思春期も終わった長男とは、大人同士の会話を楽しみ、現在思春期真っ最中、親を振り回して楽しむ二男をさらに高みから見下ろして楽しむ(時には本気で怒るけど…)日々を中心に、今までの子育てを振り返り、将来に気をもむ私の身辺雑記です。
[2008年02月27日(水) ]
国公立大学の二次試験が終わりました。
これから、ここにあるいろんなブログや、予備校などのサイトで、あちこちの大学の今年の傾向などについていろいろとコメントがでるのだと思いますが、親の立場からすれば、結果はまだわからないにしろ、あーおわったー!と、ちょっと一休みしたいところです。
まず、受験当日に向けて健康管理。
今年は、私の住むあたりでは、1週間ごとに1度くらい、いつもおしめりがあって、インフルエンザが大流行するようなことは、私の周りではなかったように思います。それでも、中学生の二男がインフルエンザを疑うような高熱を出した時は、熱が下がってから「インフルエンザだったかも」と言い出して、長男と別々にしておけばよかったー!とあせりにあせりました。長男には何ごともなくてほっとしました。
出願などのこまごまとした事務処理の補助。
去年まで、出願時期に街を歩くと、受験料を払い込んだり、願書を郵送する親の姿をよく見かけて、ああ、あんなふうに私もやるんだなあと思っていたのですが、結局、長男がこの時期は学校に行かなくてもよかったので、長男と一緒に銀行やJPに行き、本人に手続きをやらせてみました。銀行の窓口に立ったり、JPで簡易書留の書類を書いたり、いろいろな経験ができて、連れて歩いてよかったなと思います。銀行では、第一志望の大学の受験料の振込みのときに、窓口の行員さんから、「合格をお祈りしています」と声をかけていただいたそうで、それがとてもうれしかったようです。
受験日当日の弁当作り。
我が家の弁当は、おかずは幕の内タイプの、いろんな種類のおかずを少しずつ詰めたものです。これにおむすびをいくつかつけてやりました。おむすびは、幼稚園のころから好きだと言ってくれるので、ここぞというときはいつもおむすびを作ります。私の手製の梅干しが好きだと言ってくれるので、梅干し入りのおむすびと、おかか入りのを作ってやりました。出かける時間の3時間前から起き出して準備するのはなかなかないことなので、自分でも、ちょっとがんばってるぞ、と、気合が入りました。
[2008年02月20日(水) ]
今の時期は、どんどん日の出が早くなり、そしてどんどん日の入りも遅くなり、もうすぐ春だなあと思うと、気持ちも明るくなります。
東の空がまだまだ暗い朝の5時ごろ、南の空にはさそり座が立った姿で現れています。
その東には、木星が光っています。
そして、少し地平が見える場所に立つと、地平線近くに金星が輝いているのが見えます。
あと少ししたら、もっと太陽に近くなって明けの明星としては見えなくなり、4月ごろには宵の明星としてふたたび姿を見せることになるのでしょう。
私の住んでいるところは、街灯の少ないところでは、4〜5等星くらいまでは楽に見えるので、街灯のある通りから街灯のない路地に入って空を見上げると、街灯のあった数メートル先と、ぜんぜん夜空の景色が違い、元天文少女にはこたえられない楽しさです。
数日前、金星がどれくらい地平線に近付いているのか見たくなり、早起きしてみました。そうしたら流れ星もいくつか見られて、なんとはなくうれしくなりました。
まだまだ暗い街の中に、梅がちらほらと咲き出しているのが白く光っていて、春も近いなあと思いました。じんちょうげの花はまだのようですが、そのうち香りが漂って教えてくれることでしょう。
家に帰れば受験生があと少しで人生の全てが決まるような顔をして机に向かっていますけれど、こうやって外に出て、春の気配を探すのは、よい気分転換になります。
春は、もうすぐです。
(花粉もいよいよなのが頭が痛いですが)
[2008年02月15日(金) ]
今回の蜷川演出はご存知シェイクスピアの「リア王」です。
前回「オセロー」を観に行った時に、前売りチケット売り場で平幹二郎がリア王をする、とあったので、これは見逃せない、とチケットを取りました。
そのときにチケットを取っておいてよかったです。
