思春期も終わった長男とは、大人同士の会話を楽しみ、現在思春期真っ最中、親を振り回して楽しむ二男をさらに高みから見下ろして楽しむ(時には本気で怒るけど…)日々を中心に、今までの子育てを振り返り、将来に気をもむ私の身辺雑記です。
[2008年11月19日(水) ]
JR渋谷駅の玉川口の改札を出て、京王井の頭線に向かうコンコースの壁に、岡本太郎の「明日の神話」が公開されました。
たまたま除幕式の日、その除幕の直後に通りかかった私は、周囲の人たちと同じようにわくわくしながらその壁画を見上げました。
以前、通りかかったときに、工事用のフェンスがめぐらされていたので、この裏側かなと思っていたのですが、ある時ふっと上を見上げたら、白い大きな幕がかかっていて、その内側にいかにも岡本太郎らしい赤いラインが透けて見え、ああ、こんな上のほうに展示されるんだと、その幕の大きさにも展示される場所にもびっくりしました。
テーマは原爆ですから、壁画に描かれているものは明るいものではありません。が、この壁画が視界に入ってくると、そのエネルギーの強さ、岡本太郎らしい明るさがどぉんと自分に迫ってくるように思えます。
テーマは暗いけれど、決して鬱々としてくるような絵ではありません。岡本太郎のエネルギーが40年前、同じ頃に制作された太陽の塔のように、ほとばしっています。原爆の悪魔のエネルギーが、岡本太郎を通して平和を求めるエネルギー、岡本太郎の強い生命力のほとばしりに昇華したように感じます。今まで殺風景なコンコースが、この壁画の存在でぱあっと明るくなったようにも思えます。
公開されているところは、向かいの窓から自然光も入ってきます。壁画にはライトが当たっていますが、外が明るかったり暗かったりしても壁画の表情は変わるでしょうね。渋谷に行く楽しみが増えました。
[2008年10月31日(金) ]
渋谷の街をご存じない方にはちょっと申し訳ない話です。
以前、渋谷駅の東側に、屋上に半球ドームのプラネタリウムを備えたビルがありました。数年前にそのビルが老朽化もあってか取り壊すことになり、すぐ新しいビルが建つのかしらと期待していたのですが、なかなか建設の動きがなく、ゆっくりだなあと思っていたら、地下鉄の副都心線が出来、その出口がそのビルのあったあたりにできたようです。やっと変化が出てきました。
いつまでかかるのかしら、と思いながら、今日も通りかかったら、そのビルの裏手に当たる場所、つまり、宮益坂と金王坂にはさまれたところと地下鉄銀座線の線路の脇のあたりが、すべてビルが空になり、道路には「ここは廃道となります」という表示がありました。そして、行き(朝)にはなかったはずの車を入れないための柵が帰り(お昼過ぎ)には出来ていて、さらにびっくりしました。
いよいよ工事が始まるのでしょうね。道路の部分もおそらくこれから作るビルの一部に組み込まれていくのでしょう。とすれば、かなり大きなビルになるでしょう。
小さい時から見慣れた光景がここで大きく変わることに、ちょっとショックでした。
とはいえ、戦前からここに住んでいた人たちは、戦争で焼け野原になった渋谷を見ているのですから、私よりもその変化が大きく見えると思います。
プラネタリウムのあったビル(東急文化会館)のあたりは、昔は小学校があったそうです。今、都の児童会館の隣に小学校の跡地がありますが、駅前のビルのあったあたりからそちらに移転したのだそうです。
小学校のような、そう簡単には場所を動かないような施設があちこちに動いてしまうのです。今度は今まであった道路もなくなってしまうのです。
渋谷はどんどん変わっていきます。
昔は目をつぶっても歩けると豪語していましたが、最近はあやしくなってきました。数ヶ月来なかっただけで以前あった店がつぶれていて、新しい店が出来るのはよくあることですが、今度は道路がなくなり、街の形が大きく変わるのです。
