川辺でピクニック

思春期も終わった長男とは、大人同士の会話を楽しみ、現在思春期真っ最中、親を振り回して楽しむ二男をさらに高みから見下ろして楽しむ(時には本気で怒るけど…)日々を中心に、今までの子育てを振り返り、将来に気をもむ私の身辺雑記です。

夏の大掃除  [2008年08月20日(水) ]
大掃除と言うと、お正月を気持ちよく迎えるための気合の入った行事(?)ですが、夏にやると楽なものは夏にやってしまっています。
それはもちろん、換気扇掃除です。

今までは毎年、もしくは1年置くこともありましたけれど、定期的に自分で掃除をしていました。使う洗剤は主に重曹。液体の洗剤のようにぬるぬるして汚れの上をすべることがないので、力を入れた分だけきれいになるのが実感できて好きなのです。しかし、換気扇のいろんな部品を全て外すわけではなかったので、手の届かないところはいつまでも手付かずのまま。

それで、今年はちょうど住んでいるマンションの大規模修繕工事がはいるので、その前にきれいにできるところはやってしまおう!と、ちょうどよいところにセールスに来た業者さんにお願いしました。

いやいや、きれいになるものです。さすがプロですね。反対に業者さんも、羽根の一枚一枚がきれいなのを見て「ご自分でやっていたのですか?」と聞いてくれてちょっぴり鼻を高くしたり。まあ、頼むほうも思い切り汚くならないとお金を払ってまで、というところもありますものね。

来年からは、また夏の暑い時期に自分で換気扇掃除をがんばりましょう。油もとりやすいので、一度夏に掃除すると、冬にはもうできなくなります。
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北京オリンピック開幕  [2008年08月13日(水) ]
北京オリンピックが始まりました。いろんな問題を抱えての開催で、いろんな意味で心配していたのですが、ともあれ、無事に開幕式が挙行できてよかったなと思います。

開会式のマスゲームには目を見張りました。
マスで何かをする、というのは、見ていて「やらされ感」が感じられることがあったりすると、ちょっともじもじしてきてしまうのですが、今回のは違いました。
一人一人が「自分がこのオリンピックを成功させるぞー」という気持ちがあふれているのが画面を通じて伝わってきます。テレビの解説の人が「一糸乱れぬ演技です!」と感嘆しているまさにその時に、画面のど真ん中で間違って演技している人を見つけて「お、あぶない!」と思ったり、なにより、演技が終わった後に手を大きく振って、「やったぞー!」と高揚感に満ちた顔、顔、顔、に、「このオリンピック、自分が主役だ!」という気持ちがびんびん伝わってきて、こちらもなんだかうれしくなってしまいました。

花火もすごかったですね。あれはどうやって制御していたのでしょう。日本の花火師さんが中心になっていると新聞で読みましたが、コンピュータでの計算も大変だったことでしょう。私の一番のお気に入りは、足跡の形をした花火が「どすん、どすん」と競技場に向かっていく場面です。また、「鳥の巣」の網目を縫うようにして花火が発射されているようにも見えましたが、あれはどうやっていたのでしょう。けが人など出なかったでしょうか。スリリングだっただけに、陰の人たちが無事であったことを祈ります。

ところで、「鳥の巣」というと、私は、小さい頃、梳かしていないもしゃもしゃの頭のことを「スズメの巣」と親がからかっていたのを思い出し、どうもネーミング自体にはよいイメージがわきません。(苦笑) 「小鳥の巣」だと漫画みたいだし、あの大きさは小鳥の巣じゃないですしねえ…。

