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プロフィール

野中すみれと申します。
二人の息子の胃袋を満たすのに毎日苦労しています。

ありがとう

[2008年03月05日(水) ]

長男の国立前期試験が終わって2〜3日したある夕方、長男も私ものんびりと夕刊を見たり、雑誌をながめたりしていたら、二男がそれを見て、
「なんだなんだなんだ! このまったり感は!」
と急につっかかってきました。
私と長男はびっくりして、何が起きたのかわかりませんでした。
「今までのあの緊張はどこにいったの?」
とさらに尋ねてきました。
ああ…。 合点がいきました。

二男は、長男が受験で暗くなりそうになると、ムードメーカーに徹してくれて、いろいろと笑いの種をふりまいてくれていました。少しでも普段どおりに過ごそうと私も考えてはいましたが、やはり本番が近づくと、どうしても家庭の雰囲気は緊張したものになっていたのでしょう。二男の気配りは本当にありがたかったです。

それだけ二男が努力したのに、今、まったりと母と兄が過ごしている…この落差に二男は気が抜けるような思いだったのでしょう。

ありがとう。こんなふうに気遣いできるまであなたは大人になっていたんだね。
3年後はあなたの番。 おかあさんはまた、力いっぱいあなたを応援するからね。お兄ちゃんも家庭教師をしてくれるだろうし。これはお兄ちゃんの受験の時にはできないこと。弟でよかったねえ。

仲のよい兄弟で、本当にうれしいです。

本物に触れよう

[2007年10月31日(水) ]

芸術の秋ですね。
まあ、秋でなくても、毎週、新聞の美術館情報の一覧を見ていると、よりどりみどりで、時間とお金さえあれば、いつでもどこにでも出かけていけるのですが。

思い立ったときに、自分ひとりとか、友だちと行く、だけでなく、子どもも連れていきませんか。
自分の住んでいる町や市や県の文化施設で催されている美術展や書道展や、音楽会などに目を向けてみませんか。
音楽会だと、小さい子は参加できないことも多いので、ある程度大きくならないと連れて行けませんが、美術展とか科学館の催し物とか、赤ちゃんのときから連れて行っても平気な催しはまだまだたくさんあります。

小学生になると、男の子なんかは特に、土日はスポーツなどでつぶれがちです。中学生になると、親と歩いてもくれません。(大泣)
少しでも小さいときから、本物に触れる機会を作ってやりたいと大反省を込めて、思います。連れて歩けるのは、小学生までですね。(実感)

子どもが幼稚園に通っていたとき、園長先生が、「小さいからわかんないだろうなんて思わないで、どんどん本物の美に触れる機会を作ってあげてください。忘れてもいいんです。とにかく本物に触れることが人間をつくります」とおっしゃっていました。

テレビでもおなじみの、骨董屋さんは、にせものを何百何千見るよりも、一つの本物を見ることで、目が肥えていく、というような趣旨の話をされていました。含蓄があります。

私も、何年か前、美術の教科書では知っていたブラックの絵を、ある美術展で見たとき、大きなショックを受けました。本物のもつ力強さ、暗くて静かと思っていたその絵が、実に生き生きと躍動して、こちらに迫ってくる力強さに感動しました。たった1枚の絵に、こんなにも力があるのか、だからこそ美術の教科書にもブラックの代表作として取り上げられていたんだなと思いました。でも教科書の写真では小さいですし、色味も違っていたでしょうし、本物とは全然違います。本物を見ることの大事さを、痛感しました。

最近は、まめに展覧会などに足を運ぶようにしています。
年を取ってきたからか、感じられる幅も広がってきたように思います。
でも、それは、小さいときからの積み重ね。
子どもたちにも同じように、いえ、私以上にいろいろと触れさせてやりたいと思っています。音楽会、バレエ、ミュージカル、いろいろと連れ出しています。思春期なので、なかなか首を振ってくれないんですけどね。
 

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ゲームを始める時期

[2007年10月24日(水) ]