最近、わが家の近所のターミナルビルの周辺が整備され、道路も広くなり、災害時もこれなら少しは安心かしらと思えるような駅前の姿になってきました。以前の小さな2階建ての個人商店がひしめきあって並んでいた姿からは想像もつきません。渋谷の109が建った時に渋谷駅前が大きく姿を変えたときのような新鮮な印象を受けました。
でも、どんなに街の姿が変わっても、昔の街の姿を覚えている人がいる限り、その人たちの心の中には昔の街が今の姿に重ねられています。「ここの店は昔○○だった」「ここの角には○●があった」。きっと日本中そういう場所と、そういう人たちがいることでしょう。そして、新しい街を自分の原風景として、さらに未来に変化するだろう街の姿に「昔はこうではなかった」とつぶやく人たちが生まれるでしょう。
今回はちょっとおセンチになってしまいました。
[2008年10月15日(水) ]
秋というと食欲の秋!…ですね。
おいもや、柿や、栗や、またさんま、まつたけなど、秋ならではの食べ物がたくさん思い浮かびます。
今年は主人が仕事の帰りにいろんなおみやげを持ち帰ってくれました。
これは自腹を切って買ってきてくれた「月の雫」。
[2008年10月08日(水) ]
今年の物理学賞は、日本人三名が独占受章となりましたね。
ご受章、おめでとうございます。
新聞で、どういう理論なのかを長々と説明していたので、じっくりと読んだのですが、それがじゃあ、どういうことになるの?というところがわからず、私には物理はやっぱり無理かしらと少しへこみました。
世界にはたくさんの授章団体がありますけれど、やはりノーベル賞の話題はうきうきしますし、ああこれでそろそろ今年も終わりに近づいてきたなと、秋風のような感じもします。
ちょうど、世界全体が予想外の株価暴落・円高ドル安ユーロ安で大変だ!という時期だったので、日本国内が明るいニュースで気持ちを明るくできるのはうれしい。
新聞の社会面では、ふだんは暗いニュースが多いし、そういうニュースを報道することも新聞の大事な使命なのだけれど、そればかりだとじゃあどうしたらいいんだと閉塞感が募ってしまいます。明るいニュース、こう進みたいと思えるニュースが新聞やテレビで報道されると、今自分がこつこつと生きていることが「それでいいんだよ、がんばろうね」と思えてほっとします。
ノーベル賞の話題から少しそれてしまいましたが、暗いニュースばかりが続いていた最近のマスコミでしたから、ノーベル賞のニュースをきっかけに、みんながもう一度「よし、がんばらなきゃ」と思えれば、今の不安な日本の経済にもふんばりがきくのではないかしら。
[2008年09月24日(水) ]
最後に墓参りに行ったのは、確か下の子がまだお腹の中にいたころ…。いや、下の子の除去食真っ最中の頃(ということは、2歳前後?)にその墓苑のそばの親戚の家に遊びに行ったことがあるので、そのときもしかして足を延ばして行っていたか…?
それくらい記憶がおぼろなほど行っていなかった母方の祖父母の墓参に母と二人で行ってきました。
都内に住んでいたときにも「遠いなあ」と思っていた墓苑で、電車で行けば長くゆられるし、車で行くとお盆やお彼岸の時期は道が一本しかないので大渋滞になります。
それがどうでしょう。墓苑からはさらに乗り継ぎの悪いところに住むようになったはずなのに、電車の相互乗り入れ、快速電車、グリーン席、などのおかげで、新幹線に乗っていくような旅にはなりましたが、あまり疲れることもなく、快適に往復することができました。あちらの駅も開発が進んできていて、あと何年かしたら、沿線の大きな駅くらいのにぎわいを見せるようになるだろうと想像できます。この駅も田舎田舎した駅なんだけど、どんなおしゃれな駅ビルになるのかしらねと母と語り合いました。恵比寿駅や大崎駅は大変身しましたが、この駅もそれくらい期待してもよさそうです。
駅からバスで墓苑に行くと、同じ停留所で降りる人も多く、みんな行き先は同じです。ぞろぞろと中に入り、それぞれの区画に向けてばらばらと分かれていきます。
