世の中には、いろいろな人達が居ます。
大きな夢を持っても、どうしていいか分からず私のようにすぐに諦めの早い人もいるでしょう。
反骨精神で、世の中にはい上がった人や気がついたらその道に進んでいた人とか、人生はわからないものです。
成功をおさめた人たちの中でも、大きな壁にぶつかって、もうダメだと諦めたその時のひらめきが成功(自分にとっての)への軌道を見いだした人たちもいます。
失敗して、人も自分も心傷ついて、諦めて、でも諦めきれなくて・・・・とモヤモヤしている人もいると思います。
NHK番組
「プロフェッショナル 仕事の流儀 」を見ていても、何の苦労もせず過ごした人は誰もいないことがわかります。
何の才能のない専業主婦の私にも、今の自分より成長をするチャンスがあると思えるようになりました。どこかに勉強に行かなくても経験が自分を育てていたのです。
何年か前に子供会のチラシ・お知らせを作るために、パソコンのワードを操作できるようになりました。
今年は、自治会の会計とある団体の会計を任され、エクセルを操作できるようになりました。
そして今回、このブログを書くにあたって、文章をまとめられるようになりました。(校正付きですが)
人との関わりもそうでした。
娘が小学校の1年生の時に、学校の様子を知りたいと思い学年委員になりました。
この学校は二クラスしかなく、どちらかが正副委員長となります。
私は、どうせやるならと委員長になりました。(旦那の転勤で残りの年月決まっていたのです。)
おかげで、入学式には答辞を読む羽目になりました。(全学年の学年委員会はとても楽しかったです。)
息子が幼稚園にいたときは、PTAの会長になりました。
前回の経験で、大勢の人の前でお話をするのが平気になっていました。
この時は、人をまとめてる大切さとまとまったときの充実感を与える役割と与えられた喜びを同時に体験しました。
次の年、何故かプチ鬱病になりました。
原因は町内の人との関わりで自己喪失に陥ったのです。
私という人間を百人の人がいたら、百人の人に理解してもらっていると勘違いをしていたのです。かなり悩みました、強くなりました、時間が解決をしてくれました。
同居の父母が相次いで、入院をしました。
父は膵臓癌で、母は心不全からパーキンソン病等・・・沢山の病名を持っています。
ほぼ毎日、お見舞いに行きました。
この時は、医療とか人の命とか人生について深く考える機会をもちました。
交通量の多い交差点で交通事故を起こしました。
相手が自賠責に入っていなかったので、解決まで何年もかかりました。
検察庁に2回出頭しました。正義について深く考えました。
子どもが反抗期に入りました。
子どもが持ってくる山のような問題が私にのしかかってきました。
解決策を探したくて、私はさまよい歩きました。
そして、市の母親学級の企画委員になりました。
自分が、家族が、幸せになるには、
自分→家族(子ども・旦那・両親・きょうだい・親戚)→地域環境(仕事・住居・
子ども達・自分の友人・旦那の仕事・・・)→社会(日本・世界)→自分に戻るのだと知ることが出来ました。
何も知らない箱入り娘(私は段ボール娘と呼んでいました。いつでも出られるんだけどなかなか出て行かないということで)が、内地に嫁に来て、まわりを見ても誰も何も知らないところでも少しづつ成長をすることが出来たのです。
これから先も、人生の関所がたくさん待ちかまえていると思います。
その時、逃げずに自分に正直な気持ちで通過していけると思うようになりました。
難問珍問どんと来いです!!
災いだと思っていたら、災いにしかならないと思います。
災いを福にしようと思ったら、成長するのだと思います。
来年は、どんな年になるか、皆様もよい年になりますようにお祈り申し上げます。