かぁちゃん、ただ今 育自中

子供を育てているつもりだが、実は親が育てられているのかもしれない。
「育児は育自」 私は、今も育っています。

     
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かけがいのない命
[2008年07月28日(月) ]

唐突に息子から「お母さんは、何が作れる?」と聞かれたました。
「あん?お母さん?何でも作れるよ。まぁ〜究極があんたとお姉ちゃんだね。」と冗談ぽく答えると、
してやったりの顔で「はん?!子どもは作るものではありません。授かるものです。」と大人をギャフンと言わせたかのように答えてきました。
なにやら、国語の教科書に載っていたらしく、農作物が畑から工場生産となり、試験管ベビーの時代から「子どもは授かるものから作るもの」と言葉が変化してきたということが書かれてあったそうです。

最近は、「子どもを作る。」「子どもができない」という言葉を聞いても違和感がなくなってきています。
前回の子育て講座の中で「かげないのあなた」について、貴重なお話を聞かせて頂きました。

私たち命あるものは、必ず歳を老い、そして死んでいきます。
それは自然の摂理なのです、だから、命あるものは、次につなげるために生殖器が備わっているのだそうです。
それが人類の歴史となり、未来に引き継ぐことにつながるのです。
もっと現実的な話を聞きました。
約二人のお子さんを産んだ女性の平均排卵数は450個、
男性の一回の射精が、何億匹だそうです。

我が子は、450個分の一の卵子と何億匹分の一の精子が出会った結晶だそうです。
ですから、もしかしたら、父の精子が、今の子どもを誕生させた精子ではなく、お隣にいた精子と出会っていれば、今の我が子ではない違う我が子が誕生をしていることになります。
私という人間もまた同じです。
もしかしたら、私は父と母の体の中で偶然にもあった精子と卵子ではない違う精子と違う月に排卵をした卵子が結合をすれば、私という人間は存在しなかったことになります。
偶然にも母と卵子と父の精子が何百分の一の確率で出会ったのが「私」なのです。
ですから、「私も授かりもの」なのです。
だから、「わたし」は大事な「いのち」を持っているということになります。

今、自分の命を粗末にする子供たちや「鼓動するいのち」を考えられない人達が多いような気がします。
450分の一の母の分身と何十億分の一の父の分身である自分をもう一度見つめ直すいいお話を息子に話す機会を持てました。

息子に、その事を話すと「そうなら、俺もっと、違う母さんの分身が良かったな?!」と言ってきました。
今度は、私が息子にギャフンと言わせる番です。
「ふふふ・・・そうなると、君は君では無くなるのだ。」
「・・・・・・、そういうことだね。・・・・ならいいか。」

近年は、人の細胞の研究を多くされているようですが、そこに「いのちの鼓動」が生まれてはいません。
ドックンドックンと鼓動されている私の命、我が子どもの命は、「かけがえのない命」だという事を胸に手をあてて確認しました。