うちの子たちがお世話になっていた音楽系のおけいこごとの先生に尋ねたことがあります。「10歳以上だね」「その根拠は?」「10歳を過ぎれば、自分で自分のことをコントロールできるようになる。小さいうちはそれができない。それまではやらないほうがいい」
何百人もの教え子を見てきての経験と、幼児教育・音楽教育のプロとしての目がそういう年齢を落としどころだと考えられたのでしょう。

私も、だいたい10歳、学年としては5年生くらいからなら、だいぶ落ち着いて見ていられるなと思います。

二男がここの私の書き込みを読んでいたので、聞いてみました。
「ゲームを小さいときからやるのって、どんなかんじ?」
すると、幼児期からゲームをやっている子は、自分もそうだったが、現実と仮想の区別がつかない、と言いました。
「へえ、区別がつかない、と、自分でわからなかったということがわかったの?」
「そう。大きくなると、小さい頃の自分は区別がついていなかったと思う。そして、友達も、小さいときからやっていた子はそんな感じだった」

そのあと、6年になってもゲーム漬けだった友だちの話になり(この子は極端なケースだと思います。でもそういう子もいるのです)、クラスをかきまわし、先生方に迷惑をかけ、いつまでも幼児のままだったその子のことを「今どうしているのかなあ。中3だもの、受験だよねえ」とちょっと心配になりました。

親から見ると、ゲーム世代の子どもたちは、思考もデジタルです。極端というか、グラデーション的、段階的受容がない。特に二男に顕著です。話していてこちらが疲れます。言葉尻をとらえては、怒ったりいじけたり落ち込んだり。最後まで話を聞きなさいと言ってもそれができません。個性なのかもしれないけれど、やはり子どもたちのほとんどすべてにゲームがいきわたっている環境では、子どもたちの思考もお互いに影響を受けないわけにはいかないでしょう。

ゲームではありませんが、携帯電話も今問題になっていますね。こちらも、小さいときに持てば持つほど、現実とネットの違いがつかないようだと、パルティオでも語り合っています。携帯はゲームより遅く、せめて中学生、できれば高校生から持たせたいねという意見を多く見ます。ということは、おそらく、ゲームも、少しでも遅いほうが、子どもの自我がきちんと育ってからのほうがよいのでないかと思います。

でも、今のゲームって、よくできてる(苦笑)んですよね。親が「30分だけよ!」なんて声をかけても、セーブするまで30分で一区切りつかないゲームのほうが多いような気がするんですが…。

検定

[2007年09月26日(水) ]

新学期になると、学校から、英検や漢検の申し込みのお知らせがきます。
私は、これをきっかけに、少しでも勉強できるといいなあと思うので、息子たちには積極的に勧めています。

合格できた級は、あくまできっかけ、はずみ、ととらえています。
たとえば英検2級をとれたからといって、本当に2級の力がついた、とは思いません。
だいたい、子どもたちは合格点ぎりぎりで級を取っていきましたから。

子どもたち2人の学校生活などを見ているうちに、先取りで級が取れるなら、そのほうがいいかもしれないなと思うようになりました。子どもたちそれぞれの環境のせいかもしれませんが、高校生になった長男は、何が忙しいのか、検定の準備をする時間も、検定を受ける時間もなく、クラブに委員会に忙しく過ごしています。三年生になったら、もう大学受験まっしぐら(精神的に余裕がないという意味です…ちゃんと受験勉強をしているかどうかは、また別問題です)で、検定どころではありません。二男も、高校生になったら、自分の好きなことを見つけて打ち込むようになるかもしれません。そう思うと、どんなに忙しいといっても、中学の時間割はまだまだ余裕が残っていて、漢検と英検をダブルで受検しても大丈夫なくらいの時間をとることができます。(あくまで、我が子たちの様子だけですが)

検定のよいところは、学校の教科書とはまた違う順番で学ぶことができるので、たとえば英検なら、自分の学んできたことの整理を教科書のやり方と、英検のやり方と二通りで見直すことができます。わからなかったことがはっきりとつかめるようになり、先生に質問するときも何がわからないのかがわからない、というところから、ここがわからないから教えてほしい、というようになりました。

