<今日の事後ネタ>
Q.現在PHS事業を行っているウィルコム。第二のシエアを占めていたサービスが1月7日にサービスを終了しましたが、そのサービスを行っていた事業者は?

はよ光フレッツ(自宅で)開通してー!じゃないとブログを手早く書けない!それでも続けるこのブログ、応援はここをポチッと
土日と会社休み、自宅では↑の状態のため、ブログご無沙汰でした、ごめんなさい。
※今週中には開通してよーもうっ。
さて本題。
Z会のWeb担当をしている僕の方から、メールアドレスをご連絡いただいているいろいろな方に、メールを通じてアンケートや希望調査を取ることがあります。
この際、こちらから
==========
Z会の寺西と申します。こんにちは。
…
ご希望される方はこちらまでご連絡くださいませ。
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のような文章で投げかけた、その返事として
タイトル:なし
本文:希望します。(とだけ)
このテのものがと〜っても増えています。
いい例が思いつかなくて、うまくいえなくて恐縮ですが…
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・こちらが不特定多数に投げたメールの返信として
・誰であるか名乗らず
・メールから分かる情報はメールアドレスのみ
=====
という状況が増えている、ということです。
これですと、
「??このメールの返信は、誰の、どの用件に対する返信なの?」
と思ってしまうこと、多々あるんですよね。
もちろん、“ある一つのメアドでは、特定の用件しか(連絡が)こないような「仕組み」を作ること”も、相手のユーザビリティを鑑みる上では大事です。
しかし、時と場合、至急性…その他もろもろの用件により、その「仕組み」が可能ではない場合もあります。
そんなとき、
「メールの差出人が誰であるか“わかってくれているもの”を前提としたメール」
は取り扱いにとっても困ります。
僕自身は、普段、本当に気軽に連絡を取り合っている友人を除き、ほぼすべての場合で
パソコンでは:
Z会の寺西です、とか、昇竜会(←学生時代のサークル)の寺西です、とかを文頭に。
携帯では:寺西です、と簡単に文頭に
入れるようにしています。
ではないと、「相手が自分を認知できない場合」もあるかと思いまして。
それが
「(相手への)想像力」だと思うんですよね。
この想像力が、日本社会でかなり欠けてきている気がするんです。