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2014.02.22 23:40

元インテルの社長、西岡郁夫さん。
http://nishiokajuku.com/blog/30/_1943_1966.html
このサイトにもありますが
1.自己変革の意欲無き者は去れ
2.雄弁は金、沈黙はクズ
3.出過ぎた杭になれ

まっ、そんな方です。

携帯の将来を考える「モバイル文化研究会」というチームでご一緒させていただき(2008年頃)、先日、田澤由利さんの出版記念パーティーで久しぶりにお会いすることができました。
70歳を超えるというのに、開拓者精神がまだまだ凄かったです。


そんな彼が、この記事

教科書を7回読むだけで、断然トップになれた!

をご覧になって、Facebookにこんな投稿をされていました。

こういう能力を重視する正解主義は、会社経営など正解のない実社会では役に立たない。
日本の会社を弱体化させたのは、正解主義の教育で優秀な人間が経営でも優秀だと誤解したことに始まる。
明治時代のように列国の後を追う時代は正解主義に価値があったが時代は変わった。こういう能力に憧れる必要はないよ。
今は行動してを結果を精査してスピーディーに修正を繰り返して結果を出して行く能力が求められる。


いろいろ語りたくなって、投稿にコメントで反応(^^
以下が僕の意見です、いかがでしょうか。

===
>行動してを結果を精査してスピーディーに修正を繰り返して結果を出して行く能力が求められる。

は100%同じ想いです。
では、どこから教育を変えていくか、と、僕のような教育畑の人間は考えてしまいます。

この山口さんが幼いころから目指していたのが弁護士、とするならば、司法試験、および大学入試が「正解主義の方が合格しやすい」となっていることを変えないといけません。大学入試はその方向に進もうとはしています。

一方、「なんで大学入試ってあんなに正解主義なんだ!(おかしいよ!)」という意見は結構拝見しますが、その正解主義を作っているのは、他ならぬ日本人自身(ときには、そういう意見を言っている人自身)と感じています。

1990年以降の大学入試を見ていると、「説明責任」という言葉の下、「点数開示」の流れができ、不合格者に「不合格の理由」を受け止められるようにしなければ、という圧力がかかり、結果、○×の付けやすい問題(つまりは知識問や基本問題)が加速度的に増加している感を受けます。
出題側が勝手に圧力を感じている部分もありますが、一方で「○×が明確ではないものに納得しない」という受け手側の問題がそれ以上にあると感じています。
※勤務先が「添削」の会社なので、添削基準づくりの一連の労務を見ていると、ほんとわかるんですね、相手の付けた点数に納得しない人がいかに多いか。。

大学入試は、大学のアドミッションポリシーに基づき、大学が、採りたい人を採るわけですから、「公平(フェアー)である一方で、“主観的な”評価基準」で構わないわけです。この評価基準に同意する大人がある程度影響力を持つようになることをあわせないと、教育から正解主義の日本社会を変えることはできないと思っています。

大学入試が変われば、自ずと、高校および高校の先生が変わらざるを得ません。それくらい高校において、大学入試というものは重いので。

理想主義的視点に立てば、幼児や小学教育から変える方がいいとは思うのですが、現在の義務教育の在り方(受け止め方)、運用、教師の資質(教員採用のあり方含む)…もろもろを総合すると、下から変えるのは極めて難しいと感じています。

が、入試改革もそこそこ時間のかかる話なので、手っ取り早いのは、大学で、正解主義ではおおよそ単位取得が不可能な必修カリキュラムおよびテストを一定割合入れる方が早いは早いと思っています。理想より実利をさらに優先するやり方になってしまいますが。

蛇足ですが、僕自身は、管理職の立場で、スピード重視、修正主義重視です。
きれいな提案書にまとめようとしている所作を「詳しすぎて読む気しない」と却下するくらい(笑
自分にできることをやっている、つもり、です。
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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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