今日の活動報告:
引越し先(新築のマンションです

)の内覧会に行ってきました。
ベランダが予想以上に広かったのが嬉しかったですね。
それに、なんといっても、富士山が一望!
三島までいらっしゃった折には是非>って、誰に話している…

風邪は回復気味。腹痛は少し…→回復祈願に
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日本の、これから〜「大丈夫ですか?日本人の学力」を3時間たっぷり、楽しませていただきました。
番組そのもの、というよりも、参加者の方からの意見には、いろんな意味で勉強になることもあり、見てよかったな、という気持ちになりました。
ただ、ちょっと気になったのは…
教育の(日本社会、という大括りでの)全体論で話している方と、自分の身近に起きている現象でしか話していない方との議論がかみ合っていなかったことです。
よくある「学者や政策論者(全体論で話す人)は現場を見ていない」というわけでもなく、「あ、この人たちは、現場を見ていながら、現場論ではなく全体論で話そうとしている」という姿勢は(僕には)伝わってきたんですけど、部分論、自分の経験でしか語れない人には伝わっていないようでした。
※議論に参加していた中高生には、そもそも全体論などなかなかわかる領域ではないので、仕方がない部分もありますけど。
一つ、象徴的なシーンがありました。
あることについて議論しようとしたときに、参加者の主婦の方が、発言をしながら論点がずれて(もちろん本人、そのことに気づいていませんが)
「勉強だけができても、人間的な魅力がなければ仕方がない!勉強だけを評価にするんじゃない!」
のようなことを話しました。
TV中継で自宅から参加していた9名の中高生、全員が「納得」の札を掲げました。
全員同時に「納得」の札を掲げた瞬間は、3時間を通してここだけでした。
そりゃそうです。
そして、恐らくですが、「勉強が大事」と話している大人の多くは、そのことを十分分かっていると思うんです。
しかしそれが、子ども達に伝わっていない、という現実があります。
この背景にあるのは、推測にすぎませんが、
「勉強ができる人は、魅力がない」
という事実。
もう少し正確に言うならば、
「子ども達の周辺にいる“勉強ができる”人は、おしなべてそこまで魅力がない」
ということなのでしょう。
だから、勉強について語りあっている最中に、横道にそれた意見〜上記の意見は、僕にとっててみれば、ある意味卑怯な意見なんですよね。その意見は誰も反対しませんよ、だけどここで話することじゃないでしょ、という意見であって、そのことに気づくほど精神的に大人ではない未成年の共感を生みやすい意見ですので〜に対して、“思わず”「納得」とー。
日本の子ども達が勉強に向かっていけない大きな理由の1つがここにあります。
出演されていた、教育学者の
佐藤学先生(僕も学生時代に授業をとっていました)が、別の議論で口にしましたが、
「大事なのはモデルを示すこと」
仰るとおりで、「勉強ができて魅力のある人」が周囲にいれば、子ども達って「なんで勉強しなきゃいけないの?」と考える前に、勉強すると思うんです。
もちろん、そのような人物が自然発生的に出現すると、こんな嬉しいことはないですがー
全体的な視野をもって、教育を「デザイン」していく中で、そのような人物が出現する仕組みをつくるのも大事です。
そのための一つの方策。