かぁちゃん、ただ今 育自中

子供を育てているつもりだが、実は親が育てられているのかもしれない。
「育児は育自」 私は、今も育っています。

     
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早期教育の前に
[2008年10月24日(金) ]

ある日の夕方、信号待ちで考えたことです。
私の横を一台の自転車が通っていきました。
ママチャリの後ろには3〜4歳の男の子がマウンテンヘルメットを被って乗っていました。
(今、自転車に乗る子どもにはヘルメットが義務化されているのでしょうか?とても多いですね。)
若いママが自転車を漕ぎながら、後ろの男の子と話をしていました。
なかなか微笑ましい光景です。

彼女らの会話が耳に入ってきました。
「センキュー・・・」
「そうよ。Thank youっていうのよ。」
「Thank you!!」
「▽$&:@:□?+&”・・・・」・・・自転車は遙か向こうへ

そうそう、私も上の娘に英語を習わせていたわ〜。
娘が幼稚園年長から近くの公民館でこども英語サークルに入会させていたのです。
サークルだから低料金、でも先生は外人さんの本格派。
子どもが英語に興味を持ってくれればと思い、週に一回通っていたのです。
これだけ、英語に力を入れたのだから、娘の英語力はスゴイです!!と自慢をしたいのだが、
結果は「親の自己満足」で終わっているのが現状。

何年か前に「早期教育」の危険を指摘した本が出版されていましたが、
そんな本を読んで、自分が落ち込みたくないので読みませんでした。
今は、開き直って『生の英語の発音を聞かせるためにお金を払ったのだ。』と思うようにしています。

そんなこんなを経験してきた私が、先ほどの親子の「せんきゅ〜」を聞きながら、気が付いたことがあったのです。
それは、英語で「Thank you 」と覚えさせる前に、日常の会話で「ありがとう」を言える気持ちを育てる方が先ではないかと気が付いたのです。
英語圏に住んでいるお友達を持てば、「ありがとう」で「Thank you」の言葉が出てくるでしょう。
フランス語圏に住んでいる恋人をいれば「愛している」と言いたければ「je t'aime」と言葉にいいたくなるでしょう。

その言葉を言いたくなる気持ちを育てるのが先だったのはないだろうか、
私は自分の子どもたちに「伝えたい気持ちを育てる」ことをしてきただろうか、と気が付いたのでした。
なんだか、最近は反省をすることが多いなあ〜。

まぁ!いいか。




ベビーシッター(三つ子の魂 百までも)
[2008年10月17日(金) ]

ある講演会のベビーシッターを買って出てしまいました。
私達が企画をした子育て講演会の参加者に保育希望者が多く(それでも保母さんは多かったのですけどね)
保育室で大泣きの大合唱が聞こえてきたからです。
これは大変だと思い、お節介だと思いながらも保育室に入っていきました。

入り口には「ママ〜ママ〜」と大泣きしている子どもがいました。
一人が泣けばつられて泣く子もいます。

私は今の年齢になって、やっと子どもの泣き方の種類の分別が出来るようになりました。
4歳位の男の子が、鼻水を流しながらママの元に行きたいと泣いています。
わかります、よくわかります。
なんで、僕がここに居る意味がわからない、置いて行かれた恐怖と知らない子ども達の大合唱を聞いていると
母の元に確認しに行きたいと思う気持ちは充分に理解できます。

私はその男の子に「ママが居なくて寂しいね。ママね〜今、●●ちゃんのためにお勉強に行っているんだよ。ここで一緒におばさんと遊んで待っていようね。」と言いながら絵本を一冊読んで聞かせました。
絵本の力は大きいです。
あっと言う間に子どもたちは本の世界に入っていきます。
その場にいた子どもたちも大泣きから小泣きに変わり、次第に泣きやんでしまいました。
ここに居る意味が理解でき泣きやんだ男の子は、次第にいろいろなオモチャに手を出し始めました。

