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野中すみれと申します。
二人の息子の胃袋を満たすのに毎日苦労しています。

エミリー・ウングワレー展

[2008年07月30日(水) ]

サワキさんのブログでも紹介されていた、エミリー・ウングワレー展に行ってきました。サワキさんが書いてくださらなかったら、いつものように「行きたいな〜でも暑いな〜」で終わっていたかもしれません。サワキさん、ありがとうございます。

最終日で、混んではいましたが、鑑賞に不便を感じるほどではありませんでした。
アボリジニの儀式に使うためのボディペインティングが、バティックの染色に、そして大きなキャンバスに変わっても、彼女の表現は変わりません。小さいときから染みこんでいるオーストラリアの大自然が彼女の指先から再生され、決然として迷いなく、表現の変化を楽しみながら、自分の内なる世界を描き出しています。そうだ、そうです、描かれたキャンバスはそのまま、彼女の「曼荼羅=世界・宇宙」なのでしょう。老齢での作品群ですが、一つとして老境を感じさせるような、枯れたような印象を与える絵はありません。絶筆に近付けば近付くほど、さらに新しい、さらに力強い筆致、表現、印象を見る人に与えて、こちらは驚くばかりです。

まるで縄文土器のようなエネルギーのほとばしり。丁寧に、最後まで飽きずに仕上げる粘り強さ。打ちつくされた後の碁盤でも見るような、同じようだけれどひとつひとつ違うキャンバスの模様。印象派のような筆遣いを感じる一瞬もないではないけれど、繊細な印象派とは全然違う。むしろ野獣派のほうが近いかもしれない。それでも野獣派すら圧倒する彼女のエネルギーの強さ。見続けていて疲れない。(これは私が絵を観たあとに感じるポイント。西洋の肖像画などでは、見る人のエネルギーを吸い取るようなものが時々あるのです)

展示されているバティックを見て、これを身にまとったら、さぞ元気が出るだろうと思いました。

アボリジニは、オーストラリアに入植した白人たちによって、さまざまに虐げられてきました。エミリー・ウングワレーもその中の一人でしたが、仲間と共にたくましく生き抜いた強さが、遺された絵からほとばしっています。ぜひ、ご自分の目で、実際に見てもらいたい美術展です。おみやげに数枚の絵葉書を求めましたが、エネルギーは全然伝わってきません。実際に見た人の「よすが」にしかなりません。

土用干し中

[2008年07月23日(水) ]

紫蘇を入れてから、ずっと心配していましたが、無事、かびることなく土用干しを迎えられました。

  


今年はすごくいい色に染まっています。梅の実の熟し具合、紫蘇の葉の新鮮さ、そして少しでも長く漬け込んでいられること。どれもがうまくいって、こんなにきれいにできあがりました。
土用干しがすめば、容器に入れて、秋までじっと待ちます。
子どもが小学生の頃は、9月末の運動会が終わるのを待って、新しい梅干しのお披露目でしたが、もうずいぶん大きくなって、目安とする学校行事もなく、淡々と10月が来るのを待つことになりそうです。

赤梅酢もきれいに出来ています。
きゅうりをぶつぶつと切って、ポリ袋に赤梅酢がきゅうりにじゅうぶん浸るように入れて、冷蔵庫で保存すれば、簡単な浅漬けができあがり。朝食の準備の一番最初にやっておけば、ご飯時にはもう食べごろです。
きゅうりになすやみょうがを加えれば、インスタント柴漬け。
このほかにも、やまのいもも赤く染まるところがとてもきれいなのと、歯ざわりがしゃりしゃりとおいしくて、やまのいもの浅漬けも気に入っています。ただ、こちらは漬け過ぎはしょっぱいし、色もしつこくなります。

今年の夏は既にばてぎみなほど暑いので、なんとか消夏法を考えないといけません。

梅雨明けはいつ?

[2008年07月16日(水) ]

去年、梅干しを漬けている話を書きましたが、今年も漬けています。
今年は、赤紫蘇をいいタイミングで手に入れることができたので、真っ赤な梅干しができる予定です。

ですが、心配事も増えます。それは、「かび」です。
赤紫蘇は、まず葉だけをむしります。泥がついていますからよく水洗いをします。
それから塩でもみます。あくが泡のように出ますので、絞って、また塩でもみ、絞ります。
そこに梅漬けで上がってきている白梅酢を少し加えて、さらにもみます。ここで紫蘇は真っ赤に色が変わります。小学生の頃の簡単な化学実験をしていたときのようなちょっとした興奮を覚えます。

