昨日のブログの続きです。
昨日のブログでは、重要性を理解するときの状況を、本人の視点から考えてみました。
これを踏まえて、ちょっと考えてみてください。
他人に「ある事柄の重要性」を理解させるって、とても難しいことじゃないですか?
Z会高校コーススタッフとしてブログを書いていますので、高校の勉強に例えると…
たとえば、数学のある公式が「重要だ」と、とある参考書に書かれていたとします。
でも、これだけだと、その公式を「絶対に覚えなきゃ!」とはなりませんよね。
たとえその公式がどれくらい重要か、その参考書に懇切丁寧に書かれていても、なかなか覚える気には…(苦笑)
昨日のブログで述べた、1〜3のどれかを満たさない限りには。
僕のように、教育に携わり、他人に(当人にとっては未知のことの)重要性を伝える場合は、その重要性をいくら力説するだけでは、伝わらないものなんです。
だから、「重要性を分かってよ!」みたいな言い方をするのではなく、
「分かってもらうにはどうしたらいいか」という、目的から下ろして考えなければ、理想的な「教育によるアウトプット」が出ないですよね。
ではなぜ、
Z会の通信教育や参考書・問題集が「良書」と言われているか、というと、
昨日のブログの1〜3に対応させて考えれば
1.参考書や問題集、あるいは通信教育という仕組みの中に、「本人が失敗して覚える」ことができるような仕掛けを内包している。
2.「学校の先生が“大事だ”と話していた」ことが「やっぱりZ会にも書かれている」ことが多い。
3.(おかげさまで)信頼されている。
ということになるかと思います
ただ、
Z会スタッフとしては、3に甘えることだけは避けなければいけません。
常に1、2を心がける教育サービス作りが、3という評価を生む、そうありたいものです。
もうちょっとだけこの話題で、明日書きますね。
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