かぁちゃん、ただ今 育自中

子供を育てているつもりだが、実は親が育てられているのかもしれない。
「育児は育自」 私は、今も育っています。

     
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「ごちそうさま」より満足感を
[2008年12月01日(月) ]

同居の父は糖尿病のお薬を飲んでいます。
すい臓癌で大手術で胃も切除しています。
食事は、朝食だけ自分で作り、昼夜は私達と同じものを食べています。
腹八分目を心がけているようですが、いくらでも食べたいそうです。
私は、どうしたら父が満足が出来るのか知りたくなりました。

先日、NHKで「病の起源 第5集 糖尿病〜想定外の“ぜいたく”〜」を見ました。

NHKスペシャルより引用〜

現在、世界の糖尿病患者は2億4千万人にも上る。特に日本人は、糖尿病になりやすい体質であることが分かってきた。血液中の糖を細胞に取り込み、血糖値を下げる働きを持つインスリン。このホルモンを分泌する、すい臓の能力が欧米人に比べ低いのだ。原因は縄文時代から近代に至るまで、数千年にわたる食生活にあるという。

引用以上〜

この番組の中で、高度肥満になってしまう人の脳の分析の結果に興味を持ちました。
食べても食べても満足が得られないために食べ続ける肥満体質。

父の体重は標準体重だが、食べても「もっと食べられる」ことにガマンをしている父を見るのはとても辛い。
でも、食べてはいけないのです。
「ごちそうさまでした。」という父に「お腹いっぱいになった?」と聞くと「いくらでも入る」と答えてくる。
「でも、食べ過ぎるとよくないから。」と必ず返ってきます。

私はこの番組を見てから、声かけを変えました。
「ごちそうさまでした。」
「今日のご飯は満足でしたか?」
「うん、うまかった。」と答えてくれます。

この「うまかった。」「上等だよ。」「果物はうまいな。」そんな肯定感を父の言葉から出ることが、
脳から満足ホルモンが出るのかもしれない。と思えるようになったのです。

そして、なにより「うまかったよ。」と言われた私の脳には「作って良かった。」という満足ホルモンが出ていることでしょう。



人のフリ見て我がフリ直せ(言葉づかい編)
[2008年11月28日(金) ]

いえね〜。
つい、お節介を焼いたんですよ。
その時の感想です。

ある会議場の駐車場に若い娘さんが乗っていた軽自動車がバックをしてきたんです。
車のすぐ後ろに赤いコーンがあって、ぶつかりそうだったので「あ〜〜ぶつかりますよ。」と
私は慌てて、軽自動車に向かって言ったんです。
その時の若い娘さんの一言が「知っています!!バックモニターでみていますから!!」とすごい剣幕で言ってきたのです。
その言い方に、ちょっとカチンときた私は、冷静に「あら〜、いらぬお節介を焼いたようで、ごめんなさいね。」と言い返しました。そうしたらまた「そうですね。」と若い娘は私に言ったのです。

内心『あ〜〜、あの年で、あの物の言い方しか出来ないなんて、可愛そうな娘さんだ。でも、我が息子の嫁さん候補なら却下だわ。娘にも確かめなくちゃ。』と一人ぶつぶつ言っていたのでした。

早速、娘にこの事を話しました。
娘は「私は外ではいい子なのよ。『ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫です。』と言えるわよ。」という答えに一安心しました。

私が若かった頃、実家の母に「人のフリ見て我がフリ直せだからね。」とよく言われました。
公共の場、小さいなお店の中、・・・・・悪いお手本も良いお手本がいっぱいあります。
でも、一番は家庭だよね。
はぁ〜、まぁいいか。

無関心
[2008年11月19日(水) ]

先月、リサイクルショップで私サイズ(大きい)の新中古のチュニックを格安で購入をしました。
素材は、ベルベット風の化繊で、幾何学模様でやや派手め。
デパートやスーパーの定価で買う勇気はないけれど、流行に縁がない私でも、この価格なら挑戦してみようかなという気持ちになりました。

早速、娘に見せると「やめて〜!!それを着てその辺を歩かないでね。」を釘を刺されました。
「フン!何よ!!かぁさんだって、可愛い〜のを着てもいいじゃない」の憤慨していた所に、息子が帰宅。
「ねぇ〜、お母さんに似合うと思わない?」と息子に聞くと「絶対!!やめな。これが似合う人と似合わない人がいるとしたら、母さんは似合わない人。頼むから、これを着て外に出ないで、」と言われる始末。
『何と言うこった。揃いも揃って、そこまで私を落とさなくてもいいじゃないか!!』とその派手な洋服をたたんでしまいました。

