かぁちゃん、ただ今 育自中

子供を育てているつもりだが、実は親が育てられているのかもしれない。
「育児は育自」 私は、今も育っています。

     
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野まわり
[2008年07月18日(金) ]

何ヶ月か前の書き物に「野まわり」という言葉を見つけました。
今ごろになって、その言葉が気になって仕方がありません。
(書き物はすでに資源ごみに出してしまったで、読み返すことができません

野まわり
「畑や田んぼを2〜3日間おきに見回りに行き、前回との違いを観察をするのが目的。」

という内容だった記憶があります。

「畑・田んぼ」を見まわるということは、とても大切な作業だったのですね。
植物の成長は、種をまいたら翌日に発芽して、次に日に収穫はできません。
種をまき、少しづつ少しづつ止まらずに一刻一刻と成長をしています。
何日か間をおく事で、その変化に気が付くことが何よりも大切なのでしょう。

そういえは、近所の年配の方たちに「祭っ子ちゃんのお子さん、いくつになったの?この前見たら見違えるように大人の顔になって、びっくりしたわ〜、これだもの、私が歳を取るのも間違いないわ〜」なんて言葉をかけていただけます。
私は「あらぁ〜そう?!毎日見ているから、子どもたちが大きくなっている実感がないわ〜」なんていつも返しています。
これも考えれば「野まわり」と同じですよね。

畑や田んぼの観察にもいろいろあるでしょう。
病気になっていないか、倒されていないか(風、雨、嵐、ヒョウ・・・)、外敵にやられていないか(野生の昆虫・動物、頭の黒い泥棒などなど)「あれ?いつもと違う」と変化を探し出し、その対策をとる事が目的なんでしょう。

私たちの子育てや家族育ても同じ事が言えるのかもしれません。
毎日、顔をつき合わしているのにもかかわらず、変化に気が付かない事が多いこと多い事。
私が美容室に行った日、よほど髪型を変えないと髪を切った事さえも気が付いてくれません。
そういう私も早朝、旦那の後ろの髪の毛が立っているの知らないで「いってらっしゃ〜い」って平気で見送った後、慌てたことがありました。
毎日毎日、一緒にいても顔をまともに見ないで、それぞれが行動している事さえあります。
子どもも大きくなり、過干渉が嫌がる歳頃になって、「子→個」を望むようになり、つい放任になりそうになりますが、
「野まわり」という言葉を知り、「子(個)まわり」は必要なのかと思いました。