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2017.10.22 19:06

先日、とある先生とゴハン食べていたのですが、とある教科系の団体(※表現をぼかしています)の考え方の押し付けが辛い、新しい考えを取り入れた実践をしようとしたり、仲間内で集まって研究会しようとすると、文句を言ったり批判したり、そして「あの集まりダメだ」のようなことを言いふらし…
なんなの?と正直思う、と。

自らの価値観は経験によって形成されます。
何をもって「よい」とするかは、経験によって異なります。

もちろん万人の共通理解を得られる(あるいは社会を形成するための価値観として得なければいけない)「よい」という価値観もありますが、「よい」と客観的に断定することなどできない事象がほとんどと思っています。

当人が「よい」と思っていることを進めることを否定するわけではありません。
自信を持って進めることは好ましいことですし、それが傍から見ると過信と思われるようなことでも当人とその近しい周囲だけの影響範囲なら構わないと思います。イノベーションも狂気から生まれることだってありますし。

問題なのは過信の押し付け。
しかも経験が浅いことに起因して信じやすい状態の人間(一般的には子どもや若い人)に過剰に信じ込ませたり、それ以外の価値観の社会的形成を妨害しようとする行為は、確実に未来を潰します。


どうして未来が、自分の生きてきた時代と同じと言えるのでしょうか。
自分が生きてきた中で獲得した価値観と同じ形成の仕方で20年後30年後の社会創造の当事者になれると思いますか。
社会形成の当事者は細部にいたるまで同じ価値観に染まっていいと思いますか。
それで社会の様々な課題を解決する際の役割分担ができますか。


自分の信じる道を伝達・伝道することはよいと思います。
しかしそれが全てと思い、それ以外の「存在」すらも否定しようとする行為は、確実に未来を潰します。


経験者がすべきことは経験からくる考え方を伝えるまでで、それを採択するかどうかの選択権は(ある意味、積極的に)他者に委ねるべきだと思います。

こういう話を聞くと、すぐ苫野一徳さんの「自由の相互承認」のキーワードを思い出し、そしてやはり教育において大切な考え方と再度感じます。
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2014.08.24 18:25

前半の続きです。

前半の投稿、実はfacebookで少し前に投稿していたものなのですが
===========
回ってきても無視する、という選択肢。
僕はそうしませんでしたが、無視を認める社会の空気がある方が、僕は好きです。
自分でベストと思う選択肢をとって、そのことを他人がとやかく言わない社会の空気が、ね。。。
===========
に共感してくださった方が多かったようです(ありがとうございます)。

「自分でベストと思う選択肢をとって、そのことを他人がとやかく言わない」という部分をきれいな言葉にまとめると、『どのような教育が「よい」教育か』などで、筆者の苫野一徳さんが語られている

「自由の相互承認」

という考え方にいきつきます。
ヘーゲルや、竹田青嗣氏などの考え方が源流にあり、苫野さんがご自身のブログで「ヘーゲル『哲学史序論』」を紹介する記事の中でこう書かれています。

「自らが自由になりたいのであれば、他者の自由もまた承認すること。そのようなものとして、社会を構想していくこと。自由を求める人間が真に自由になれるための根本条件は、この「自由の相互承認」をおいてほかにない。」

この思想性、そして、これが最も社会の中でルール化するために大切な思想だ、という考え方に大変共感しています。


この考え方は、従来の「仲間」意識として捉えられているものとは異なるんですね。
つまり、“「仲間」だろ!おれたち!”という言葉と口調で語られる「仲間」の持つ意識とは。
ここでいう「仲間」には、半強制的に“発言者の「仲間」感と同じ立ち居振る舞いをしよう(それだと仲間だと承認する)”という意味合いが込められている気がするんです。

僕はこの「仲間」意識、とっても受け付けないタイプです。
たまたま住んでいるところが同じ、たまたま同級生、というだけで、「仲間」として群れる強制感が…。

もちろん、住んでいるところが同じとか、同級生とかいう「つながり」がある人間は、つながりがない人間よりも大切にしたいものです。
しかし、その「つながり」だけで、人間関係の鎖を必要以上に強くしようとする感(とでも申しますか)は違うのではないかというわけで。


上記のような「仲間」意識の大切さは認める部分もあります。
こういう強制があって初めて生まれる、瞬間的な高揚感、連帯感は、凄いものがありますから(地方のお祭りなんかがその典型ですね)。

認めた上で「僕は受け付けない」、それが僕の立場です。
加えて、“認めた上で「僕は受け付けない」とする立場”を認めることが、「仲間」意識の強い人にも大切なことなのではないかと思っています。

旧来の「仲間」意識の強い人、いや、そればかりではなく、「仲間」意識を受け付けない人にもなかなか難しいことなのですが、この二者の関係(相手の立場を認める)がなりたって初めて、「自由の相互承認」というルールが社会に成立し、真の意味で、社会全体が「仲間」となれる、そんな気がします。
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2014.08.23 23:40

長いタイトルになってすいません。すべてを含めたかったものですから…

まずはアイスバケツチャレンジ(←ウィキペディアにリンクします)について、率直な感想と意見を。


アイスバスツチャレンジに様々な意見があるようですが、一番大事なのは

“相手の意見や姿勢を「そういうのもあるよね」と受け止める”

態度だと思います。
というか、意見を述べる上での前提となる態度で、今回の件くらいわかりやすい例はない、という感じでしょうか。

僕は8/18深夜(=8/19早朝)に回ってきて(そもそも存在すら知りませんでした、Y!ニュースなどになるちょっとだけ前です)、数分で決断し、100ドル(11000円)寄付しました。
瞬間的に一番強かった気持ちは、チェーンメールみたいで強烈にヤな感じ、というものでした。
一方、回してくれた友人は大事な友人ですし、難病の認知が広まるのも悪いことじゃないという気持ちも当然あります。

結果、一番優先された気持ちは、回してくれた友人の気持ちに配慮したい、ということと、これ以上回したくない、ということ。
重なると、100ドル寄付という選択肢がすぐでます。


回した友人も、それがベストと思った。
このチャレンジを始めた人も、それがベストと思った。

賛成する人も、それがベストと思った。
反対する人も、それがベストと思った。

寄付する人も、それがベストと思った。
それぞれのベストと思う意見は、すべてが「あり」なんです。

そして。。。
回ってきても無視する、という選択肢。
僕はそうしませんでしたが、無視を認める社会の空気がある方が、僕は好きです。
自分でベストと思う選択肢をとって、そのことを他人がとやかく言わない社会の空気が、ね。。。

後半に続きます。
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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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