ある休みの日、私は黒のタートルネックの上に、その派手な幾何学模様のチュニックを着ました。
子どもたちの反応は、「着たのね、あら似合うわね。(ちょっとイヤミっぽく)でも、この格好で外を歩かない方がいいよ。」と助言を頂きました。
旦那の反応は?
日頃、派手な洋服を着ない私ですから、目に入らないわけがありません。
・・・・・・・・・残念ながら、無関心です。

旦那は、私が美容室に行っても気が付きません。
新しい洋服を購入しても気が付きません。
でもさすがに、こんな派手な洋服は旦那の目に入るでしょう。
・・・・・・・・・反応のなさに空しさまで感じます。

ある新聞の文化の欄に、「パートナーから感謝の言葉がなくて寂しい」という内容の特集が組まれていました。
「ありがとう」という言葉が自分に向けられない寂しさです。

一人台所に洗い物をしながら、どうして旦那は私のこの洋服に気がつかないのかしら?
そう考えると、子どもたちの悪評でもうれしくなります。
『似合うでも似合わないでも、どんな反応でもいいから、何かを言って欲しい。』と一人で考えていました。

そして、水道をジャァ〜ジャァ〜流しながら、旦那の悪口を考えていました。
でも、ふっと思ったのです。
もしかしたら、旦那にはそういう気遣いが育っていないのかもしれない。
無関心なわけではなく、人の変化を察して褒めるということが育っていないのかもしれない、
とひらめいたのでした。
そして、旦那の前に仁王立ちに立って「ねぇ〜、この洋服どう?子ども達には悪評だったんだけど、似合うかしら?」と聞いてみました。
旦那は、一目見て「いや、似合うんじゃない。」といとも簡単に返事をくれました。
その言葉を聞いて、私の頭の中にあったモヤモヤとしたものが一気に晴れてしまいました。

夫婦といえども、育ち合わなくちゃいけないということですな。
旦那はどうして、肯定してくれたかというと、実は彼の好きな絵柄だったのです♪

順位の魔法
[2008年10月27日(月) ]

いつかの新聞に「学力評価のない国」の話が載っていました。
評価がないために、生徒達はわからないところは教え合い、勉強は自分のためにあると書かれていました。
それを読んで、わが子どもたちもそんな国で育っていたら、どんなにか良いか・・・と思っていたのでした。

ある日の夜、大学一年生の娘とこんな会話をしました。
「今日、ものすごく違和感のある会話を友達としたの。」
聞くと、学校の成績の話でした。

娘は今回運良く好成績を頂きました。
それは、本人にとっては自分が頑張った評価の結果で、今後も自分の夢に向けて頑張っていきたいと思えるステップになっていました。
大学の友人達と、成績の話で盛り上がっているところで、同じ学部の子が入ってきて「え〜、○○ちゃんは●番で、▽▲ちゃんは▲番なの?じゃぁ〜、私あと二つ上がったら、●番になるなら頑張ろう〜。」という話を、娘はとても違和感があったというのです。

娘は、小学校から高校まで、順位がついた成績を頂いていませんでした。
中学の試験の結果も、平均点と中央値(100人いたら、50番目の子の位置)がついたヒストグラムがあるだけです。
ですから、子どもたちの間ではウスウス感じるものがあっても、確定にはなっていませんでした。
高校も県立高校でしたが、学年の先生の方針で順位にとらわれない学力を掲げていましたので、順位はもちろん付いていませんでした。
ですから、成績表をもらって友達同士で見せ合い、お互いに褒めあっり慰め合ったりしあって、勉強は順番を意識することなく、己のための勉強の成果と受け取っていたというのです。
それが、大学に入り、▲○□中/▲番と記入されているのをみて、最初はとても新鮮だったのだが、
友人たちとの会話を聞きながら、とても違和感を感じたそうです。

模擬試験などは全国の顔の知らない人達を対象にしているので、数字を書かれていても漠然としていて、「あ〜そうなのね。」としか思えなかった数字が、対象者が全員知り合いという環境の中で順位を付けられるということは「やっぱり、そうなのね。」という確定になってしまうというのです。
そして、何より自分を磨くために学力を身につけるのではなく、順位のために学力を上げたいというのはおかしくない?
と娘は気が付いたのでした。

