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プロフィール

野中すみれと申します。
二人の息子の胃袋を満たすのに毎日苦労しています。

変わりゆく街の姿

[2008年10月31日(金) ]

渋谷の街をご存じない方にはちょっと申し訳ない話です。

以前、渋谷駅の東側に、屋上に半球ドームのプラネタリウムを備えたビルがありました。数年前にそのビルが老朽化もあってか取り壊すことになり、すぐ新しいビルが建つのかしらと期待していたのですが、なかなか建設の動きがなく、ゆっくりだなあと思っていたら、地下鉄の副都心線が出来、その出口がそのビルのあったあたりにできたようです。やっと変化が出てきました。

いつまでかかるのかしら、と思いながら、今日も通りかかったら、そのビルの裏手に当たる場所、つまり、宮益坂と金王坂にはさまれたところと地下鉄銀座線の線路の脇のあたりが、すべてビルが空になり、道路には「ここは廃道となります」という表示がありました。そして、行き(朝)にはなかったはずの車を入れないための柵が帰り(お昼過ぎ)には出来ていて、さらにびっくりしました。

いよいよ工事が始まるのでしょうね。道路の部分もおそらくこれから作るビルの一部に組み込まれていくのでしょう。とすれば、かなり大きなビルになるでしょう。

小さい時から見慣れた光景がここで大きく変わることに、ちょっとショックでした。

とはいえ、戦前からここに住んでいた人たちは、戦争で焼け野原になった渋谷を見ているのですから、私よりもその変化が大きく見えると思います。

プラネタリウムのあったビル(東急文化会館)のあたりは、昔は小学校があったそうです。今、都の児童会館の隣に小学校の跡地がありますが、駅前のビルのあったあたりからそちらに移転したのだそうです。

小学校のような、そう簡単には場所を動かないような施設があちこちに動いてしまうのです。今度は今まであった道路もなくなってしまうのです。
渋谷はどんどん変わっていきます。
昔は目をつぶっても歩けると豪語していましたが、最近はあやしくなってきました。数ヶ月来なかっただけで以前あった店がつぶれていて、新しい店が出来るのはよくあることですが、今度は道路がなくなり、街の形が大きく変わるのです。

最近、わが家の近所のターミナルビルの周辺が整備され、道路も広くなり、災害時もこれなら少しは安心かしらと思えるような駅前の姿になってきました。以前の小さな2階建ての個人商店がひしめきあって並んでいた姿からは想像もつきません。渋谷の109が建った時に渋谷駅前が大きく姿を変えたときのような新鮮な印象を受けました。

でも、どんなに街の姿が変わっても、昔の街の姿を覚えている人がいる限り、その人たちの心の中には昔の街が今の姿に重ねられています。「ここの店は昔○○だった」「ここの角には○●があった」。きっと日本中そういう場所と、そういう人たちがいることでしょう。そして、新しい街を自分の原風景として、さらに未来に変化するだろう街の姿に「昔はこうではなかった」とつぶやく人たちが生まれるでしょう。

今回はちょっとおセンチになってしまいました。

「から騒ぎ」生の楽しみ

[2008年10月24日(金) ]

蜷川のシェイクスピアシリーズ「から騒ぎ」を観にいきました。
今回は、いつも一緒に行く人のほかに、「一度観てみたい」という友人がいたので、私は2回行くことになりました。

2回も観ると、それぞれの舞台が生(なま)ならではの醍醐味があります。
それぞれ、役者さんたちの間の取りかたが微妙に違うところがあって、新鮮に感じます。
1回目には気づかなかったのですが、実はその時にセリフを間違えたシーンがあって、2回目にそのシーンになったとき、「あれ、前回観た時はここは間違えていたのか!」と気づくことがありました。
かと思うと、2回目に役者さんがとちってしまい、自分で吹き出してしまうシーンもあり、場内爆笑となったところもあります。