きれいに刈り込んだ芝生。整然と並んだ墓石。この場所は、祖母がまだ生きている時に伯父が買ったものですが、もう30年くらいになるかしら。そのころはまだ墓石はちらほらという感じでしたが、さすがに今はほとんど並んでいます。でもところどころ墓石のない場所もあり、中にはそのコンクリートの蓋の上にじかに供物が並んでいるところもあって、いろいろ大変なのかしらとよそ様のことながら気になったり。
以前は伯父宅で最期を迎えた祖母のお骨だけが入っていたのですが、その後、戦前に亡くなった祖父のお骨も田舎から迎えて、これで子どもたちや孫たちはいっぺんでおまいりできるようになりました。(伯父さん、ありがとう)
祖父は43歳で病没したので、私は写真でしか知りません。新聞記者として戦争に向かう世の中の流れに抗するペンの戦いをしていた途上で亡くなりました。祖母はその後5人(母の弟がいつ亡くなったかで6人になる)の子どもを育てるために実家に戻り(このおかげで東京大空襲に遭わなくてすんだ…実家の県でも空襲はたくさんありましたが)、芸は身を助くとはよく言ったもので、女高師を出ていた祖母は教師になりました。戦中は勤労奉仕の生徒たちを連れて、わが子たちは実家(の隣に建てた家に住んでいましたが)に頼んで、他県の軍需工場まで行っていたりしていたそうです。終戦を迎えて、「お国のため」に犠牲になった子どもたちのことを思い、後悔してもしきることがなかったそうです。…胸が痛みます。
祖父母の話を母や伯父たちから聞くのはとても楽しい。当時の疑獄事件を追いかけた話は手に汗をにぎりますし、政治部の記者だったので当時の権力者たちと対峙していた時の話も胸のすく思いで聞きます。駆け出しの頃はスクープをねらって、有名歌手の家族の逃避行の手伝いをしたなんて話は、「それから、それから?」と膝を乗り出してしまいます。
つい先日、私が美容室に行った時、そばにいたお客の老婦人が帰った後で、その人は上に書いた歌手の息子さんの奥さんなの…ということを聞いて、それはそれは驚きました。お店の人も私の祖父とその歌手とのつながりの話をしてあげるとたいそう驚いていました。袖振り合うも他生の縁とは言いますが、同じ美容室にこの二人が(昔は母も)何十年も通っていたなんて…。戦後、その歌手の公演が祖母の住む県であったときに、祖母はわざわざ出かけていってなつかし話をしたのだそうです。(祖父が死んだ時は国内か海外公演か何かだったらしくて葬式に行けなかったとあやまっていたそうです)
閑話休題。
母は私の下の子がお腹の中にいた時に一緒に墓参しているので、16年ぶりでしょうか。行きたかったけれど父の看病や、亡くなった後の気落ちとかそれを許してくれない膨大な父とともにしていた仕事のせいで、なかなか気持ちも向かえず、時間もなかったのですが、やっと行くことができてほっとしているようでした。祖母は82歳で亡くなったので、お母さんもあと10年はがんばって長生きしましょうと励ましました。子どもにとって、親にはいつまでも元気で長生きしてほしいです。
[2008年08月20日(水) ]
大掃除と言うと、お正月を気持ちよく迎えるための気合の入った行事(?)ですが、夏にやると楽なものは夏にやってしまっています。
それはもちろん、換気扇掃除です。
今までは毎年、もしくは1年置くこともありましたけれど、定期的に自分で掃除をしていました。使う洗剤は主に重曹。液体の洗剤のようにぬるぬるして汚れの上をすべることがないので、力を入れた分だけきれいになるのが実感できて好きなのです。しかし、換気扇のいろんな部品を全て外すわけではなかったので、手の届かないところはいつまでも手付かずのまま。
それで、今年はちょうど住んでいるマンションの大規模修繕工事がはいるので、その前にきれいにできるところはやってしまおう!と、ちょうどよいところにセールスに来た業者さんにお願いしました。
いやいや、きれいになるものです。さすがプロですね。反対に業者さんも、羽根の一枚一枚がきれいなのを見て「ご自分でやっていたのですか?」と聞いてくれてちょっぴり鼻を高くしたり。まあ、頼むほうも思い切り汚くならないとお金を払ってまで、というところもありますものね。