今、こんなに、長男の受験で自分がひっちゃきになっているなんて、その時は思いもよりませんでした。わずかな時間でも、無理やり日常から離れた時を過ごせたのは、今の自分にはよかったと思います。年末あたりから、観たい映画もひっきりなしにかかっていますが、こちらのほうは行きたいけれど行けない、というジレンマであっという間に興行期間が終わっていっています。ペルセポリス、仏語版で見たかった。ヒトラーの偽札、ああ、行きたい、けれど…。
閑話休題。
平幹二郎はすごいです。七十歳を過ぎての迫力のリア王(リア王は八十歳の設定です)。二十日近い間、時にはマチネとソワレのダブル上演を入れながら、ほぼ毎日のように上演は続きます。立ち回りも息が切れそうです。生半可なことでは俳優という職業は続けられないと思いました。これだけでもすごいのに、もちろん、舞台のリア王=平幹二郎は狂気と正気をないまぜにしながら私達に迫ってきます。長いせりふ、姉娘達の裏切りへの落胆、荒野での彷徨、最後にコーディリアを抱き上げての登場、そして最期。最初から最後まで、観衆の気を緩ませるものは一つとしてありませんでした。スタンディング・オベーションです。
観劇していて、自分の心の変化にも面白さを感じました。
子どもの頃に子ども向けのお話としての「リア王」は読んだことがあり、ストーリー自体は完全に頭に入っています。筋も単純ですし、善玉悪玉のはっきりした、でもだからといって善玉が最後に勝つわけではない、ちょっとひねったストーリーです。
リア王の長女ゴネリル、次女リーガンの、父王に対する態度は、もちろん子として許されるものではありませんが、そうしたくなる彼女たちの気持ちに、つい同情してしまうのは、私も年を取ってしまったということなのでしょうか。二人はまだ若く、父の老いからくる頑固さやわがままを理解してやることができません。でも父親譲りの性格ですから、父のわがままと彼女たちのわがままがぶつかりあいます。世間では二世代でひとつ屋根の下に暮らすときに、さまざまな雑音が出ることがあり、それが介護の問題や相続の問題などに影を落としていますが、そういうことにまでつい思いがいってしまい、せりふ一つにもこの五百年、六百年変わらない人間の心の弱さが投影されているようでした。
一方で、コーディリアが若すぎるために言葉が足らず、父王を怒らせてしまうのだというところも、まるでコーディリアがわが子なのではと思うように、自分の気持ちに引き寄せて観ていました。この舞台には母親がいない。母親がいたら、どんなふうにとりなしただろう。でも、母親の手に負えない王だったからこそ、今、この場に母親はいないのかしら…それとも…などと、初めて「リア王」を読んだときには思いつきもしなかったようなシチュエーションがどんどん心の中にわいてきます。リア王って、こんなに奥行きの深いお話だったかしら?
[2008年02月13日(水) ]
なんだか毎日が飛ぶように過ぎていきます。
センター試験を受けた長男が、「おみやげ」で持ち帰った、リスニングの機材。せっかくなので写真に撮っておいたんですが、アップするのをすっかり忘れていました。

[2008年02月06日(水) ]
かりめろんさんが「ふっふっふ」で書かれていましたが、体重というのは、私も気になります。
若い頃は、食べても食べても太らなくて、友人たちからうらやましがられたものですが、私にとってはもう少し太って、体力もあるほうがいいのに、とずっと思っていました。
その食べ放題にかげりが差してきたのが40歳を過ぎた頃からです。
少しずつ、太りだし、私はとても喜びました。なにしろ、身長と体重のバランスが、いつも「やせすぎ」と言われていたからです。
ところが、それも度を過ぎると困りもので、今度は服のサイズがどんどん大きくなってきました。初めのうちは、ま、しかたないよね、私も中年女になったんだとあきらめていましたが、さすがにスカートがこのままでは13号になりそうだ…というところで、「これではいけない」と思いました。
それからは、運動を始めたり、ちょうどブームになった寒天ダイエットを主人と始めてみたり(ひと夏しか続きませんでしたが)、ごはんは少なめになるよう、お茶碗を小さいものに買い換えたり、揚げ物を減らしたり、野菜はたくさん摂るようにしたり、と、いろいろと工夫をするようになりました。
運動のおかげで、とりあえず体の線は引き締まってきましたが、体重それ自体はやせていた頃と一番太っていた頃の、ちょうど中間の体重のまま、2年ほど過ぎました。スカートは9号と11号のあいだくらい…。