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2011.11.30 23:20

身の周りがほんとに「師走」になってきました…

ブログに書きたいこともあるんですが…
うーん、久しぶりに22時近くまで仕事が続いている中でして…


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2011.11.24 23:52

明日から3日間、関西方面に出向いています。
土日、ALL全国教育フェスタに出席するため、前日からin。
始発では間に合わず…(苦笑)

会社でも新しい展開を考えて、いろいろバタバタしています。
明日の準備もこれから…


というわけで、すいません、取り急ぎ今の報告のみでブログあげておきます!
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2011.11.23 22:50

今日の夕御飯は焼き肉。娘の希望。

3人ともたらふく食って、みんな夜、お腹の調子を少し壊す(^^

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2011.11.21 23:40

週刊ダイヤモンドで、マクドナルドの原田CEOのインタビュー記事を読んでいたら、減収が続いていた頃にCEOに着任した時の感想で、

「課題が山ほどあったのは事実ですが、一方で、これだけ課題があるのだから、成長する余地も大きいと感じました。」

とありました。

これはほんとに良く分かります。


器の大きさと実行力は彼と雲泥の差ですが(苦笑)、僕も入社時、生意気にも、「まだまだ課題があるからもっと良くなるよこの会社」と率直に思いましたから。


課題があるって幸せなことなんです。


そして、会社生活におけるだいたいの課題は、自らコミットしていけば、自らの手で解決できる、という感覚があります。
少なくとも、売り上げ200億円のZ会の規模で感じる、僕の実感としては。
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2011.11.20 23:20

ツイッターを眺めていたら、 @a_largi さんのツイートを紹介(RT)してくれた知人がいて、思わず「そうそう!」と膝を叩いてしまいました。

ツイートから引用します。

==(引用開始)==

なんでも分かりやすく言えたら世の中苦労はない。そんなに甘くはない。

一見日常語に似た日本語で書いてあるからといって、何の背景知識も勉強もなくそれが理解できると思うのは、甘く見すぎである。

「分かりやすい、ということは危険である」ということは、大学四年間で必ず学ぶべきことの一つである。

第一に、世の中はそんなに分かりやすくはない。第二に、分かりやすい言葉には、必ず単純化が含まれている。第三に、分かりやすい言葉で伝わるのは、本質的には自分が元々知っていることだけである。自分にとって貴重なものは、「分かりにくい」言葉の中に埋もれている。

ちなみに私は自分のツイートは、少々分かりやすすぎると思っている。その理由は、単に私が軽薄で大したことは言っていないからだけど。

もっとぎりぎりのところで表現を模索している人は、たとえ失敗はあっても、尊敬に値する。私が、何かをわかりやすく書けるのだとしても、それはもう死んだ知識だからである。

これだけ「わかりやすさ」が猛威を振るう社会になったのは、「文系」研究者の責任も大きい。いい加減、「わかりやすい」などということはろくでもないことだ、と大きな声で言うべき時期だと思う。

浅田彰は少なくとも10年以上に大きな声で言っていた。

==(引用終了)==


@a_largi さんはもっと大きな問題について、「分かりやすい、ということの危険」をこの後ツイートされているのですが、そちらは彼にお任せするとして、僕は、学生時代の塾講師から、教育業界に就職した立場の人間として見てきた「分かりやすい、ということの危険」を述べたいと思います。


「分かりやすい先生に習いたい」「分かりやすい参考書が欲しい」
学生なら当然のように持つ願いかと思います。
しかし、言葉としては同じですが、自ら学ぼうとする姿勢がある学生と受身の学生では、「分かりやすい」を納得させる「教え方」が異なります。
そして…残念ながら体感的に、受身の学生が多くなったと感じる昨今では、受身の学生に受け入れられやすい「教え方」が氾濫していて、少し悔しく思っています。

受身の学生に「分かりやすい」と思われる教え方。
それは、「自分が学習した経験のある箇所を、その人が腑に落ちる言語に“換言して”教える方法」なんですよね。

それが必要なときももちろんあります。
しかし、それだけで「応用」が利くか、というと、利かない場合がほとんどです。
なぜなら、上記引用文にもある通り、「分かりやすい言葉で伝わるのは、本質的には自分が元々知っていることだけである。」からです。

だから、本質的に、受身の姿勢のまま「難しいことを分かりやすく教えてほしい」というのは、不可能なのです。
難しいことは、難しいんです。必ず積極的に学ぶ姿勢が必要なんです。
ましてや「難しいことを分かりやすくすぐ学べる薄い参考書が欲しい」という要望もこれまで散々見てきましたが(苦笑)、要望を出す時点で受身の自分を恥じ、姿勢を見直した方が、難関大学に通用する学力が身に付く近道ですよ、と、声を大にして言いたいのです。

