かぁちゃん、ただ今 育自中

子供を育てているつもりだが、実は親が育てられているのかもしれない。
「育児は育自」 私は、今も育っています。

     
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「気がつく」は才能
[2007年08月31日(金) ]

毎日小学生新聞の記事の中に、辰巳 渚 著マイルーム「自立のすすめ」というコーナーがあります。
私は、これを読んで、思わず反省をしてしまいました。

気がついたら拾っている?

休み時間に外に出ようとしたら、教室の物が落ちていた。気がついたら、拾って元に戻しているかな。「誰かが拾うだろう」って無視して行っちゃっていないかな。
自分が落とした物じゃないから、拾わなくていいわけじゃない。気がついた人が拾えばいい。
先生は見ていてくれないかもしれない。でも、ほめてもらうために拾うんじゃないよね。〜〜(中略)〜〜

見ないふりを続けていると

「物が落ちている」ことに気がつくのは、とても大きな才能だ。気がつかない子もたくさんいる。
たとえ気がついても、見ないふりを続けていると、そのうち気がつかない人になってしまう。
気がつく才能がある人は、大人になって仕事をしても、他の人では考えつかなかった新商品を思いついたりできるだろう。
この才能は、磨き続けるときっと役に立つ日が来るよ。


子どもたちが小さいときは、色々な物を拾ってきました。
こどもの背丈から見たら、どれも目新しい物で、大事な宝物です。
ダンゴムシ・セミの抜け殻・虫食いのドングリ・色のついた石・キラキラ光っている砂・洋服にくっつく花の種・
ラメの入ったお菓子の包装紙・ヨレヨレのシール・何かの空き缶・・・・・・・・。

家に着くまで、大事そうに手の中にしまい込まれた宝物は、玄関前にたくさん溜まっていきました。
親としては、それらをどのタイミングで、捨てようかと毎回悩んでいました。

ある日、子どもが「お母さん、あれが落ちている」とゴミを指さしました。
その時は、電車に乗り遅れそうになっていたので、「それを拾うと、それは○○ちゃんの物になるから、拾わないで」と変な言い訳をしながら、子どもにそのゴミを拾わせることをさせませんでした。

『そのゴミは、誰が所有をして捨てたかわからないが、そのゴミを拾うと、自分が責任を持って始末をしなくてはいけなくなる、そのためには、今、急いでいるので余裕がない。』というのが、私の言い訳です。
そのことを何回か言っているうちに、子どもたちは、その辺に落ちているゴミが見えなくなり、私に言わなくなりました。

あ〜〜、反省です。
もっと言い方があったはずだ。
時間の余裕があったときに、違うゴミを拾ってゴミ箱に一緒に捨てに行くことをしておけば良かった。
自分の物だけでなく、回りに落ちている物を一緒に捨てるという行為をしておけば・・・と今頃、反省をしています。

小さい子に向かって「汚いから、そんな物さわらないでよ!!」「そんな物、拾ってこないで!!」と若い母の言葉をよく耳にします。

大きくなって「どうして、この子は気がつかないのかしら?」「どうして、これも一緒に持っていかないの?」と言いたくなるけれど、実は私がそのように育てていたのでした。

未来の人を助けたい
[2007年08月29日(水) ]

終戦記念日の15日から、二週間が過ぎました。
夏の高校野球も終わり、セミの鳴き声も夏の終わりを感じるように聞こえます。

どうしても、このブログに残しておきたい文章があります。
未来の自分と未来の子どもたちと未来の私の遺伝子につながる人たちのために
書かせて下さい。

広島に原爆が投下されて、62年が経ちました。
8月6日に開かれた平和記念式典で、小学6年生が読み上げた「平和への誓い」の全文が
毎日小学生新聞に載っていました。

平和への誓い(全文)