どうやら、毎回の上演ごとに、たくさんのハプニングがあったようです。
観られるものなら、もっとたくさん行ってみたかったなあ。いえいえ、意地悪じゃないです。

たとえば…。
この舞台には、三人の楽人さんがでてきて、劇の中のいろんなシーンで演奏してくれるのですが、その中に、客席後方の出入り口から他の役者さんの先導で入ってきて、客席の階段をだーっと駆け下り、舞台いっぱいをぐるぐると駆け回る入りをするところがあります。1回目はそれはもうものすごい速さで、あれでどうしてあんなふうに吹き続けていられるのだろうと、立ち止まった時にはっと気づいて、「いやいや、音大に入った時はこんなことをするなんて思いもよらなかっただろうなあ」と同情してしまいました。マーチングバンドだって、全力で走って隊形変化するなんてありえませんものね。

それが、2回目の時は、先導で走る役者さんがゆっくり走っていたので、「ははあ、さすがにゆっくり走ってくれと言われたのだろう」と思いました。全力で走りながら楽器を吹いたり、ドラムを叩いたりするのは至難の業です。息があがっちゃいます。これをほとんど毎日、たまには1日2回興行をしていたのですから、大変なことです。ちなみに楽器は、ドラムと、チューバと、ソプラノサックス(とクラリネットの持ち替え)でした。

映画でもよくあることですが、舞台の幕があがったばかりのときに、セリフが聞き取りにくいということがあります。映画や舞台のしょっぱなにたくさんの伏線を埋め込んでいることがあります。2度以上見ると、それがはっきりわかるので、演劇好きの人が何度も同じ舞台を観にいく楽しさが少しわかったような気がしました。

また、このようなハプニングの多い「ゆるい」舞台は、シェイクスピアだから許されるのかもしれません。以前「鹿鳴館」を観たとき、すみずみまできっちり作り上げられた舞台は、セリフひとつを詰まったり、言い間違えただけでガラガラと大きな城が崩れるようなあやういバランスの上に乗っているような感じがありましたから。演ずる方にも、観る方にも、ピンと張った緊張感が求められる舞台もありますが、「から騒ぎ」は喜劇ということもあり、舞台で起きるどんなことも…それがストーリーにアクセントをつける暗い陰謀のシーンでも…ハッピーエンドになるのだもの、という気楽さで観ることができます。

映画にしろ舞台にしろ、最初からセリフが聞き取れるというのは、イロハのイだと思います。最近の作品は言葉が速くて、聞き取れずに始まってしまうとあとが辛いです。伏線のいくつかはここにありますし、登場人物の人間関係もここで紹介していることが多いわけですから。今回の舞台は最初からセリフが聞き取りやすく、その点はばっちりでした。

今回の舞台では、小出恵介くんが初舞台を踏みました。蜷川さんは毎回、テレビや映画でおなじみになった若い俳優さんを起用しますが、大きく化ける時と、「やっぱりテレビや映画と、舞台は違うからねー、がんばっているけどむずかしいねー」と思う時があります。意地悪なようですが、私はなるべく公演の後半に行くようにしています。そのほうが、新しい役者さんも舞台になじんでいるだろうと思うから。で、小出くんですが、よかったですよ。のどもつぶれていなかったし、全力でがんばっていたし、それでいて後半に観にいったからでしょう、気持ちの余裕もみえて、ちょっとしたハプニングにも動じずにいるところはさすがだと思いました。

これから新潟公演を皮切りに、地方公演が続きます。みんなが身体に気をつけて、無事千秋楽を迎えられますように。

秋のたのしみ

[2008年10月15日(水) ]

秋というと食欲の秋!…ですね。
おいもや、柿や、栗や、またさんま、まつたけなど、秋ならではの食べ物がたくさん思い浮かびます。

今年は主人が仕事の帰りにいろんなおみやげを持ち帰ってくれました。

これは自腹を切って買ってきてくれた「月の雫」。

  


小さい時にいただいてから、好物のひとつになりました。
だけど、毎年いただけるというわけでもありません。
季節限定ですから、タイミングが悪いと、何年もお目にかからず過ぎていきます。

今年は主人がたまたま山梨を通った時に思い出してくれて買ってきてくれました。
砂糖の衣の中に生のぶどうがひとつぶ。アイディアがしゃれていて、それでいて素朴な味のお菓子だと思います。

