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2011.04.05 08:25

先日書いたブログ疑うこと、信じること~弱さを認めて強くなれる。にいろいろな意見を頂戴しており、1つ1つ拝見しております。
僕の文章が下手糞(「伝わらない」文章になってしまっている)だったのが致命的で(苦笑)、自分が伝えたかったこと、伝わらなかったこと、乖離の部分を見極め中です。
反省しないと次につながらないですからね。

伝えたかったことの1つに、「疑うことは“信じたい”という気持ちと表裏一体」ということがあったのですが、この部分をうまく説明してくれているブログを見つけました。

信じることは疑うこと


モヤモヤ感が抜けるまで、冒頭のブログ記事に向き合いたいと思っています。
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2011.04.01 20:09

東京電力の情報公開を巡る動きを声高に批判する方がいらっしゃいます。
政府の情報公開を巡る動きを声高に批判する方がいらっしゃいます。

いずれも、

「(政府や東電が)ほんとうの情報を伝えていない、という疑いからくる怒り」

が根本にある方が多いと思われます。


被災者の方は、被災者の方しかわからない複雑な感情もありますから、お気持ちも十分察しますし、批判があれば政府も東電も甘んじて受け止めるべきだと思います。どちらも「当事者」ですからね。

しかし、第三者が、彼らが公開した情報を「声高に(声を荒げて)批判する」までするのはどうかと思うんです。
そのこと自体が「人間としてなっていない」云々ではなく、理屈として。
※もう少し蛇足的に付け加えると、「その理屈があるのに批判するのは、一度自分自身の姿勢を考えてみた方がいいよ」という意味で捉え「(考えなし、という意味で)なってない」とは思います。


被災者が声を荒げて批判するシチュエーションを想像してみてください。
これからどうしていいかわからない…頼る情報が他に何もない…
そこで情報公開が遅れたり、間違いなどが散見されたら、それは怒りますよね。

つまり「どうしていいかわからない」「頼る情報が他にない」という弱い立場におかれている当事者だからこそ、限られた“信じる選択肢”から出された情報に疑いももつわけです。
「信じたい、だから疑う。」そんな気持ちですよね。


情報元を疑い、声を荒げて批判する、被災者以外の方に伺いたい。
その目的はなんですか?と。
あなたが盲目的に、何かを信じないと生きていけない、とても弱い人だからこそ、そこまで疑うのではないのですか?と。
…自分のことでもないのに、声を荒げて批判するところまでいったら、自分がピンチのとき、あなたに情報を伝えようとする周りが誰もいなくなり、あなたは孤立しますよ、と。


まったく逆の方がいらっしゃいます。「信じたい。だから信じる。」という方。
こんな方もすがる所がない、弱い人の現れですよね。
(タチの悪い宗教のようなものを盲目的に信じるパターンを想像してみてください)

この両者へのアプローチが各々見事に現れたのが、「購買者の良識を見せるとき~最新号の『AERA』と『週刊ポスト』」で記事化したことだったと思っています。
だから、本質的には同じですね。購買層のメインターゲットの1つとして、弱い人の層を狙ったところでは。

ここでは僕は『週刊ポスト』は買う、『AERA』は買わない、と宣言していますが、これはあくまで、「表紙を見た」ことで「購買を決める」のであれば、「信じたい、だから信じる。」方に、(たとえ宗教がかっていても、このタイミングでこの表紙であれば)日本が向ってもいいのではないかな、と思ったからに過ぎません。
…でも、「信じたい。だから信じる。」が、ずーっと社会に蔓延るのも、少し気持ち悪い気がします。
なぜならそれは、上述の論理に従うなら、社会の弱さの表れ=何も克服できていない、ということになりますから。


以上から何を伝えたいか。
それは、「疑うだけ」「信じるだけ」の人は、自らがとても弱い人であり、かつ、弱さをなかなか認められない人であり、そして認めていないからこそ、弱いまま、解決法を自ら見つけることができず、盲目的に「疑う」「信じる」だけではないか、ということなんです。
※蛇足ですが、「声を荒げて(疑う気持ちから)批判する」人は、「信じるだけ」の人と異なり、周りに必要のない不快を及ぼしている点において、非難されるべき人かと思っています。


弱さを認めて、初めて強くなれます、人間は。
弱さを認めて、初めて正しい選択をしていこうとできます、人間は。



弱さを認めた上で「疑う」と、疑いきれないものに「信じる」という良性が湧きます。
弱さを認めた上で「信じる」と、信じきれないものに「疑う」という選択眼が生まれます。
このバランスの中で人は成長し、周りにも「信頼できる人」が多く集まってくるのではないでしょうか。



このブログでも何度も取り上げた、メルマガ「平成進化論」執筆の鮒谷周史さん。
震災の発生と共に、危機管理として、関西地方へ移動しました。
そんな鮒谷さんが、3月30日配信号で語られていることが下記です。
※メルマガのテイストを残すため、改行や行間もメルマガに準じています。

=========

何にしたところで、私はもとより完全完璧な
聖人君子ではありませんし、そんな人物を演じる
つもりもありません。


切れば血も出る、膿も出る、醜い生身の人間です。


初期の段階の、危険性が全く分からない状態で
楽観論や根性論、理想論で事態を乗り切ることが
できなかった臆病者の現実主義者です。


「あるべき論」のみを基準にして、
行動することができない者であり、

「あるべき論」と、実際の自分の姿とのギャップに
葛藤し続けている普通の人間です。


そもそも、東京に残ることで何か貢献できることが
あれば残る選択肢もあったかもしれないけれども、

現実にはそれが全く何も無いのに、周囲の空気を読み、
リスクを冒して残ることに意味があるのか、

などと思ってしまう、空気の読めない人間でも
あります。


東京を離れる必要はない、と科学的にいくら
説かれても、その科学的、という根拠を信じきる
ことができない情報リテラシーの低い人間です。


両親や家族から心配されるのを無視して、
東京に残ったり、落ち着いてからも戻ることが
できなかった情に弱い、小心者です。



そんな私だと認識しているから、
何を言われても、仕方ないと思うし、

同時に、

上から目線で他者を裁く見識もなければ、
指弾する資格も持ちあわせてはおりません。

だからいくら人から指弾されても、
私自らは他者を指弾するつもりはありません。

==========

弱さを認めているからこそ、疑う。
だから(彼の価値観での)正しい危機管理として、関西へ移動するという手段をとる。
しかし一方で、日本を離れないということ、これは「関西であれば大丈夫」と「信じている」ことにもなります。

自分が弱い存在だと認めた上で、疑うからこそ、信じるところのライン引きもできるのです。
これができれば、信じたことに対する「行動」に移れます(だから関西に移動したわけで)。
声を荒げて情報公開者を批判する人には、まずこんな「行動」はとれないでしょう。。。自分の弱さを認めない「変わりの形」として批判行動に出ているだけで、自ら様々な危機管理をしていかねば、という姿勢が全く感じられませんから。


そんな鮒谷さん、「指弾する資格ももちあわせておりません」とハッキリ言っていますよね。



人間は弱いんです。
だからこそ自分を守るために、何事も疑ってかかり、疑ってもどうしようもないところは信じるという手段に訴えるんです。

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寺西隆行
ICT CONNECT 21 の寺西隆行です。小松高校→東大理一→工学部環境系→教育の道へ。教育とマーケティングをずっと見つめながら過ごすことが喜びです。
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