私たちは、62年前の8月6日、ヒロシマで起きたことを忘れません。
あの日、街は真っ赤な火の海となり、何もかもが焼かれてなくなりました。
川は死者で埋まり、生き残った人達は涙も出ないほど、心と体を傷つけられました。
目も鼻も口もわからないほどの大やけど。手足に突き刺さった無数のガラス。
あの日、ヒロシマは、怒りや悲しみのとても恐ろしい街でした。
これが原爆です。これが戦争です。これが本当にあったことなのです。
しかし、原子爆弾によっても失われなかったものがあります。
それは生きる希望です。
祖父母達は、廃墟の中、心と体がぼろぼろになっても、どんなに苦しくつらいときでも、
生きる希望を持ち続けました。多くの犠牲の上によみがえった広島をもっと輝かせたいという思いで、原子爆弾によって焼け野原になった街をつくり直してきました。
そして、今、広島は、自然も豊かでたくさんの人々が行き交う、笑顔あふれるとても平和な街となりました。
今、テレビや新聞は、絶えることない戦争が、世界中で多くの命を奪い、今日一日生きていけるのか、一日一食食べられるのか、そんな状況の子どもたちをつくり出していることを伝えています。
そして、私たちの身近なところでは、いじめや争いが多くの人の心や体を壊しています。
嫌なことをされたら相手に仕返しをしたい、そんな気持ちは誰にでもあります。でも、自分の受けた苦しみや悲しみを他人にまたぶつけても、何も生まれません。同じことがいつまでも続くだけです。
平和な世界を作るためには、「憎しみ」や「悲しみ」の連鎖を、自分のところで断ち切る強さと優しさが必要です。そして、文化や歴史の違いを超えて、お互いを認め合い、相手の気持ちをや考えを「知ること」が大切です。
途切れそうな命を必死でつないできた祖父母たちがいたから、今の私たちがいます。原子爆弾や戦争の恐ろしい事実や悲しい体験を、一人でも多くの人たちに「伝えること」は、私たちの使命です。
私たちは、あの日苦しんでいた人たちを助けることができませんが、未来の人たちを助けることはできるのです。
私たちは、ヒロシマを「遠い昔の話」にはしません。
私たちは、「戦争をやめよう、核兵器を捨てよう」と訴え続けていきます。
そして、世界中の人々の心を「平和の灯火」でつなぐことを誓います。
平成19年(2007年)8月6日
子ども代表
食料自給率
[2007年08月27日(月) ]

食料自給率とは、

国内で必要な食べ物のうち、どれくらいの割合を国内の生産でまかなえているのかを表す数字です。
普通、食料のカロリー(エネルギーの単位)を基に計算します。
国内の生産で足りない分は、外国から輸入しなくてはなりません。しかし、外国に頼って食料自給率が下がりすぎると、外国の生産量が減った時などに困ってしまいます。このために、日本は自給率を2015年度に45%まで上げる目標を立てていますが、06年度に下がったため、目標達成は遠のいてしまいました。


日本の2006年度の食料自給率が39%(カロリーで計算)に下がったと農林水産省が発表しました。
39%という数字をどうのように受け止めて良いのでしょう。

人によっては、国内の食品にこだわっている方もいらっしゃるでしょう。
全然、気にしない方もいられると思います。

大きなスーパーに買い物をした時、いつも思うことがあります。
この広い売り場で、素材だけとなると何%になるのかなぁ〜?と。
そして、その素材も国産の物と限定をすると、どれだけの比率になるのかしら?と。

どれもこれも、国産のように見えるのですが、私たち消費者には、全くわかりません。
キレイに並べられた食品の箱、衛生的に見えるパッケージ、色々な形のビン、デザイン重視のボトル。

そして、使いやすい、簡単、お手軽、安い、そして、本格派と消費者の新しもの好きのために、次々と新商品が生まれています。
その中身は、どこの国の素材なのかはわかりません。

もし、輸送機関が全面ストップして、電気も全面ストップしたら、これらの食品はこのスーパーに届くのでしょうか?この国は一体どうなるんでしょう。
畑も田んぼも、荒れ放題になっているのを見かけたことがあります。
減反政策、魅力を無くした一次産業の後継者達・・・誰がそうさせたのでしょう。

