かぁちゃん、ただ今 育自中

子供を育てているつもりだが、実は親が育てられているのかもしれない。
「育児は育自」 私は、今も育っています。

     
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我が家の嫁姑問題 其の二
[2007年03月30日(金) ]

我が家が旦那の両親と同居をはじめて、子ども達が姉弟ケンカを始める時期になっていました。
上でドンドン騒ぎ、大泣きが聞こえると母は気が気じゃありません。
「どうして、ケンカをするの?」「男の子は泣くもんじゃない!!」と子ども達を怒ります。
直接子ども達に怒ったのです。

確かに子ども達の声も騒ぎ方も尋常ではなかった。
母は体裁を気にする人だ。
子ども達のケンカの内容で怒ったのではない。
近所の手前があるから怒ったのだ。

幼稚園から帰って来た息子が、問題を起こし(内容は忘れてた)いつまでも泣いている。
悔しくて泣いているのか、怒って泣いているのか、ものすごい泣き方だった。
子ども部屋にしばらく置いておいたら、下から母がものすごい顔で上がってきた。
「あなたは、自分の子どもが可愛くないのか!!」と息子を抱えてやってきた。
母の顔は、興奮して真っ赤な顔だ。
私は「可愛いから泣かしているんです。ほっておいてください。」と息子の両手を掴み奪い取った。
息子は、エ〜ンエ〜ン泣いている。
子どもの親権を勝ち取った瞬間だ。
母はそれ以来、子育てに手を出さなくなった。

その日の晩
私は、はじめて旦那に子育ての話をした。
「姉弟ケンカをさせちゃいけないの?!泣かしちゃいけないの?!」と興奮しながら質問をした。
旦那は、事の成り行きは知らないままに「ケンカは、別にいいんじゃないの〜」と一言いった。
それを聞いて「そうだよね。いいよね。」と私は安心して床についた。

私は、旦那には両親の事をとやかく言わない。
両親と私の中で解決をすればいいからである。

我が家の嫁姑問題 其の一
[2007年03月28日(水) ]

お題に反してだが、我が家は両親と仲が良い。
買い物や病院など付き添っていくと必ず「良いですね〜。娘さんとご一緒で」と声をかけられる。
義母(ここから、母と呼びます)は、満面の笑みで「いえ、嫁ですの」と答える。

他人から声を掛けるタイミングは、私が母から離れた時にかけらることが多く。
母が「また娘さんと間違えられたよ。」と教えてくる。
「一緒に住むと顔も似てくるのかね?」と母と笑っている。

旦那の両親と初めから良好な関係を結べたわけではない。

世間知らずの遠くから来た嫁さんに、母達はとても親切に接してくれた。
だが、子育て、幼稚園選び、日々の行事・・・ことごとく価値観の違いに戸惑う。

旦那の仕事の関係で、住まいが移転した先々に
母は、一日一度は必ず子ども達に電話をくれていた。
電話に出ない日は心配で仕方がない。
どれほど孫が可愛いのだろう。
母は、私達家族をとても愛してくれていた。

旦那の仕事で、関東に住むことがきっかけで同居をすることになった。
もともと、私達の結婚が決まった年に平屋の家を2世帯に建て直していたので
すぐに入居出来る状態だった。

同居が決まった時は、両親はとても喜んでいました。
可愛い孫達と毎日過ごせるのですから、さぞや待ち望んでいたことでしょう。
ところが、私にとっては自分の子の親権を取られる危機に陥りました。

我が子の親権・・・・実の母は、ここにいるのに
どうして、自分が願うように育てられないのか・・・・


どうにでもなればいい〜母の言うことを聞いていれば、安泰だ。
子どもが大きくなれば、どちらが正しいか判断が付くだろう。

いやまて!!親は責任を持って我が子を育てなくてはいけない。
子どもが大きくなって、あなたがそうなったのは祖母のせいだから、私は知らないと言えるのか・・・
親って・・・・何?
そんな想いを何度も何度も繰り返していた時期がありました。
親からみた性教育
[2007年03月26日(月) ]

