ち砕かれた瞬間、馬券が宙を舞う。
馬券を握り、ゲートが開いた瞬間から息をのむ緊張感、その緊張感が打ち砕かれた瞬間、馬券が宙を舞う。
馬券を握り、ゲートが開いた瞬間から息をのむ緊張感、その緊張感が打ち砕かれた瞬間、馬券が宙を舞う。
私は何度も、その光景を見ていました。
その光景の中で、小さな子どもの姿が目に入りました。
宙に浮いている馬券を捕まえる多くの子どもたちがいるのです。
小さい子どもたちが・・・・下に落ちた馬券を拾っては、上に舞い上げたり、
宙に舞う外れ馬券をダイビングキャッチをして喜んでいるのです。
それを見ていた子どもだった私は、とても悲しくなりました。

その後、競馬場には子どもたちが遊べる遊具を揃えてたと聞きました。
それを知った20代の頃、「そんなことではないんだ。」と強く思ったことがあります。

昔も今も変わらない娯楽施設。
小さい子どもたちは、あの場所で競馬を知ります。
会場内のトイレや売店の位置、出入り口、良く当たる予想屋、馬券を買う場所、馬券の買い方、
馬券の・・・・・・・。
馬券を拾っていた子どもたちは、大人になっているでしょう。
どうしているのかな?
競馬を趣味にしているかしら?
自分の子どもと一緒に競馬場に通っているのかな?
願わくは、ギャンブルは、自分のお小遣いの中で運用して、楽しんで欲しいなぁ〜。
話し合い
[2007年09月12日(水) ]

自治会の用事で、近所のお店に出かけた時の出来事です。
角を曲がったら、K君のお母さんが2階のベランダで、仁王立ちになっていました。
『あら〜珍しい、何かあったのかしら?。』私はK君のお母さんに手を振りました。
彼女は、私に気がつき手を振り返してくれましたが、いつもの雰囲気ではありません。
どうしたのかしら?と彼女の視線の先を見ると、
K君と斜め向かいに住む小4年の姉さん肌のMちゃん、K君と同じ小学1年生のH君が、
道路の真ん中で車座になっていました。

K君は、兄が大学生、姉が高校生の家族の末子で、8〜9年前に引っ越して、この地で産まれました。
きょうだい揃って、みんな私立の学校に通っています。
MちゃんとH君は、我が家の隣にできた4軒の新築に引っ越してきた子ども達で、
地元の公立小学校に通っています。
H君は、我が家のすぐ隣に住む一人っ子です。
両親は若くて元気が良く、同じ職種に就き日勤・夜勤と忙しい家庭で、
放課後のH君は学童保育とおばあちゃんが面倒を見ているようです。
(何かあったらのために、おばあちゃんの連絡先は頂いています。というか、何かあったんですけどね)
実は、学校内に学童保育があるという理由で、この地に引っ越しを決めたそうです。

K君は、とても人なつっこく誰とでも「あそぼ〜」と来ます。
部活を休学をしている息子の所にも一日一回は来ていました。(一時間置きに来たときもあります)
K君は学校から帰ったら、まずはH君の所に「あそぼ〜」と訪ねてきます。
そのくらい、二人は大の仲良しです、でも時々衝突をしています。

いつだったか、我が家の前で二人の言い争いを聞いたことがありました。
いつ、つかみ合いのケンカになるかなあ?と、みています。

車座になっている子どもたちに「あら?暑いのこんな所でどうしたの?」と私は3人に聞きました。
姉さん肌のMちゃんが、二人の真ん中に座り「二人とも、言いたいことがあるんだって〜」
H君が「俺は言ったんだけど、Kが言わないんだよ。早く言えよ〜」と半分怒っています。
言われているK君を見ると、うつむき半分涙目になっていました。
後ろから、K君のお母さんの視線を感じます。
私は「そうかぁ〜お互いに言いたいことがあるんだね。いっぱい言い合ったらいいよ。それには、ここはお日様が当たって暑いから、もっと日陰の方に下がりなさい。」と言うと、3人は私の言いつけに従い、日陰に移動をしました。「これで、おばさんは安心。お互いにいっぱい言ってスッキリすると良いよ」と私は姉さん肌のMちゃんの方を見ました。
Mちゃんは、『任しておいて』と首を縦に振りました。