さて。
谷亮子選手の銅メダル、おめでとうございます&ご苦労様でした。
赤ちゃんを産む、育てる、という仕事が自分の人生に加わるのは、待ったなしの仕事で、逃げることができません。今までやったことのないことばかりで、「こんなに大変だったのか!」と投げ出したいけれどできない。むちゃくちゃな気持ちになることもありました。そのぶん、辛抱することも含め、子育ては自分のキャパシティを大きく広げてくれたと今になって思いますが、谷選手はまだそう振り返られるほどお子さんは大きくない。プロ野球選手の夫もいて、何かにつけて人目に晒される機会も(独身時代より)多い。プレッシャーだけでなく、ストレスもたくさん感じていたと思います。そんな中、今回もぜひにと北京代表に推され、残念ながら銅で終わりました。でも、私には、優勝戦で「負けて」銀メダルになるより、「勝って」終えられた銅メダルのほうがずっと重みが感じられます。谷選手らしい胸のすくような一本勝ちでしたし。

今回の優勝者は、何年も谷選手や他の国の強豪に負けていたそうですね。優勝戦の一本勝ちの技を見ながら、解説者が「谷選手のようですよ」と言っていたのが印象的でした。彼女は、負けても、負けても、相手選手に勝つため研究してきたのでしょう。その執念、彼女は金にふさわしい努力を重ねてきたのだと感じました。もちろん、どの選手も信じられないような努力を自分の天性の強さに重ねてきたからこそ、この舞台に立っているわけですが、北京の運命の女神は彼女を勝者に選んだのだと思います。

新聞では、外国の人たちと触れる機会をもてたことで、中国の人たちの意識が変わっていくことを期待したい、とありましたが、私も同感です。大昔、東京オリンピックが開催されたとき、開会式まであと何日、という時期だったのだろうと思うのですが、渋谷に出ると、たくさんの外国人が歩いていて、「渋谷って、こんなに外国人がいるんだ」(ちがうちがう>昔の私)とびっくりしたものです。背の高い人、低い人、体格がふだん見かける日本人とはぜんぜん違う人、肌の色の違う人。テレビやインターネットや映画で見るのではなく、自分の目の前にそういう人たちが現実にいるとわかるだけでも、ものすごいカルチャーショックです。まして、任務やボランティアなどでじかに選手たちと触れる人たちは、担当する外国人によってそれこそさまざまな印象を得ることでしょう。もう中国は今までのままでいることはできません。オリンピックは、中国国家にとって大事なイベントであるのはもちろんですが、中国の人、一人一人にとっても意識が大きく変わる大きなチャンスになるでしょう。
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暑中お見舞い申し上げます  [2008年08月06日(水) ]
今年の夏は、雷雲があちこちにあって、外出しても洗濯物が気になってしょうがないですね。
馬の背を分けるといいますが、今日自転車で外出したとき、ある地点から急に地面が濡れているのに気づき、さらに進むと雨が降り出してきました。でもその場所の人たちにとっては、ちょうどはげしい雨が上がるところだったようです。

自転車でほんの5分ほどの間にこれほど落差があるとは、びっくりしました。
用事をすませて家に帰ると、すぐそばで雨が降っていたなんて信じられないくらい。地面はからからに乾き、植え込みの草花はしおれていました。

高校野球も佳境です。
北京のオリンピックも、日本選手団が現地入りしましたね。
熱狂の夏はまだまだ続きます。

みなさん、お体をおいといくださいませ。
そして、パソコンから電話機に至るまで、雷に弱い機械も大事にしてあげて下さいね。
(あ、今日もまた雷が鳴りはじめました)
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エミリー・ウングワレー展  [2008年07月30日(水) ]
サワキさんのブログでも紹介されていた、エミリー・ウングワレー展に行ってきました。サワキさんが書いてくださらなかったら、いつものように「行きたいな〜でも暑いな〜」で終わっていたかもしれません。サワキさん、ありがとうございます。

最終日で、混んではいましたが、鑑賞に不便を感じるほどではありませんでした。
アボリジニの儀式に使うためのボディペインティングが、バティックの染色に、そして大きなキャンバスに変わっても、彼女の表現は変わりません。小さいときから染みこんでいるオーストラリアの大自然が彼女の指先から再生され、決然として迷いなく、表現の変化を楽しみながら、自分の内なる世界を描き出しています。そうだ、そうです、描かれたキャンバスはそのまま、彼女の「曼荼羅=世界・宇宙」なのでしょう。老齢での作品群ですが、一つとして老境を感じさせるような、枯れたような印象を与える絵はありません。絶筆に近付けば近付くほど、さらに新しい、さらに力強い筆致、表現、印象を見る人に与えて、こちらは驚くばかりです。