線の細い女の子が、誰かにすり寄りたくて、私の元に来ました。
しばらく抱っこをして気持ちが落ち着いたところに、一緒に遊びたいと泣きながらその子を捕まえに来た子が来ました。
線の細い子は、この子から逃れたくて、私が居る部屋の隅に来たのでしょう。
「お友達と遊びたいけれど、怖い。」といったところでしょうか。
泣きながら捕まえに来た子は、自分の思う通りにならない事に腹が立ったのか、スゴイ形相をして泣きながら、私の顔めがけて引っ掻きに来ました。私はその子の手を阻止すると、今度は私の手を引き寄せ、いきなり指を噛みました。
『はぁ〜、ここまでくる不安はどこから来るのでしょう。』・・などど悠長に考えていたら、保母の先生が「あらあら・・」と言いながら私からその子を離してくれました。

少し落ち着いた所で、新聞を破ったり丸めたりと近くにいた子どもたちと一緒に遊びました。
中に、最初から居た一歳の男の子(この子は4歳の男の子の弟君、ママ手作りのネームバッチで判明)と女の子が私の側から離れません。(この時点で、講演会に戻らないで、ベビーシッターをすることに覚悟しました)
女の子は、私が悪い人ではないと知って、おしゃべりが盛んになりました。
「このフリフリ可愛いでしょう〜。おねぇちゃんの学校でね〜。」とジェスチャーまでつけて話し始めてくれます。
一歳の男の子は、ずっと部屋の隅に居ましたが、段々と私の膝や胸にすり寄ってきました。
こうなると、子どもは本当に可愛い。私が守ってあげる!!という気持ちになります。

子どもたちを一人一人を観察をすると、面白いです。
母の立場と違って、子どもを冷静に見ることが出来ます。
この保育室に居る子どもたちは、下は0歳から幼稚園前の子どもたちです。
生まれてわずか5年も経たないうちに、人格らしきものが垣間見えます。
この保育室に居ることに理解が出来ている子。
お友達がいっぱいいるし、おもちゃがあるからとりあえず遊んでいる子。
ただただ、暴れまくる子・・・・・・・。
「三つ子の魂百までも」じゃありませんが、何か見えてくるものがありました。

言葉を理解していない小さい子どもが、積み上げた積み木をお友達に崩されてしまい大泣きをしました。
昔の私は、同じような局面でわが子に対して「また、作ればいいでしょう」とか「泣かない!!」、「お友達も一緒に作りたかったんだよ。一緒に遊びましょう。」なんて言っていました。
でも、わが子は泣きやんでくれませんでした。そんな子どもに腹が立っていたことさえありました。

でも、今の私は違います。
「お友達に崩されて、悔しかったね〜、せっかくここまで高くできたのに、残念だったね〜。」と頭をなでなでしてあげました。
その子はすぐに泣きやみ、また続きを始めたのです。
小さい子どもでも、きちんと自分の気持ちを受け止めてもらえた安心感があったのかもしれません。

今さらなんですけれど、反省をしてしまいました。

追記

私の膝に違う子どもが乗ってきました。
ず〜っと一緒にいた男の子●●ちゃんが私から離れたので、寝起きに悪かった男の子を抱き上げてしまったのです。
そうしたら、●●ちゃんに嫉妬して泣かれてしまいました。
あ〜私って罪深い女なんだわ。


「しつけ」と「コントロール」
[2008年10月03日(金) ]

私は二人の子どもに恵まれました。
子育てもその時代の流れがあり、私は自分が良かれと思った子育てをしてきました。
ですが、子どもはロボットではありません。
大きくなるにつれ、豊かな感情を親にぶつけてきます。
親は良かれと思っていたことは、何が何でもやらせたい。
子どもは親の言いつけを素直に聞き入れる事が大事で、それが大切だと信じていました。

それが、5年前の長子のある事件で、子どもは自分の思う通りには動かないということを知りました。
子どもの話を聴くことの大切さ、子どもの感情を癒すことの大切さ・・・・コミュニケーションの大切さを、
子育てに関する講習会の数多くの講師の先生方から、たくさんの知恵をいただきました。
ワークショップを経験をして、子どもの気持ちになったり、自分自身をかえりみたり・・・・・・と私の子育ては、スキルアップしていきました。
ですが、何かが足りない、口先目先の行き場はどこに置くのかは十分にわかってきましたが、
私には何かが足りないと気が付いたのです。
そのことに気が付いた時、はじめて私は「人の親」になれました。
長子が15歳の冬のときでした。