いつも元気なK君が、うつむいているのを見て心配なK君のお母さんに、「なんか、お互いに言いたいことがあるんだって〜、あの二人は良い関係だね〜・・・放って置いたらいいよ。」と私が言うと、彼女は安心をしたのか部屋に戻っていきました。
私の用事を終わらせて、その道を通ると3人は同じように居ました。
3人と目が合いましたが、私は何も言わずにそのまま通り過ぎました。
10分後、いつもと変わらないK君とH君の笑い声が聞こえてきました。

夕方、またまた用事の途中で、犬の散歩中のMちゃんに会いました。
私は「あれから、どうした?」と聞くと、
「何か知らないうちに、仲良くなった。・・・・いつもはね、H君が悪いのに、K君が泣いて謝るの。K君はすぐに泣いて、泣いたら許してもらえると思っているんだよ。」
私は「????、悪いのはH君なのになんで、Kが泣くの?」
「私もわからないよ〜〜、でもね。今回のはK君が悪い。」
「へぇ〜今回はK君が悪いの」
「でね。M(自分のことを名前で呼ぶ)がね。『こうしたら?』と言ったの。そうしたら仲良くなったの」
「Mちゃんがいて良かったよ。お互いに言いたいことも言えて、・・・・」
「それがね。H君は『そういうことを言うのはやめて』と言ったのだけど、K君は言わないんだよ。いくら聞いても『ない』と言うだけなんだよ。」

大人の私は、子どもたちの長い話し合いについて、あれこれと想像をしていました。
だが、本当の原因はわからないままです。
大人が思うほど、具体例もなく、罵り逢いもなく、ちょいと肩すかしだったが、何故かホッとしました。
それにしても、あの二人はやはり「良い関係」です。
近所のおばさんとして、近所の子ども達の成長を見守りたいと思いました。





日本の車窓から
[2007年09月10日(月) ]

朝日テレビ系列で<リンク:http://www.tv-asahi.co.jp/train/ >「世界の車窓から」という番組があります。
世界の鉄道の中と外から見える景色・人間模様が垣間見られる5分間番組です。
番組の中で流れる音楽、遠い世界の普通の人たちの暮らしぶり、そして車中の世界中の人たちもまた旅をしてる安らぎの顔が、私を楽しませてくれます。

私の世界の車窓の経験は、新婚旅行で行ったフランス市内電車とフランスからのTGVです。
ツァーで行ったのですが、TGVの中のカウンター付きバーで、買い物へ行ったときに「あなた英語を話せる?私は日本のことを知りたいわ」と素敵な中年夫婦に声をかけられました。
が・・・・・英会話ができない私は、「挨拶程度」と答えるのがやっとでした。
あ〜〜もっと外国の人と話せるようになりたい。(そう思いながら、もう18年になります)

さて、話は戻します。
夏の終わりに、娘と新幹線に乗りました。目的は、大学のオープンキャンパスです。
私たちは、その地に前日入りをして、半日観光をすることにしました。

実は私、静岡県より西へ行くのも新幹線に乗るのも初めてなのです。
北海道出身で、高校の修学旅行は京都・奈良でしたが、当時修学旅行の取りまとめをしていながら「団体行動はしたくない。」と修学旅行に行きませんでした。(その当時の経験話は、またいつか書きます。)

私は、ワクワクした気持ちで「のぞみ」に乗り込みました。
新幹線は、速い、速い、本当に速いです。
体が引っ張られるような感じがするほどです。(これが、Gがかかるというのかしら?)
流れるような景色を見ながら、「今どこ?」と見ると、ドアの上部に「ただ今、小田原を通過しました」とテロップが流れています。景色はドンドン流れていきます。
「あ!!お茶畑」「製紙工場の煙突」「海?浜名湖?」「瓦の屋根がいっぱい」・・・
車窓の所々で、その地域の特徴が、ちょっと垣間見られましたが、急に寂しくなりました。
車窓を楽しみしていたのですが、どこも同じようなものが線路の周辺には続いているからです。
同じような住宅・同じようなマンション・同じような街並み・同じような工場・同じような看板・看板・看板・看板・看板
同じような・・・・
隣の県との違いをじっくり探さなければ、日本中の景色は同じに見えました。