まるで縄文土器のようなエネルギーのほとばしり。丁寧に、最後まで飽きずに仕上げる粘り強さ。打ちつくされた後の碁盤でも見るような、同じようだけれどひとつひとつ違うキャンバスの模様。印象派のような筆遣いを感じる一瞬もないではないけれど、繊細な印象派とは全然違う。むしろ野獣派のほうが近いかもしれない。それでも野獣派すら圧倒する彼女のエネルギーの強さ。見続けていて疲れない。(これは私が絵を観たあとに感じるポイント。西洋の肖像画などでは、見る人のエネルギーを吸い取るようなものが時々あるのです)

展示されているバティックを見て、これを身にまとったら、さぞ元気が出るだろうと思いました。

アボリジニは、オーストラリアに入植した白人たちによって、さまざまに虐げられてきました。エミリー・ウングワレーもその中の一人でしたが、仲間と共にたくましく生き抜いた強さが、遺された絵からほとばしっています。ぜひ、ご自分の目で、実際に見てもらいたい美術展です。おみやげに数枚の絵葉書を求めましたが、エネルギーは全然伝わってきません。実際に見た人の「よすが」にしかなりません。
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土用干し中  [2008年07月23日(水) ]
紫蘇を入れてから、ずっと心配していましたが、無事、かびることなく土用干しを迎えられました。

  


今年はすごくいい色に染まっています。梅の実の熟し具合、紫蘇の葉の新鮮さ、そして少しでも長く漬け込んでいられること。どれもがうまくいって、こんなにきれいにできあがりました。
土用干しがすめば、容器に入れて、秋までじっと待ちます。
子どもが小学生の頃は、9月末の運動会が終わるのを待って、新しい梅干しのお披露目でしたが、もうずいぶん大きくなって、目安とする学校行事もなく、淡々と10月が来るのを待つことになりそうです。

赤梅酢もきれいに出来ています。
きゅうりをぶつぶつと切って、ポリ袋に赤梅酢がきゅうりにじゅうぶん浸るように入れて、冷蔵庫で保存すれば、簡単な浅漬けができあがり。朝食の準備の一番最初にやっておけば、ご飯時にはもう食べごろです。
きゅうりになすやみょうがを加えれば、インスタント柴漬け。
このほかにも、やまのいもも赤く染まるところがとてもきれいなのと、歯ざわりがしゃりしゃりとおいしくて、やまのいもの浅漬けも気に入っています。ただ、こちらは漬け過ぎはしょっぱいし、色もしつこくなります。

今年の夏は既にばてぎみなほど暑いので、なんとか消夏法を考えないといけません。
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梅雨明けはいつ?  [2008年07月16日(水) ]
去年、梅干しを漬けている話を書きましたが、今年も漬けています。
今年は、赤紫蘇をいいタイミングで手に入れることができたので、真っ赤な梅干しができる予定です。

ですが、心配事も増えます。それは、「かび」です。
赤紫蘇は、まず葉だけをむしります。泥がついていますからよく水洗いをします。
それから塩でもみます。あくが泡のように出ますので、絞って、また塩でもみ、絞ります。
そこに梅漬けで上がってきている白梅酢を少し加えて、さらにもみます。ここで紫蘇は真っ赤に色が変わります。小学生の頃の簡単な化学実験をしていたときのようなちょっとした興奮を覚えます。

漬けていた梅を全部ざるにあげ、梅酢も違う容器にとりだし、真っ赤になった紫蘇と梅の実を互い違いにもう一度容器に敷き詰めていきます。そして梅酢を注ぎ直し、軽く重石をして、ほこりが入らないようラップもかけて(様子を見やすくするため)、土用干しまでじっと待ちます。