それを言葉にすると何かと書くと「オニババ化する女たち〜女性の身体性を取り戻す」三砂ちづる著 光文社新書にわかりやすく書かれていました。

この本は、性や思春期、月経、出産という、女性のからだにとって重要だと思われることについて、少し違った視点から取り上げたものです。作者はここまで断言していいのかしら?と思うのだが、視点を変えたら、ものすごく納得がいく内容でもありました。

「オニババ化する女たち〜女性の身体性を取り戻す」三砂ちづる著 光文社新書〜〜より引用〜〜
母親の軸がないとしつけができない

子どもはあふれるほどの愛情をたくさん与えて、たくさんふれてあげることはないよりも大切ですが、同時に、この社会で生きていくのですから、ある程度の年齢になったらしつけることも大切になってくる。そういうときに重要なのは、親の側がぶれないということです。ルールや線の引き方というのは、共同体や家族によってそれぞれ違うのは当然で、大切するものはさまざまでよいと思います。ただ、親の側がぶれないものを持っているか、そこだけが大切なのです。
 しつけをすることと、子どもをコントロールしようとすることは、まったく違います。自分もコントロールされたことしかない母親は、子どもも思うようにコントロールしようとする。それは間違いです。しつけと、自分の思い通りにしてほしい、と言うことの違いは、しつけというのは、人間として生きていくことのルールを教えることです。自分の思う通りにしてほしい、というのは自分の都合のいいように動かしたい、ということです。
 結局、親が、自分がどんなふうに生きていくのか、そんなふうに人と関わっていったらよいのか、ということに関して、確固たるものを持っていないと、子どもをしつけられないわけですよね。自分が何を大事にしているのか、ということがわからないと。つまり、親の軸がぶれていると、子どもは育てられないのです。ですから、私はそれがどんなルールであってもよいのですが、親の側がぶれなくて、人間の対する思いみたいなのがはっきりしていて、それをいつも外に出していれば、子どももぶれないのではないかと思うわけです。そこの部分で親がぶれるので、子どももやっぱりぶれてしまうように思います。
 でも、そんな親でも、自分が確固たるものを持ったり、ぶれないよう成熟する、というのには限界があります。親自身も成長している存在ですから、はじめからその成熟が持てないまま子どもを持っていることももちろんあります。そこで周囲が、これだけやっていればなんとか大人になれるよ、ということで積み重ねてきたものが、子育てやしつけに関する世代からの知恵だったと思うのです。でも今は、母親自身がぶれてしまっているということに加え、そういった共同体の子育ての知恵というものもなくなってきてしまっている、というところが問題なのでしょう。子育ての知恵と子どもを管理することが混在していて、親になる人に確実なメッセージとして心に響くものを届けられていないのです。
〜〜〜引用以上〜〜

このぶれない母親というのは、肝のすわった、腰のすわった女性というのは、女性の月経、性体験、出産をこなしていくことで、母親のなる頃にはそれなりの軸のある身体になれるような仕組みを本来もっているのが、現代の日本・・・いや今の70歳代の人たちから、女性の身体を軽視され、その身体性が失ってしまったというのです。

でも、どんな出産経験をしても、子を持つ親として「軸のぶれない親」というのは、経験上必然的だと感じます。
どんな軸なのかは、それぞれだけど、人として正しい軸が良いのが一番です。
そのために、私の軸を育てています。







おむつなし育児
[2008年08月22日(金) ]

毎日新聞の家庭欄に「おむつなし育児」のことが書かれてありました。
私は長子を授かって、初めての育児に右往左往していました。
分厚い育児書を読み、新聞の小さな記事にも目を通し、子育てを模索していたのです。
それが、今や妊婦から父親まで、育児専門書の月刊誌が売られる時代になったのですから、驚きです。
こうなれば、マニュアル時代を過ごした親たちは、「こうでなければいけない」風潮に流されて当たり前です。

私が右往左往している時に、いつも思っていたことが、便利な道具がない時代は、どのように育児をしていたかということです。
大昔の人たちのやり方やジャングルの奥に住んでいる人たちの育児に興味を持っていました。
でも、そんなことを提案してくれる育児書は、私の手元にはありませんでした。
ですから、型には待った育児ではなく自分ができる育児をして来たつもりでした。

