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プロフィール

野中すみれと申します。
二人の息子の胃袋を満たすのに毎日苦労しています。

魔法の言葉 attribute

[2008年09月05日(金) ]

先週は、上野でフェルメール展・コロー展・そして友人の出展している書道展と、雷雨を気にしながらもたっぷりと堪能してきました。

書道展では、入り口で必ず記名させられるのがすごくいやなのですが、目をつぶって(本当につぶっていては書けませんが)えいやっとやっつけるように読めればいいでしょう的な字で名前を書いて、誘ってくれた友人に案内されて鑑賞しました。毎年来ているので、友人の字の進化していく様子に、自分もこのままではいけないと励まされる思いです。何百枚も書いて書いて、出展作を書き上げたのだそうです。その労にも頭が下がります。大きな紙を四枚も使った大作なのです。今年は友人のお母さまの作品も出展されていて、年齢からは想像できない力強い筆運びにさらに元気をいただきました。

コロー展はものすごく混んでいました。期間の終わりというのもあったと思います。
たくさんの頭の後ろから伸び上がるようにして観て歩きましたが、やはり円熟期の絵が一番よかった。他の作家の作品もところどころに並んでいて、「なんだかずいぶんセザンヌっぽい絵だわ」と思って近付くと、それはセザンヌ本人の絵だったりして。でも、モンドリアンやブラックの具象画を初めて観ることもできて、それは私にとってちょっとした収穫でした。

そしてフェルメール展。
当時のデルフトの画家たちの絵も出展されていて、お互いに影響を与えている様子もわかる、丁寧な展覧会です。
以前、ファン・メーヘレンによるフェルメールの贋作を扱った本(『私はフェルメール』ランダムハウス講談社刊)を読んでいたこともあり、「フェルメールってどんな絵を描いたんだろう」と、興味がありました。フェルメールばかり、どうしてもてはやされ、メーヘレンの贋作が真作と思われたのか、写真ではなくこの目で見たかったのです。

フェルメールの絵は、確かにすごかったです。
絵の持つエネルギーがすごい。技術的にも、素人目でもわかる光の扱い方、構図の取り方、絵の勢い、人物の生き生きした様子、目の力、瞳の輝き、など、他のデルフトの画家たちと一線を画するものがありました。そのことを理解させるために、これだけの他の画家の作品が並べられたのかと思いました。

そして最後に並んでいた絵。「ヴァージナルの前に座る女」。これはサザビーにより真作と認められた(attributed to)絵だということです。この絵は、贋作なのか真作なのか論争になり、結局今は真作だということらしいです。

「らしい」と書きましたが、これは、上で書いた、贋作の本の影響もあります。attributed toと決められても、結局贋作だったということも結構あるらしいです。しかし、今回の展覧会の日本語の説明では、真作であるとありました。(真作と認められる、ではなく)

実は、この絵は、上に挙げた本でも取り上げられていたので、とても興味があったのです。そんなに紛らわしい作品なのかしら。目の利く人たちが二つに分かれて論争するほどの絵なのかしら、それは興味がわくというものです。きっと素人目にはものすごーくフェルメールっぽいのだろう、と写真を見て想像していました。

ところが、一目見て、私はがっかりしてしまいました。あまりにも元気のない絵なのです。
本人の作品だとしたら、ずいぶん筆の勢いがおとろえていた時期のものだと思います。

attribute…魔法のような言葉です。この言葉がつくだけで、オークションでは値が上がるのだ、と上記の本にもありました。でも、この言葉がついている限り、正真正銘の真作だとも言い切れないことも忘れてはいけないのです。主催者側が真作だと言い切るのは、ちょっと不親切かなと思いながら会場を後にしました。

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