そして、写真をとるのを忘れましたが、岐阜名物の栗のお菓子をいただいてきました。
岐阜は栗のお菓子が有名ですね。くりきんとんも、くりようかんも、らくがんも、どれもこれも好きです。

最近は、甘いものに体重がすぐ反応するので、むやみに食べられなくなりましたが、それでも大事に一つ、ふたつといただくと、秋を感じます。

近所のきんもくせいも、花を散らしだしました。幼稚園御用達の畑では、さつまいもの葉が刈られて、芋ほりでやってくる園児たちを待つ準備をしています。冬がくるまでの束の間を目と口とで楽しみたいものです。

ノーベル賞

[2008年10月08日(水) ]

今年の物理学賞は、日本人三名が独占受章となりましたね。
ご受章、おめでとうございます。
新聞で、どういう理論なのかを長々と説明していたので、じっくりと読んだのですが、それがじゃあ、どういうことになるの?というところがわからず、私には物理はやっぱり無理かしらと少しへこみました。

世界にはたくさんの授章団体がありますけれど、やはりノーベル賞の話題はうきうきしますし、ああこれでそろそろ今年も終わりに近づいてきたなと、秋風のような感じもします。

ちょうど、世界全体が予想外の株価暴落・円高ドル安ユーロ安で大変だ!という時期だったので、日本国内が明るいニュースで気持ちを明るくできるのはうれしい。

新聞の社会面では、ふだんは暗いニュースが多いし、そういうニュースを報道することも新聞の大事な使命なのだけれど、そればかりだとじゃあどうしたらいいんだと閉塞感が募ってしまいます。明るいニュース、こう進みたいと思えるニュースが新聞やテレビで報道されると、今自分がこつこつと生きていることが「それでいいんだよ、がんばろうね」と思えてほっとします。

ノーベル賞の話題から少しそれてしまいましたが、暗いニュースばかりが続いていた最近のマスコミでしたから、ノーベル賞のニュースをきっかけに、みんながもう一度「よし、がんばらなきゃ」と思えれば、今の不安な日本の経済にもふんばりがきくのではないかしら。

舞台の上50センチ

[2008年10月01日(水) ]

カテゴリは「鑑賞日記」に入れましたが、実はまだこれからの話です…。
友人がピアノの二重奏をやることになり(二台のピアノで演奏)、相手の方との「合わせ」をしていてしっくりと合わないことに悩んでいました。お互い、大人で、それなりのレベルですから(友人は音大卒、今はピアノ教室を主宰)、自分なりの音楽というものがもうできているわけです。それはむずかしいだろうなあとぼんやり話を聞いていると、どうやらラヴェルの曲をやるらしい。

私が、「フランスの音楽ってむずかしい。かるがると演奏しているフランス人の演奏家の公演を聴いていると、まるで舞台の上50センチのところに音楽が漂っているように感じる。でも、ただふわふわというのではなくて、ちゃんと芯があって、、、」と自分がフランス音楽に感じているところを語ったら、「それだ!」と友人がうれしそうに声を上げました。

「…50センチのこと?」
「そう」

そうなんですよね。この感覚。今までいろんな友人に語ったことがあるんですが、今回ほどインパクトを与えられたことはありませんでした。自分と同じような感覚で受け止めてくれたことにちょっとうれしくなりました。

モーツァルトの曲をベートーベン風に演奏すると、すごく不思議に聞こえます。
そんなに重くないよーって思います。
フランスの音楽は、モーツァルトとはまた違った感じで、軽くて、音楽に重さがあるのなら、その重さを感じさせません。バレエで体重を感じさせずきれいなジャンプを決めるダンサーの演技でも見ているような感じです。

友人は、この「50センチ」を相手方に伝えて、お互いの音楽の歩み寄りを図ったそうです。
今週末、私はその演奏を聴きに行きます。うまくいくといいのですが。

友人は、ラヴェルを弾いてからショパンを弾くと、腕がつりそうになる、と言いました。
私はピアノに関しては聞くばっかりなので、そういう技術面の話を面白く聞きました。
作曲家の数だけ、曲の数だけ、「こう演奏してほしい」というのがあるんでしょう。(そんな、他人事だと思っていないで、自分でも練習しないといけないのですが…)
週末が楽しみです。