今回、この「おむつなし育児」を読んで、もっと早くに知りたかったと、残念でなりませでした。
その当時は、紙おむつが一般になりつつある時代でした。
長子には、布オムツでしたが、次子は紙オムツに完全に移行をしてしまいました。
それは、時代に流れというのもありましたが、一番には「楽」だったからです。
運良く、二人ともオムツからパンツになるのが早かったので、そんなに苦労はしませんでしたが、
「おむつなし育児」を知っていれば、きっと、この方法を取り入れたでしょう。

それは、なんと言っても「親子のコミニュケーション」がとれる大きな効果があるからです。
子ども気配を感じる、察するというのは、今日明日では身につきません。
勘違いや失敗、誤解など数々の経験を踏んで、少しづつ少しづつ確信できる何かを「親子」で育ち合えるのが「育児」なのだと思います。
授乳も何時間おきではなく、子どもがお腹をすかしたら授乳をする。
泣いたら、それを母が代弁をして言語化することで、子どもが言葉を覚える。
そんな、簡単なことだったはずなのに、当時はなんだか大げさな子育てをしてきたと、今ごろ反省をしている私です。
あ〜〜「おむつなし育児」やれるものなら、もう一度やってみたいものだ。
心のこもったペッタン
[2008年06月18日(水) ]

先日、「消しゴムはんこ」の講習会に参加をしてきました。
講師は同じ生協の組合員さんです。

彼女は「消しゴムはんこ」をはじめ「絵手紙(若い人が喜びそうな)」それに「料理」が得意な多才な方です。
彼女が発行している通信便りには、季節に合わせた素敵な文章と日々を豊かに過ごせるメッセージが書かれていました。

「消しゴムハンコ」を楽しもう!!・・・・・これより引用・・・・

消しゴムはんこって・・・・
特別な道具もいらなくて、カッター一本で作ります。
作り方も簡単。繰り返し作るほどに、上手になります。
自分だけの「オリジナル消しゴムはんこ」はぺたぺた・・何度でも繰り返し押せます!
楽しんで作って、使ってくださいね!絵手紙やメモにももちろん!
慣れると布にも押せます!!
・・・・引用以上・・・・・

まず、基本を練習しました。
慣れてきたならば簡単な絵柄を彫り、すこしづつ複雑な絵柄に挑戦していきました。
いつしか、会場は静かになっていきました。
私は、長靴とカタツムリ・雨のしずく・ニコニコ顔の雲を彫りました。

出来上がったハンコをペッタンと押してみます・・・そっ〜と上げてみると、消しゴムはんこ独特な可愛らしさが現れました。
教え上手な先生は、私を上手に褒めてくださり、もっと上達するようにポイントを教えてくださいました。
先生のアドバイスの所を手直しして、またまた、ペッタン。
「ん〜〜なかなか、いいんじゃな〜い」と一人悦に入ります。

参加者みんな、同じようで同じじゃない、それぞれの消しゴムはんこが出来あがりました。
ペッタンペッタン・・・・・・
作品をいくつか押しているうちに、私はフッと子ども時分に返りました。
壁にたくさんのシールを貼る、いたずら書きをする、意味無く同じことを繰り返す、
そんな面白さを思い出してしまったのです。

私は、大人になって「意味のない行動」は卒業をしましたが、
子ども頃にやったあの楽しさをもう一度やってみたくなりました。
今度は、意味のない行動ではなく、暮らしをより豊かになるような行動に変えて、
ペッタンと。
そして、ペッタンを誰かに送りたいなぁ〜と思いました。
心を込めて『ぺったん』と押した『私の消しゴムハンコ』をあなたに


石の上にも三年
[2008年05月05日(月) ]

私の父は遊び人でしたが、私が仕事に嫌気が差して「辞めたい」と言ったときには「石の上にも三年、3年間我慢しなさい。」と言われてしまいました。
そして、三年後には「辞めても良いけれど、次の仕事場を探してから辞めなさい。」とまたピシャと言われました。
有休休暇が取れなかった仕事場を退職して、一週間だけ猶予をもらい東京見学をした思い出があります。
そして、一週間後に新しい仕事場に通い始めたのでした。

20代の私には、どうして3年間我慢をしなくてはいけないのか、理解できませんでしたが、
この歳になって、ようやく理解できるようになりました。

娘と息子は小学校からスポーツをしています。
娘は、小学校5年生から高校まで女子サッカーをしていました。
息子は小学校2年生から現在も野球を続けています。
二人とも、「辞めたい」と相談を受けたことがありません。
ですから、私は子どもたちに「石の上にも三年だからね、・・・・」という台詞はまだ使えません。