自分の学年で学んでいることよりも、ちょっぴり先に進んだ勉強を検定のおかげででき、そのところに教科書の内容が追いついたときに「なるほど」と学びなおすこともできました。
 

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文化の断絶

[2007年09月19日(水) ]

先週書いたことから思い出したことを少々書きます。

「文化の断絶」とはおおげさですが、親から子へ、伝えられないで終わってしまったことって、私の周りにも案外あるものだなと思います。

私は、独身時代にお茶を習っていましたが、これは、あまりに行儀知らずの私に業を煮やした母が、「お花を習うか、お茶を習うか、どちらかにしなさい」と迫り、花より団子を選んだ私は、お茶を習うことにしたわけです。(汗)

こうやって、改めて、他人から立ち居振る舞いを習うことで、日本の文化を客観的に確認することもできましたし、自分のお行儀もちょっとは落ち着いたかなと…思いたいです。

ほかに、以前、梅干しの話をこちらで書きましたが、これも、母からは習えませんでした。母はたぶん、梅干しを作ったことはないと思います。祖母たち(母の母や、義母)が作っているのは見ていたようですが、その時の話を聞くと、それぞれに我流なんだなあと思いました。そう思えるのも、自分が漬けているからわかることです。私にも、我流のスタイルができつつありますから。

あと、これこそ文化の断絶だなと思ったのは、母が私に着物の着付けを教えられなかったことです。母は戦争のきな臭さが漂ってきた頃生まれ、戦争終了は小学校の低〜中学年でした。物心ついてから、もんぺばかりを目にしてきた母には、着物というのは私たちと同じくらい、日常的なものではなかったのです。

だから、お茶を習っていた私は、着付けも改めて習わなければなりませんでした。
お花は、この年になるまで、習ったことはありません。きっとこれも、習えばいろいろと見えてくる世界があるんだろうなあと思います。日本舞踊もしかり。

米をとぐ

[2007年09月12日(水) ]

あれは二男がまだ幼稚園に通っていた頃のことです。私はPTAの役員をしていたので、冬の餅つき大会のお手伝いをすることになりました。役員はそれぞれ、自分の時間の都合や、できることを考慮して、いろんなお手伝いを分担してやります。私は力仕事は苦手だけれど、子どもは下の子なので朝の時間の余裕はあるほうだからということで、もち米を研ぐ、前日朝の仕事を引き受けました。

もち米は、吸水をしっかりしないといけないので、前日のうちに研いで、浸水しておくのです。
他の役員のお母さん方2人と、朝、幼稚園が指定した時刻に伺いました。
各学年2クラスずつという小さな幼稚園なのですが、研ぐ量はやはり半端ではありません。9キロのもち米を研いでくださいね〜と、先生から指示され、3人ですから1人3キロずつ研ぐことになりました。

3キロを一気に研ぐのはさすがに大変です。子どもはまだ小さいですから、普段でも多くて3合くらいしか研がないのに、3キロです!

大きな洗面器(毎年の餅つき用です、念のため)に入ったもち米は手ごわかったです。手早くやらないと米は水を吸って割れやすくなります。もろもろになってはおいしくなりません。必死で研ぎあげて、ふと他の2人を見ると、まだてこずっています。

おやおや、そうよね、大変よね…と自分も大変でしたからのぞきにいくと、これがいけません。洗面器の中で手をくるくるとかきまわしているだけなのです。あわてて引き取って残りの二つを研ぎました。米はどんどん割れていきます。糠の汚れと、割れた米の白い濁りがまじって、どこまで水を澄ませればよいのやら、どれくらい力をこめて研げばよいのやら、本当にあせりました。

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最後までやり通す

[2007年08月22日(水) ]

