私は、心理系の本を好んで読みます。
それは、結婚前に勤めていた医療現場で、子ども達が治療を積極的に受診してくれるかと悩んでいた時、平井信義氏の新聞のコラムを目にしたことがきっかけで、「児童心理」に興味を持ち始めたからでした。
遠方に嫁いできたのを機に仕事から離れましたが、その後子供を授かり、わが子が成長すると共にまた「子どもの心理と身体」関係の本を読み漁るようになりました。
今までは何故 こんなにも「心理」にひかれるのか、わからなかったのですが、昨日読んだ本の一説でヒントが出てきました。
そして、それが二日前に実母と電話の内容と重なり、答えに結びついたのです。あ〜〜すっきり。
私は、「2児の親」になりました。
世間から見ると立派な親に映っているかもしれませんが、まだまだ「大人(真)の親」にはなっていません。
長子に対して、あるがままの無償の愛が湧かないからです。
次子の時は、素晴らしい自然分娩・産後の満足感。
そして責任ある子育てをしてきているせいか、母子関係は順調そのものです。
が、長子の時は最悪な分娩、辛い産後、何かと関わってきた義母の存在、そして、長子の気質と体質が私と合わないことが、いつも私を苦しめていました。
何故だろう?
私が悪いのか?
どうして、そうゆう気持ちになるのだろう?
その答えが欲しくて、心理系の本を読んでいたのかもしれません。
岡田尊司著 「悲しみの子どもたち」 集英社新書のなかに、こんな一節がありました。
本文より
「捨て子心理」というのがある。実際に親に捨てられたということではなく、気持ちの面で親の愛を失ったと感じているということである。(ある時期、母親が病弱だったり、〜(中略)〜無意識のうちに、子どもを拒否しているこがある。)捨てられた子どもは、自分を大切に感じ、愛することができない。
症例の少女の一件から〜〜
(母)親に対して強く反発や憎しみを持っているが、同時に驚くほど母親を理想化し、その愛情にしがみつこうという面もあった。母親を卒業できないという点は、母親から充分かつ安定した愛情を与えられなかった人に共通するものだ。
私の両親は今も健在です。
昔の母は、今でも命があるのが不思議なほど体が弱く、
そのうえ、忙しく働いていたために、私は知らずしらずに「捨て子心理」が働いていたのかもしれません。
その気持ちが一気に洗い流された出来事がありました。
「昔の祭っ子の日記ができたよ。それを読んで、お母さん悪かったと思った。お母さんが知らないうちに辛い思いさせていたんだね。」と母が電話口で話してきました。
「いつ頃の日記?(中学生の時にしか日記を書いていないので本当はわかっている)あの当時は、お母さんも体が弱ったし、お母さん一人で頑張っていたでしょう。今ならお母さんの気持ちよくわかるよ。今の私より、ず〜と大変だったものね。」と私は自分の反省とその当時の母の気持ちをくみ取ることが出来たのでした。
母親から卒業した瞬間である。
母親から卒業した私は、やっと「母親」になれるような気がした。
私は、知らずに長子に対して「捨て子心理」を持っていたのかもしれない。
心の奥底にある何かが動き始めた瞬間から、長子が愛おしくみえてきました。
2006/07/03の
パルティオ日記より
先日、メモを探しているうちに、色々なものが出てきました。
10年前以上前の母の手紙です。
昨年の7月に「母親」という題名でブログを書きました。
母は日記の電話で話した10年以上前から私に伝えていたのです。
だがその当時は、そんな母の気持ちを私は受け取れなかったのです。
送られきた手紙を読み返しているうちに涙が出てきました。
実は先月、 母の誕生日でした。
子ども達と三人で(旦那はまだ帰宅していない)電話口で、ハッピ〜バスデェ〜♪を唄いました。
もう物欲のない母は、歌一曲で喜んでくれました。
幸せに暮らしている娘。
母はそれだけで満足なのかもしれないと思った時、
今まで母の想いに気がつかなかったことに、すまないという気持ちがわいてきました。
私の母親をみて、「親」は言い続けることの大切さ、そして、気づくまでの辛抱が必要なんだと思いました。
母がまだ健在なのが救いです。