娘が小学校の時に、顧問(小学校の先生)に「中学校の部活について」質問をしたことがありました。(移動中の車の中で)
ベテランの顧問は、「部活は振り落とす意味もあるんだよ。最後まで残れることに意味があるんだよ。」と言われました。
「振り落とす」とはまた乱暴な言い方だと思いましたが、長い人生を考えるとそれも必要な事だと思うようになりました。

小学校の時に一緒にサッカーをしていたAちゃんは、中学では部活(バトミントン)に入り3年生では、よい成績を上げ、今でもその仲間達と良き交友関係が続いていると聞きました。
彼女の母が言うには「小学校の時に培った体力が、楽しい中学校生活にさせてもらったようなものよ。」と言っていました。
体力がなく、ついて行こうとする気力もなく、ぐちゃぐちゃした人間関係に嫌気が差し、次々に部活を辞めていく同級生の親たちの話を聞きながら、「石の上にも三年」という言葉の大切さを改めて噛みしめたのでした。

これから先、わが子どもたちも「この環境が嫌だ。」「こいつが嫌だ。」「自分の思うようにならなくて嫌だ。」と相談を受けるときがあるでしょう。
その時には「石の上にも三年」の意味と「嫌だ」の気持ちとその解決策を一緒に考えようと思います。

追記

午後に自由時間が出来た息子が「俺、遊びに行ってくる」と飛んで行きました。
夕飯時に帰って来て「面白かった〜〜〜いっぱい遊んできたよ、これがさぁ〜・・・」と、
遊びの内容を事細かく説明する息子に「メンバーは?」と聞いたら「いつものメンバーさ、○●は5時に帰った。後は2年生も居たし・・・・」
息子の部活の同級生には退部者は、一人もいません。
きっと、良い環境なのでしょう。




カオマル
[2008年04月30日(水) ]

息子が歯医者通いをはじめました。
「親も同席してください」と言われましたので、一緒に歯医者に行きました。
順番が来るまで待合室にいると、小さい子が病院のおもちゃ箱から面白い物を持ってきました。
「それなぁに?」と聞くと、その子のママが「これがお気に入りで、必ず持ってくるんですよ。」と言いながら、私に面白い物を手渡してくれました。
粘土のような質感だけど、グニュと握りしめられる物で、顔が掘られていました。
顔を引っ張ったり、つぶしたりするとその表情が変わって、面白い物でした。
私は小さい子に面白い物を返したあと、おもちゃ箱を見るとその空箱がありました。
そこには「カオマル」と書かれていました。

箱書きには、
最近あまり笑ってない、ストレスを感じる、誰かとすれ違いがち・・・等、
そんな悩みのある人に!
一度握ればもう手放せないこの感触、つい時間を忘れてしまいます。
ちょっと気のきいたプレゼントにどうぞ。

と書かれていました。

顔をぐちゃっと・・・・若いとき、よく鏡の前でやっていました。
仕事を覚えたての頃、何をやっても失敗ばかり、
自分の良いところが何一つ見つけられたかったあの頃、
何をやっても後悔ばかり、そんな時代がありました。
真夜中に一人で、そんなつまらない自分に向き合うように、鏡を見てた時があったのです。
どうして、何をやっても失敗ばかりするの、不器用なんだから!!
どうして、あなたは美人じゃないの?
マイナスの自分と鏡の中で対話をしていたのです。
ある日「あ〜〜もう嫌だ!!」とそんな自分に「あっかんべー」をしたのです。
何故か、それが面白かった。
もっと自分の面白い顔を探しすために、あらゆる方向に顔をグチャっとやっていたのです。
最高だったのが、埴輪の顔でした。
顔が良い具合にマッサージされ、笑いが込み上がり、一人で大笑いをした事がありました。

マイナスの自分を見ながら、プラスの自分を見つけ出すことが出来たのです。
カオマルを触りながら、その当時の自分を思い出しました。


災い転じて福とする
[2007年12月28日(金) ]

世の中には、いろいろな人達が居ます。
大きな夢を持っても、どうしていいか分からず私のようにすぐに諦めの早い人もいるでしょう。
反骨精神で、世の中にはい上がった人や気がついたらその道に進んでいた人とか、人生はわからないものです。