Z会ブログのTOPに連載中のシンマ先生のブログ「Hした時の気分は?」を見て思い出したことがあります。

何年か前に聞いた、講演会の内容です。
講師は、若い人のエイズ問題や性病問題とその背景を訴えている泌尿器科の医師です。

性に対する知識・予防・病気が発症したときの対応等を、若い人の立場になって話してくださいました。
性知識を得るにも、最近はコミュニケーション不足を指摘されました。
だから、一方的な間違った情報を受け取ってしまうのだそうです。
ここで、親が・・・・・と言いたいですが、ある年齢になると親も伝えずらいし、思春期の息子も聞く耳も持たないと思います。
友人や先輩達から、いい影響がもらえることを祈るしかないと思っています。

★ ★ ★
10年以上前に朝のテレビ番組で、性教育の話を聞きました。
子どもが、性を意識しない小学2年生までなら、伝えやすいということです。

その当時のメモには、以下のことが書いてありました。
○小学2年生まで性教育を教えること。
○小さいときから風呂に入ったら、靴下とパンツを洗わせる。
・プライバシーを守らせる。
・夢精・月経が始まると隠したがるので、自分で処理できるように、小さい時から習慣づけさせること。
○早い子は小学4年生頃から、性に興味を持ち始める。
・もし、子どもがHな本を持っていても、親は知らないフリをすること。
・子どもから性の質問を受けたら、逃げずにごまかさないで答えること。
○子どもが大きくなると隠し事を持つようになる。
・親に知らせなくてもいいが、この先、死にたいほど悩むことがあれば、私(母親)に 相談して欲しいと伝える。
○性教育の本の名前
アーニ出版「ロッタとあかちゃん」「あかちゃんはこうしてできる」
岩波書店「いのちのはじまり」岩崎書店「いのち からだ いのちのえほん」
★ ★ ★

さて、本題です。
泌尿器科の先生の講演会終了時に質疑応答がありました。
会場が狭く聴講者も少なかったので、最前列にいた私はくだらない質問をしました。

「息子は小学高学年になり、母親と一緒にお風呂に入りたがらなくなりました。
時々 おチンチンが痛いと言うときもあったので、正しいおチンチンの洗い方を息子に教えたいのですが?」
経験者はわかるでしょうが、私は経験がないので、無理矢理洗うと痛がっていたのです。

先生は、私の愚問にも丁寧に教えてくださりました。そして、その質問から思い出したように
貴重な話を教えてくださいました。

「セックレスの夫婦の中には、こんな男性がいる。」と話し始めました。
男性はどこからの情報で、女性との性交渉は最高の快感とインプットされてきた人が多くいるそうです。
その男性が、晴れのその日が来て楽しみにしていたら全く違っていた、というのです。
男の自分は、何の非もない。
相手の女性がおかしい、と言う男性がいるというのです。

先生は、続けて言いました。

男性も女性も訓練が必要だといいました。
どうすれば、心地よいと感じるのか、
それは、経験をしなくていけないという。
子どもが、自分の体や性に興味を持ち始めると、
「そんな暇があったら、勉強をしなさい」
「そんなことをするんじゃない」
「汚らしい」
「不潔」
と、親はそんな言葉で、子どもの性への興味を止めていることが多く、
それがまた、自分の性をコントロール出来なくしている、と先生は言いました。

自然の摂理といいながら、実は段階があったのです。
子ども達の性への芽生え、静かに見守っていきたいと思いました。
子どもの癒し方
[2007年03月23日(金) ]

以前 友人からこんな話を聞いた。

子どものリクエストでディズニーランドへ行き、その日は笑顔が絶えない最高な一日だったというのに・・・・・・帰宅途中から、
子どもが急に不機嫌になり始めたという。
親達は「今日はこんなに楽しかったのに何の不服があるの?」と子どもを責めて、自宅に戻るときには後味の悪い一日で終ったというのだ。

 友人は、この一件で「子どもの心理」を色々調べてわかったことがあったそうだ。
それは、「子ども(大人もそうかも?)からみて、今、自分も親も幸せと感じた時ならば(安定している時)、自分の抱えている不満・不安を出しても良いかな?と思うらしい。」というのだ。

実は、中1の息子がこれと同じ状況になったことがあった。
二人だけの夕食後 他愛のない話をしながら柔らかいボールで二人でキャッチボールをしている時だった。
強い返球に思わず「痛い!」と私が言ったので「今の痛いレベルは、どのくらい?」と息子が聞いてきた。
「ん〜〜3ぐらいかな〜」と私。
「もう死にそうなレベルが1000としたら、どのくらい?」ともう一度聞いてきた。