学力問題がいろいろと取り出されていますが、連続ワースト県に入っているわが県で順位にこだわらない教育を受けた者としては、目先の結果を目的にするのではなく、10年後・20年後・30年後の学力成果を追跡調査をしていただき、教育と学力を上げるには何が一番大切なのかを知りたいと思いました。


願わくは
[2008年10月06日(月) ]

今朝、朝ご飯を食べ終えた息子が「アップルパイ、食いたいなぁ〜。」と言ってきました。
そろそろ紅玉リンゴが出回る頃です。
「そうね〜、リンゴが出てきたら、作ってあげようか・・・・・、あんたの彼女になる人は、お料理ができる人ならいいね。」と言うと「・・・・(嬉しそう顔)ハン・・・。」と答えが返ってきました。
「あんたに食べてもらいたいから、作ろう、作りたい。と思う人がいいなぁ〜」という、姑めめいた私の言葉に逃げて行ってしまいました。

わが息子、バレンタインデェーには小学1年生から毎年チョコを頂いています。
小学中学年までは、息子の好きな子が手に取るようにわかりました。
お返しの手作りクッキーの枚数が多かったり、袋が可愛いモノに入れていたからです。
小学校の高学年になると、友達同士で異性の話題で盛り上がります。
野球練習の帰りの車の中では、女の子の名前はイニシャルにしていましたが、そんなのみんなお見通し。
中学生になると、バレンタインデェーには友人が迎えに来てくれて、親の目から離れた場所でチョコを頂きました。
そして学年が増すようになると、ますます親の視野からドンドン離れた場所に移っていきます。

中学2年生の頃「女の子と付き合うのって、早いよね。」と言って来たことがありました。
息子の同級生で幼稚園の時からお付き合いをしている家族がいます。
その子の息子さんが、中学1年生の時から男女交際をしていて、母としては心配やらなんやらの話を聞いていました。彼女のスピーカーのおかげで、そのお子さんは中学生らしい清い交際をしているようで、街中で知っている親には挨拶をしてくれます。(というか、大人の方がキチンと声を掛けて欲しいと母は願っているのです)
彼女の性教育は我が家でも浸透をしています。
「いい〜、彼女と二人きりになると、手もつなぎたくなるし、チュとしたくなるのよ。・・・・・」と若い男女交際のイロハを具体的にわかりやすい内容で諭しています。
それを、私は子どもたちに「・・・・と○△のおばちゃんが言っていたよ。」と伝えています。
それでなのか、息子は「中学生は、まだ早いよね。」という言葉になったのかもしれません。

それでも、人を好きなる気持ちは抑えられないのが本音でしょう。
私は「一緒に話をしたり、映画を見に行ったり、何かをするのは楽しいじゃない。部活を終えてから、テストが終わってから・・・・と時間を見つけて、会うのもいいんじゃないの?」と答えると
「いいや、面倒くさい。部活を終えたら疲れるから寝ちゃいたいし、映画も二人で見たってつまんないだろうし、まだ中学生には早いんだよ。」となんとも色気の無い答えが返ってきました。
先の同級生の子の母は「地方の試合があっても、疲れているのに待ち合わせの場所に嬉しそうに出かけるんだよ。」・・・・恋というものは、そういうモノです。
面倒なんて言葉が似合わない。

『●●君が、アップルパイを食べたいから、頑張って作ってみる!!』
『▲□さんは見ているから、オレ頑張る!!』といつもの自分よりステップアップ出来る恋を息子にもしてほしいなぁ〜。
そして、そんな女の子が息子の彼女になって欲しいなぁ〜と願うばかりです。
目に見えない安心、見える安心(せっけんの時代編)
[2008年09月29日(月) ]