成功をおさめた人たちの中でも、大きな壁にぶつかって、もうダメだと諦めたその時のひらめきが成功(自分にとっての)への軌道を見いだした人たちもいます。
失敗して、人も自分も心傷ついて、諦めて、でも諦めきれなくて・・・・とモヤモヤしている人もいると思います。

NHK番組 「プロフェッショナル 仕事の流儀 」を見ていても、何の苦労もせず過ごした人は誰もいないことがわかります。

何の才能のない専業主婦の私にも、今の自分より成長をするチャンスがあると思えるようになりました。どこかに勉強に行かなくても経験が自分を育てていたのです。

何年か前に子供会のチラシ・お知らせを作るために、パソコンのワードを操作できるようになりました。
今年は、自治会の会計とある団体の会計を任され、エクセルを操作できるようになりました。
そして今回、このブログを書くにあたって、文章をまとめられるようになりました。(校正付きですが)

人との関わりもそうでした。
娘が小学校の1年生の時に、学校の様子を知りたいと思い学年委員になりました。
この学校は二クラスしかなく、どちらかが正副委員長となります。
私は、どうせやるならと委員長になりました。(旦那の転勤で残りの年月決まっていたのです。)
おかげで、入学式には答辞を読む羽目になりました。(全学年の学年委員会はとても楽しかったです。)
息子が幼稚園にいたときは、PTAの会長になりました。
前回の経験で、大勢の人の前でお話をするのが平気になっていました。
この時は、人をまとめてる大切さとまとまったときの充実感を与える役割と与えられた喜びを同時に体験しました。

次の年、何故かプチ鬱病になりました。
原因は町内の人との関わりで自己喪失に陥ったのです。
私という人間を百人の人がいたら、百人の人に理解してもらっていると勘違いをしていたのです。かなり悩みました、強くなりました、時間が解決をしてくれました。

同居の父母が相次いで、入院をしました。
父は膵臓癌で、母は心不全からパーキンソン病等・・・沢山の病名を持っています。
ほぼ毎日、お見舞いに行きました。
この時は、医療とか人の命とか人生について深く考える機会をもちました。

交通量の多い交差点で交通事故を起こしました。
相手が自賠責に入っていなかったので、解決まで何年もかかりました。
検察庁に2回出頭しました。正義について深く考えました。

子どもが反抗期に入りました。
子どもが持ってくる山のような問題が私にのしかかってきました。
解決策を探したくて、私はさまよい歩きました。
そして、市の母親学級の企画委員になりました。

自分が、家族が、幸せになるには、
自分→家族(子ども・旦那・両親・きょうだい・親戚)→地域環境(仕事・住居・
子ども達・自分の友人・旦那の仕事・・・)→社会(日本・世界)→自分に戻るのだと知ることが出来ました。

何も知らない箱入り娘(私は段ボール娘と呼んでいました。いつでも出られるんだけどなかなか出て行かないということで)が、内地に嫁に来て、まわりを見ても誰も何も知らないところでも少しづつ成長をすることが出来たのです。

これから先も、人生の関所がたくさん待ちかまえていると思います。
その時、逃げずに自分に正直な気持ちで通過していけると思うようになりました。
難問珍問どんと来いです!!

災いだと思っていたら、災いにしかならないと思います。
災いを福にしようと思ったら、成長するのだと思います。

来年は、どんな年になるか、皆様もよい年になりますようにお祈り申し上げます。


私が親として自信を持てた日
[2007年12月03日(月) ]

私は十月十日で母親となりました。
わが子どもは世に出てきて以来、母親の助けを必要としてきました。
食事・排泄・痛い・暑い・寒い・楽しい・悲しい・寂しい・苦しい・・・・・
わが子の言葉にならない声を聞いて、理解していかなければいけませんでした。
それは母親の役目となり、私の生き甲斐にもなっていきました。

わが子は日本語を覚え、2語文・3語文と会話も出来るようになり、それに伴い行動も盛んになり、
寝返り、這う、座る、立つ、歩く、走る、転ぶ・・と目まぐるしく親の監視が必要となります。