車中も、旅気分には浸っていられません。
車中のアナウンスに「お友達やご家族と楽しまれているお客様に申し上げます。車内では、お仕事されている方やお休みになられている方がいらっしゃいます。〜〜〜」と静かにすることを要求されているからです。

確かに静かなことは、良いことです。
だがなぁ〜、玄関から出たときからワクワク旅気分になっている私としては、寂しい限りです。
隣り合わせた人たちとお菓子を交換品しながら、情報交換をしたり、人生を語ったり、
そんな世界の車窓的な気分には浸れないわけです。(新幹線では無理かもね)
せめて、禁煙・喫煙と同じように、静かな空間を求めたい人用の車両と旅気分を味わい人用の車両と分けてくれてもいいのにと思いました。

しかし・・・新幹線は速かった。
そして、降りた駅は駅名を見なければ、東京と変わりませんでした。
そんでもって、楽しみにしていたお国言葉も耳に付きませんでした。
ちょいと、寂しかったです。
安全と口にする政治家
[2007年09月07日(金) ]

人との待ち合わせに、私は本屋さんを使います。
そんな時に見つけた本が,トコトンやさしい「カビの本」です。


私は、掃除が苦手で主人の母が「ゴミでは死なない」という迷台詞のおかげで、
ますますもって掃除力が落ちていきました。
そんな私が、この本でも読めば、掃除をしたくなるかもと購入をしました。

掃除は別として、このカビの話は、大変面白かったです。
そこいら中にあるカビと楽しく付き合っていけそうなほどです。

さて、この本の中で、思わず唸ってしまったコラムがありました。

学者の勇気

第二次世界大戦の日本は、国も人も疲弊し、いきおい食糧不足は深刻でした。
そのため、とにもかくにも米の輸入に力を入れました。しかし、その中で黄色に変色している米が多くみつかりました。輸送中や倉庫に保管中などに変色してしまったのです。
原因はを調べてみると「アオカビ」と言われるカビが原因とわかりました。さらに調べていくと、黄色に変色した米には強い毒性があることもわかりました。腎障害や脊髄の運動神経の麻痺、肝臓障害、発ガン性などです。
しかし、政府はそれを知っていながら、深刻な食糧不足解決のためにそれらの米の配給を決めました。また、国民の不安を払拭するために、農林大臣が報道陣の目の前で、その黄変米を試食し、さらに、“無害”とする学者の発表を大々的に盛り上げました。
このような中で一人の学者が黄変米の危険性を警告しました。農林省食料研究所の角田広博士です。
黄変米の実験結果などを国民に知らせたのです。
「政府は国民を死なせる気か!」
国民の間から非難が沸き起こりました。結果、政府は黄変米の配給を取りやめました。〜〜(以下略)〜〜


職を賭して危険性を訴え、配給阻止に動いた角田博士の行動は、スゴイと思いました。
ちなみに、報道陣の前での農林大臣の黄変米の試食は、当初三回予定されていましたが、
一回で終わったそうです。

何年か前に、食品の問題がある度に、大臣が口にしていたのを思い出しました。
安全のために口にしたのは、国民のため?世論のため?風評被害のため?誰のため?自分のため?
改めに聞きたくなりました。
自然な色合い
[2007年09月05日(水) ]

私たちの住む地球には、キレイな色がいっぱいあります。
それは、心を癒してくれる色だったり、闘争心に火をつける色だったり、
そして、ちょっぴり食欲がわいてくる色だったり・・・・・

ご飯が進む色は、茶色系のおかずが多いですよね。
だから、どうしてもおかずは、茶色っぽくなります。
そこに、鮮やかの緑と黄色・赤が入ると、キレイで食欲がもっとわきます。
その色を見ただけで、素材が想像できるからです。
紫のブドウ・真っ赤なリンゴ・黄色いバナナ・・・・
黒いバナナやリンゴは、想像しただけでも、手に取りたいとおもいません。
食べ物の色は、とても大切なのです。