私の人生の中で、数々の痛みの中に入っていた=息子のお産の話をした。息子は、自分の出産の事を真剣に聞いていた。そんな良いひと時を過ごしていると感じていた矢先であった。
「俺さぁ〜一番痛かったのは、あの頭の時かな〜溺れた時も死にそうないなったし・・・・自分の子どもを何で助けてくれなかったのさ!信じられないし・・・」と急に怒り始めたのだった。
私としては「はぁ〜?!」という気持ちだ。
それはすでに、私の記憶では遠くになっていたことだったので、すごく驚いた。

あの頭とは・・・息子が2歳半の頃、滑り台の階段から落ちて頭蓋骨骨折をして経過観察の為5日間入院をした時のことである。
溺れた時というのは、息子が4歳頃に近所の家族と川へ(自然のプールになって居る所)遊びに行った時に溺れた話であった。近所のお父さんが子供4人(他の子はみんな小学生)の面倒を見てくれていたので、その奥さんとお母さんと後片付けをしながら川を背におしゃべりをし、旦那も昼寝をしていた時の出来事だった。

それぞれ私にも言い訳があった。
だが、息子からしてみればひどい親である。
その時は、私自身どうしていいかわからず、「悪かったね。ゴメンネ。・・・・」と言い訳と謝ることしかできなかった。

もしや?これが友人の言っていたことなのかもしれない。
そう思った時、これが息子の心の奥底にある不安・不満なのかもしれないと感じた。

私との話に一区切りついた時、息子は「勉強をしてくるわ!」と自分の部屋に戻って行った。
冷静になった私は、これだけは息子に伝えたいと思い部屋に行った。
「お母さんとお父さんはあれから、ずーっとあなたの側にいるでしょう。これからもあなたを見ているからね。」
息子は何もなかったかのように机に向かって、勉強をしていた。

今考えたら、もっと息子の気持ちに沿ってあげて、怒りでも涙でも出し切ってあげれば、よかったかなと反省している。
でも、親の方にも、息子の気持ちを受け入れるのに、それなりの覚悟がいる。
その覚悟は、今の私には少し足りない。

その夜、就寝の時にその当時のことを思い出した。
あの時 頭蓋骨内出血になっていたら、本当に溺れていたら、と考えはじめたら手が震えてきた。

でも、「今ここに」息子はいる。息子は元気にいるのである。そう思う事が大切だ。と、一人で納得した。

次の朝「いつまで寝ているの〜!!」と息子を起こしている私であった。

防犯意識
[2007年03月21日(水) ]

昨年、「犯罪から子供達を守る」という内容の講座を聞いてきました。

地域で子供達をどう守るか?
たいがいの親(私も含めて)は、「うち(我が子)は大丈夫」と、
たかをくくり、全くの無防備だと指摘されました。
犯罪を犯す人は、常にターゲットを探しているらしく、隙あらば、
チャンスを狙っているらしいのです。
犯罪者の心理は、とても興味がありますが、その問題はさて置いておいて・・・・・・・。

講師の話では、
まず最初に犯罪が起こりやすい所を知ることが第一だと言っていました。
人気のない場所で死角があるか、
防犯意識がない地域か、
声を出しても周囲に聞かれないか、
逃げ場はないか、・・・・・・。

危険意識(野生の感)が無くなった子ども達(大人)と一緒に歩き
「この場所は、怖いね。」「何か起こりそうな場所だね。」と親子(友達同士)で一緒に確認していく事が「防犯意識」が生まれるそうです。

では、自分の子供が大きくなった町内のおばさんは、どんなお手伝いが出来るのでしょうか。
まずは、近所の子ども達の顔を知ることだと言われました。
挨拶などの声掛け、子どもが活動している時間に散歩をする、
外で掃除・水撒き・井戸端会議をする。・・・と子ども達の側に大人が居るだけで、犯罪に抑止力が起きるらしいのです。

「窓割れ理論」というのを知りました。
管理されていない所には、悪者が入りやすいとの事です。
管理されていない空き家の窓ガラスは、割られている。
管理されていない道や土地でもゴミが放置されていると、日に日にその数が増えている。
この理論です。
管理の目が届かないところで、悪いことが平気で行われているということです。

