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前回からの続きです~
TVで報道されていた大きな被害なところは、逆に自分が行っても邪魔になるだけ、と思っていましたから、東の方から少しずつ、人手が必要かどうか、ボランティア受付センターに足を運ぶことにしました。
最初に「とりあえず今日1日はこれやってくれ」と言われたのは、西宮市です。
配属された地での役割は、「送られてきた支援物質を整理し、不要なものを捨てるため仕分けすること」…ありえないと思いませんか。
◆要請されないかぎり何も送らないことです。
何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、千羽鶴と同じゴミです。
「着るものがないだろう」とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。
水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。
現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです。
「○が不足しているのでどこに送って欲しい」という呼びかけに応えるのであれば、
ぜひ送ればいいともいます。
被災地は、「自らは不要、だけど必要な人がいるかもしれない物」の回収場では絶対にありません。
古着屋やリサイクルセンターと勘違いしないで欲しい。
しかし残念なことに、「邪魔なものを捨てる」×「人に感謝される(と推測できる)」という、単に自らの満足を最大化する行為が、「被災地に自分に不要な、かつ、まだ十分に使えるものを送ること」なのです。
そしてこの行為をする人は、自らの行為の愚かさに気づいていません。
西宮市のとある倉庫で見た光景、それは…自らの身長の何倍もあるところまで積み上げられたダンボール。その多くは雑多につめられた古着でした。
床には、賞味期限間近の食品もいたるところに。
これが、これが、「知らない人が支援行為を行うとき」の実態なのです。
今回は阪神・淡路大震災の教訓が生かされているのでしょうか、ネットではいたるところで「一番必要な、かつ、被災者のために確実になる支援は、お金」と呼びかけられています。
だから今回はきっと、前回のような迷惑は発生しないと信じたいです。
#先のブログでも書きましたように、Z会では義援金による支援を決定しました。
http://www.zkai.co.jp/home/about/corporate/press/20110315.htmlちょっとだけ脱線しますが、この西宮市で働いたとき、一緒にボランティアで1日ご一緒した社会人の方からかけられた言葉が、僕の(まだまだ未熟だった)ボランティア観に大きな影響を及ぼしました。
社会人の方:「東京から来たのか~それはこっち(関西)の人間にはほんとうにありがたいことだね。」
僕:「いえ。。。会社を休んでまで働いている方がよほどすごいと思います。」
社会人の方:「それは違うよ。僕は有給がたまたま余っていたので、消化するため今日ボランティアにきているけど、働いているみんなだって、そこで商品やサービスを一生懸命作っている。今やれることを最大限やることが何よりも大事なんだよ」
西宮市は1日で離れ(ややボランティア過剰気味でした)、次の日辿りついたのは兵庫区。
震災で職員や住人を失った「神戸母子寮」が僕が最後までいることになった働き場所でした。
大学で子どもたちと野外活動をするサークル「駒場子ども会」に入っていたため、大学に戻らなければいけないスタッフと入れ替わりでの配属。
ここで経験したことは、言い切れないほどたくさんありますが、今回の記事の趣旨とは異なりますので割愛いたします。
1つだけ。僕が出向いた、震災より1ヶ月ちょっとあと。
被災者自身による自家放火が相次いでいる時期でした。
「自分の家の半壊を全壊にすることで、保険の払い戻しを多く受けたい」という意図の元。。。
ほんとうに辛い気持ちはわかるものの、二次災害につながりかねない行為ですので、被災地近辺(甚大な被災地ではない被災地の方が余計危険です)の方はくれぐれもご用心いただきたいと思います。
夜の自家放火をさせないようにするため、昼は母子寮での労働、夜は夜警と、フルで働き、平均睡眠時間は2時間程度でした。
1週間続けたときに疲労による高熱。体や気分はピンピンしており、一緒にいたスタッフから「体熱っぽいよ」と指摘されたため体温を測ったら40°近く。熱を見た瞬間に倒れ、1日寝込みました(苦笑)。
今は専門家によるボランティアが必須ですが、しばらくたてば、素人ボランティアも必要な時期がくると思います。そのとき、気持ちのある皆さん、是非伺って欲しいんです。
ただし、もちろん「人から感謝されることの楽しみ」より、実際の自分が役に立てる、という推測と覚悟を持ち出向き、加えて被災地では、まず自分の身を自分でなんとかする(そのために睡眠も必要)、この姿勢で臨んでください。
最後に、
西宮市議会議員今村岳司氏のブログより印象的な部分を抜き出してご紹介します。
◆政府の大規模な財政出動に理解を示すこと、増税を受け容れること、
節電など、政府の呼びかけに応じて、不便を受け容れること、
被災者の苛立ちや要望をただ受け容れること、
プロが呼びかけるボランティアや募金に参加すること。
これくらいが関の山なのです。
◆ぜったいにこちらから安否確認の通信をしないことです。
安否確認したいのは被災していない側です。
被災していない側が安心したいだけです。
安否確認などされても被災者には何の益もありません。
安否確認で電話することは、
通信が復旧しきっていない情況で、
被災者でない側が安心したいがために通信を使用する行為です。
そして我々にできることは、メディア報道の嵐が過ぎても、被災地のことを半年、1年と「きにかけておく」こと、これだけは皆さん、忘れずに。。。