思春期も終わった長男とは、大人同士の会話を楽しみ、現在思春期真っ最中、親を振り回して楽しむ二男をさらに高みから見下ろして楽しむ(時には本気で怒るけど…)日々を中心に、今までの子育てを振り返り、将来に気をもむ私の身辺雑記です。
[2008年09月24日(水) ]
最後に墓参りに行ったのは、確か下の子がまだお腹の中にいたころ…。いや、下の子の除去食真っ最中の頃(ということは、2歳前後?)にその墓苑のそばの親戚の家に遊びに行ったことがあるので、そのときもしかして足を延ばして行っていたか…?
それくらい記憶がおぼろなほど行っていなかった母方の祖父母の墓参に母と二人で行ってきました。
都内に住んでいたときにも「遠いなあ」と思っていた墓苑で、電車で行けば長くゆられるし、車で行くとお盆やお彼岸の時期は道が一本しかないので大渋滞になります。
それがどうでしょう。墓苑からはさらに乗り継ぎの悪いところに住むようになったはずなのに、電車の相互乗り入れ、快速電車、グリーン席、などのおかげで、新幹線に乗っていくような旅にはなりましたが、あまり疲れることもなく、快適に往復することができました。あちらの駅も開発が進んできていて、あと何年かしたら、沿線の大きな駅くらいのにぎわいを見せるようになるだろうと想像できます。この駅も田舎田舎した駅なんだけど、どんなおしゃれな駅ビルになるのかしらねと母と語り合いました。恵比寿駅や大崎駅は大変身しましたが、この駅もそれくらい期待してもよさそうです。
駅からバスで墓苑に行くと、同じ停留所で降りる人も多く、みんな行き先は同じです。ぞろぞろと中に入り、それぞれの区画に向けてばらばらと分かれていきます。
きれいに刈り込んだ芝生。整然と並んだ墓石。この場所は、祖母がまだ生きている時に伯父が買ったものですが、もう30年くらいになるかしら。そのころはまだ墓石はちらほらという感じでしたが、さすがに今はほとんど並んでいます。でもところどころ墓石のない場所もあり、中にはそのコンクリートの蓋の上にじかに供物が並んでいるところもあって、いろいろ大変なのかしらとよそ様のことながら気になったり。
以前は伯父宅で最期を迎えた祖母のお骨だけが入っていたのですが、その後、戦前に亡くなった祖父のお骨も田舎から迎えて、これで子どもたちや孫たちはいっぺんでおまいりできるようになりました。(伯父さん、ありがとう)
祖父は43歳で病没したので、私は写真でしか知りません。新聞記者として戦争に向かう世の中の流れに抗するペンの戦いをしていた途上で亡くなりました。祖母はその後5人(母の弟がいつ亡くなったかで6人になる)の子どもを育てるために実家に戻り(このおかげで東京大空襲に遭わなくてすんだ…実家の県でも空襲はたくさんありましたが)、芸は身を助くとはよく言ったもので、女高師を出ていた祖母は教師になりました。戦中は勤労奉仕の生徒たちを連れて、わが子たちは実家(の隣に建てた家に住んでいましたが)に頼んで、他県の軍需工場まで行っていたりしていたそうです。終戦を迎えて、「お国のため」に犠牲になった子どもたちのことを思い、後悔してもしきることがなかったそうです。…胸が痛みます。
祖父母の話を母や伯父たちから聞くのはとても楽しい。当時の疑獄事件を追いかけた話は手に汗をにぎりますし、政治部の記者だったので当時の権力者たちと対峙していた時の話も胸のすく思いで聞きます。駆け出しの頃はスクープをねらって、有名歌手の家族の逃避行の手伝いをしたなんて話は、「それから、それから?」と膝を乗り出してしまいます。
つい先日、私が美容室に行った時、そばにいたお客の老婦人が帰った後で、その人は上に書いた歌手の息子さんの奥さんなの…ということを聞いて、それはそれは驚きました。お店の人も私の祖父とその歌手とのつながりの話をしてあげるとたいそう驚いていました。袖振り合うも他生の縁とは言いますが、同じ美容室にこの二人が(昔は母も)何十年も通っていたなんて…。戦後、その歌手の公演が祖母の住む県であったときに、祖母はわざわざ出かけていってなつかし話をしたのだそうです。(祖父が死んだ時は国内か海外公演か何かだったらしくて葬式に行けなかったとあやまっていたそうです)