この作業で、どうしても雑菌が入ってしまいます。梅酢の力が強ければ、土用干しまで何ごともなく過ごせるのですが、たまに表面にかびがついていることがあります。私の今までの梅漬けでは、ぽちっと出た年があり、その時はあわててその部分だけをすくいとって無事に土用干しまでもたせることができましたが、これがもし知らずにほっておいたら、その年の梅干しはおじゃんになってしまいます。

今年の梅雨明けはいつになるのでしょう。先週からそればかりが気になっています。台風が発生したので、この台風がこの鬱陶しいはっきりしない空を一気に夏に持っていってくれないかしらと一縷の望みをかけています。何年前でしたか、やはり、ぐずぐずした梅雨空が続いて、いつまでも梅雨空が続きそうだとと心配したときに台風がやってきて、一気に真夏にしてくれたことがあります。今南の海にいる台風が、そんなふうに天気を変えてくれると良いのですが。

写真は、先週お試しで取り出してみた一粒です。フルーティな香りと、柔らかな果肉、しょっぱいけれどちょっと食べ続けてみたくなるおいしさ。種まで真っ赤で、こんなにおいしくできているのですから、無事に土用干しを迎えたいです。

  
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世紀末の美術  [2008年07月09日(水) ]
本を借りようと図書館に行きました。
漱石研究の本が、いつも何冊か並べられているので、今回は「漱石の美術愛」推理ノート(新関公子著、平凡社刊)をまず手にとりました。西洋文学のコーナーでは、先日漫画で借りたプルーストに関連して、「プルーストの部屋『失われた時を求めて』を読む」(海野弘著、中央公論社刊)が目に留まったので、これも借りてみました。

何気なく手に取った本ですが、世紀末、1900年を境にその前後のヨーロッパの美術の動きがそれぞれ、対象の作家に影響を与えていたことについて書かれていて、興味深かったです。

過去をなつかしむプルースト。ラスキンやラファエル前派に魅かれていた彼の視線の方向と、1901年にイギリスに留学し、その時点でもう世紀末美術が衰退を始めていて、アールヌーボーも過去のものになりつつあった当時の空気を敏感に感じ取り、印象派の台頭を興味深く見ていた漱石。彼は青木繁の才能を愛したことからも、美術に関して並々ならぬ審美眼を持っていたことがわかります。これからの日本を背負う責任を負っていた漱石ですから当然のことながら、二人の美術を見る視線はまったく正反対だったのです。

美術の世界から文学の作家を研究するというのは、あまりない視点だったので新鮮でした。というか、これほど漱石が美術にも見識があって、作品に意識的に反映させているとは思いも寄らなかったことです。

もともと、作品は作品として鑑賞するもので、その周辺を解説する本(たとえば、「ハリー・ポッター」や「ナルニア物語」などのあの手この手の解説本のようなもの)はあまり好きではなかったのですが、この二冊を読んで、作品をより深く理解する手助けをしてくれるこういう本なら、いくらでも歓迎しようと思いました。
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後期高齢者  [2008年07月02日(水) ]
広辞苑第五版の「後期」には、追込項目の一つに「―・こうれいしゃ」【後期高齢者】が載っています。

Quote:

一般に七五歳以上の高齢者のこと。この年齢層は有病率や日常生活上の困難が急増する。

Unquote

ちなみに、第四版には載っていません。
第五版が出たのは、1998年11月です。
もちろん、その準備には何年もかけなければなりません。
今、健康保険の法律の改定について、すったもんだのやりとりがされていて、やめてしまえだの、手直しをしようだの、かまびすしいことこのうえありませんが、10年以上も前から、辞書にこの言葉を挿入することもおそらく計画のひとつに入れて着々と準備してきた深謀遠慮に対して、小手先では太刀打ちできるものではないでしょう。さて、どうしたものか。