「生活と自治」のなかで、このように書かれていました。

食べることで食卓を守る

「ある日お母さんが『今日は輸入品が安く買えて良かったわ』と、ニコニコしながら帰宅する。その後、帰ってきたお父さんは『職を失った。これからどうやって暮らしていけばいいのだろう』と言い。肩を落とす・・・」
輸入農産物の関税がすべて撤廃されたとしたらこんな光景が日本各地で繰り広げられるかもしれないと〜(中略)〜「けっして他人事ではありません。価格だけを見て輸入品を選ぶという行為が、自らの生活にはねかえる。みんながそれに気づかなければなりません。農業と食料を守ることが政策に反映されることを願っています」
〜〜〜。


ある国との間で、関税が撤廃されれば、日本の自動車の輸出が促進され、その国から石炭・鉄鉱石が確保しやすくなる。しかし、経済的なメリットの陰で、農業分野で深刻な打撃を与える可能性があるのだそうだ。

砂糖の原料となるでんぷん原料のばれいしょやさつまいも栽培は壊滅。現在自給率が14%の小麦も0.4%台に、牛肉は43%から9%に落ち込むそうです。

「食を外国に依存するのは大変恐ろしいことになるのです。」

私もそう思います。
作る人の顔がわかり、求めたい物(食べたい物)をお願いできる生産者と消費者の関係こそが、互いの命がつながるものだと思うからです。


一番古い記憶
[2007年08月24日(金) ]

95歳の日野原重明さんが、ご自分の一番古い記憶のことが書かれていました。

人の記憶とは、どのように蓄積されていくのでしょう。
脳の中で行われている整理整頓を見てみたいものです。
人が一番つらいといわれているが出産だと聞きました。
母親ではなく、産まれてくる赤ちゃんの方です。
ですから、産道を無事通過した私たちは、あの大変さを考えると
少しぐらいの苦労は苦労ではないのです・・・・・なんて、記憶がございません。

さて、私の一番古い記憶は、昔住んでいた家の周辺での出来事です。
その当時大変貴重だった生のイチゴに牛乳を一杯かけて食べたこと。
近所のお家のおひな様の首をもいだこと。
お向かいの家の丹念に咲かせたお花を「おばさん、きれいに咲いたよ。祭っ子、摘んであげたから〜」と
お花だけをもいでその家のおばさんに差し上げたこと。
近所の人達が大勢、我が家の白黒テレビを見に来たこと。
広〜い土の道路をブラブラと歩いたこと・・・・と幼稚園に入る前の記憶です。
それは、母が私に語り継いだのが記憶になったのかもしれません。
母の語りには、もっとスゴイのがありました。(怖い物知らずの私です)

私の子ども達にも聞いてみました。
娘は、三歳頃の記憶が残っていました。
家に大きなクモが、夏になると出没します。(今年は見かけないです)
このクモは、ゴキブリを食べてくれるので、私は好きなのですが、
クモが嫌いな娘は、1センチも満たないクモを見ても悲鳴を上げます。
大きなクモともなると、幼い娘はどんなに巨大化していたのでしょう。
おじいちゃんの部屋で見た大きなクモを、私とおばあちゃんが薬を吹きかけながら、
追い出した記憶が残っているそうです。
それと幼稚園時代に、なかなかお迎いに来ない母を友人と二人で待っていた記憶と・・・

息子にも聞いてみました、息子も3歳頃の記憶です。
以前住んでいた白い壁のアパートに大きな蛾が止まっていて、友達と石をぶつけた。
海の砂浜に掘った池に、地引き網で取った小さい鰺を放したら、すぐに死んでしまった。
家族で夜のドライブ中に出会ったタヌキの親子の光景。

どれもこれも私はすっかり忘れていました。
子ども達にとって、楽しい記憶を残させなくちゃ〜
今から、娘や息子に楽しかった事を母が語り継ぎたいと思いました。

皆さんの一番古い記憶を思い出してみませんか?
バネ
[2007年08月22日(水) ]