漬けていた梅を全部ざるにあげ、梅酢も違う容器にとりだし、真っ赤になった紫蘇と梅の実を互い違いにもう一度容器に敷き詰めていきます。そして梅酢を注ぎ直し、軽く重石をして、ほこりが入らないようラップもかけて(様子を見やすくするため)、土用干しまでじっと待ちます。

この作業で、どうしても雑菌が入ってしまいます。梅酢の力が強ければ、土用干しまで何ごともなく過ごせるのですが、たまに表面にかびがついていることがあります。私の今までの梅漬けでは、ぽちっと出た年があり、その時はあわててその部分だけをすくいとって無事に土用干しまでもたせることができましたが、これがもし知らずにほっておいたら、その年の梅干しはおじゃんになってしまいます。

今年の梅雨明けはいつになるのでしょう。先週からそればかりが気になっています。台風が発生したので、この台風がこの鬱陶しいはっきりしない空を一気に夏に持っていってくれないかしらと一縷の望みをかけています。何年前でしたか、やはり、ぐずぐずした梅雨空が続いて、いつまでも梅雨空が続きそうだとと心配したときに台風がやってきて、一気に真夏にしてくれたことがあります。今南の海にいる台風が、そんなふうに天気を変えてくれると良いのですが。

写真は、先週お試しで取り出してみた一粒です。フルーティな香りと、柔らかな果肉、しょっぱいけれどちょっと食べ続けてみたくなるおいしさ。種まで真っ赤で、こんなにおいしくできているのですから、無事に土用干しを迎えたいです。

  

世紀末の美術

[2008年07月09日(水) ]

本を借りようと図書館に行きました。
漱石研究の本が、いつも何冊か並べられているので、今回は「漱石の美術愛」推理ノート(新関公子著、平凡社刊)をまず手にとりました。西洋文学のコーナーでは、先日漫画で借りたプルーストに関連して、「プルーストの部屋『失われた時を求めて』を読む」(海野弘著、中央公論社刊)が目に留まったので、これも借りてみました。

何気なく手に取った本ですが、世紀末、1900年を境にその前後のヨーロッパの美術の動きがそれぞれ、対象の作家に影響を与えていたことについて書かれていて、興味深かったです。

過去をなつかしむプルースト。ラスキンやラファエル前派に魅かれていた彼の視線の方向と、1901年にイギリスに留学し、その時点でもう世紀末美術が衰退を始めていて、アールヌーボーも過去のものになりつつあった当時の空気を敏感に感じ取り、印象派の台頭を興味深く見ていた漱石。彼は青木繁の才能を愛したことからも、美術に関して並々ならぬ審美眼を持っていたことがわかります。これからの日本を背負う責任を負っていた漱石ですから当然のことながら、二人の美術を見る視線はまったく正反対だったのです。

美術の世界から文学の作家を研究するというのは、あまりない視点だったので新鮮でした。というか、これほど漱石が美術にも見識があって、作品に意識的に反映させているとは思いも寄らなかったことです。

もともと、作品は作品として鑑賞するもので、その周辺を解説する本(たとえば、「ハリー・ポッター」や「ナルニア物語」などのあの手この手の解説本のようなもの)はあまり好きではなかったのですが、この二冊を読んで、作品をより深く理解する手助けをしてくれるこういう本なら、いくらでも歓迎しようと思いました。

後期高齢者

[2008年07月02日(水) ]

広辞苑第五版の「後期」には、追込項目の一つに「―・こうれいしゃ」【後期高齢者】が載っています。

Quote:

一般に七五歳以上の高齢者のこと。この年齢層は有病率や日常生活上の困難が急増する。

Unquote

ちなみに、第四版には載っていません。
第五版が出たのは、1998年11月です。
もちろん、その準備には何年もかけなければなりません。
今、健康保険の法律の改定について、すったもんだのやりとりがされていて、やめてしまえだの、手直しをしようだの、かまびすしいことこのうえありませんが、10年以上も前から、辞書にこの言葉を挿入することもおそらく計画のひとつに入れて着々と準備してきた深謀遠慮に対して、小手先では太刀打ちできるものではないでしょう。さて、どうしたものか。

ところで、ネットでこの言葉を引くと、載っている辞書と載っていない辞書があります。改訂の時期が合わなかったのか、載せたいと思うほど売れている辞書ではないと思われたのか、出版社の方でその必要なしと思ったのか。

辞書が版を改める時は、「よく使われるようになったこんな新しい言葉をいれた」「あんな古い言葉がついに消えた」などとニュースで取り上げられますが、「将来(改版後10年にして)よく使われるようになる」から入れるということもあるんだということがこういうところでわかりました。