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2011.06.13 00:00

前篇の続きです。

前篇で書いた『学び合い』の良さは、あくまでも結果論だと認識しています。
その結果を導く、子ども側、そして先生側の変化(根本的な成長)が本質だと思います。


子ども側の成長の本質は

他人を信頼できるようになること


につきると思います。
これについて、詳しくは「子どもの学力向上は信頼から(後)~福島出張その1:「学び合い」授業参観」をご覧ください。


そして、先生側の変化。

子どもの能力を信頼できるようになること(すること)

大人が、先生が、「教えないと(子どもは)わからない」。
もちろん、そういう事柄もあります。
しかし、99%の大人は、「教えないと(子どもは)わからない」と、子どもたちの自己解決能力を超えたバランスで、過剰に思いがちではないかな、というのが、僕の感覚です。

まず、子どもを信頼する。
すると、見違えるほどの自己解決能力を、「子どもたち」という「集団」で発揮するようになる。

すると、子どもが信頼できるようになる。
これがまた、子どもたちの自己解決能力を伸長するという良循環を生む。

これが『学び合い』の、先生の立場から見た、本質的な素晴らしさの一つです。


もうひとつ、先生側の素晴らしいところ。それは

先生の〝余計な”肩の力を抜けること

教えなきゃいけない…がなくなります。
授業中は、(「放擲」ではない)「自由」が子どもたちに与えられ、結果、自由な時間が先生に作られます。
物理的にも、精神的にも、肩の力を抜けることで、先生自身が元気になります。


僕はツイッターでほぼ毎日つぶやいています。

毎日1同言 「大人が明るく前向きに、働くことを楽しんでいる(=何も考えないのではなく、不安と対峙し少しずつ解決することで未来を作っていく)姿を見せるのが、子どもたちへの一番の教育だと思っています。何かを“教える”より、ずっと」

先生が、子どもたちに、この教育を与えられるんです。


もちろん、信念を持ち、心が強く、どんな制度的・社会的制約があろうとも、子どもたちをグイグイ引っ張っていくスーパーな先生もいらっしゃいます。教育のあるべき論を唱えれば、こちらが正解なのかもしれません。
しかし現実、全国に(大学を除いて)100万人規模で配置しなければいけない「先生」という職種全員に「あるべき姿」を求める、という考え方が、現実に即しているとは思えません。
(ゆとり教育の失敗も、とどのつまりはここでしょう)

地域コミュニティがなくなり、躾がされていない家庭も散見するようになった昨今、学校では、学校教育のみならず、家庭教育や社会教育の一端の任務を背負わないと、そもそもの学校教育が為し得ない環境にあるところが大半でしょう。
文科省や教育委員会への提出書類も増えており、プライベートが皆無になった人も増えているようです。
そんな中、「子どもを教え“なければいけない”」という考え方は、益々先生の精神を追い込み、多忙とあわせ、子どもたちに笑顔を見せられる先生像を形成しにくい方向へ導いてしまいます。

「いいじゃん、子どもたちに任せようよ」

これだけで、先生は「ほっ」となります。その気持ちが笑顔を生みます。
その笑顔が、子どもたちに伝播します。それが子どもたちの自主性をさらに産みます。

ここに良循環が生まれるのが、『学び合い』の本質の1つだと思っています。


蛇足になりますが、「今の時代は誰だって忙しい、先生だけじゃない!」と反論される方もいらっしゃるかもしれません。
でも、だからといって、先生を厳しい環境に追い詰めて、子どもたちの教育に影響させることが良いこととは思いません。
次世代を作る子どもたちに多大なる影響を与える先生だからこそ、極力先生以外の人たちは、先生の肩の力を抜けるよう、環境的な配慮をしてあげたいと思いませんか…!?


『学び合い』それは。

子どもたちの笑顔を見たい、と、心から願う、「フツウ」の先生たちによって創造される、「フツウ」の先生が出来る限りのことを子どもたちに施す考え方

だと感じています。
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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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