毎日小学生新聞の記事に週に一度、「きょうのなぜ」というコーナーがあります。
一つの題材を子どもにもわかるように、深くおり掘り下げる内容になっています。

今回のお題は「バネのパワー」

バネは、機械の中に入り、直接目にしないですが、
私たちの生活に無くてはならない必須アイテムになっています。
自動車には、大小約4000点も使われているそうです。
元々は、動物を取るためのワナが最初ともいわれ、
狩猟用の弓など、武器の発明につながっているそうで、
それから、ゼンマイ時計などの生活に必要な機械へとなっったそうです。
今では、使いやすい形や大きさ、素材を変え、より便利で使いやすいものに進化をしています。

さて、バネを使う目的って、一体なんでしょう。
毎日小学生新聞の中には、このように書かれていました。

大きく三つに分かれます。
▽物の状態を元の状態に戻す。
▽エネルギーを蓄えて出す。
▽急に加えられた強い力(衝撃)を和らげる


そして、そのために使う用途に合わせて、色々な形があります。
渦巻きバネ(ぜんまいバネ)・巻きバネ・重ね板バネ・薄バネ・線細工バネ・皿バネ・空気バネ・スタビライザー・
トーションバー・ガススプリング・メッシュバネ・・・身近な機械を分解をしたら、確かに細かいバネが入っていると気づきます。

家族の中にもバネの役割をしてくれる人は必要です。
家族の誰かが、良いストレスや悪いストレスを感じたら、一人では、すぐには平常に戻りません。
高揚・興奮・・・・落ち込み・愚痴・・・・外から与えられたエネルギーを誰かが上手に元に戻してあげると
そのエネルギーは、もっと強く良い原動力になるのはないのかなと思いました。

その物(者)が、もっと元気に、大きな働き(動き)をしてくれるのを願うバネ。
そのためには、バネは形を変えたり、素材を変えたり、・・・・
それが、バネの使命なんだから・・・・

家族の中でバネの役目を喜んでしてくれる人はいないかしら?



残暑お見舞い申し上げます
[2007年08月20日(月) ]

暑い、暑い、暑〜〜〜い、
ただ今、我が家の室温は、35.2度あります。
これが、西日が差し込む時間になると、もっとアップ!!
今年は、どこまで上がるのでしょうか。

OH〜〜いい風が入ってきました。
これがあるから、耐えられるんです。

我が市の我が地区では、防音対策で、全室防音・エアコン・換気扇を国家予算で受けられます。
毎年、「防音工事をしませんか?」と何度も電話や訪問に来ます。
その度にお断りをしています。(両親の居間は、防音工事済み)
何故か?・・・防音工事をしても、爆音は聞こえるし、エアコンが嫌いなのが最大の理由です。
だけど、最近のこの異常な暑さで、気持ちが揺らいでいます。

では、どのように暑さ対策をしているかというと、
夕方の打ち水という名の放水をしています。
陽に当たった家は、もの凄く熱くなっています。
壁や屋根に水を掛けたら、お日様の匂いがするほどで、
少し冷やされた家は、涼しい風を家の中へ通り抜けます。

涼しくなる工夫を考えるのも楽しいです。
髪の毛を上に上げてみる。
風が抜けるように、あちこちの窓を開けてみる。
お風呂の上がり湯を少し熱めにしてみる。
体が冷える夏野菜を食べる。
夜の散歩に行く。
アイスノンを頭に置いて、寝る。・・・

2〜3日前、我が家のお向かいのYさん(栗原はるみさんのような雰囲気を持ち、私の姉のような存在。)が
「祭っ子ちゃ〜ん、うちのプルメリアの花が咲きそうなの〜」と声をかけてくださいました。
ベランダの奥に中にふた鉢のプルメリアがありました。
「これって、甘い良い香りがする花だよね?」と私が聞くと
「そうよ〜、良い香りがするわよ」
「咲いたら、クンクンさせて♪」とお願いをしました。

次の日、Yさんの玄関横にプルメリアの鉢が移動されていました。
私は早速、花に顔を近づけクンクン・・・・・「はぁ〜南の国の香りだぁ〜」
自宅に戻った私は、ケアリイ・レイシェル(ハワイアン)のCDをかけました。
我が家の室温は、南の国にも負けない暑さ。
涼しくするだけではノウがない。
暑さを楽しむ演出を考えてみよう?!

