思春期も終わった長男とは、大人同士の会話を楽しみ、現在思春期真っ最中、親を振り回して楽しむ二男をさらに高みから見下ろして楽しむ(時には本気で怒るけど…)日々を中心に、今までの子育てを振り返り、将来に気をもむ私の身辺雑記です。
[2008年08月29日(金) ]
先日、友人と「ぐりとぐらとなかまたち 山脇百合子絵本原画展」に行ってきました。
原画は印刷された本からは感じられない「ちから」を感じます。この原画展でもそれをたっぷり堪能してきました。
ていねいできれいな、そして印刷に回るまで絵の細かい部分の配置なども最後までチェックしている様子が原画から読み取ることができます。いろいろな絵が画面に散らすように描かれていたのが、最終的に切り張りされて斜めに直線的にリズムを感じるように配置された絵を見たりすると、最初の絵でもそれはそれとして完成されているのに、さらによいものを求める作者のあくなき思いに頭が下がりました。
それにしても、ぐりとぐらのシリーズだけでもものすごい量の絵、絵、絵、です。
お料理の上手なぐりとぐら。お掃除も上手なぐりとぐら。
二人で、「一家に一匹、ぐりとぐら♪」と思いついてしまいました。
きっとグリム童話に出てくる夜働く小人さんたちのように、まめに働いてくれるでしょう。
わが家に来てくれないかなあ。
なんて、子どもの夢に介入してはいけませんね。
展示の一番最初にあったのが、「いやいやえん」でした。
私が最初に買ってもらった「厚い童話」です。岩波の薄い童話は何冊かありましたが、長編はこれだけだったと思います。後年、リンドグレーンの「ながくつしたのピッピ」とか、「少年少女世界の名作全集」などを買ってもらうようになりましたが、とにかく、あの赤い表紙の本は印象的で、話の筋も破天荒で(当時としては)、原画を見ていると当時住んでいた家とか、低学年の頃のいろんなできごとや友達づきあいのことなどを思い出していました。
私の子どもたちが字が読めるようになると、母が家の奥から探し出してきました。よく取っておいたものだなあとびっくりしました。
「しげる」(いやいやえんの主人公)は、あの本の中でいつまでも幼児のままです。
私はいつの間にか大人になり、母親になっていました。
なんだか不思議な感覚です。
山ほどのぐりとぐらを見て帰りましたが、やっぱり私には「いやいやえん」は「ぐりとぐら」以上の親近感があります。
最初に出合う本というのは、やはり本人にとっての存在感が大きいのでしょうか。子どもに与える本についてはそんなに考えていなかったのですが。