世には「難しいことを分かりやすくすぐ学べる、そして薄い」をキャッチフレーズにした参考書もあるでしょうけど…それは「商売」を優先したキャッチフレーズで、だいたいは難しい物事の「単純化」が含まれています。
そして、単純化され置き換えられたものは全体に完全一致しない(単純化されたものは部分でしかない)ので、単純化に慣れてしまうと、応用ができない自分自身が出来上がってしまいます。

繰り返しますが、このテの教え方を全否定するつもりはありません。必要なときもあります。
全然分からなかったものが、少しは分かるようになることは、その人にとって一歩前進ですから。
ただ、受身の学生にありがちな、「それで何もしなくていい」というのは違うよ、ということなんです。
最終的に、応用が利くようになるには、自らの反復練習や、より本質を丁寧に(その人にとっては最初は分かりにくいと感じるであろう)書いたり教えたりした「教え方」に出会うことが必要です。


自ら学ぼうとする学生さんの発する「分かりにくい」は、「教え方」に問題がある場合も多いですし、少なくとも僕のような立場の人間であれば、自分の方にどこか不手際がある、と感じ、教え方を追求すべき、と思いますけどね。


「分からない」という状態は、「分からない」と感じている人が見たり聞いたり伝えられたりしているものと、自分との間に齟齬がある状態です。
コミュニケーションの齟齬と同じで、こういう場合はたいがい、両方に問題があり、両方が歩み寄らないと問題は解決しません。

知りたいと思う側は、分かろうとするものの難易度に応じた、分かろうとする努力。
分からせたいと思う側は、分からせたいとするものの難易度に応じた、分からせたいとする努力。
お互い、必要ってことですね。


何度も「うん、うん!」と頷きたくなったツイートを最後に繰り返します。

第一に、世の中はそんなに分かりやすくはない。第二に、分かりやすい言葉には、必ず単純化が含まれている。第三に、分かりやすい言葉で伝わるのは、本質的には自分が元々知っていることだけである。自分にとって貴重なものは、「分かりにくい」言葉の中に埋もれている。
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2011.11.19 16:27

ただいま移動中、のどかな景色が続いています。
これから実家に向かいます。

全然東京と風景が違いますよね。

思えば、全国に届ける通信教育を提供する会社を就職先として選んだのは、塾を始めとした学習サービスの提供環境が違っても、通信教育で学び続ける意欲さえあれば、しっかり学力を身につけることができるようにしたかったからでした。

外の景色を眺めながら。。。
学習の機会提供だけはできるだけ公平にしたい!という思いを更に強く持ったのでした。

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2011.11.18 23:50

来週末に参加することになっているALL全国教育フェスタ
奈良の山奥まで、はるばる、200名くらいの人が集うようですね。。。すごい。。。

そんなフェスタに、光栄にもゲストとして迎え入れられています。

自分の教育への想いや、これまでのルーツについて、いろいろまとめたページが公開されましたので、よろしければご覧ください。僕と言うキャラが良く出ているなーと思いますので。
ALL全国教育フェスタ 寺西隆行紹介ページ


もちろん、正直に(笑)自己紹介していますが、このブログには書かないことも書いています。

なんでブログに書けないか、と言いますと、ブログは不特定多数の様々な方にご覧戴くもので、上記自己紹介を見るのは「教育に関心の高い若い人」がほとんどであるから、という違いがあるからです。

教育に関心の高い若い人の思いそうなこと、
教育に関心の高い若い人の立場、
教育に関心の高い人のこれから、
…など、ターゲットを絞って吐いたメッセージであって、違う立場の人が見ると違う感情や理解をされてしまうことがある…そういう言葉で書いています。


「横断歩道は手を挙げて渡りましょう」と子どもには言いますけど、大人にそれを伝え、横断歩道の近くで手を挙げるとタクシー止まっちゃうでしょ(笑)
だから、ターゲットを絞って初めて吐ける言葉ってあるんですよね。

教育に関心の高い若者、になったつもりでご覧くださいませー
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2011.11.17 23:30

ううううううう…



ごひいきチームの中日ドラゴンズも3連敗…



こんな日は寝るに限りますね…
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2011.11.16 23:50

12月から就活解禁のためか、最近、就活についてのニュースが増えてきたような気がします。
そして、就活ニュースが増えると、決まって出てくる「企業が社会人に求める能力とは?」ネタ。
このところ毎年のように…そしてほとんど「一番」にランクするのが

「コミュニケーション能力」


ですね。

しかし、「コミュニケーション能力」が大切!と言われて、コミュニケーション能力がその時点でない人が、“そうか!だったら~しよう!”という考えや行動は、本質を捉えていない場合が多い気がします。
たとえば…