最近、ピアノを教えている友人から、こんな話を聞きました。ここ数年、ピアノを教えていて、自分がピアノを教えることを始めた頃よりも、困る場面が増えたというのです。

たとえば、一曲仕上げるときに、譜面の見間違いとか、感情表現の細かいこととか、指示を出して来週までにやってきましょうね、と伝えても、翌週の仕上がりは前の週と全然変わっていない。やってこなくても大丈夫だあ、という顔でやってくるのだそうです。これが10年も前の子たちなら、やってこなかったこと、間に合わなかったことに罪悪感を感じて、ひどいときにはずる休みまで考えてしまう、そういう子たちばかりだったといいます。

きちんと仕上げる、やり通すということが当たり前でなくなっていることに、このままでこの子たちはいいのだろうか、と心配になっているのだそうです。(私も、心配です。もしや我が子が…と思うとなおさらのこと)
 
うちの子どもたちが音楽教室に通っていた頃、教室の先生がおっしゃったことが今でも心に残っています。それは、おけいこごとはとにかく、高校3年まで続けてね、ということでした。
ひとつには、子どもの気持ちに親が振り回されてはいけない。上に書いた、やり通す大切さ、一つのことを完成させ、積み上げていく大切さを子どもに体験させたいということがあるでしょう。
また、一つのおけいこごとはある程度のレベルまではがんばって続けることが達成感や、「ものになる」結果をもたらす。という意味もあったと思います。

なにかと忙しい今日このごろですが、うちの子たちも、ひとつのことにじっくり取り組める子どもに育ってほしいな、と思っています。
 

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反抗期バンザイ

[2007年08月08日(水) ]

あれは、長男が幼稚園に通っていた頃です。二人の子どもたちがかわいくてかわいくて、とにかくかわいくて、そんなときに幼稚園のママさんたちとのおしゃべりで、「『冬彦』さんになっちゃったらどうしよう〜〜」と、冗談とも本音ともつかない話題になったことがありました。(冬彦さん、というのは、当時、もしくはその少し前に、テレビドラマで有名になった、マザコンの主人公の男の人の名前です)

私も、かわいいかわいい子どもたちをひざに抱きながら、ああ、どう育てたら冬彦さんにならないで大きくなるんだろうと、将来の息子たちの姿に不安をおぼえたものです。

そんな時、子どもたちが通っていた音楽教室の先生が、教室に教育カウンセラーの方を呼んで、講演会をもってくださいました。この方は、現役の高校の先生をしていらっしゃいました。

高校生を毎日教えながら、「どうしてこの子はこんな風な考え方をするようになったのかな」とか、「どうしてこういう子に育っちゃったのかな」というような疑問を調べているうちに、どんどん調べる年齢がさがっていき、ついには胎児の時期からが大事だ!という話になったのが、興味深いことでした。

子どもにとって一番いい環境は、やはり、お父さんとお母さんが幸せな状況で受精して、育っていくことなんだそうです。これはそのとおりだろうなあと思いました。私は、結婚しても、しばらくは働いていたので、妊娠がわかったときは、とても動揺しました。ちゃんと五体満足で子どもを産めるだろうか、自分の体はちゃんともつだろうか(死なないだろうか)、仕事は続けらるだろうか、続けられるとしても保育園を探さなきゃ、でも会社をやめさせられたらどうしよう、収入が足りなくなる!とか、夫が急に死んだりしたらいやだあとか(マタニティブルーですね)、まあそれはそれは山のような不安のかたまりがのしかかってきました。そんなときに夫がしっかりと私を支えてくれたことは、ありがたかったですし、今まで一人で突っ張って生きてきた私が、肩から力を抜いて、頼れるところは人に頼っていいんだ、と、リラックスできるようになった転換点にもなりました。

少なくとも、私の子どもたちは、幸せな出生ができたんだわ、ということに安心しました。その時、ふと、冬彦さんの話が思い浮かび、カウンセラーの先生への質問時間のときにそのことをうかがってみました。

「先生、今、こうやってかわいいかわいいと育てているんですが、もし、冬彦さんになっちゃったらどうしようかと不安なんです。どうやったら、冬彦さんにならないで大人になってくれるでしょう」