ある日、私の作った麻婆豆腐を見て、旦那が「色が赤くないね。」と言いました。
私の作る麻婆豆腐は、中国の友人が作ってくれた「手作り豆板醤」と塩だけで作る
四川家庭料理のレシピです。
旦那は、テレビの料理番組や料理本に出てくる、鮮やかな赤の麻婆豆腐を求めていたのです。

辛い料理=赤のイメージは強いが、とんがらしを一杯入れても真っ赤にはなりません。
自然な色は、どうしてもうすらボケて見えます。

そんな旦那の要望に答えようと、食べ物の色を気にしてみるようになりました。
そして、どうして、自然の色合いで満足ができないのかしら?と困惑しています。

食品売り場に並べられているキレイな色の食べ物達。
食べ物の箱を裏返す度に着色料という存在が気になって仕方がなくなりました。
私は、不思議な人で、「知りたいアンテナ」を張ると、私の所に知りたいことが集まってきます。

ある冊子を読んで、驚いてしまいました。

当たり前の話ですが、食品添加物にも原料があります。
合成着色料は石油タールを分離して作るので「タール色素」と呼ばれています。
食品には「△色△△号」と表示されている添加物です。
赤青黄緑の4色12種があり、どれも発ガン性やアレルギー性が疑われるのばかりです。
石油の高騰でタール色素の価格も上がるかもしれません。
天然由来の着色料はタール色素より安全なものが多いのですが、
コチニールは本来食用ではない、カイガラムシというサボテンに付く寄生虫が原料で、
遺伝毒性の疑いもあります。
また、安息香酸は、トルエンを金属触媒で酸化させて作る保存料で、遺伝毒性や変異原性に不安が残ります。

食の安全を考える会



国が認めている着色料だから、市場にあふれんばかりに出回っています。
ですから、私たちはそれを信用をして、口にしています。
だが、国は一食品だけを見て、安全と判断している聞いたことがありました。
私たちはA食品とB食品とC食品とD食品・・・・・と一緒に口にしています。
さて、何種類の着色料と添加物を口にしているのでしょう。
国は、その事を考えて安全と言っているのでしょうか。
大事な体、大事な家族、大事な地球・・・・みんな健康であってほしいと願っています。
私は、自然な色合いで、充分だと思いました。

停電
[2007年09月03日(月) ]

私の小学生の頃は、よく停電になっていました。
「○月○日 ○時間〜○時間まで、停電になります」と予告の紙が電信柱に貼られていました。

実家は今も、地下水を電動ポンプで汲み上げています。(とっても美味しいです)
ですから、停電になる前に、あらかじめ水を貯めておかなければいけません。
テレビも冷蔵庫もありましたが、別段、停電になっても生活に困りませんでした。

今回、新潟県中越沖地震で、柏崎電力の供給がストップしたにもかかわらず、
今年の異常な暑さで、電力は節電どころが、昨年を上回った電力の供給が求められています。

都心のデパートは、どこも涼しく、昨年と同じような環境。
電車も新幹線も普通に動いています。
どこの家庭でも、節電の文字を気にしながら、私以外の誰かが節電をしてくれていると思い、
私は昨年と変わらず電気を使っています。

電気は、今や生活に無くてはならない一番になっているのではないでしょうか。
そして、都心はヒートアイランド現象を生み、またそれを冷やそうと電力を使う。
そして、都心部の気候に影響し、狭い地域で急に大雨が降ることにもなるのです。

時々、昔のように街全体が停電になったら、どうなるのかな?と想像をします。
夜の街は、真っ暗になり星がきれいに見えるかしら?
エアコンが効かない家の中より、外が涼しくなるから、近所の人たちと夕涼みをするようになるかしら?
テレビが見られなくなるから、読書でも増えるかしら?
汗だくになって、洗濯をして二の腕が引き締まるかしら?
電車が止まって、その日は旦那の会社も娘の学校も休みになるかしら?(いやきっと、彼らは自転車に乗っていくだろう)

大変だ!!冷凍庫の物が溶けてしまう。
お金が下ろせなくなってしまう。
このブログが見られなくなってしまう。
そうなる前に、皆さんもちょっと、節電してみませんか?
日本人の一人一人のちょっとが集まると、大きな大きな値になるのですから。