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プロフィール

野中すみれと申します。
二人の息子の胃袋を満たすのに毎日苦労しています。

静物画の秘密展

[2008年09月19日(金) ]

先日、エミリー・ウングワレー展に行ったとき、隣のブースでこの ウィーン美術史美術館所蔵「静物画の秘密展」 もやっていたのですが、その時は時間がなくてはしごができず、終了間際にあわてて観にいくことができました。

食わず嫌いでこの時代の絵画に縁のなかったひとにも楽しめるような工夫が凝らしてあって、楽しかったです。

当時の風俗や、暮らしぶりの描写のおもしろさはもちろん、画家たちがそれぞれに工夫をこらし、当時の絵画の技法の特徴や、描かれたものが意味するところなど、ちょっとしたことがわかるだけでその絵の前でくすっと笑ったり、細部まで宝探しのようにながめつくしたり、いろいろと楽しめます。

絵にはいかにもそれらしく見せたり、逆に理想を描くために現実にはありえない形になっていたりするのをそれとはわからないように工夫したりと、画家の努力のあとがそれぞれの絵に残っています。友人と行ったのですけれど、フラワーアレンジメントをしている彼女は、花々が描かれている絵を見ながら、「実際にこんな活け方をしたら、花瓶もろともひっくり返っちゃうわよねー」とつぶやいていました。

ウィーン美術史美術館の館内の写真も展示されていて、やっぱりこういう絵は、いつも飾ってあるところまで行くのが一番だなと旅心も湧いて、何度か行ったことのある友人の話から想像をふくらませてしまいました。いつかは美術館めぐりをやってみたいですね。でもいつになることやら。

蘭亭序

[2008年09月12日(金) ]

江戸東京博物館で開催している「北京故宮 書の名宝展」を観にいきました。
画も書もただ観るだけしかできない私なので、技術的なすばらしさとか、書家一人一人についての薀蓄などとうてい語ることはできませんが、そんな私にも展示されている作品ひとつひとつから訴えてくるものが感じられ、何世紀も昔の人の書き残したものがこうやって外国まで旅して喜んで鑑賞されることはなんとすばらしいことなのだろうと思いました。

ご存知の通り、今回の白眉は王羲之(おうぎし・が書いたものを模写したという)の「蘭亭序」です。詳しいことはネットで検索してもいろいろと出てきますのでそちらにおまかせすることとして、少しはすいていることを期待して夕方に出かけていったのに、さすがに「蘭亭序」の前は黒山の人だかりでした。私も列に並び、ゆっくりと鑑賞してきました。

私にとって、王羲之は、並み居る中国の書家の中でもよく名前を知る人です。親近感を感じていると言ってもよいくらいです。というのは、独学ながら書をたしなんでいた父が、私の小さい頃はこの王羲之を手本にしていろいろ自分の字に工夫をこらしていたのを覚えているからです。そのすっきりとしていやみのない、親しみの持てる書体は、何も知らない私にも「おうぎし」の読み方と一緒に心に留まりました。

父が生きていたら、この展覧会にきっと行っただろうな、展示されているひとつひとつを見ながら、私や子どもたちにいろいろ語りかけたことだろうなと思います。

二男と一緒に行ったのですが、二男もじいちゃんと一緒に来たかったなとぽつっと言っていました。
会場を出ると売店があり、書の好きな人たちをねらって、筆だのすずりだのがたくさん売られていました。二男がほしがったので、じいちゃんも喜ぶだろうと、筆と小筆を買ってやりました。(書も習っていないのが見え見えの二男にはもったいないと思われたでしょうね…売店のご主人)

翌日の朝、二男は「くさいくさい!けものくさい!」と言いながら自分の部屋から出てきました。新しい筆はけものくさいんですね。あんな小さな筆なのに…。でも、書き心地は上々のようです。

魔法の言葉 attribute

[2008年09月05日(金) ]

先週は、上野でフェルメール展・コロー展・そして友人の出展している書道展と、雷雨を気にしながらもたっぷりと堪能してきました。

書道展では、入り口で必ず記名させられるのがすごくいやなのですが、目をつぶって(本当につぶっていては書けませんが)えいやっとやっつけるように読めればいいでしょう的な字で名前を書いて、誘ってくれた友人に案内されて鑑賞しました。毎年来ているので、友人の字の進化していく様子に、自分もこのままではいけないと励まされる思いです。何百枚も書いて書いて、出展作を書き上げたのだそうです。その労にも頭が下がります。大きな紙を四枚も使った大作なのです。今年は友人のお母さまの作品も出展されていて、年齢からは想像できない力強い筆運びにさらに元気をいただきました。