先生は微笑みながら、「今はそうやってかわいい、かわいい、と育てていいんですよ」とおっしゃいました。

私は、「長男は、素直な子で、反抗期を感じずに育ってきました。このまま反抗期がなく、大人になるんじゃないかと心配なんです」とさらに尋ねました。

先生は、「反抗期は必ずきます。子どもは、必ず親から離れようとします。その時に、親が子どもを追いかけてはいけません。追いかけなければ、ちゃんと親離れできます。安心してください」とおっしゃいました。

半信半疑のまま、少なくとも、このままかわいがりつづけて育てていいんだな、ということだけは安心でき、月日は流れました。
 

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誕生日

[2007年06月27日(水) ]

誕生日が近づくと、子どもたちはうきうきしてきます。ケーキはどこのにしようかとか、どこかで外食しようかとか、毎年なにかしら楽しみをさがしています。

私も、小さい頃はそうでした。
でも、自分が子どもを産むと、がらっと意識がかわりました。
出産のときの母の苦労話は小さい頃から何度も聞いたものです。
自分が今、この世でこうして生きているのは父母のおかげ、特に母の肉体的な苦労のおかげなんだなとしみじみ感じることができたとき、母への(おとうさんゴメン)感謝が湧き上がりました。

こんな私ですから、ストレートに子どもたちに言ってしまいます。
「今日は、あなたが生まれた日であるけれど、おかあさんがあなたを産んだ日でもあるのよ。あの時は大変だったのよ〜(いえ安産だったとは思いますが)。 このまま死んじゃうかと思ったのよ〜(これはホントの話)。 おかあさんが生きててよかったねー。感謝しなさいよ」

でも子どもたちは、一瞬私に感謝しても、すぐに誕生日のプレゼントがないのかとか不満を口にしてきます。もののあふれたこの時代、わざわざ誕生日だからといって特別に準備するものはそんなにありません。本なら買ってやりたいと思いますが、子どもたちはそれではありがたみがないようです。ゲームの方がいいようで…。で、結局特別なことはケーキを買うことくらいで終わってしまいます。こんなこともあと数年くらいで、二人とも家を出て行ってしまうでしょうか。そう思うと、ちょっとおセンチになります。

続・おばあさんへの道

[2007年06月20日(水) ]

子どもたちはすっかり大きくなったので、あまり出番はありませんが、出かけるときに時々、持ち歩くものがあります。それは折り紙です。電車で遠出をするとき、PTAの集まりなどで小さな子も来る可能性のあるとき、など、そっとバッグにしのばせていきます。

子どもたちが小さいときは、外出時に飽きないよう、いろいろ工夫したものです。電車に乗ることもありましたし、大人の多い場所にしばらくいなければならない、というようなこともありますから、子どもを飽きさせない「おでかけグッズ」は必須でした。うちの子たちの場合は、絵本、お絵かき帳に芯だけでできている色鉛筆(万一周りを汚さないためにもフェルトペンは不向きです)、その時々のお気に入りの音の出ないおもちゃ(男の子は音の出るおもちゃのほうがお気に入りのことが多いので、おもちゃ選びは大変でした)、そして折り紙でした。

大きくなるにつれ、絵本と折り紙があればなんとかなるようになりました。ひたすら鶴を折るときもあれば、どんどん手裏剣が増えるときもありました。

子どもたちと出歩くことが少なくなっても、PTAの会合などで折り紙が役に立つとわかってからは、なるべく切らさないように家において、いつでも持ち歩けるようにしています。

まだ折り紙を自分で折ることもできない赤ちゃんでも、「ぱっくん」(四隅を中心に折り込むのを二回繰り返してつくり、両手の親指と人差し指計4本を入れてマペットの口のように動かします)には興味を示しますし、つかまれてくしゃっとされても惜しくありません。少し大きくなって、直線折りならできる幼児なら、飛行機やチューリップを作ってあそべます。電車の中などで、全然知らない子どもとも、折り紙ならすぐに一緒に遊べます。

こんな具合に、私のおばあさんへの道は、どんどんディープに進んでいきます。

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