・人付き合いが苦手なので、いろいろな異業種交流会に出かける。
・ついついホンネが出てしまうので、建前でその場をしのぐやり方を身につける。
・会議の場での発言に慣れるため、ディベート形式の場に多く参加する。
・積極性を身につけるために、自ら挨拶を元気にしようとする(笑)
・コミュニケーションに関するノウハウ本をたくさん読んでしまう(苦笑)
・Facebook で多くの「友達」関係の人をつくる。

などでしょうか。

どれも「間違い」とまではいいませんが、それだけでは企業が求めている「コミュニケーション能力」が本質的に身につくとは思えません。
これらのやり方は、潜在能力としてはコミュニケーション能力は持っているけれども、顕在化していない人が、顕在化させるための手法であって、そもそも身についていない人が「企業が納得するレベル」にまで昇華させられるとは思えないのです。


コミュニケーション能力とは?を僕なりに定義すると

1.相手の心を理解しよう、という心を持ち合わせていること
2.相手の求めていることを言動で表現できる技術を持ち合わせていること
3.1・2を両方身につけていること


です。そして、1×2の能力数値が高い人が「コミュニケーション能力の高い人」です。

まるっとまとめると「相手のことを考え、相手の求めに応じたアウトプットができること」なんですけどね。
冒頭に挙げた行動は、すべてが自分主体で考えていますから、コミュニケーション能力の本質をついていない、と思えるわけです。


今年はFacebookが流行りですし、就活にもFacebook!のようなニュースがかなり取り上げられていますので、先日、Facebookを通じて起きた出来事を紹介しながら、コミュニケーションについて考える題材を提供することにします。


つい先日、橘川幸夫さんとFacebookで友達になりました。
僕にとっては超が何個もつくくらい嬉しいことでした。
※橘川幸夫さんの連載中の執筆記事とプロフィール
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20111013/223172/

彼には一度お会いしたことがありました。
…といっても、彼が所長をつとめるデジタルメディア研究所の勉強会で、名刺交換に押しかけ、名刺交換しがてらちょろっと話した程度です。

「それまで会いたかった人に会えました。名刺交換をしました。ではそれで、相手は「友達」と思ってくれるでしょうか?」

答えは明らかですよね。


しかし実際には、これくらいのレベルでFacebookで友達申請してしまっているケースが多く見られます。

Facebookは、友達かそうでないかによって、相手に開示する情報が異なります。
「友達のみに、自分のメールアドレスなどを公開する」など行い、自分の(いろいろ変わる)個人情報の告知代わりに使っている人も沢山います。
そういうことまで想定して、友達申請すべきなんです。
ましてや、友達承認されなかったときに「なんだーあの人、冷たいなー」なんて感じる人は論外です(実際には「コミュニケーション能力がない」人に多く見られる感想ですけど)。


僕は、橘川さんのfacebook登録を発見した時に、まず、「フィード購読」させていただき、彼の発する言葉をチェックしながら、「同感!」と思えることについては「いいね!」を押したり、コメントしたりすることから、「相手を知り、そして相手にも、僕のことを分かってもらえる」ようにし始めました。
数回コメントするうちに、「あーどこかで会ったことのある寺西だな」程度には分かってもらえたようです。

この「相手に友達(仲間)と思ってもらえるような努力」をしないで、一方的に“自分のことを知ってくれ!”光線を相手に投げる人もまた、コミュニケーション能力がない人です。
相手=企業、と置き換えると、就活においてはわかりやすいと思います。
企業は、その人が「○○コンクールで優勝しました!」とか「○○の代表をやっていました!」を知りたいわけではないんです。その活動が「企業の仲間として一緒に働くことに価値があるか」を見たいわけで。

そのためには、「企業の心を動かすにはどうしたらいいか」という、相手の立場に立った心の動きが必要ですよね。
派手な自己アピールも必要な場合がありますが、その行為自体が重要なわけではないんです。
地味であっても、相手の認知と興味関心の醸成ができればいいわけで。
僕が橘川さんに「そうですよね!」などのコメントをしたように。


あるとき、とても腑に落ちることを書かれていましたので、同感と言う感想とともに、少し長めのコメントをさせていただきました。
すると、そのコメントを見た人(=橘川さんの発言をよくチェックされている方)が僕に共感したらしく(後で知ったのですが)、いきなり僕に友達申請。
肩書は「東京大学○○学部」とありますが、僕へのメッセージがありません。

こういう人も多いんです。
・自分が共感している、という気持ちだけで「相手に分かってもらえている」と思っている
・自分の肩書があれば怪しい人じゃないと思ってもらえる
って方。
Facebookの使い方がわからないからそうなったんじゃないの?という問題ではなく、こういう方はホンキでこう思っているようで…(苦笑)

