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2011.03.16 15:36

僕は阪神大震災のとき(当時大学4年生)、ボランティアで東京から現地にかけつけ、1ヶ月弱滞在しました。

・・・

そのときの自らの感情変化や経験を元にしつつ…
「かつて被災者、今部外者」の立場から記事をしたため、ネット上で話題になっている、西宮市議会議員今村岳司氏のブログを引用しながら、被災地支援において大切な姿勢について述べます。
以下、◆ではじまる箇所は、上記ブログより引用となります。
#一部実際のブログとは順番が前後します。


1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生しました。そのとき僕は、東京の一人暮らしのアパートにいました。不精な学生生活を送っていたため、起きたのは昼前…つけたTVで、大変なことが起きていることを知りました。

「助けなきゃ」「なんとかしたい」

瞬間的に起きた感情はこれです。だから、感情に任せてボランティアに向かう人たちの良心を否定するわけではありません(もちろん)。
しかし、本当に、本当に、「助けなきゃ」という自分になることで、自分の気持ちを満たすこと以上、相手を想う気持ちがあれば、「相手に何ができるか」を瞬間的に考えられる自分でいられるはずです。
思いもかけない出来事で飛び出た右脳的感覚を、左脳が抑制する、とでもいいますか。

「自分ひとりがいっても無力である。
自分ひとりがいくと、自分ひとり分の食事を奪うことになる。」
はっきりと、はっきりと、瞬時でそう思ったを覚えています。

◆まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。
被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族で
アクセスはただでさえ大混乱ですから非常に邪魔です。
統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない「ボランティア」は
ただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません。
自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。
しかし、手ぶらのボランティアは、
被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、
被災者が寝るべきところで寝るのです。◆



2、3日が過ぎました。
毎日のように流れる悲惨な光景。。。
そして、しばらくした頃でしょうか、ぼんやりとしか覚えていないのですが、TVから流れる画像の雰囲気が急に変わったような気がしています。

◆他人の絶望をエンタメにすることしか考えていない無神経なテレビを見ていると、
記憶の中で彼らは解凍され、また腐臭を放つようになってしまいました。

被災地の悲惨な状況を届けるのも、マスメディアの1つの役割かと思います。
しかし、「それだけ届ける」のが使命ではありません。
とくに、残念ながら常日頃「視聴率競争」に晒されているTV業界の人たちは、どうしても他人の絶望を無意識的にエンタメとして扱いがちです。(本人たちは良かれと思ってやっている場合もあります。だから「無意識」なんです)

被災地の皆さんの状況を、多くの人々の意識の中に組み込み、ずっと継続させておく…いわゆる「風化させない」努力は、マスメディアには是非お願いしたいと思います。
そしてその一方で、記事を扱っていることが、自らのエンタメ意識からきていないかどうか、常に自分自身に問いながら、記事化をしてほしいのです。

◆被災していない人間に被災者の気持ちが分かるわけがないのです。
分かるわけがない相手に分かったようなことを言われたりされたりすることこそが、
相手に「被災者の気持ちなんて結局誰もわからない」を痛感させます。
とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。
「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。



1ヶ月近くがたとうとしていました。
直後から感じていた、にわかボランティアブームが収束していることを肌で感じました。
そしてメディアにて、ボランティアという名の迷惑な人たちが少しずつ報道されるようになってきました。

◆ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。
彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。

人から感謝されることを楽しみに行いを為しても構わないと思うんです。
ただ、この気持ち「だけ」での行動は、絶対に、絶対に、止めなければいけません。
もちろん、この気持ち「だけ」での行動の結果「感謝される成果」を世の中に生み出す場合もありますが、経験的に、その可能性は低いと感じます。

「相手に何ができるか」「それは自分にできるか」「そのことで逆に迷惑をかけることはないか」
真剣に考えてボランティアに出かけてほしいと思うんです。
逆に、これを考えられない行動は、真の意味で「良心」に基づいた行動とはいえません。

しっかり考えられていれば(そんなに深い思考が必要とは思いません)、少なくとも
・自分一人でも寝れる用意をしておく
・自分が数日~1週間、「向こうで食事がなければこれを食べて過そう」と思える食事を持参する
(1回あたり、普段の食事の量の2、3割程度が目安でしょうか)
・食事やトイレなどで「ご厄介」になりつつも、ほとんど自分でできていることがないと思えばすぐに帰ろう、という覚悟を持ち合わせておく
などは、ボランティアに出かける前に準備できることです。

メディアで報道されなくなったからか(きっと取材の人たちが減ったのでしょう)、ボランティアという名の迷惑な人たちと、実際にボランティアで懸命に頑張っていた人(大学生中心)が帰り始めたのが、2月上旬~中旬にかけてだったでしょうか。学期末テストが大きな理由だったかと思います。
そのため今度は、真の意味でのボランティアまで不足する事態になってきた、と、メディアの記事で流れてきました。
すでに卒論の発表以外、単位をとり終えていた僕は思いました。「自分ができるのはいまだ」

そして僕は、寝袋を調達・持参、1週間程度の食料と最低限の着替えなどを持ち、神戸へ向って列車に乗りました。

後半に続きます~
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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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