子どもは色々なモノに興味を示しはじめます。
文字を覚え、絵を描き、歌を唄い、宙返りをして、電車を追いかけ・・・体全体で表現をしてきます。
行動が盛んになると子どもたち同志の関わりが増えていきました。
母親は、わが子に人との関わり方や社会のマナー(躾け・行儀)我が家の価値観をしっかりと身につけさせなくてはいけません。
それが、母親の勤めとなり、いつの間にか子どもは私の分身であることを求めたくなります。
ですから、子どもの悩みは、私の悩みにもなります。
子どもが反抗期になると、子ども以上に母親は辛くなりました。
私の分身である子どもが、私に楯を突くのですから、母親自身がどうしていいかわからなくなるのです。

子どもは日々の生活で、色々な問題を持ってきます。
子どもの問題を自分の問題している母親は、子ども以上に自分が納得が行く回答を求めます。
自分が納得をしなければ、何処にでも行きます。
それは、自分の悩みに共感をしてもらいたい、自分は悪くない、と誰かに言って欲しいかのように
さまよい歩くのです。
いい人・良い環境に出会えればいいでしょう。
身を滅ぼすような新興宗教の餌食になるかもしれません。
何処にも出られない洞窟に入るようになるかもしれません。

母親はさまよい歩きながら、子どもの人生と自分の人生を重ね合わせていきます。
私の子どもは幸せ、私の子どもは安全だと、満足しているにもかかわらず、
母親は自分の子ども時分とわが子を比較したくなります。
それは、幸せの再確認だったり、わが子への嫉妬だったりと色々な感情がわき起こってきます。

子どもを育てながら、親は人の親として育っていくのだと思いました。
自分には、親として何が足りないのだろう。
親として、何を目標にしていけばいいのだろうと、悩んでいる時期がありました。

市の催しで子育て講習会の「阿部秀雄氏の抱っこ法」を学びました。
その中で「親心を立てるには」の話が、心に止まりました。
子どもに振り回されない親心が育っていないことに気がつきました。
そして、先生の話を聞いて、親自身も辛いとか悲しいとか、泣いても良いのだと知りました。

親心を立てるには、子どもの成長、感情の大切さを知る必要があります。
今、わが子どもがどういう感情を出そうとしているのか、親はどうしたら親心を立てられられるのか、
それを知ることで、私は少しづつですが、親として自信を持てるようになりました。
人はいつまでも、大人として、社会人として、親として、育自しているのです。
+-÷×=10
[2007年11月05日(月) ]

我が家では、電車に乗ると必ず『タシテン +たして10にする物語+』と同じ遊びをします。


我が家の場合は、もっと高度で四則全部を使って、答えを10にします。
何を使って?
実は、切符に書いてある4桁の番号を使います。
電車に乗り込むと、まず自分の分を計算します。
簡単だったら、余裕の顔で「出来た」と自慢げに切符を誰かに差し出します。
難しかったら、すぐに顔に表情が出てきます。
余裕で計算が終わった人が、人の切符をのぞき込んで「あ!出来た」なんて言われたら、悔しくてたまりません。
計算方法は、一つしか出来ない場合もありますが、何通りの計算方法を見つけ出すことも出来ます。
おかげで、長い移動時間を楽しくすることができました。

ところが・・・・都心には、パスネットとかスイカという便利なモノが登場して、切符を購入しなてもすみ、
また子どもと一緒の移動も減ったので、この遊びはしなくなりました。

なつかしいぁ〜、
子どもたちと移動の空き時間に、よく遊んだことを思い出しました。
電車や車に乗ったら、車窓のおもしろ発見。
子どもが歩き疲れて「だっこ」を要求されたら、マンホール競争(マンホールのフタを見つけて、そこまで競争をする)
電車の中でぐずったら、コイン当てゲーム、ハンカチゲーム。
「子どもの名前」の中にある文字を見つける看板探し(声を出せない静かな場所で、絵本の中の文字を探すこともやりました・・祭っ子の「ま」を探す。)
「誰が、いつ、何を、どうした」と話を作る。
指を使ったゲーム、あやとり、割り箸の袋、つまようじ、ストローの袋・・・・・・・暇だと感じたら、その場にあるものを使って、暇つぶしをしました。

そのうち、そんなモノまでもゲームソフトになる時代が来るのでしょうか?
そう考えると、ちと寂しい。
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