大きな犯罪になるには、積み重ねがあるはず・・・「みんなが防犯の意識」が少しずつ芽生えることが、第一だと知りました。
そのためにゴミを拾う、近所の人達と挨拶を交わす、
これだけでも充分に防犯になるということです。

子どもが大きくなり、大人の視界の範囲を超えて行動を始めます。その時はどうしたらいいのでしょう。

講師は、こう言っていました。
例えば、大きな街に塾通いを始めるとします。
大きな繁華街は昼と夜の時間では、その街の顔が違うらしく、子どもが通る時間帯に親が歩いて見てはどうかと提案されました。
昼間のショッピング街が、夜になると非行の発祥地となっているというわけです。

部活オンリーの高校生の娘に聞くと「街に行ってまで、たむろっている時間がもったいない。」と返事が返り、私はホッとした。が、続けて「そんな時間があれば寝た方がいい。」と答えが返ったのには呆れてしまいました。
娘の行動範囲の視察に行く必要は、当分なさそうです。・・・・・・・・・・・待てよ。
この考えが、ダメなのかもしれない。
春になると涙が・・・・
[2007年03月19日(月) ]

春になると涙が・・・・

私は春生まれです。
だからなのでしょうか?・・・・それはよく分かりません。

私の出身は北海道です。
今頃の北海道は、そろそろ春の風を感じるころでしょうか?


北の冬は厳しく、寒さを痛みと感じます。(北海道を離れて分かったことです)
道は、雪に占領され半分の幅になります。窓は開かず雪で埋まり部屋も暗くなります。
吹雪の日は、出かけるにもおっくうになります。
それでも、北の国に住む人達は冬と上手に付き合っています。

長い冬を我慢していたら、肌に刺すような冷たい風から優しい風に変わるのを感じます。
そんな日は屋根に積もった雪が一斉に溶けはじめ、冬の終わりを知らせてくれます。
ポタポタポタポタ・・・・・・・・・・・
今まで凍っていて開かなかった窓も開きそうな気がします。

私は、何ヶ月も閉ざされたサッシのレールに少しずつお湯をかけながら、窓をこじ開けました。
ガザッ、ガザガザ、ザザァーと窓が開きました。
ストーブの暖かさがこもっていた部屋に外の空気が一気に入ってきました。
その空気は、まだまだ冷たい風ですが、ふぁ〜とした柔らかい風も感じます。
そんな時に「はぁ〜♪ やっと春が来た」と思いました。
夜明け前の東の空を見ると明けの明星が輝いています。

ラジオからミニー・リパートンの「Lovin’ You 」が流れていました。
彼女の優しい歌声と私の春の予感が重なります。
雪解けの下から見える黒い土、そして雑草の若葉・・・・
じーっと耐えていたもの達が一斉に目覚めます。
そんな自然の力を感じたとき、いつも涙がこぼれます。
何ででしょう。

今は、内地(本州)に住み、北海道の春を感じなくなりましたが、
この時期 ミニー・リパートンの「Lovin’ You」を聞くとその頃を思い出します。
夢絶たれたり
[2007年03月16日(金) ]

息子の小学校の卒業アルバムには、「大きくなったら、プロ野球の選手になりたい」と書いてあります。

私の知り合いに元オリンピック選手の家族がいます。
その方は今も現役でスポーツを続けていています。
私も応援しています。

一流のアスリートになるためには、条件があるとおもいます。
1、本人のやる気。
2、そのスポーツにあった体格・筋力・持久力を持っていること.。
3、メンタルの強さを持っていること。
4、選手にあった良き指導者がいること。
5、選手のお世話をする人の存在(食事・身体のケア・スポンサーなど)がいること。
6、良きライバルがいること。
7、選手を応援する人達の存在がいること。
そのいくつかの条件が揃っている人(環境にいる人)が、アスリートの道に近づける人だと私は思っています。

わが息子は、小学2年生から軟式野球をしていました。
上級生が少なかったので、2年生からレギュラー選手でした。
速い球が投げられたので、ポジションは背番号1番の投手です。
精神的に弱く、ボールが先行すると監督から「打たれて良いから真ん中に投げなさい。」と言われ、仲間のミスが続くと、どうして良いかわからずマウンドでよく泣いていました。
高学年になると打たれても動じない投手に成長をしましたが、6年生の春に野球肘になってしまいました。