来年からは、また夏の暑い時期に自分で換気扇掃除をがんばりましょう。油もとりやすいので、一度夏に掃除すると、冬にはもうできなくなります。
[2008年08月13日(水) ]
北京オリンピックが始まりました。いろんな問題を抱えての開催で、いろんな意味で心配していたのですが、ともあれ、無事に開幕式が挙行できてよかったなと思います。
開会式のマスゲームには目を見張りました。
マスで何かをする、というのは、見ていて「やらされ感」が感じられることがあったりすると、ちょっともじもじしてきてしまうのですが、今回のは違いました。
一人一人が「自分がこのオリンピックを成功させるぞー」という気持ちがあふれているのが画面を通じて伝わってきます。テレビの解説の人が「一糸乱れぬ演技です!」と感嘆しているまさにその時に、画面のど真ん中で間違って演技している人を見つけて「お、あぶない!」と思ったり、なにより、演技が終わった後に手を大きく振って、「やったぞー!」と高揚感に満ちた顔、顔、顔、に、「このオリンピック、自分が主役だ!」という気持ちがびんびん伝わってきて、こちらもなんだかうれしくなってしまいました。
花火もすごかったですね。あれはどうやって制御していたのでしょう。日本の花火師さんが中心になっていると新聞で読みましたが、コンピュータでの計算も大変だったことでしょう。私の一番のお気に入りは、足跡の形をした花火が「どすん、どすん」と競技場に向かっていく場面です。また、「鳥の巣」の網目を縫うようにして花火が発射されているようにも見えましたが、あれはどうやっていたのでしょう。けが人など出なかったでしょうか。スリリングだっただけに、陰の人たちが無事であったことを祈ります。
ところで、「鳥の巣」というと、私は、小さい頃、梳かしていないもしゃもしゃの頭のことを「スズメの巣」と親がからかっていたのを思い出し、どうもネーミング自体にはよいイメージがわきません。(苦笑) 「小鳥の巣」だと漫画みたいだし、あの大きさは小鳥の巣じゃないですしねえ…。
さて。
谷亮子選手の銅メダル、おめでとうございます&ご苦労様でした。
赤ちゃんを産む、育てる、という仕事が自分の人生に加わるのは、待ったなしの仕事で、逃げることができません。今までやったことのないことばかりで、「こんなに大変だったのか!」と投げ出したいけれどできない。むちゃくちゃな気持ちになることもありました。そのぶん、辛抱することも含め、子育ては自分のキャパシティを大きく広げてくれたと今になって思いますが、谷選手はまだそう振り返られるほどお子さんは大きくない。プロ野球選手の夫もいて、何かにつけて人目に晒される機会も(独身時代より)多い。プレッシャーだけでなく、ストレスもたくさん感じていたと思います。そんな中、今回もぜひにと北京代表に推され、残念ながら銅で終わりました。でも、私には、優勝戦で「負けて」銀メダルになるより、「勝って」終えられた銅メダルのほうがずっと重みが感じられます。谷選手らしい胸のすくような一本勝ちでしたし。
今回の優勝者は、何年も谷選手や他の国の強豪に負けていたそうですね。優勝戦の一本勝ちの技を見ながら、解説者が「谷選手のようですよ」と言っていたのが印象的でした。彼女は、負けても、負けても、相手選手に勝つため研究してきたのでしょう。その執念、彼女は金にふさわしい努力を重ねてきたのだと感じました。もちろん、どの選手も信じられないような努力を自分の天性の強さに重ねてきたからこそ、この舞台に立っているわけですが、北京の運命の女神は彼女を勝者に選んだのだと思います。