夏の暑い盛りには、家族みんなが汗だらけ泥だらけになり、洗濯物が山のようにありました。
我が家の洗濯機は、10年前から2槽式を使っています。

もう何年も洗濯機の中の掃除を怠っていたので、汚れが目立ち始め掃除をすることにしました。
私は、機械を分解をするのが好きです、構造が気になるからです。
この洗濯機も素人が分解が出来る所までばらしてみました。
そうしたら、ホースの周りに粘土のような物がこびりついているではありませんか。
あ〜、せっけんカスとその他もろもろが付いるのだと、一目でわかりました。
私は、2槽式の洗濯機に変えてから、洗剤を合成洗剤から、せっけんに変えました。
それは、肌が弱いため、冬に着る静電気に耐えられなかったことと、時々感じる痒みや痛みを気にして何かのお薬を塗るより、洗剤を変えるのも一つかと思い、思い切って変えたのです。
(これは大正解でした。せっけん生活に変えてから、静電気も起こらないし、風呂上がりの痒みも主婦湿疹もなくなりました。この話は、また次回に)

大量のといっても、10年分のせっけんカスの理由を挙げると、
我が町は若干硬水なので、せっけんと水道水の成分が結びやすく、せっけんカスが生まれやすいこと。
また、せっけんの量も多めに入れていたのも原因の一つ。
その前に、こまめに掃除をしてこなかったことが最大の原因でした。

まぁ〜、原因の追求とその解決法は別として、目の前にある粘土のようなものを取り除かなくてはいけません。
素手でそれを取り匂いを嗅ぐと(私、匂いフェチでもあります。)なんと、懐かしい匂いがします。
匂いというのは、その時の記憶までも呼び覚ましてくれるから不思議です。

その懐かし匂いとは、私の実家の前にあったドブの匂いでした。
昔、昔、40年前の家の前には、幅30センチほどの木製のドブがありました。
所々に丸木が補強されて、透明の水がサラサラと流れていました。
時々、白い水が流れてくるけれど、また透明の水に混ざって、わからなくなってしまうのを眺めていたのを覚えています。。
補強されている木の回りに、赤いイトミミズが固まりになっていました。
子ども頃は、それが気持ちが悪く、ドブが嫌でした。
子どもたちの遊びは、道路が多く、ボールや三輪車・・・・とドブに落ちないのが目標になっていたほどです。

今、考えると。
ドブがあったその頃は、家庭の下水はすべてドブに流れていました。
野菜を洗い、食器を洗い、洋服を洗い・・・、全て水またはせっけん水だったはずです。
せっけんカスは、魚の餌になるほどの栄養価があるそうで、今では家畜の飼料用にも作られているそうです。
ですから、赤いイトミミズも元気に生きていたわけです。

それが、ドブから消えない泡が目立つようになりました。
今、考えると、それは合成洗剤のはしりなのかもしれません。
そのドブから、赤いイトミミズの姿が見えなくなったのを覚えています。
子どもの頃の私にとっては、気持ち悪い赤いイトミミズの固まりが見えなくなったのですから、嬉しい限りでした。

それからまもなく、水洗トイレの普及により、ドブは下水道と名前が変わり、私達から姿が消えていったのです。
時代と共にドブが消え、赤いイトミミズの行方もわからなくなり、ドブに落ちる心配もなくなりました。
ですが、私はドブの匂いがヘドロの匂いに変わったことを知っています。
そして、フタを閉められたのです。

目に見えないと、私達の生活から排出されたモノは、家から出て行った(流れた)時点からわかりません。
よほど、自分に問題が降りかかってこない限り、関心がなくなります。
私もそうでした。
臭い匂いにフタをしてくれて、ドブに落ちなくなった安心感で充分だったのです。

昔は、目に見えていたからこそ、異変に気が付いていました。
今は、見えないことで、関心をなくさせているのではないかと感じるようになりました。
目に見えなくなっている今だから、家庭から出た排水が今後どのような影響を持つことになるのだろうと、知りたくなりました。





運動会の定番
[2008年09月24日(水) ]

先週末、息子の中学の体育祭がありました。
毎年、同じ競技しかなく、高校の体育祭のように生徒が命をかけるほどの情熱は、
微塵も伝わってきません。
中学生は、微妙なお年頃で、大勢の前では照れがあり、恥ずかしさの方が勝っているのかもしれません。
わが中学の運動会は、卒業生や生徒の家族が多く集まります。
そんなテレテレの子どもたちの成長をニヤニヤしながら応援しています。