スポーツに詳しい整形外科とリハビリの先生の元に通い、肘に負担の掛からないピッチングフォームに変え、大事な試合に出場できるように調整をしてきました。
最終学年の試合には、息子が出た試合は全て勝つことが出来ましたが、次の試合が一歩及ばず駒を進めることが出来ませんでした。
それはチーム戦ですので、仕方がないことです。
休みの日の朝から夜まで、一つのボールを追いかけて、ユニフォームや体中が真っ黒になった息子達の姿こそが成長に欠かせないものだと思っていました。

中学生になった息子は、同じチームの仲間達と野球部に入り、また新たな夢を求めて練習に励んでいました。
息子の通う中学では、野球の正しい知識を持つ顧問に巡り会えず、部活中に選手を育てるというよりも野球の出来る子をレギュラーさせていました。
少年野球より大きなグランド・ボール・体力の違いにすぐに追いつくはずがありません。


息子は昨年の秋終わりから、治まっていたはずの野球肘が再発しました。(野球肘は、使わないことが一番)
医師の診断とリハビリの先生から、病状の経過にあった筋トレのメニューをもらい、今年に入ってやっとボールを握る許可がでました。
中学2年生になったら、もっと試合に出たいと息子は希望を持っていました。
まずは、3メートル位の距離から軽いキャッチボールから始めました。
・・・・・・・・・・・・・2週間後、学校から帰ってきた息子は肘の痛みを訴えてきました。

「離断性骨軟骨炎」と診断されました。
肘の骨の一部がはがれたのです。すぐに手術をすれば、7月終わりにはボールが投げられると医師から言われました。
肘を使うスポーツをしなければ、早急にする必要はないが、痛みが出たら手術を考えるように、と家族に判断を任されました。

息子と一緒に悩みました。
息子の悩みは、すでに鉛筆を長く持つだけでも痛い。
全身麻酔をする手術は怖い。
野球は諦めたが他のスポーツも出来なくなるのは嫌だ。
どうして、僕だけこんな事になったのだろう。

私も悩みました。
どうして、今まで気がつかなかったのだろう。
栄養とか筋トレが足りなかったのだろうか、
あの時に無理矢理でも投げることを止めさせておけば・・・・。

二人で今後のことについて話し合いました。
手術をやりたい理由と手術をやりたくない理由を紙に書いていきました。
息子の現実を受け止め、そのためには何が良いのかをじっくり考えました。

「俺が小学2年生の時に野球をやりたいと言わなければ、こんな事にはならなかったのかな?」とボソッと息子がつぶやきました。

確かに野球をしてしていなければ、
野球肘にはなっていなかったでしょう。
ただ、息子を出産した次の日に単身赴任に出た父親が、
息子が野球を始めたことで一緒にグランドの行き、父母会に3年間も関わった時間は計り知れなく大きい。
息子に「そうだね。野球をしていなかったら、○○(息子の名前)は痛い思いをしなかったね。
○○が野球を始めたからお父さんも応援したくて4年間一緒に野球をやれたのは良かったと思っているよ。
お父さんもお母さんも、『あの試合で投げさせないでください。』と監督にお願いすれば良かったのかな、
栄養とか睡眠とかもっと考えれば良かったかな、と反省をしているんだ。でも○○は投げたかったんだもんね。
今の○○は一番つらくて痛い思いをしているけど、お父さんとの関係を考えると野球をやって良かったとお母さんは思っているよ。」
と私の想いを伝えました。

息子は「そうだね。一緒に野球をやっていなかったら、お父さんと仲良くなっていなかったかもしれないね。」
息子は後悔を取り消しました。そして、息子は手術をすることに決めました。

大きくなったら巨人軍の上原選手のようになりたい。
その夢を持つ続けることはできなくなったが、息子は違う夢を探し始めている。



大きな碑・小さな碑
[2007年03月14日(水) ]