コロー展はものすごく混んでいました。期間の終わりというのもあったと思います。
たくさんの頭の後ろから伸び上がるようにして観て歩きましたが、やはり円熟期の絵が一番よかった。他の作家の作品もところどころに並んでいて、「なんだかずいぶんセザンヌっぽい絵だわ」と思って近付くと、それはセザンヌ本人の絵だったりして。でも、モンドリアンやブラックの具象画を初めて観ることもできて、それは私にとってちょっとした収穫でした。

そしてフェルメール展。
当時のデルフトの画家たちの絵も出展されていて、お互いに影響を与えている様子もわかる、丁寧な展覧会です。
以前、ファン・メーヘレンによるフェルメールの贋作を扱った本(『私はフェルメール』ランダムハウス講談社刊)を読んでいたこともあり、「フェルメールってどんな絵を描いたんだろう」と、興味がありました。フェルメールばかり、どうしてもてはやされ、メーヘレンの贋作が真作と思われたのか、写真ではなくこの目で見たかったのです。

フェルメールの絵は、確かにすごかったです。
絵の持つエネルギーがすごい。技術的にも、素人目でもわかる光の扱い方、構図の取り方、絵の勢い、人物の生き生きした様子、目の力、瞳の輝き、など、他のデルフトの画家たちと一線を画するものがありました。そのことを理解させるために、これだけの他の画家の作品が並べられたのかと思いました。

そして最後に並んでいた絵。「ヴァージナルの前に座る女」。これはサザビーにより真作と認められた(attributed to)絵だということです。この絵は、贋作なのか真作なのか論争になり、結局今は真作だということらしいです。

「らしい」と書きましたが、これは、上で書いた、贋作の本の影響もあります。attributed toと決められても、結局贋作だったということも結構あるらしいです。しかし、今回の展覧会の日本語の説明では、真作であるとありました。(真作と認められる、ではなく)

実は、この絵は、上に挙げた本でも取り上げられていたので、とても興味があったのです。そんなに紛らわしい作品なのかしら。目の利く人たちが二つに分かれて論争するほどの絵なのかしら、それは興味がわくというものです。きっと素人目にはものすごーくフェルメールっぽいのだろう、と写真を見て想像していました。

ところが、一目見て、私はがっかりしてしまいました。あまりにも元気のない絵なのです。
本人の作品だとしたら、ずいぶん筆の勢いがおとろえていた時期のものだと思います。

attribute…魔法のような言葉です。この言葉がつくだけで、オークションでは値が上がるのだ、と上記の本にもありました。でも、この言葉がついている限り、正真正銘の真作だとも言い切れないことも忘れてはいけないのです。主催者側が真作だと言い切るのは、ちょっと不親切かなと思いながら会場を後にしました。

いやいやえん

[2008年08月29日(金) ]

先日、友人と「ぐりとぐらとなかまたち 山脇百合子絵本原画展」に行ってきました。
原画は印刷された本からは感じられない「ちから」を感じます。この原画展でもそれをたっぷり堪能してきました。
ていねいできれいな、そして印刷に回るまで絵の細かい部分の配置なども最後までチェックしている様子が原画から読み取ることができます。いろいろな絵が画面に散らすように描かれていたのが、最終的に切り張りされて斜めに直線的にリズムを感じるように配置された絵を見たりすると、最初の絵でもそれはそれとして完成されているのに、さらによいものを求める作者のあくなき思いに頭が下がりました。

それにしても、ぐりとぐらのシリーズだけでもものすごい量の絵、絵、絵、です。
お料理の上手なぐりとぐら。お掃除も上手なぐりとぐら。
二人で、「一家に一匹、ぐりとぐら♪」と思いついてしまいました。
きっとグリム童話に出てくる夜働く小人さんたちのように、まめに働いてくれるでしょう。
わが家に来てくれないかなあ。
なんて、子どもの夢に介入してはいけませんね。

展示の一番最初にあったのが、「いやいやえん」でした。
私が最初に買ってもらった「厚い童話」です。岩波の薄い童話は何冊かありましたが、長編はこれだけだったと思います。後年、リンドグレーンの「ながくつしたのピッピ」とか、「少年少女世界の名作全集」などを買ってもらうようになりましたが、とにかく、あの赤い表紙の本は印象的で、話の筋も破天荒で(当時としては)、原画を見ていると当時住んでいた家とか、低学年の頃のいろんなできごとや友達づきあいのことなどを思い出していました。