どちら様も、この暑さに負けないように
残暑お見舞い申し上げます。



平和への祈り
[2007年08月13日(月) ]

もうすこしで、終戦記念日です。
今年も高校野球を見ながら、15日の午後0時に1分間の黙祷を捧げたいと思います。
戦争の多大な犠牲者の冥福と今の私たちの平和への感謝を祈りを込めて。

我が家は毎日小学生新聞を読んでいます。
その中に、目を引く記事がありました。

世界の名言 私はだれ? にんげんをかえせ

1945年8月6日。広島に原爆が落とされました。28歳だった私は、爆心地から約3キロの自宅で被爆しました。
高校生の頃から詩を書いていていた私は戦後、結核に悩まされながらも、平和運動の先頭に立ち、原爆反対、平和を訴える作品を発表をしました。
韓国と北朝鮮による朝鮮戦争が激しさを増す中、韓国を応援するアメリカのトルーマン大統領は50年11月、原爆を使おうかと検討しているという声明を出します。私はそれに抗議しようと、結核で療養中の国立広島療養所で「原爆詩集」を書き上げました。25編を収め、その「序」が次の詩でした。

ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを へいわをかえせ

「原爆詩集」をさらに深めた作品を書くため、手術を受けることにしました。しかし、14時間におよぶ手術中に息絶えました。
毎日小学生新聞より

私は、誰でしょう。
昭和期の詩人 峠 三吉さんです。

あれだけの犠牲を出しておいて、5年後にも原爆をアジアの中で使う事を考えていたアメリカに不快感を覚えました。
原爆を使う意味はあるのでしょうか?
どこかの大臣が「仕方がない」発言をされましたが、原爆を使うしか方法がなかったのでしょうか?
原爆を使われて、どうなったか、日本人は言い続けなくちゃ行けない。
伝え続けなくちゃ行けない。
そして、本当のことを知らなくてはいけない。

私は、広島に一度も訪れたことがありません。
娘が中学の修学旅行で、広島の行き語り部の人達の話を聞いてきました。
娘を通した広島しか知りません。
一瞬にして、何もかも奪われた広島の地に行き、平和の意味を知りたいと思いました。
合掌
目に見えない安心・見える安心 ー包丁編ー
[2007年08月10日(金) ]

去年からサイクリングを趣味にしている旦那は、かなり体が引き締まってきました。
スーツも借り物のようにブカブカになってきたので、夏のスーツを求めに久しぶりにデパートに行ってきました。
運良くバーゲンになって、気前よく2着購入をしました。
買い物を終え、まっすぐに帰るのも寂しいので、上の階の本屋さんに行くことにしました。

私たち夫婦は、べったり仲良しタイプではなく、自分たちの見たい本を別れて探します。
私が見てたコーナーに旦那が「隣の会場が面白そうだよ。」と声をかけに来てくれました。
提灯に江戸文字、べっ甲細工、扇子、バック・・・
会場入り口には「浅草老舗にぎわい市」と書かれていました。
その中に包丁のお店があり、旦那はそこから動かなくなりました。
旦那の趣味には、サイクリングの他に「夜な夜な包丁を研ぐ」というのもあります。