最近、旦那とサイクリングによく行きます。
自転車を車に積み込み、都心の公園駐車場周辺を走っています。
休日の都心は、穴場でサイクリング愛好者をよく見かけます。

先月 品川付近を走りました。
地図を見ながら走るとT字路にぶつかりました。
両サイドを見ると、細い道の両側に小さい店が建ち並ぶ商店街になっていました。
斜め向こうに美味しそうな店を発見したので、休憩を兼ねて私は自転車を降りました。
(私は鼻がよく、旅先では勘が働く人です。)
店の中を覗くと、居酒屋の雰囲気なのに真ん中に大きなテーブルが見えました。
(食べ物屋じゃなく残念!!・・・勘が外れた。)
中にいらした年配のご婦人達が、私の姿をみて「いらっしゃい〜、どうぞお入りなさい。」と声をかけてくれたので、誘われるまま入っていきました。

私は「ここは?」と聞くと
「ここは、品川宿の案内所よ。」と年配の婦人が、にこやかに答えてくれました。

店の前の細い道は、旧東海道・・・その昔は、参勤交代の大名達が通った道でした。
年配のご婦人は、「道」と「品川宿」のことを熱く語ってくれました。
この道は、京都まで続く道。
この細い道は、何百年も昔から多くの人達が行き来した道。
「その時 歴史が動いた」・・・まさしく、歴史に深く関わった道なのです。

ご婦人が教えてくれた事で、ただのサイクリングロードから歴史ロードに変わりました。

この細い道にかかわった数々の歴史の場所に触れながら、最終地点の鈴ヶ森処刑場に着くと、そんな事件があったとは思えないほど、閑散としていました。
ご婦人の説明がなければ、私達は通過していたことでしょう。

歴史に興味はありませんでしたが、地方に行くと必ず歴史に関する建物や石碑があります。
過去にその場所で事件や事故、そして発端場所があったと無言で伝えてくれます。

歴史あるものに触れると、何かを感じます。
それは、反省だったり、決意だったり・・・脈々と続く自分達のルーツだったり・・・。
その場所(事)は、現代の私達が忘れないようにと置かれているものなのかもしれません。

地元に帰って、歴史的な道や場所を探してみると、いくつかみつけました。
そして、歴史あるものと一緒に、現代の事件や事故現場も目につくようになりました。
今まで意識をしていなかったので、目に入らなかったのです。

近所に立て看板を発見しました。(かなり前からあった。)
「不審火には気をつけましょう」
「不審者にご用心・・・あやしい人を見かけたら警察へ」
「不法投棄はやめましょう」
中には、手書きの小さな立て看板も見つけました。
「お花を取らないで」
「犬のおしっこをかけないでください」・・・・
新聞やテレビにも流れない小さい小さな事件の数々です。

私は、警告のための立て看板だと思っていたら、
実害があったために立てられた看板だと、最近知りました。

歴史ある大きな石碑も警告の立て看板も
その場所は、実際の出来事をさしていたのです。
それを見て、目にする人は何を感じるのでしょう。

そういえば、時々 交差点に花束が置かれているのを目にします。
もしかしたら、そこは交通事故の現場だったのかもしれません。
歴史になるほどの碑ではないが、
小さな花束は運転する者へ忠告している碑なのかもしれない。
(合掌)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記

品川宿の案内所で、ご婦人が紹介してくださった美味しい天ぷら屋さんに行ってきました。
あるテレビ番組で放映されたらしく、ますます人気店になったようです。

私達が店にはいると、サイクリング途中ですれ違った3人組がいらして、
店主より先に「いらっしゃ〜い、そこに座って〜」と声をかけてくださりました。
言われるままに座敷に腰を下ろし、常連さん達と盛り上がり楽しい時間を過ごしました。

下町と常連客、そして、美味しい天ぷら。
私はやっぱり鼻がきく。
"デート”に学ぶ、子どもとの接し方
[2007年03月12日(月) ]

旦那の会社の健康保険組合から時々冊子が届く。
32ページしかないが、中身が濃く、毎回届くのを楽しみにしている。
この中に、気になるページを発見した。
"子育て疲れ”解消ヒント 宮田雄吾 著

子どもが小さい時はゆっくり話す機会もあったが、子どもが大きくなり、
子ども自身が自分の時間の方を大切にするようになると
だんだんと会話をするチャンスが減ってくる。

「"デート”に学ぶ、子どもとの接し方 」と題して
日頃から忙しくて子どもと関わる時間があまりとれなく、
どう話していいのかよくわからない。
そんな親にアドバイスが書かれてあった。