閑話休題。
母は私の下の子がお腹の中にいた時に一緒に墓参しているので、16年ぶりでしょうか。行きたかったけれど父の看病や、亡くなった後の気落ちとかそれを許してくれない膨大な父とともにしていた仕事のせいで、なかなか気持ちも向かえず、時間もなかったのですが、やっと行くことができてほっとしているようでした。祖母は82歳で亡くなったので、お母さんもあと10年はがんばって長生きしましょうと励ましました。子どもにとって、親にはいつまでも元気で長生きしてほしいです。
[2008年09月19日(金) ]
先日、エミリー・ウングワレー展に行ったとき、隣のブースでこの ウィーン美術史美術館所蔵「静物画の秘密展」 もやっていたのですが、その時は時間がなくてはしごができず、終了間際にあわてて観にいくことができました。
食わず嫌いでこの時代の絵画に縁のなかったひとにも楽しめるような工夫が凝らしてあって、楽しかったです。
当時の風俗や、暮らしぶりの描写のおもしろさはもちろん、画家たちがそれぞれに工夫をこらし、当時の絵画の技法の特徴や、描かれたものが意味するところなど、ちょっとしたことがわかるだけでその絵の前でくすっと笑ったり、細部まで宝探しのようにながめつくしたり、いろいろと楽しめます。
絵にはいかにもそれらしく見せたり、逆に理想を描くために現実にはありえない形になっていたりするのをそれとはわからないように工夫したりと、画家の努力のあとがそれぞれの絵に残っています。友人と行ったのですけれど、フラワーアレンジメントをしている彼女は、花々が描かれている絵を見ながら、「実際にこんな活け方をしたら、花瓶もろともひっくり返っちゃうわよねー」とつぶやいていました。
ウィーン美術史美術館の館内の写真も展示されていて、やっぱりこういう絵は、いつも飾ってあるところまで行くのが一番だなと旅心も湧いて、何度か行ったことのある友人の話から想像をふくらませてしまいました。いつかは美術館めぐりをやってみたいですね。でもいつになることやら。
[2008年09月12日(金) ]
江戸東京博物館で開催している「北京故宮 書の名宝展」を観にいきました。
画も書もただ観るだけしかできない私なので、技術的なすばらしさとか、書家一人一人についての薀蓄などとうてい語ることはできませんが、そんな私にも展示されている作品ひとつひとつから訴えてくるものが感じられ、何世紀も昔の人の書き残したものがこうやって外国まで旅して喜んで鑑賞されることはなんとすばらしいことなのだろうと思いました。
ご存知の通り、今回の白眉は王羲之(おうぎし・が書いたものを模写したという)の「蘭亭序」です。詳しいことはネットで検索してもいろいろと出てきますのでそちらにおまかせすることとして、少しはすいていることを期待して夕方に出かけていったのに、さすがに「蘭亭序」の前は黒山の人だかりでした。私も列に並び、ゆっくりと鑑賞してきました。
私にとって、王羲之は、並み居る中国の書家の中でもよく名前を知る人です。親近感を感じていると言ってもよいくらいです。というのは、独学ながら書をたしなんでいた父が、私の小さい頃はこの王羲之を手本にしていろいろ自分の字に工夫をこらしていたのを覚えているからです。そのすっきりとしていやみのない、親しみの持てる書体は、何も知らない私にも「おうぎし」の読み方と一緒に心に留まりました。
父が生きていたら、この展覧会にきっと行っただろうな、展示されているひとつひとつを見ながら、私や子どもたちにいろいろ語りかけたことだろうなと思います。
二男と一緒に行ったのですが、二男もじいちゃんと一緒に来たかったなとぽつっと言っていました。
会場を出ると売店があり、書の好きな人たちをねらって、筆だのすずりだのがたくさん売られていました。二男がほしがったので、じいちゃんも喜ぶだろうと、筆と小筆を買ってやりました。(書も習っていないのが見え見えの二男にはもったいないと思われたでしょうね…売店のご主人)