見るからに江戸の下町の職人さんの店主は、私たちを刃物好きと見たようで、色々と教えてくださいました。
その中で、玄人と素人の包丁の選び方の違いを聞いて、新事実を聞いてしまいました。
素人の私たちが選ぶ包丁は、「ステンレスの包丁」が多いのではないでしょうか?
それは、錆びないし、水に強いし、汚れにくいので、主婦にとっては、お手入れ簡単で扱いやすいからです。
店主は、こう言いました。
「いいかい、ステンレスも鋼(はがね)と同じに、錆びや汚れの原因がついているんだよ。」
私は「え!ついているの?見えないよ。キレイなんじゃないの?」と言うと、
店主は「だから、それが玄人さん達が嫌がるんだよ。手入れが悪くて、サビや汚れの原因が見えた方が、安心して使えるからね。」
見えることの安心と見えないことの不安。
見えることの不安と見えないことの安心。
私は、毎日使っている包丁を思い浮かべていました。

その後、店主は夜な夜な包丁を研いでいる旦那に「夜遅くに研いじゃいけないよ〜(笑い)、切れないのは、研ぎの腕ではないんだよ。」と旦那の好きなジャンルの話に移りました。

私たちは、菜っ葉きり包丁が欲しかったので、一本購入することに決めました。
四角い包丁を選んでいたら、三徳包丁の意味と使いやすさを教えてくださったので、
店主のお薦めの包丁にしました。
手作りの三徳包丁が何本もありました。
見た目は形も大きさも変わらないのに、手に取ると微妙にバランスが違います。
自分にとって重すぎず、軽すぎず、ちょうど良いバランスの物を選びました。

店主が「これから、仕上げの研ぎに入るからね」と特設研ぎ場に向かいました。
「お父さん、よく見ておいてね」と私が言うと
旦那は、一番良い場所でかぶりつきで見せていただきました。
店主は、旦那に研ぎの極意を丁寧に教えてくださりました。
最後の仕上げ砥にはいると「奥さんの名前は?」と聞かれたので、
「祭っ子です。」と答えると、包丁の持ち手の所に
私の名前と日付を器用に彫ってくださいました。

「だんな!いいかい、奥さんが『切れなくなった。』と言ってきてから研ぐんだよ。」
旦那は、「はい、わかりました。」と少し不服そうに答えながら、包丁を手渡されました。
トントントントン・・・・・ものすごい切れ味です。
我が家に宝物が一つ増えました。
包丁には「吉實」(よしさね)と書かれています。


去年の夏の思い出
[2007年08月08日(水) ]

「今年の夏休みは、何か計画はあるの?」と旦那から質問が来ました。
旦那の休みは、お盆を中心に一週間あります。
例年は、私の実家に帰省をしたり、キャンプへ行ったりと家族みんなで出かけていました。
今年は、娘の大学受験のための夏期講習と息子のZ会の本科生必須の夏期講習がすでに入っており、
時間的な余裕も、金銭的な余裕もないために計画を立てられないでいます。(残念です)
せめて、我が家でバーベキューでも計画を立てたいと思います。

今回の日記は、昨年の8月のパルティオに書いた不思議な体験を書きます。


昨年の夏休みに、静岡県のとあるキャンプ場に2泊3日でキャンプに行きました。
このキャンプ場の周辺には、わさび田が沢山あり、川沿いの遊歩道はとても気持ちの良いハイキングコースになっていました。
川の水はキレイで流れが面白く、緩やかな所や段差があり、一日この川で遊べそうです。

そんな川を横目で見ながら、私たちは「ゴビサワラ原生林」を目指しました。
伊豆の山は登りがきつく、曲がりとまた急坂が続きます。
所々に橋があり、そこで、涼しさのご褒美を頂き、さらに坂道を登りました。
山の裾野から植林が続いていたのですが、頂上を近くに色々な木々が茂っていました。
そうここが「ゴビサワラ原生林」です。
私は、ゴビサワラという木々がある山と思ったら、ゴビサワラという地名だったのです。

