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2012.05.24 23:29

学費に困っている学生さんと、そんな学生をつなぐサイト。
学費支援プラットフォームとしてstudygiftが立ちあがったのは5月17日のことでした。
注)サイト自体なくなる可能性もありますので、リンク先が切れるかもしれません。ご了承ください。

それから1週間余り。賛同や批判の声がネット上を席巻しました。

「炎上マーケティング狙っていない」--studygiftに集まる賛同と批判の声
studygiftはなぜ暴走したか 「説明不足」では済まされない疑念、その中身 (1/2)


本件に限らず…僕は、直接相手を批判するのであれば、批判対象の事柄の当事者(関係者)であるか、または、批判の反論にもお付き合い(コミット)するほどの時間投入をする覚悟を持つべきだ、という姿勢です(感想を述べる、程度なら全然構わないかと)。
ですので、本件そのものに対しとくに何か物申したい!というき、というわけではありません。
最後にも述べますが、studygiftについては、「サイトを見て、支援したいと思った人がすればいい(僕はしないけど)」以上の感情をもちませんでしたし。


一方、本件を見て、世の中で行われている様々な寄付活動を思い出しながら…

「なぜ人は、支援したいと思い、そして実際に、寄付などの形で支援行為をするのだろう?」
「支援するとき、自分にはどんな気持ちが根底にあるだろう?」

そんなことを考えたくなりました。


そして。支援するときというのは、

「困り方への共感」×「つながりたい感」

が、ある一定ラインを超えたときじゃないかなあ、と思いました。


「困り方」というのは、何に困っているか、とか、支援することに実効性があるかどうか、などのことで、そのポイントに対し共感出来れば、支援したいと言う気持ちは高まるのではないか、ということになります。
たとえば、友人が「明日の生活費にも困っている、だから支援してくれ」であれば支援しますが、「明日、大切な競馬のレースがあるんだ、だから支援してくれ」であれば、友人であっても嫌ですよね。

また、「自らの支援可能な範囲」が、「共感」という感情に影響します。
1,000円の支援だったら可能、でも100万円の支援だったら無理…というように。
震災ボランティアにしても、長期的に行って助けになりたい、という気持ちがたくさんあっても(この視点だけ見れば共感度はとても高いわけですが)、仕事などもありどうしても伺えない、という事情が、「支援可能な範囲」の視点から共感度を低めてしまう理由になってしまいます(辛いことなのですが…)。

これらをひっくるめた感情が、「困り方への共感」ということになるかと思います。
「助けてあげたい、という感情の(本質的な)強さ」と換言することもできるかもしれません。


そしてもう一つ。
支援対象者やその関係者との「つながりたい感」が、支援行動には影響していると思うのです。現実的には。

たとえば、僕は青山社中の後援隊メンバーですが、青山社中の活動内容だけを見ると、「世界で戦える日本を創る」「自立・自律を目指す人材の育成」など、他にも同様の活動をしているところもありそうです。
もちろん、他の皆さんも素晴らしい活動をされているのでしょうが、すべてのところに支援しているわけではなく、「青山社中に(支援する)」という理由があるわけですよね。

僕の場合…たまたま友人から話を聞き、青山社中の存在を知ったんですが、僕が信頼している、あの人も、この人も、青山社中のことを知っており、かつ、応援している!と、数珠つなぎに「青山社中」が話題になって、「こりゃ応援しなくちゃっ!」って気になりました。
この気持ちになる本質は、信頼している人たちとこれからもつながっておきたい、信頼している人が応援している人ともつながりたい、そして、その人たちを通じて、自分が(物理的に)できないことが叶えられると嬉しい!って心なんだと思います。

震災支援に寄付をする、なんかの行動も、「つながりたい感」の表れだと思うのです。
震災を気にかけているし、これからも気にしていきたい、出来ることがあったらしていきたい、って気持ちは、「つながりたい感」と表現できるかと。
相手に見返りを期待するのではなく…対象の事柄に対しての「関与者」でありたい、という気持ちとでもいいますか。

studygiftの場合…
学費に困っている、だけであれば、世の中にたくさんいるかと思います。
「困り方への共感」だけでは、studygiftに支援する、という行動を起こす理由にはなりません。
studygiftと「つながっていたい」何かが、そこにあるかと思います。


僕自身、学生時代、阪神大震災のときに、ボランティアに行きました。震災からちょうど1ヶ月後でした。
「困り方への共感」の部分では、震災そのものに関わる部分は当然として、「こんなときはフットワークが軽い学生が助けなきゃ」や「震災から1ヶ月たち、一過性のボランティア熱が冷め始めている今こそ人手が足りないだろう(その推測は正解でした)」という思い。
「つながりたい感」は、しばらく震災のことを気にかける自分でいたかった、という思い。
「困り方への共感」が、「つながりたい感」をはるかに上回っていましたが、後者も1以上だったと思います。だから両者の掛け算で、行動に出る自分がいたわけで。

友人に支援したりする場合は、「困り方への共感」より「つながりたい感」が大きく上回りますよね。けれど前者も1以上なければ行動にはでないでしょう(上述しましたが)。


いずれにせよ、大事なのは、「(支援対象者からの)見返りを求めない」という気持ちですね。
これと、「見返りを(自ら)つくる」というのは別だと思うんです。

震災ボランティアを通じて、僕はたくさんの、ほんとにたくさんの、自らの成長を頂きましたから。これって見返り、ですよね。

「困り方への共感」そして「つながりたい感」。自らの感情100%です。
この掛け算の結果が大きくなれば、支援する、それでいいと思いますし、支援しなかった人が外野でいろいろ言うのも、なんか違うと感じます。

と同時に、「つながりたい感」の気持ちが圧倒的に強く、「困り方への共感」が弱かった場合…
「困り方」に誇張表現や嘘があったと後でわかっても、文句は言えないんじゃないかな、と思うんですよね。
親友(と思っている人間)が10万円くれ、どうしても資金繰りが苦しいんだ、今月乗り切ればなんとかなる、儲かれば金返すから、と言われたとき、これまで培ってきた関係性を考慮し(=つながりたい感が大きい)お金を貸して、単に呑み代に困っていただけ(=困り方が嘘)ことがあとで分かっても、文句言わないですもん、僕は。

その後、親友が親友でなくなるだけであって、金を返せ、とは言いません。
それが支援する時のココロの持ちようだと思うのです。


studygiftに対して、僕は「困り方への共感」はしたものの、「つながりたい感」が湧きませんでした。
だから支援していません。
「困り方への共感」×「つながりたい感」が自らの基準値を超えた人が支援する(と割り切る)、それがいろんなところで起きていく状態がある、これが支援を社会全体で最大化することにつながるのではないですかね。
もちろん、人として、誰かの役に立ちたい、という気持ちは、多くの人が持っている、という前提の中で。
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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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