昨日のブログの続きで、『自己チュー親子』より。
二五年ほど前から、生徒たちは自分が「やったこと」から目を背け、もっぱら「思ったこと」に閉じこもるようになった。「思ったこと」は「自己」の内面でもあり、ほかの人には見えない聖域である。自分だけの確かな世界である。
「やったこと」と「思ったこと」の対比がキレイな表現ですね。
日本社会が「消費社会」段階に入って五年くらいたった1980(昭和55)年くらいから、学校が不安定になり始めた。80年前後の中学生たちによる「校内暴力」がその嚆矢である。
高校講師の私がはっきりと変化を意識したのは1983年ころであり、ちょうど中学の「校内暴力」大発生の三年くらい後である。
「校内暴力」という言葉が出始めた頃の把握と、高校教師の現場体験からの話として、気に留めておきたい文章です。
1983年前後の高校生たちの変容について、うまく説明することはとても難しい。一言でいえば、生徒が学校の包括的な指導から離れ出したのである。かつての生徒ではなくなった。教師と生徒たちがズレ始めた。生徒たちが教師の後について歩かなくなった。自分の思うこと(内面的位置づけ)にこだわりだした。学校の公共性を認めなくなった。
1983年といえば、僕が10歳になる年である。9歳になる年(3年生)の担任は新任の女性教諭で、今ではひどいことをしたと思っていますが(注:今でも賀状のやり取りをする関係です)、毎日のように先生を「泣かす」クラスでした。「泣かす」というのも、本当に涙を流すこと、毎日でした。
「生徒たちが教師の後について歩かなくなった」のは、小学3年生の自分ですら体験していました(授業のスポイルとか、そういうことはやりませんでしたが…)。
自分の好きなように生きたいとは、誰しも望むものである。自分の好きなように生きるためには、社会や体制や周りとの距離を測らなければいけない。ということは、自分はどういう人間かを測っている必要がある。
(中略)
ところが「新しい子ども」たちは、社会や学校や周りとの距離を測らずに、自分の好きなように生きようとし始めた。これでは社会的な「個人」や「私」が形成されるはずがない。
まだ幼い若者が、好きなように生きたいと思えば思うほど、実は思うようには生きられません。
なぜなら「社会」との断絶が増えるだけですので。
2011.04.18 21:30
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