さて、運動会といえば、我が家では「おいなりさん(いなり寿司)」を作るのが定番です。
ある会合で「ねぇ〜運動会といえば、何を持ってくる?」とみんなに質問をしまし た。
我が町は、地方出身者が多く、運動会時期もマチマチなので、運動会の定番は人それぞれでした。
○さんは「うちは、おにぎり、鶏の唐揚げに、枝豆、卵焼きは絶対に入れるわ。果物
は、その季節のを入れてたわ。」
▲さんは「うちも鶏の唐揚げは定番ね。あれがないと寂しいじゃない。ちらし寿司も作ったわよ。」持ってくる果物も、梨、りんご、ブドウ、青みかん・・・とそこそこの家にもこだわりがありました。

我が家では「五目ごはんのいなり寿司、鶏の唐揚げ、ゴマ和え(インゲンかほうれん草)、カボチャの煮付けか筑前煮、きんぴら、そして果物は青みかん」です。
子どもたちが小学校までは、それらを小重箱に詰め、お昼時に運動会会場で家族全員で食べていました。
それが、下の子が中学に入り、弁当箱に「我が家の運動会定番料理」を詰めて、友達どうして食べるようになってから、家族バラバラで食べるようになりました。
でも、食べる物はみんな一緒です。
運動会の定番料理の「五目おいなりさん」とその他もろもろです。

今年の運動会当日は、娘がお弁当を持って出かける日でした。
朝からおいなりさんを作っている私を見て「今日は、運動会なの?我が家はいつもこのおいなりさんだね。」と嬉しそうに言ってきました。
昨年まであった年に2回の運動会が、今年から息子の運動会だけになってしまいました。
これで、子どもたちが学校を卒業してしまえば、運動会定番料理がなくなります。
そう思うと、何となく寂しくなってきました。
そして、わが子どもたちがそれぞれ家庭を持ち始めたら「我が家の運動会定番料理」
を引き継いで欲しいと願う気持ちがわいてきました。
この「五目おいなりさん」は旦那の母から受け継いだ味です。
母は、大きめな薄揚げの油揚げを一度煮て、油抜きをします。何度も何度も水を換え、薄揚げから油が抜けるまで水にさらします。その後甘めに油揚げを炊きあげます。
五目の具は、干しシイタケ、人参、タケノコ、かんぴょうを甘しょっぱくに煮て、寿司飯に紅ショウガ(ガリでも良い)、白ごまと一緒に混ぜ込みます。それを油揚げの中に入れてます。

私の実家の運動会定番料理は、太巻きのお寿司でした。それに果物がバナナだったの
を鮮明に覚えています。
この話をすれば、みんなは「バナナ?!」と驚くのですが、私の地元の同じ年齢の人達も「バナナ」が多かったです。
バナナにも「高級くだもの」の時期があったのです。
旦那の運動会定番くだものは「青みかん」でした。
ですから、我が家の運動会に持っていく果物も「青みかん」です。
10月に入り、運動会日和にはいります。
みなさんの運動会定番料理は何でしょうか?

そうそう〜、中学の運動会の定番は、実は親たちのおしゃべりです。
久しぶりの再会に話の花が咲き乱れ、子どもたちの成長を共に喜び、茶化し・・・本当の運動会の定番は、 「母達のおしゃべり」かもしれません。



おじいちゃん語録
[2008年09月12日(金) ]

我が家は玄関とお風呂場は共有していましたが、2世帯住宅です。
今年の2月に同居の母が亡くなり、義父(以下、父と呼ぶ)と一緒に過ごすことが多くなりました。
とりわけ、娘が父の話し相手をかって出てくれるので、家事をしている私としては大変助かっています。

父は、大正最後の年に生まれ、戦争体験も少しだけあります。
実家が農家なので、野菜作りはお手の物。
性格は、自分が納得するまでキチンとしなくて気が済まない大変マメなお人柄です。
私の実父と比べると、真反対の性格・人生の送り方をしているので、最初に父とお会いした時は
男性の中にはこんな殿方がいるのか?!と感心をしたほどでした。

そんな父でしたが、母が亡くなった時は身も心もバラバラになり、気がおかしくなったのではと心配になるほどでした。
そんな父を支えたのは、今思えばやっぱり家族なんです。

今まで、父と向き合える(観察)時間が、ほとんどありませんでした。
父と一緒の時間が増えてから、父の意外な人柄を初めて知ったのです。
そんな、父の面白さをまとめてみようと、娘が「おじいちゃん語録帳」を作りました。

父の日常の仕草、語りぐさ、そして、父の性格からでる前向きな発言は、どこか面白く、そして楽しませてくれながらも、どこか私達を諭してくれる。
そんな一言を文章とイラストにまとめてたのです。