あなたの脳内や心の動きは、相手にとって無価値です。
肩書はもっと無価値です。
脳内や心の動きを「相手に分かってもらえるように、相手の共感を生むような形で表現し」、そして場合によってはそれに「肩書」が加わることで初めて、「あ、仲間になれそうな人だな」と思えるわけで…


ちょっと脱線しましたが、そのコメントに橘川さんが共感してくださったようで、なんと!橘川さんの方から僕に友達申請が。嬉しくてすぐ承認しました(笑)。
きっと橘川さんからすると、「きっと寺西は僕と友達になりたがっていると思う」って温度がわかったんだと思います。彼も、コミュニケーションをとても大切にする方ですから。

Facebookの話はここでオシマイです。


つまりは「あなたが相手の立場だったら、あなたが〝相手にしてほしい”と今思っている言動をとるだろうか?」と徹底的に想定し、そのための言動をとれることこそが、コミュニケーション能力、ってことですよね。

もちろん、前提として、「その言動をしている自分がとても楽しく心地がよい」状態であることは必要ですよ。
就活の場合で言うならば、その言動をしている自分が楽しいと思えない企業には行かない方がいいです。
どれだけ大企業であっても、運よく入社できたとしても、入社後不幸になるだけですから。


このブログのタイトルは「和顔愛語 先意承問」(わげんあいご せんいじょうもん)です。
とくに「先意承問」と言う言葉、僕がとても大切にしている言葉なんですが、これは「先んじて(相手の)意図を承ってから、(相手に)問いただせ」ということで…
つまりは相手の気持ちを慮り、かつ、相手に分かるように言動せよ、という、コミュニケーション能力の本質を突いた言葉だと思っています。


駄)名著ですが、コミュニケーション能力を身につけるには、『人を動かす』(デール カーネギー)を読むと早いんではないかな、と思うことが多いです。
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2011.11.15 23:50

ふらっと買ってみました。

『自分のアタマで考えよう』(ちきりん/ダイヤモンド社)

ちきりんさんは有名なブロガーですね。

Chikirinの日記


本書では、文章やデータから「(自分で)解釈すること」の大切さを教えてくれています。

現代社会は情報が氾濫しているうえに、いろいろな物事が複雑化しており、問題が起きた時の原因は1つ2つではないですし、解決策まで直線的につながる時代ではありません。
だから、1つの事実や「表面に現れたこと」を「自ら」紐とき、「自ら」考えていくことは、とっても、とっても、大切です。


しかし一方で、残念ながら、昨日のブログ 「わかりにくい」「説明不足」その原因は“お互いさま”。でも触れたように、良く考えようともせず、すぐに「わかりにくい」と口にする人も相当数いるような気がします。
加えて、「わかりにくい」のは説明者側に責任がある、と…(昨日のブログの通り、本人にも努力が足りないことが大半なんですけどね)。

教育業界が拡大してきた影響もあるかもしれませんね。
幼いうちから「塾」に慣れてしまうと、「説明する側がわかるようにしてくれてアタリマエ」のような感覚になりがち。
※我々も反省しなければいけませんね…。

また、本当にわかりやすい参考書は、売り上げも伴い人気を博すのですが、そこまで売り上げがない参考書に対し、学生が「これ、わかりやすいよ!」というコメントを寄せている場合には、“わかろうという姿勢が薄い人を狙い、わかりやすいと錯覚させるように”作っている場合もありますね。
“わかろうという姿勢が薄い人”は学力レベルもそこまで高くないことが多いですから、簡単な問題を載せ、その解答解説を、学力が低い人に合わせた言語で書く、なんてこと、できちゃいますから。


閑話休題。
現代の状況を見ても、未来がヨミにくいことを考慮しても、「自分のアタマで考える」ことをしないと、幸せは間違いなくその人に訪れません。
わかりやすい説明を思わず求めがちかもな…と思える人、『自分のアタマで考えよう』は参考になりますよ。


蛇足になりますが、本著で思わず「そうそう!」と思った文章を紹介しておきます。

==(以下引用)==

クラクラするほど無意味な仕事の選択理由が「社会の役に立つ仕事がしたい!」というものです。いったい「社会の役に立たない仕事」とはどんな仕事なのでしょう?オレオレ詐欺?それとも銀行強盗??「社会の役にたつかどうか」などというフィルターを使っても、志望業種すら絞れません。
「成長できる仕事」というフィルターもナンセンスです。「社会人1年目に一生懸命取り組んで、まったく成長できない仕事」なんて存在しません。もし特定の仕事でしか成長できない新社会人がいるとしたら、問題は本人の学ぶ能力の方でしょう。

『自分のアタマで考えよう』(ちきりん/ダイヤモンド社)
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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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