翌日の朝、二男は「くさいくさい!けものくさい!」と言いながら自分の部屋から出てきました。新しい筆はけものくさいんですね。あんな小さな筆なのに…。でも、書き心地は上々のようです。
[2008年09月05日(金) ]
先週は、上野でフェルメール展・コロー展・そして友人の出展している書道展と、雷雨を気にしながらもたっぷりと堪能してきました。
書道展では、入り口で必ず記名させられるのがすごくいやなのですが、目をつぶって(本当につぶっていては書けませんが)えいやっとやっつけるように読めればいいでしょう的な字で名前を書いて、誘ってくれた友人に案内されて鑑賞しました。毎年来ているので、友人の字の進化していく様子に、自分もこのままではいけないと励まされる思いです。何百枚も書いて書いて、出展作を書き上げたのだそうです。その労にも頭が下がります。大きな紙を四枚も使った大作なのです。今年は友人のお母さまの作品も出展されていて、年齢からは想像できない力強い筆運びにさらに元気をいただきました。
コロー展はものすごく混んでいました。期間の終わりというのもあったと思います。
たくさんの頭の後ろから伸び上がるようにして観て歩きましたが、やはり円熟期の絵が一番よかった。他の作家の作品もところどころに並んでいて、「なんだかずいぶんセザンヌっぽい絵だわ」と思って近付くと、それはセザンヌ本人の絵だったりして。でも、モンドリアンやブラックの具象画を初めて観ることもできて、それは私にとってちょっとした収穫でした。
そしてフェルメール展。
当時のデルフトの画家たちの絵も出展されていて、お互いに影響を与えている様子もわかる、丁寧な展覧会です。
以前、ファン・メーヘレンによるフェルメールの贋作を扱った本(『私はフェルメール』ランダムハウス講談社刊)を読んでいたこともあり、「フェルメールってどんな絵を描いたんだろう」と、興味がありました。フェルメールばかり、どうしてもてはやされ、メーヘレンの贋作が真作と思われたのか、写真ではなくこの目で見たかったのです。
フェルメールの絵は、確かにすごかったです。
絵の持つエネルギーがすごい。技術的にも、素人目でもわかる光の扱い方、構図の取り方、絵の勢い、人物の生き生きした様子、目の力、瞳の輝き、など、他のデルフトの画家たちと一線を画するものがありました。そのことを理解させるために、これだけの他の画家の作品が並べられたのかと思いました。
そして最後に並んでいた絵。「ヴァージナルの前に座る女」。これはサザビーにより真作と認められた(attributed to)絵だということです。この絵は、贋作なのか真作なのか論争になり、結局今は真作だということらしいです。
「らしい」と書きましたが、これは、上で書いた、贋作の本の影響もあります。attributed toと決められても、結局贋作だったということも結構あるらしいです。しかし、今回の展覧会の日本語の説明では、真作であるとありました。(真作と認められる、ではなく)
実は、この絵は、上に挙げた本でも取り上げられていたので、とても興味があったのです。そんなに紛らわしい作品なのかしら。目の利く人たちが二つに分かれて論争するほどの絵なのかしら、それは興味がわくというものです。きっと素人目にはものすごーくフェルメールっぽいのだろう、と写真を見て想像していました。
ところが、一目見て、私はがっかりしてしまいました。あまりにも元気のない絵なのです。
本人の作品だとしたら、ずいぶん筆の勢いがおとろえていた時期のものだと思います。
attribute…魔法のような言葉です。この言葉がつくだけで、オークションでは値が上がるのだ、と上記の本にもありました。でも、この言葉がついている限り、正真正銘の真作だとも言い切れないことも忘れてはいけないのです。主催者側が真作だと言い切るのは、ちょっと不親切かなと思いながら会場を後にしました。