思春期も終わった長男とは、大人同士の会話を楽しみ、現在思春期真っ最中、親を振り回して楽しむ二男をさらに高みから見下ろして楽しむ(時には本気で怒るけど…)日々を中心に、今までの子育てを振り返り、将来に気をもむ私の身辺雑記です。
[2008年08月13日(水) ]
北京オリンピックが始まりました。いろんな問題を抱えての開催で、いろんな意味で心配していたのですが、ともあれ、無事に開幕式が挙行できてよかったなと思います。
開会式のマスゲームには目を見張りました。
マスで何かをする、というのは、見ていて「やらされ感」が感じられることがあったりすると、ちょっともじもじしてきてしまうのですが、今回のは違いました。
一人一人が「自分がこのオリンピックを成功させるぞー」という気持ちがあふれているのが画面を通じて伝わってきます。テレビの解説の人が「一糸乱れぬ演技です!」と感嘆しているまさにその時に、画面のど真ん中で間違って演技している人を見つけて「お、あぶない!」と思ったり、なにより、演技が終わった後に手を大きく振って、「やったぞー!」と高揚感に満ちた顔、顔、顔、に、「このオリンピック、自分が主役だ!」という気持ちがびんびん伝わってきて、こちらもなんだかうれしくなってしまいました。
花火もすごかったですね。あれはどうやって制御していたのでしょう。日本の花火師さんが中心になっていると新聞で読みましたが、コンピュータでの計算も大変だったことでしょう。私の一番のお気に入りは、足跡の形をした花火が「どすん、どすん」と競技場に向かっていく場面です。また、「鳥の巣」の網目を縫うようにして花火が発射されているようにも見えましたが、あれはどうやっていたのでしょう。けが人など出なかったでしょうか。スリリングだっただけに、陰の人たちが無事であったことを祈ります。
ところで、「鳥の巣」というと、私は、小さい頃、梳かしていないもしゃもしゃの頭のことを「スズメの巣」と親がからかっていたのを思い出し、どうもネーミング自体にはよいイメージがわきません。(苦笑) 「小鳥の巣」だと漫画みたいだし、あの大きさは小鳥の巣じゃないですしねえ…。
さて。
谷亮子選手の銅メダル、おめでとうございます&ご苦労様でした。
赤ちゃんを産む、育てる、という仕事が自分の人生に加わるのは、待ったなしの仕事で、逃げることができません。今までやったことのないことばかりで、「こんなに大変だったのか!」と投げ出したいけれどできない。むちゃくちゃな気持ちになることもありました。そのぶん、辛抱することも含め、子育ては自分のキャパシティを大きく広げてくれたと今になって思いますが、谷選手はまだそう振り返られるほどお子さんは大きくない。プロ野球選手の夫もいて、何かにつけて人目に晒される機会も(独身時代より)多い。プレッシャーだけでなく、ストレスもたくさん感じていたと思います。そんな中、今回もぜひにと北京代表に推され、残念ながら銅で終わりました。でも、私には、優勝戦で「負けて」銀メダルになるより、「勝って」終えられた銅メダルのほうがずっと重みが感じられます。谷選手らしい胸のすくような一本勝ちでしたし。
今回の優勝者は、何年も谷選手や他の国の強豪に負けていたそうですね。優勝戦の一本勝ちの技を見ながら、解説者が「谷選手のようですよ」と言っていたのが印象的でした。彼女は、負けても、負けても、相手選手に勝つため研究してきたのでしょう。その執念、彼女は金にふさわしい努力を重ねてきたのだと感じました。もちろん、どの選手も信じられないような努力を自分の天性の強さに重ねてきたからこそ、この舞台に立っているわけですが、北京の運命の女神は彼女を勝者に選んだのだと思います。
新聞では、外国の人たちと触れる機会をもてたことで、中国の人たちの意識が変わっていくことを期待したい、とありましたが、私も同感です。大昔、東京オリンピックが開催されたとき、開会式まであと何日、という時期だったのだろうと思うのですが、渋谷に出ると、たくさんの外国人が歩いていて、「渋谷って、こんなに外国人がいるんだ」(ちがうちがう>昔の私)とびっくりしたものです。背の高い人、低い人、体格がふだん見かける日本人とはぜんぜん違う人、肌の色の違う人。テレビやインターネットや映画で見るのではなく、自分の目の前にそういう人たちが現実にいるとわかるだけでも、ものすごいカルチャーショックです。まして、任務やボランティアなどでじかに選手たちと触れる人たちは、担当する外国人によってそれこそさまざまな印象を得ることでしょう。もう中国は今までのままでいることはできません。オリンピックは、中国国家にとって大事なイベントであるのはもちろんですが、中国の人、一人一人にとっても意識が大きく変わる大きなチャンスになるでしょう。