「デートを思い浮かべてみましょう」という書き出しがおもしろい。

(本文より)
デートのおいて、あなたが一番大切なものはなんですか?
「何を食べたいか?」
「どこに行ったか?」
「何を買ってもらったか?」
これらのことが、いちばん気になるなら、
そこにはまだそんなに愛はなさそう。
いちばん大切なのは、「二人の間にいかに素敵な時間が流れたか」ということ。

どうしたの、こうしたのと根掘り葉掘り聞かれては、
素敵な時間は流れにくい。
相手の気持ちを想像し合う中で生まれる「息づかい」こそが、
素敵な時間を生みだすのです。
そして、その時間の蓄積こそが愛を確かなものにしていくのです。
そうです。「何を話したか」はさほど大切なことではないのです。
子どもと交わるときに会話の達人になる必要はない。
必ずしも言葉を介さないけれど、子どもの気持ちを想像しつつ、
ともに過ごすゆったりとした時間の積み重ねが、
子どもに確かなものを伝えるのです。

本当に、そうだ。
子どもや旦那の顔を見ると、今日はどうしたこうしたと聞きたがる
(言いたがる)自分が居る。
話題の中心は、今日の出来事だったり、明日の予定が多い。
子どもが学校から帰って、
「今日はどうだった?友達はなんて言っていた?先生は?」な〜んて
尋問を受けているような会話は、確かに面白くない。

まぁ〜お茶の一杯でも入れて「ふぁ〜美味しいね〜」と
言っているほうが、心落ち着くものだ。

追記

デート・・・・そういえば、最近旦那とデートしていないなぁ〜。
旦那と喫茶店に入っても、話題はそうない。
同じ空間にいて、美味しいコーヒーをすすりながらホッとできる時がある。

もしかしたら、夫婦もそれだけでもいいのかもしれない。
以心伝心
[2007年03月09日(金) ]

私は、車の運転をします。
都会の道はいつも渋滞で、主要道路はなるべく避けています。
つまり、地元の人が通る抜け道を走っているのです。
抜け道は狭いところが多く、すれ違う難所がいくつかあります。
何度も通っている道なら、待つポイント(回避所)がわかるので、待機しています。

すれ違う車は、「ありがとう」の意味を込めたアクションをしてくれます。
軽く片手を挙げる人、会釈をする人、ライトをパッシングする人、
クラクションを鳴らす人、同乗者が挨拶をする人・・・
色々な形で、感謝が伝わってきます。
見知らぬ人達と交わす、ちょっとした「以心伝心」受ける方も気持ちが良いものです。

自転車に乗っていても、同じ方向に歩く人や自転車を追い越すときも
「お先に失礼します。」と一声かけるようにしています。

チリ〜ンチリ〜ンと呼び鈴を鳴らすと驚く年寄りが多いからです。
それより、声を掛けた方がスムーズによけてくれます。
「後ろから通ります」
「あらあら、ゴメンなさいね。」
「はい、どうぞ」
前に居る人達に「○△ちゃん、自転車が通るわよ」と伝えてくれる。
気持ちよく通してくれる。

通過際に
「ありがとう」「助かります」「お先、すみません」と一言残すようにしています。


対向の歩行者や自転車の人が、私の通過を待ってくれる場合もあります。
「早く通過しろよ」と厳しい顔の人達に、軽い会釈と「ありがとう」と伝えると
顔が緩やかになり「どういたしまして、お互い様ですよ」と言葉まで返してくれる。
気持ちが通じ合う。

外で困った行動を取る人に出会う事があります。
内心
「あら〜、何もこんな場所でしなくても・・・」と見ていたら
同じように想う人と目が合いました。
「ねぇ〜」とお互いに軽い会釈をしただけで、
気持ちが通じ合う。

一人で素敵な物を見たとき、景色に出会ったとき、「わぁ〜」と思った瞬間
見知らぬ誰かと目が合いました。
その人とお話をするわけではないが、気持ちが通じ合う。


見知らぬ人と言葉ではない何かが通じ合う。
気持ちが良いものです。

春の柔らかい風に誘われてどこかに出かけみたくなりました。
目が合う人がいたら、もしかしたらその人は私かもしれない。(o^^o)


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