私の子どもたちが字が読めるようになると、母が家の奥から探し出してきました。よく取っておいたものだなあとびっくりしました。

「しげる」(いやいやえんの主人公)は、あの本の中でいつまでも幼児のままです。
私はいつの間にか大人になり、母親になっていました。
なんだか不思議な感覚です。
山ほどのぐりとぐらを見て帰りましたが、やっぱり私には「いやいやえん」は「ぐりとぐら」以上の親近感があります。
最初に出合う本というのは、やはり本人にとっての存在感が大きいのでしょうか。子どもに与える本についてはそんなに考えていなかったのですが。

夏の大掃除

[2008年08月20日(水) ]

大掃除と言うと、お正月を気持ちよく迎えるための気合の入った行事(?)ですが、夏にやると楽なものは夏にやってしまっています。
それはもちろん、換気扇掃除です。

今までは毎年、もしくは1年置くこともありましたけれど、定期的に自分で掃除をしていました。使う洗剤は主に重曹。液体の洗剤のようにぬるぬるして汚れの上をすべることがないので、力を入れた分だけきれいになるのが実感できて好きなのです。しかし、換気扇のいろんな部品を全て外すわけではなかったので、手の届かないところはいつまでも手付かずのまま。

それで、今年はちょうど住んでいるマンションの大規模修繕工事がはいるので、その前にきれいにできるところはやってしまおう!と、ちょうどよいところにセールスに来た業者さんにお願いしました。

いやいや、きれいになるものです。さすがプロですね。反対に業者さんも、羽根の一枚一枚がきれいなのを見て「ご自分でやっていたのですか?」と聞いてくれてちょっぴり鼻を高くしたり。まあ、頼むほうも思い切り汚くならないとお金を払ってまで、というところもありますものね。

来年からは、また夏の暑い時期に自分で換気扇掃除をがんばりましょう。油もとりやすいので、一度夏に掃除すると、冬にはもうできなくなります。

北京オリンピック開幕

[2008年08月13日(水) ]

北京オリンピックが始まりました。いろんな問題を抱えての開催で、いろんな意味で心配していたのですが、ともあれ、無事に開幕式が挙行できてよかったなと思います。

開会式のマスゲームには目を見張りました。
マスで何かをする、というのは、見ていて「やらされ感」が感じられることがあったりすると、ちょっともじもじしてきてしまうのですが、今回のは違いました。
一人一人が「自分がこのオリンピックを成功させるぞー」という気持ちがあふれているのが画面を通じて伝わってきます。テレビの解説の人が「一糸乱れぬ演技です!」と感嘆しているまさにその時に、画面のど真ん中で間違って演技している人を見つけて「お、あぶない!」と思ったり、なにより、演技が終わった後に手を大きく振って、「やったぞー!」と高揚感に満ちた顔、顔、顔、に、「このオリンピック、自分が主役だ!」という気持ちがびんびん伝わってきて、こちらもなんだかうれしくなってしまいました。

花火もすごかったですね。あれはどうやって制御していたのでしょう。日本の花火師さんが中心になっていると新聞で読みましたが、コンピュータでの計算も大変だったことでしょう。私の一番のお気に入りは、足跡の形をした花火が「どすん、どすん」と競技場に向かっていく場面です。また、「鳥の巣」の網目を縫うようにして花火が発射されているようにも見えましたが、あれはどうやっていたのでしょう。けが人など出なかったでしょうか。スリリングだっただけに、陰の人たちが無事であったことを祈ります。

ところで、「鳥の巣」というと、私は、小さい頃、梳かしていないもしゃもしゃの頭のことを「スズメの巣」と親がからかっていたのを思い出し、どうもネーミング自体にはよいイメージがわきません。(苦笑) 「小鳥の巣」だと漫画みたいだし、あの大きさは小鳥の巣じゃないですしねえ…。

さて。
谷亮子選手の銅メダル、おめでとうございます&ご苦労様でした。
赤ちゃんを産む、育てる、という仕事が自分の人生に加わるのは、待ったなしの仕事で、逃げることができません。今までやったことのないことばかりで、「こんなに大変だったのか!」と投げ出したいけれどできない。むちゃくちゃな気持ちになることもありました。そのぶん、辛抱することも含め、子育ては自分のキャパシティを大きく広げてくれたと今になって思いますが、谷選手はまだそう振り返られるほどお子さんは大きくない。プロ野球選手の夫もいて、何かにつけて人目に晒される機会も(独身時代より)多い。プレッシャーだけでなく、ストレスもたくさん感じていたと思います。そんな中、今回もぜひにと北京代表に推され、残念ながら銅で終わりました。でも、私には、優勝戦で「負けて」銀メダルになるより、「勝って」終えられた銅メダルのほうがずっと重みが感じられます。谷選手らしい胸のすくような一本勝ちでしたし。