子どもたちが幼い時は「怖いおじいちゃん」だったのが、今は「可愛い〜おじいちゃん」に変わってきました。
そして、何より、おじいちゃんを大事にしたいという想いが、子どもたちから伝わってきます。
きっと、天国のおばあちゃんは安心してことでしょう。

これからも、おじいちゃんの良いところ探しは続きます。


遊びが勉強に
[2008年09月10日(水) ]

先月の話しなのですが、自治会の草むしりに参加をしました。
我が家の近くに、小さなロータリーがあり、近隣の人たちが好みの樹木や花を育てていたのですが、
その方たちが高齢となり、草むしりもままならなくなったのです。
そこで、自治会の人たちが声をかけてくださり、草むしりをすることになったのです。

最近越してきた若いママさん達が子どもを連れて、来てくれました。
若い声が聞こえるとその場は華やかにななります。
若い人たちには、近所の人たちと話をするだけでも意義があるのあるのです。
1歳過ぎの男の子が、見よう見まねで土をいじっています。
小さい子は、「居るだけもボランティア」です。
周りに居る大人たちが、小さい子を見ているだけで「ホッと」出来るからです。

草むらは、住み家を荒らされて右往左往している蟻たちや、ダンゴ虫、名前のわからない虫たちに幼虫がゾロゾロ出てきました。
幼稚園児が「これなに?」と指差した虫は、赤ちゃんかまきりです。
かまきりは産まれてすぐでもかまきりの姿のなっているので、カッコいい虫です。
小学生の男の子は、虫網と虫かごを持って草むしりより虫取りの方に興味津々。

そんな小さい子を見ていると我が息子の幼児期を思い出します。
小さい時は、何でもかんでも興味を持ち、触り、採取をしていました。
大人の手を必要がなくなった小学校の中学年にはトカゲ取りに夢中になっていました。
高学年になるとカブトムシにクワガタに興味が移り、いつしか虫取りは卒業していったのです。
タンゴ虫は、幼稚園前後によく採取していた虫です。
男の子も女の子もみんな丸くなるだんご虫を手のひらに集めていました。
「お母さん、見て見て!!可愛いでしょう。」と手のひらのタンゴ虫を転がしながら、よく見せに来てくれました。
そう考えたら、自然のもの達は、すべて子どもの遊び道具で、成長する通過点なんですよね。

しっかり歩けるようになった男の子のママさんが「見て見て、だんご虫だよ。」と自分の子どもに、ダンゴ虫を見るように言いました。
そして、次に言った一言が「ほら、勉強をしたでしょう。」でした。
私は草むしりをしながら、若いママさんに「だんご虫を勉強をしたの?」と聞きました。
だって、タンゴ虫の生態とか何を餌にしているとか、まだ興味がないのではと思ったからです。
若いママさんは「勉強って、虫の本のダンゴ虫を見せたの。」と答えてくれました。

早期教育の影響なのか、全てがお勉強になってると思うと、
虫取りさえもが窮屈で、つまらなくならないかしらと心配をしている私です。
エドはるみ応援記
[2008年09月01日(月) ]

いえね。私はごひいきの芸能人やスポーツ選手はいないんですよ。
時々、気が向いたらスポーツ観戦やコンサートに行ったり、近場で寄席が開催されると知ると行く程度なんです。
ですから、追っかけをしている友人や親戚を見ていると「エネルギーがあるわ〜。」と感心するばかりです。

今回、日テレに24時間テレビのチャリティーマラソンにエドはるみさんがランナーに選ばれました。
オバサン代表として彼女を影ながら応援したくなったのです。
我が家は、24時間テレビのチャリティーマラソンのコース付近に住んでいますが、一度も応援に行ったことがありません。
でも今回は、ぜひエドはるみさんを応援に行こうと!!と心に決めていたのです。

当日、エドはるみさんが走っている中継に、見たことのある景色が写りました。
「あ!!もう少しだ。!!行くぞ!!」と私が声を上げると、娘も「私も行く!!」と二人でもうダッシュをして目的地に駆けていきました。人の情報では、ある付近からコースが分かれる可能性があるというので、その分岐点で待つことにしたのです。