木に興味がない人だったら、「何だ。」でしょうが、
大きな木の生命力に惹かれている私としては、心地よい場所でした。

私の母の、「祭っ子の旦那は、森林浴をさせるといいよ。」という言葉を思い出し、
「お父さんは、木から元気をもらえるって・・・」と母の教えを旦那に伝えたら、
旦那はすぐに大きな木のそばに近づき、両手で大木を抱きしめていました。
私は、誰もいない森に向かって「祭っ子一家が元気をいただきに来ました〜♪」と挨拶をしました。
その時です。
ふぁ〜と、私たちの回りに甘い香りが漂ってきました。
「わ!甘い香りがする。」と子ども達も気がつきました。
それと同時に曇っていた空から、森にお日様があたり、落ち葉が一面に広がる雑木林の端から
木漏れ日が流れるように差して来ました。
映画のワンシーンのような光景に、私は思わず「素敵!ありがとうございます。」と森にお礼を言いました。

森林浴・・・究極のアロマです。
木には、同じ木に信号を送る物質があるそうです。
その木の苦手な虫や病気など、教え合うらしいのです。

その事を知っていたので、私達家族は木々達にどんな風に迎えてもらえるか、ちょっと興味があったのです。
甘い香りがする木はどの木から出ているか判断できませんでしたが、私たちの疲れは取れました。
私は木肌のキレイな姫沙羅(ヒメシャラ)の木に惹かれました。
旦那は大きな大きなもみの木がお気に入りなようでした。
子ども達は、大きな木を見つけては、側に駆け寄っていました。

森からの贈り物は、忘れられない夏の思い出です。
私のモノサシ・あなたのモノサシ
[2007年08月06日(月) ]

私の住む自治会は、毎年、輪番制で13区の理事と三役が交代をします。
運良く投票で、会計の座を射止めた我が家は、平日に動ける私が、家の代表で会計をすることになりました。
今年は、二年に一度、近隣の自治会と合同で夏祭りを二日間開催する当たり年です。
4地区の自治会、2区の子供会、老人会、商店街などで実行委員会を作り、何度も打ち合わせをしてきました。
この夏祭りは、テキ屋が入らない100%手作りのお祭りです。
わが自治会では、前回と同じく綿菓子の担当になりました。

市役所に綿菓子機を借りに、会長と一緒に出かけ、その後、細かい物を揃えたくて、近くの大型スーパーに入りました。
会長は、出入り口近くのソフトクリーム屋さんに目をやり、「祭っ子ちゃん、一休みしましょう。」と
二色アイスをご馳走してくれました。

ゆっくり腰を下ろし、口にした冷たいソフトクリームは、私たちに元気を与えてくれました。
会長は、何度も実行委員会に出席をして、何から何まで初めての会長職にお疲れ気味のご様子。
現職でお仕事をしていた時は、大きな会社で何人もの部下を使っていた人でしたが、
大きな地震と洪水の経験から、地域のつながりの大切さを、私のような若い理事達に懇々と訴えている方です。

アイスを食べながら、会長が「お祭りをまとめるのも大変だよ。まとまるのに時間がかかりすぎだよ。やれば楽しい〜ってことになるんだから、楽しくやればいいのにね〜」
と、色々な考えや価値観の違う人達と一緒に行事をすすめる大変さを痛感していました。

私は「へぇ〜、二年に一度とやることが決まっているのに、簡単ではないの?大変だね〜」と半分同情して言うと、
「一つ、文句を言わないと気の済まない人もいるんだよ。」
「へぇ〜、何か言いたいんだ。言えば気が済むの?」と私。
「人それぞれ、モノサシが違うからね。曲尺と鯨尺と長さが違うように、人のモノサシは同じ長さじゃないんだよ。」
「へぇ〜、曲尺と鯨尺と長さが違うの?使う仕事で基準の長さが違うということ?ふぅ〜ん・・・」

一つ文句を言いたい人は、自分の意見を言ってから動ける人。
何も言わないで周りの状況を察することが出来る人。
何も言わないが、その場にいる人・・・・・。
人は、色々なモノサシを持っているようで、采配をふるう人は、
そのモノサシの長さ、太さ、厚み、色、形・・・・それを知ると、適材適所で活躍が出来るのかもしれない。
そんなことを思いながら、ソフトクリームを食べていました。

私は、ソフトクリーム一つでエンジンがかかるモノサシの持ち主のようです。

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