ところで、ネットでこの言葉を引くと、載っている辞書と載っていない辞書があります。改訂の時期が合わなかったのか、載せたいと思うほど売れている辞書ではないと思われたのか、出版社の方でその必要なしと思ったのか。

辞書が版を改める時は、「よく使われるようになったこんな新しい言葉をいれた」「あんな古い言葉がついに消えた」などとニュースで取り上げられますが、「将来(改版後10年にして)よく使われるようになる」から入れるということもあるんだということがこういうところでわかりました。
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水無月  [2008年06月25日(水) ]
去年の6月、むしょうに水無月(みなづき)が食べたくなり、探したのに見つからないまま季節が終わってしまいました。

今年は6月に入ってからせっせと探していたのですが、なかなか見つかりませんでした。やはり旧暦6月を意識したほうがよいのかしらと思案していたら、やっと見つけることができました。近所の和菓子屋にはなくて(というか、水無月そのものを知らなかった。やはりもともとが京都のお菓子だからでしょうか)、ちょっと足を延ばしたこの街の老舗にありました。

水無月をネットで検索すれば、その由来などはあちこちに詳しく書いてありますので孫引きを避けるために書きませんけれど、昔の人たちはお菓子にも季節感や祈りやさまざまなことをかけていたんですね。

  


今、和菓子屋さんに行くと、やはり季節のお菓子である「若鮎」(ぎゅうひ餡の入った、鮎の形をしたちいさなどらやきのようなもの、名前は違っても「鮎」の字は入っていることが多い)や麩まんじゅう、寒天やくずを使って視覚的に涼感を誘うお菓子(すぐ思いつくのは葛桜とか水まんじゅうとか…)が並んでいます。普段はあまり食べることがなくても、今の季節、和菓子屋さんに入ってみませんか。どれも一つずつ買いたくなるくらい、いろんなお菓子が並んでいます。
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梅ジャム  [2008年06月18日(水) ]
最近の事件などで心が乱れるときには、何かに集中するのが一番。
…なんてわけではなかったのですが、ちょっとは心が落ちついたのは確か。
毎年のように梅を漬けているのですが、さすがに飽きてきた。
そこで、今年も梅漬けを作るときに、まだ青かった梅ははねておいたのですが、その梅が黄色くなってきたところでジャムでも作ってみようかと、新しいことに挑戦してみました。
これです。

  


1キロの梅を、下煮して下ごしらえし、種を外し、実を刻んで裏ごしして砂糖と一緒に煮詰める。
単純作業なんですが、初めてだったこと、裏ごしに思いのほか力がいったことなどで、小さな容器に少しずつ詰めて、取りきれなかった飴のようなジャムのついた鍋を流しに置いたら、どっと疲れてしまいました。

それでも初めてにしては上出来のジャムになったので、よしとしましょう。
梅のペーストはものすごく酸っぱくて、砂糖は800グラム使ったのですが、何回かに分けてどさっ、どさっと入れていく時は、これだけの量がなければだめだとわかってはいても、ジャムを作っているというより、梅の香りのついた飴を作っているんじゃないか(色もそんな色ですし)と錯覚するくらいです。やっぱりジャムはお砂糖をたくさん使いますね。昔、シュークリームを初めて作ったときも感じましたが、お菓子の状態しか知らないと、いくらでも食べてしまいますが、一度材料を調えて作ってみると、とてもそんなことはできませんね。(シュークリームのあの薄い皮に使うバターの量は、半端ではありません)

ここで、家族の感想などを書ければよいのですが、全然興味を示してくれず、今のところ私が一人で食べています。パンにつけてもよし、プレーンヨーグルトにトッピングしてもよし、私としては気に入ったジャムになったのですが残念です。

ただ、来年も作るかどうかはわかりません。裏ごしはとても疲れたので。(苦笑)
やっぱり追熟の梅より、木で熟れきった実を使うほうが実の種離れもよいでしょうし、またおいしく作れますしね。
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