その場所に到着すると、どこからともなく人が増えてきました。
「エドさん?」と声を掛けただけで、私達と同じように彼女を応援に来ている人だと知り、仲良くなれます。
年配のおじさんが「俺は、あの景色が見てたら家を出てくるんだ、丸山弁護士は早かったよ。杉田かおるは、こっちを通ったな・・・」と毎年応援に来ている話をしてくださいました。「それにしても遅いな・・・このペースじゃ、間に合わないよ。」と24時間マラソンを熟知しているほど。
あるご夫婦は、「私たちはこちらから来たんだけど、まだ会っていないわ」
「私たちは、こっちの方向から来たんだけど、会いませんでしたよ。途中、親子で待っている人に出会ったんですけれど、テレビ中継を見てから道路で待っているんだけど、まだ通らないと言っていました。」

待っていると、年配夫婦が乗ったワンボックスカーが止まって、私たちに話しかけてきました。
「エドさん、通りましたか?」と聞かれ、私たちの持っている情報を提供をしました。
「あ〜〜後ろに車が来ていますよ。」と誰かが言ったら、ワンボックスカ―が「では、もっと前に進んで見ます。」と言いながら発進してきました。
ですが、その後ろの車の中年叔父さまもエドはるみさん情報を聞いてきたのです。
しばらくすると、立体交差点をはさんだ対向車に先ほど、さきほど話をしたワンボックスカーを発見。
ここでジッと待っている私たちとしては、この場所を通過をしたのならば、通過したという情報を聞けば、すぐに引き上げられるのですが、まだもし、まだ通過していないのなら応援したいとみんなで待っているのです。
私は、待っている人たちに「あの方に聞いてきますね」と信号待ちをしているワンボックスカーに聞きに行きました。
答えは「○●まで行って見たんだけど、会えなかったわ。」とのことでした。
待っていた私たちは考えました。
それは、途中でまだ休憩をしているか、コースを変えて行ってしまったかということです。

最初に知り合った元気のいい親子が、自転車であちこちに走って情報をもらってきてくれました。
彼女達が私たちのための戻ってきてくれた時は、「お帰り〜」と拍手で迎え「どうだった?」と訪ねると
「前の休憩ポイントには、もう中継車がいないからコースを変えたみたい、という人の話を聞いてきました。私たちは次の休憩ポイントに行きます。」と教えくれました。
番組オリジナルTシャツをきた小学生の元気坊主が「お母さん。オレ先行くよ。」とせっついています。
ということで、その場に居た人たちは解散してしまいました。
一緒に居たおばさんが「あの人とはお知りあいなんですか?」と何度も聞かれ「いえ、知らない人ですよ」と言うと
びっくりしていました。

その場に居た人たちが解散しても、前の休憩ポイントを見ると長い時間ワンボックスカ―が止まっているのが気になってしかたがありません。
もしかしたら、まだエドさんは休憩をしているかもしれない。
娘に「あの場所に行って、居なかったら、諦めて帰ろう。」という事になり、その場所へ移動しました。

そこには、かなりの車の台数がエドさん待ちをしていました。
ワンセグを見ながら確認している人や携帯サイトで通過経路を確認してエドさんの行動を考えている人達と話をして、
この知らない物同士の一体感はなんなんでしょう。
ものすごい情報を交換し合って、彼女の行動を考え、待っているのです。
箱根駅伝のように、「選手は全て通過をしました。応援ありがとうございます。」と広報車でも走ってくれるといいのだが、この場所に大勢の人が集まっているのだから、「もしや・・・」と思うと帰るに帰れなくなります。
番組の中で、エドさんが走っている姿が確認できたり、違う休憩ポイントが特定出来れば、もうここは通らないと諦めが付くのだが、そんな放送は一切されていないので、ひたすらみんなで待っているのです。

私と娘は、違うコースに行ったと諦めることにしました。
先の人たちに「私たちは、諦めます。」と挨拶をして帰りました。
一緒に待っている人たちから「お疲れ様でした。」と言葉まで返されました。
エドはるみさんには会えなかったけれど、彼女を応援しようと集まった老若男女が大勢いたことがわかりました。
そして、あの一体感、なんだか、すごかったです。

頑張れ!!エドはるみさん!!
沿道で応援して出来なかったけれど、あなたを応援したいと集まった人達が他にもいっぱいいたんですよ。

この日記を書いている間も彼女は、ひたすら走っている事でしょう。
完走だけはして欲しいと願っています。


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