今回の優勝者は、何年も谷選手や他の国の強豪に負けていたそうですね。優勝戦の一本勝ちの技を見ながら、解説者が「谷選手のようですよ」と言っていたのが印象的でした。彼女は、負けても、負けても、相手選手に勝つため研究してきたのでしょう。その執念、彼女は金にふさわしい努力を重ねてきたのだと感じました。もちろん、どの選手も信じられないような努力を自分の天性の強さに重ねてきたからこそ、この舞台に立っているわけですが、北京の運命の女神は彼女を勝者に選んだのだと思います。

新聞では、外国の人たちと触れる機会をもてたことで、中国の人たちの意識が変わっていくことを期待したい、とありましたが、私も同感です。大昔、東京オリンピックが開催されたとき、開会式まであと何日、という時期だったのだろうと思うのですが、渋谷に出ると、たくさんの外国人が歩いていて、「渋谷って、こんなに外国人がいるんだ」(ちがうちがう>昔の私)とびっくりしたものです。背の高い人、低い人、体格がふだん見かける日本人とはぜんぜん違う人、肌の色の違う人。テレビやインターネットや映画で見るのではなく、自分の目の前にそういう人たちが現実にいるとわかるだけでも、ものすごいカルチャーショックです。まして、任務やボランティアなどでじかに選手たちと触れる人たちは、担当する外国人によってそれこそさまざまな印象を得ることでしょう。もう中国は今までのままでいることはできません。オリンピックは、中国国家にとって大事なイベントであるのはもちろんですが、中国の人、一人一人にとっても意識が大きく変わる大きなチャンスになるでしょう。

暑中お見舞い申し上げます

[2008年08月06日(水) ]

今年の夏は、雷雲があちこちにあって、外出しても洗濯物が気になってしょうがないですね。
馬の背を分けるといいますが、今日自転車で外出したとき、ある地点から急に地面が濡れているのに気づき、さらに進むと雨が降り出してきました。でもその場所の人たちにとっては、ちょうどはげしい雨が上がるところだったようです。

自転車でほんの5分ほどの間にこれほど落差があるとは、びっくりしました。
用事をすませて家に帰ると、すぐそばで雨が降っていたなんて信じられないくらい。地面はからからに乾き、植え込みの草花はしおれていました。

高校野球も佳境です。
北京のオリンピックも、日本選手団が現地入りしましたね。
熱狂の夏はまだまだ続きます。

みなさん、お体をおいといくださいませ。
そして、パソコンから電話機に至るまで、雷に弱い機械も大事にしてあげて下さいね。
(あ、今日もまた雷が鳴りはじめました)

エミリー・ウングワレー展

[2008年07月30日(水) ]

サワキさんのブログでも紹介されていた、エミリー・ウングワレー展に行ってきました。サワキさんが書いてくださらなかったら、いつものように「行きたいな〜でも暑いな〜」で終わっていたかもしれません。サワキさん、ありがとうございます。

最終日で、混んではいましたが、鑑賞に不便を感じるほどではありませんでした。
アボリジニの儀式に使うためのボディペインティングが、バティックの染色に、そして大きなキャンバスに変わっても、彼女の表現は変わりません。小さいときから染みこんでいるオーストラリアの大自然が彼女の指先から再生され、決然として迷いなく、表現の変化を楽しみながら、自分の内なる世界を描き出しています。そうだ、そうです、描かれたキャンバスはそのまま、彼女の「曼荼羅=世界・宇宙」なのでしょう。老齢での作品群ですが、一つとして老境を感じさせるような、枯れたような印象を与える絵はありません。絶筆に近付けば近付くほど、さらに新しい、さらに力強い筆致、表現、印象を見る人に与えて、こちらは驚くばかりです。

まるで縄文土器のようなエネルギーのほとばしり。丁寧に、最後まで飽きずに仕上げる粘り強さ。打ちつくされた後の碁盤でも見るような、同じようだけれどひとつひとつ違うキャンバスの模様。印象派のような筆遣いを感じる一瞬もないではないけれど、繊細な印象派とは全然違う。むしろ野獣派のほうが近いかもしれない。それでも野獣派すら圧倒する彼女のエネルギーの強さ。見続けていて疲れない。(これは私が絵を観たあとに感じるポイント。西洋の肖像画などでは、見る人のエネルギーを吸い取るようなものが時々あるのです)