新聞では、外国の人たちと触れる機会をもてたことで、中国の人たちの意識が変わっていくことを期待したい、とありましたが、私も同感です。大昔、東京オリンピックが開催されたとき、開会式まであと何日、という時期だったのだろうと思うのですが、渋谷に出ると、たくさんの外国人が歩いていて、「渋谷って、こんなに外国人がいるんだ」(ちがうちがう>昔の私)とびっくりしたものです。背の高い人、低い人、体格がふだん見かける日本人とはぜんぜん違う人、肌の色の違う人。テレビやインターネットや映画で見るのではなく、自分の目の前にそういう人たちが現実にいるとわかるだけでも、ものすごいカルチャーショックです。まして、任務やボランティアなどでじかに選手たちと触れる人たちは、担当する外国人によってそれこそさまざまな印象を得ることでしょう。もう中国は今までのままでいることはできません。オリンピックは、中国国家にとって大事なイベントであるのはもちろんですが、中国の人、一人一人にとっても意識が大きく変わる大きなチャンスになるでしょう。
[2008年08月06日(水) ]
今年の夏は、雷雲があちこちにあって、外出しても洗濯物が気になってしょうがないですね。
馬の背を分けるといいますが、今日自転車で外出したとき、ある地点から急に地面が濡れているのに気づき、さらに進むと雨が降り出してきました。でもその場所の人たちにとっては、ちょうどはげしい雨が上がるところだったようです。
自転車でほんの5分ほどの間にこれほど落差があるとは、びっくりしました。
用事をすませて家に帰ると、すぐそばで雨が降っていたなんて信じられないくらい。地面はからからに乾き、植え込みの草花はしおれていました。
高校野球も佳境です。
北京のオリンピックも、日本選手団が現地入りしましたね。
熱狂の夏はまだまだ続きます。
みなさん、お体をおいといくださいませ。
そして、パソコンから電話機に至るまで、雷に弱い機械も大事にしてあげて下さいね。
(あ、今日もまた雷が鳴りはじめました)
[2008年07月23日(水) ]
紫蘇を入れてから、ずっと心配していましたが、無事、かびることなく土用干しを迎えられました。
[2008年07月16日(水) ]
去年、梅干しを漬けている話を書きましたが、今年も漬けています。
今年は、赤紫蘇をいいタイミングで手に入れることができたので、真っ赤な梅干しができる予定です。
ですが、心配事も増えます。それは、「かび」です。
赤紫蘇は、まず葉だけをむしります。泥がついていますからよく水洗いをします。
それから塩でもみます。あくが泡のように出ますので、絞って、また塩でもみ、絞ります。
そこに梅漬けで上がってきている白梅酢を少し加えて、さらにもみます。ここで紫蘇は真っ赤に色が変わります。小学生の頃の簡単な化学実験をしていたときのようなちょっとした興奮を覚えます。
漬けていた梅を全部ざるにあげ、梅酢も違う容器にとりだし、真っ赤になった紫蘇と梅の実を互い違いにもう一度容器に敷き詰めていきます。そして梅酢を注ぎ直し、軽く重石をして、ほこりが入らないようラップもかけて(様子を見やすくするため)、土用干しまでじっと待ちます。
この作業で、どうしても雑菌が入ってしまいます。梅酢の力が強ければ、土用干しまで何ごともなく過ごせるのですが、たまに表面にかびがついていることがあります。私の今までの梅漬けでは、ぽちっと出た年があり、その時はあわててその部分だけをすくいとって無事に土用干しまでもたせることができましたが、これがもし知らずにほっておいたら、その年の梅干しはおじゃんになってしまいます。
今年の梅雨明けはいつになるのでしょう。先週からそればかりが気になっています。台風が発生したので、この台風がこの鬱陶しいはっきりしない空を一気に夏に持っていってくれないかしらと一縷の望みをかけています。何年前でしたか、やはり、ぐずぐずした梅雨空が続いて、いつまでも梅雨空が続きそうだとと心配したときに台風がやってきて、一気に真夏にしてくれたことがあります。今南の海にいる台風が、そんなふうに天気を変えてくれると良いのですが。
写真は、先週お試しで取り出してみた一粒です。フルーティな香りと、柔らかな果肉、しょっぱいけれどちょっと食べ続けてみたくなるおいしさ。種まで真っ赤で、こんなにおいしくできているのですから、無事に土用干しを迎えたいです。