展示されているバティックを見て、これを身にまとったら、さぞ元気が出るだろうと思いました。

アボリジニは、オーストラリアに入植した白人たちによって、さまざまに虐げられてきました。エミリー・ウングワレーもその中の一人でしたが、仲間と共にたくましく生き抜いた強さが、遺された絵からほとばしっています。ぜひ、ご自分の目で、実際に見てもらいたい美術展です。おみやげに数枚の絵葉書を求めましたが、エネルギーは全然伝わってきません。実際に見た人の「よすが」にしかなりません。

土用干し中

[2008年07月23日(水) ]

紫蘇を入れてから、ずっと心配していましたが、無事、かびることなく土用干しを迎えられました。

  


今年はすごくいい色に染まっています。梅の実の熟し具合、紫蘇の葉の新鮮さ、そして少しでも長く漬け込んでいられること。どれもがうまくいって、こんなにきれいにできあがりました。
土用干しがすめば、容器に入れて、秋までじっと待ちます。
子どもが小学生の頃は、9月末の運動会が終わるのを待って、新しい梅干しのお披露目でしたが、もうずいぶん大きくなって、目安とする学校行事もなく、淡々と10月が来るのを待つことになりそうです。

赤梅酢もきれいに出来ています。
きゅうりをぶつぶつと切って、ポリ袋に赤梅酢がきゅうりにじゅうぶん浸るように入れて、冷蔵庫で保存すれば、簡単な浅漬けができあがり。朝食の準備の一番最初にやっておけば、ご飯時にはもう食べごろです。
きゅうりになすやみょうがを加えれば、インスタント柴漬け。
このほかにも、やまのいもも赤く染まるところがとてもきれいなのと、歯ざわりがしゃりしゃりとおいしくて、やまのいもの浅漬けも気に入っています。ただ、こちらは漬け過ぎはしょっぱいし、色もしつこくなります。

今年の夏は既にばてぎみなほど暑いので、なんとか消夏法を考えないといけません。

梅雨明けはいつ?

[2008年07月16日(水) ]

去年、梅干しを漬けている話を書きましたが、今年も漬けています。
今年は、赤紫蘇をいいタイミングで手に入れることができたので、真っ赤な梅干しができる予定です。

ですが、心配事も増えます。それは、「かび」です。
赤紫蘇は、まず葉だけをむしります。泥がついていますからよく水洗いをします。
それから塩でもみます。あくが泡のように出ますので、絞って、また塩でもみ、絞ります。
そこに梅漬けで上がってきている白梅酢を少し加えて、さらにもみます。ここで紫蘇は真っ赤に色が変わります。小学生の頃の簡単な化学実験をしていたときのようなちょっとした興奮を覚えます。

漬けていた梅を全部ざるにあげ、梅酢も違う容器にとりだし、真っ赤になった紫蘇と梅の実を互い違いにもう一度容器に敷き詰めていきます。そして梅酢を注ぎ直し、軽く重石をして、ほこりが入らないようラップもかけて(様子を見やすくするため)、土用干しまでじっと待ちます。

この作業で、どうしても雑菌が入ってしまいます。梅酢の力が強ければ、土用干しまで何ごともなく過ごせるのですが、たまに表面にかびがついていることがあります。私の今までの梅漬けでは、ぽちっと出た年があり、その時はあわててその部分だけをすくいとって無事に土用干しまでもたせることができましたが、これがもし知らずにほっておいたら、その年の梅干しはおじゃんになってしまいます。

今年の梅雨明けはいつになるのでしょう。先週からそればかりが気になっています。台風が発生したので、この台風がこの鬱陶しいはっきりしない空を一気に夏に持っていってくれないかしらと一縷の望みをかけています。何年前でしたか、やはり、ぐずぐずした梅雨空が続いて、いつまでも梅雨空が続きそうだとと心配したときに台風がやってきて、一気に真夏にしてくれたことがあります。今南の海にいる台風が、そんなふうに天気を変えてくれると良いのですが。

写真は、先週お試しで取り出してみた一粒です。フルーティな香りと、柔らかな果肉、しょっぱいけれどちょっと食べ続けてみたくなるおいしさ。種まで真っ赤で、こんなにおいしくできているのですから、無事に土用干しを迎えたいです。

  

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